82 至れり尽くせり
治療と報告を終えたクレインが退室すると、マイが腕まくりして言った。
「さあ、お風呂にしましょう。その後は、グレーシス様と夕食です。」
「え?ちょっとマイ!?」
獣人は人間よりも身体能力が高い。とは言え、まさか、女性のマイに持ち上げられるとは、思っていなかった。
「妃殿下は羽のように軽いですねぇ。」
なんて冗談を言いながら、マイは私を軽々と持ち上げて、浴室に運んだ。
傷を濡らさず、腕を動かさないよう注意しながら、入浴を手伝ってくれ、入浴後、再び持ち上げられて部屋に戻ると、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
普段から世話をして貰っているけれど、今はその比ではない。
「妃殿下は何もせず、そこに居てくだされば良いですからね。」
まるで自分が着せ替え人形にでもなったかのよう。
じっとしているまま、身なりが整えられていく。
早く元気にならないと、何も出来ない駄目な人間になってしまう気がする。
危機感を覚えた。
夕食の準備が整い、グレーシス様と久しぶりに向かい合って着席した。
マイが、私の腕を動かさないように、気を付けてくれていたお陰で、痛みを感じずに済んでいた。
けれど、ナイフを持つ為に腕を上げると、ズキッと右肩に痛みが走った。
「……マイ、申し訳ないのだけれど、お皿のお料理を、一口位の大きさに切って貰えないかしら。そうして貰えれば、左手のフォークだけでも食べられるから。」
「それは私がしよう。マイ、私の食事をリーリスの隣に移動してくれ。」
マイが返事をする前に、グレーシス様が立ち上がった。
「畏まりました。」
グレーシス様が私の隣に着席する間に、マイは素早く私のお皿と、向かいに用意してあったグレーシス様の食事を、隣に移動した。
「グレーシス様、私の事は気にせず、自分の食事をして下さいませ。」
「気にするな。私がしたくてするんだ。」
私の言い分は却下され、グレーシス様が私の食事を、一口位の大きさに切ってくれた。
「ほら、口を開けろ。」
「え?」
グレーシス様が私の口の前に、料理を持ってきた。
つまりグレーシス様が私に、あーんをしている!
恥ずかしくて、ボッと顔が紅潮した。
でも、待たせるのも失礼なので、思いきって食べる。
フッとグレーシス様は笑うと、私がモグモグと口を動かしている間に、自分の食事をしながらも、料理を一口大位に切り始めた。
食べ物を飲み込んだ絶妙なタイミングで、再びグレーシス様が、私の口に食べ物を差し出した。
「……これではグレーシス様が食べられませんよ。」
「大丈夫、私はリーリスより食べるのが早い。申し訳ないと思うなら、口を開けるんだな。」
恥ずかし悶えそうなのを必死で耐える。
「……っ、有り難うございます。」
また、あーんされてしまった。
私が口を動かしている時を見計らったように、グレーシス様がマイに言った。
「今日は私が食べさせるから、リーリスのカトラリーは全て片付けろ。」
「っ、マイ待って。私、自分で食べれるから。」
むぐぐっと口元を手で覆いながら、何とか言葉を口にした。
「畏まりました。直ちに片付けます。」
マイはグレーシス様に従順だった。
満面の笑みで、握っているフォークを取り上げられ、デザートのスプーンまで回収していった。
全てのカトラリーを奪われて、最後までグレーシス様に、あーんされる羽目になってしまった。
私を世話していた筈のグレーシス様が、先に食事を食べ終えていたのが、不思議でならない。
食後の紅茶が用意されて落ち着いた頃、グレーシス様が真面目な表情で言った。
「エイガーを襲った騎士を尋問したところ、リーリスを拐ったマーチスの協力者が判明した。とエイガーから報告を受けた。」
グレーシス様が聞いたエイガーの報告によると、協力者は騎士三名、侍女一名の計四名。
私のポプリをマーチス殿下から預かって、庭師から侍女経由で、部屋に届けるよう指示した王国騎士。
庭園を人払いさせ、エイガーを襲った王国騎士。
別邸の人払いをさせ、マーチスの指示で足枷を用意し、部屋の前で見張りをしていた王国騎士。
茶会の用意をし、私の手当てを手伝った侍女。
「王宮で、リーリスの誘拐を手助けした者は、全員捕えられたから、安心して良い。彼らの処罰は明日決定するそうだ。王宮追放は間違いないだろう。」
「そうですか、有り難うございます。」
安堵はしたけれど、何だか喜べない。
「あともう一つ、明日の夜、王家主催で慰労会を目的とした夜会が開かれる。リーリスの参加も求められているが、私としては身体も心配だし、欠席させたい。それで良いか?」
テナール王国の慰労会はとても楽しかったので、ホーウル王国の夜会はとても気になる。
テナール王国へ来るまで、夜会に参加出来なかった反動か、グレーシス様と一緒だからか、私はすっかり夜会の虜になっていた。
皆が楽しそうにする輪の中に、正装姿の素敵なグレーシス様と一緒に参加出来る。
それが幸せで、特に気に入っている。
本来の夜会とは、様々な思惑が渦巻いているのかも知れない。
今のところ、その類いの夜会に参加していないのは幸いだと思う。
それに、私の元気さをホーウル王国とハイヤー王国にアピールしておきたかった。
私の誘拐については箝口令が敷かれている筈。
けれど、私の救出に関わった王族は当然、承知している。
私が欠席すれば、重症、またはホーウル王国の王家を拒絶している、と捉えられ兼ねない。
そうなれば、私に国花をくださったカータンス殿下は、ホーウル王国に抗議しなければならず、友好関係に亀裂が生じる。それは避けたい。
だから、参加したかった。
「グレーシス様と一緒なら、顔を出すだけでも参加したいです。マイ、矢傷と足首を隠せるドレスはあるかしら?」
「足首はドレスで隠れますし、矢傷はストールを肩に掛ければ問題ないかと。」
マイの返事を聞いたグレーシス様が、すっと立ち上がった。
「リーリスならそう言うと思った。心配だが参加の返事をしておこう。」
「ちょっ、待って、グレーシス様っ。」
ひょいと抱えられ、ベッドまで運ばれてしまう。
ほんの数歩しかない距離なのに。
「明日に備えてしっかり休まなければな。」
「妃殿下、痛み止めの薬草茶です。」
ベッドに降ろされた私に、空かさずマイがコップ一杯の薬草茶を持って来てくれた。
「有り難う。心配させてごめんなさいね。」
「妃殿下を存分に甘やかす良い機会だと思っておりますので、お気になさらず。」
生き生きした顔でマイに言われてしまった。
「大概にしろよマイ。それは私の役目だからな。」
グレーシス様、今何て?とは、何だか聞かない事にしよう。
薬草茶を飲んで横になる。
「痛み止めの薬草茶には睡眠効果があるらしいから、直に眠れるだろう。それまでここにいる。」
矢傷に障るから。と、グレーシス様と一緒のベッドで寝るのは、お預けになってしまった。
少し残念。
その代わりに。と、ベッド横の椅子に腰かけたグレーシス様が、手を握ってくれた。
暖かいグレーシス様の手が心地好くて、安心する。
何だか眠くなってきた時、ふとマーチス殿下の言葉を思い出した。
『初夜の儀式をしていないから実質、番として成立していない。』
二人で築いてきた関係や思いを、何時でも簡単に壊せる。と言われた気がして、怖くなった。
「私達は初夜の儀式をしていないから、本当の夫婦にはなれないのですか?初夜じゃなくても儀式をすれば、夫婦として一緒にいられますか?」
ピクリとグレーシス様の獣耳が動いた。
「マーチスの戯れ言など気にしなくて良い。他者が何を言おうと、私の妻は一生、リーリスだけだ。」
グレーシス様が力強く手を握って、安心させるように言ってくれた。
「私も他の男性なんて嫌です。無理です。今日、凄く思いました。一生、グレーシス様だけ、です。」
薄れる意識の中、グレーシス様の手を握り返した。
「お休み、リーリス。」
優しいグレーシス様の声が聞こえて、おでこにキス、された気がした。




