75 ひと月後の庭園にて
治療が始まってから二か月が経った。
初日に比べて新規の患者は減り、ここ数日は患者が運ばれていない。
四日目の患者を治療するので精一杯だったのが、余裕が出て来て、三日目、二日目の患者も治療出来るようになり、今現在、睡眠矢で眠っている患者は、五名だけになった。
朝の薬草茶を投与した後に、五名の患者に癒し手をして、昼の薬草茶投与を終了したら、患者達は別室に運ばれた。
睡眠矢を刺された患者が眠っていたこの大部屋は、ついに誰も居なくなった。
「やっと全員が、食事介助に切り替えられるまでになったわね。」
「このまま新規の患者が一ヶ月しても出なければ、終息と言えます。もう暫く、様子見しなければなりませんね。」
クレインと、ホッとしつつも、気を引き締める。
回復して日常生活に戻ったり、自宅療養をする患者も居るため、食事介助の人数も随分と減った。
でも、発症まで、一か月掛かる。
一人でも患者が出たら、感染者の可能性を考えて、その日から更に、一か月待つ必要がある。
治療は私にしか出来ないから、確実に終息するまでは、テナール王国に帰国出来ない。
「午後から治療する者もいませんし、手伝いだけで食事介助は出来ますので、今日は、ゆっくりお休み下さい。」
コリーニ殿下の申し出により、私とクレインは、午後から休みになった。
馬車で王宮に戻り、クレインと別れて、私はいつも通り庭園のベンチに座って、自然エネルギーを吸収していた。
足音がして目を向けると、グレーシス様だった。
「グレーシス様、お久しぶりです。」
治療が始まって一ヶ月した位から、グレーシス様は朝の庭園散歩も一緒に出来ないくらい、忙しくなってしまった。
会えない分、侍女を通して挨拶程度の、簡単な手紙のやり取りをしている。
けれど、本当はずっと会いたかった。
だから、ひと月ぶりに会えて、本当は抱き付きたいくらい嬉しい。
でも、感染対策の為に、ぐっと堪える。
「珍しく気付かれてしまったな。」
グレーシス様がふわりと微笑んだ。かと思うと、フラッとよろけて、ガクリと地面に膝を付いた。
「グレーシス様?」
「お待ち下さい。」
立ち上がって駆け寄ろうとした時、今日の専属護衛当番、カールセンに腕を掴まれた。
「カールセン?」
カールセンの視線の先に目を向けた。
グレーシス様の直ぐ後ろにいるエイガーが、矢を手にして、振りかぶっていた。
「待って!エイガー!!」
思わず叫んだ。
勢いのままグレーシス様の背中に、ブスリと矢が突き立てられた。
「リー……リス……。」
矢を突き立てられてから少しして、朦朧としたグレーシス様が私に手を伸ばす。
「グレーシス様っ!」
私も手を取ろうと必死に腕を伸ばす。
けれど、カールセンに片方の腕を掴まれたままで、とても傍には行けない。
「カールセン、お願い、手を離してっ。」
「出来ません。」
そのうちにグレーシス様は、バタリと倒れて、意識を失ってしまった。
「あ………。」
目の前で起きた出来事が、どうしても受け入れられなかった。
「グレーシス様は獣化していなかったのに、どうしてなのっ!」
責めるように、エイガーとカールセンに抗議した。
「突然立てなくなる、狂気病の兆候が出たからです。我々は仲間に兆候が現れたら、直ぐに、矢を突き立てる。と決めて、常に互いを監視していたのです。我々が獣化して暴れたら、厄介ですから。」
エイガーの話を聞いて、いつだったかグレーシス様と、朝の庭園散歩をした時の話を思い出した。
常に睡眠矢を使えるように、矢筒を全員携帯している。確かそう言っていた。
てっきり、ホーウル王国の患者に遭遇した時の話だと思っていた。
まさか仲間に使う為だったなんて、考えもしなかった。
エイガーは更に説明してくれた。
「獣化していないから、感染を信じられないのは当然です。ですが、ひと月ほど前、グレーシスには感染を確信せざるを得ない、切っ掛けがありました。」
「切っ掛け?」
「現地騎士が人払いしている筈なのに、子供が出て来て、グレーシスは、その子供を抱えて庇いながら戦ったせいで、返り血が目に入ったのです。」
「返り血が目に……そんな……。」
狂気病は粘膜からも感染する。
「グレーシスは自らが感染していると想定して、その日から、仲間や妃殿下から距離を取り、自らを常に監視するよう指示していました。」
確かにひと月前、忙しくなったから朝の庭園散歩に付き合えなくなった。と謝られて、それからグレーシス様に会えなくなった。
その間、手紙のやり取りをするようになったけれど、いつも返事は元気だ、と書かれていた。
「グレーシス様が一人で感染の恐怖と戦っていたなんて、私は何も………。」
知らなかった事も、知らされたとしても、私には何も出来ないと分かるだけに、不甲斐なくて、涙が溢れそうになる。
「妃殿下、それは誤解です。自分を責めないで下さい。部隊長は、妃殿下とクレイン殿が治療してくれるから、感染しても絶対大丈夫だ。と言っていました。ただ、我々に感染を広げたら、二人の負担が増えるから注意する、とも。」
そう言って、私の腕を掴んでいたカールセンが、手を緩めてくれた。
「誰が見ても全く、落ち込んでなかったし、吹っ切れたのか、誰よりも生き生きと、足止め任務をこなしてました。あと、妃殿下の手紙が嬉しいって、ムカつくほど惚気てましたよ。」
最後に、カールセンが忌々しそうに放った、予想外の言葉に、涙も止まった。
「え?」
「そうそう、あの時はきっと全員が、心の中でグレーシスに矢を突き立てていた。」
ハハッとエイガーは笑うと、いつの間にか獣化して黒豹姿になったグレーシス様を、マントにくるんで、肩に担いだ。
「さて、グレーシスも獣化したし、部屋に運びますので、治療をお願い出来ますか?」
あまりにも明るい二人を見て、呆気に取られてしまった。
「ええ、必ず助けます。」
コクリと頷く私に、エイガーは微笑みかけると、先導するように歩きだした。
その後に続く私の傍には、護衛として、カールセンが同行してくれる。
仲間に、矢を突き立てなければならない嫌な役目を遂行したエイガーと、王族に逆らえば不敬だと言われかねないのに、私の為に止めてくれたカールセン。
そんな忠誠心に厚い二人を、私は感情的に責め立ててしまった。
自分勝手な私に、彼らは嫌な顔一つしないで、丁寧に説明してくれて、私が落ち込まないように気遣ってくれている。
申し訳なくて、涙がボロボロと零れてしまった。
「妃殿下!?どうされましたか?」
カールセンの慌てる声に、振り向いたエイガーも私を見て驚いたようだった。
はしたないと思うのに、溢れ出すと、止められなくなってしまった。
「……っ、エイガー、カールセン、酷い事を言って、ご免、なさい。それなのに……有り難う。」
途切れ途切れ、何とか言葉を口にした。
「とんでもありません!我々は任務を遂行しただけです。本当に、お気になさらず。」
「部隊長補佐の言う通りです。何も情報がなくて、突然アレを見たら、仕方がありませんよ。」
二人が必死に慰めてくれるから、その優しさが嬉しいやら申し訳ないやらで、余計に涙が出て、二人を困らせてしまった。
「有り難う、騎士達に誇ってもらえる王族になれるよう、努めるわね。」
何とか微笑む。
「妃殿下、充分ですよ。」
エイガーの言葉にカールセンが激しく頷いている。
「そうです。これ以上、頑張らなくても良いですから。」
どこまでも、二人は優しかった。




