68 コリーニ殿下
クレインと会議室で待っていた時、先ほど部屋を出て行ったコリーニ殿下が再び戻って来た。
「リーリス妃殿下、直ちに闘技場へ来て下さい。」
「闘技場、ですか?」
クレインと顔を見合せて、何事かと思う。
「詳しくは向かいながら話します。テナール王国の護衛騎士は、クレイン殿に付いて下さい。リーリス妃は、私が闘技場へお連れします。」
コリーニ殿下が、扉の外で護衛として待機していたエイガーに指示した。
「……畏まりました。」
一瞬、私を見たエイガーが、心配の色を滲ませた。
「畏れながら、私にはホーウル王国の護衛を専属で付けて頂いています。ですからエイガー殿は、妃殿下に付いて行くべきではないでしょうか?」
クレインがコリーニ殿下に意見した。
「クレイン殿、貴方は唯一狂気病が治療出来る方です。少しでもストレスなく治療に専念して貰いたい。その為には、他国の護衛より自国の護衛騎士といる方がより安心できる筈です。リーリス妃を心配する気持ちは分かりますが、王族の名に懸けてお守りします。ご理解下さい。」
クレインが、何とも言えない複雑な表情で私を見たので、安心させるように笑い掛けた。
「私なら大丈夫よ。エイガー、クレインをお願いね。」
「はい。」
エイガーにクレインを任せて、コリーニ殿下の案内で闘技場へ向かった。
「どうやらリーリス妃、貴女の事で我が国の騎士とテナール王国の騎士が、言い争いになったらしい。それがエスカレートして、決闘する事になったとか。」
「私が原因、なのですね。」
きっと、人間である私について何か言われた騎士達が、怒ってくれたに違いない。
気持ちは嬉しいけれど、流石に決闘は喜べない。
明日から各国の騎士同士、狂気病の収束の為に協力しなくてはならないのに、仲違いしていたら連携が出来ずに、任務に支障が出るかもしれない。
それに、決闘で誰かが怪我をしたらと思うと、心配で仕方がない。
「決闘ってそんなに簡単に出来るものなのですか?」
「まさか。両国の責任者が許可する必要があります。今回は兄上とグレーシス殿になるのですが、騎士達の直談判に、あっさり許可してしまい、決闘が決まったのです。全く、明日からが本番だと言うのに。」
コリーニ殿下が不機嫌そうに舌打ちした。
「貴方さえ来なければこんな事には……いえ、失礼しました。」
コリーニ殿下は、つい心の声が出てしまったらい。
自分でも無自覚だったみたいで、ハッとして謝ってくれた。
「いえ、そう思われても仕方がありません。」
ハーレンス殿下は悪戯好きな所があるのに対して、コリーニ殿下は真面目な印象を受けた。
もしかしたら、普段からハーレンス殿下に振り回されているのかもしれない。
「ただし、グレーシス殿は許可に当たって、決闘の原因となるリーリス妃の立ち合いが条件で、もし、リーリス妃が決闘を望まないなら、許可出来ない。と言うので、私が呼びに来たのです。」
「それは、お手数をおかけします。」
「いえ、これも任務の為ですから。」
不機嫌そうに、スタスタと先を急ぐコリーニ殿下に、何とか付いて行く。
私と違ってコリーニ殿下は、グレーシス様と同じくらい背が高く、歩幅が広い。
殿下にとっては少し早歩きでも、私は走らなければ、どんどん距離が離れてしまう。
駄目だわ、息が苦しい。
淑女は走ってはならないと教育される。常日頃から優雅さを意識しなければ身に付かないからと。
それでもお転婆だった私は、王宮から出ないからと、あちこち走り回っていた。
でも、それはたまにであって、走り慣れている訳ではない。
流石に息切れするし、立ち止まって、座り込んでしまった。
かなり後方で座り込み、肩で息をしている私に気が付いたコリーニ殿下が、驚いた様子で駆け寄って来た。
「リーリス妃?どうしたのですか?」
「その、普段、走らないものですから。息が、あがって、しまいまして。すみません。少し、したら、歩き、ますから。」
ハァハァ息をしながら何とか答えた。
「……このくらいで息が上がるとは。全く……こっちは急いでいるのに……。」
呼吸を整えている私を見たコリーニ殿下が、チッと舌打ちしたかと思うと、たちまちオオカミの姿になった。
そして着ていた衣服や靴を廊下に設置されている黒い箱の中に入れ始めた。
「あの、どうされたのですか?体調が悪くなったのですか?」
獣人は弱ると、ヒト型を保てなくなると聞いていたので、心配になった。
黒い箱に衣服を仕舞い終えた、オオカミ姿のコリーニ殿下が、振り向いた。
「いえ、体調は普通です。貴女は私が怖いとか、気持ち悪くはないのですか?」
こうして普通に話しているのに何故怖いのか、美しい毛並みをしているオオカミの、どこが気持ち悪いのか、意味が分からなくて首を傾げた。
「えっと、もふもふして愛らしいと思います。」
「は?」
コリーニ殿下が口を開けたけれど、それどころではない。
「それよりヒト型を保てていませんよね。無理をされているのではないですか?」
座り込んだまま顔色を伺ってみたものの、毛に覆われているオオカミの顔色なんて分かる訳もなく、じっと見つめ合っただけになってしまった。
「……我々イヌ科はネコと違って、自らの意志で獣化できるのです。獣化する方が高い身体能力を発揮できますから。その際に衣服が邪魔になるので、至る場所に箱を設置して、仕舞えるようにしてあります。黒い箱は王族専用です。」
言われて見れば廊下には、等間隔に様々な色の箱が設置されている。
「そうだったのですね。でも、何故獣化したのですか?」
呼吸も整ってきたし、そろそろ歩けそうなので、立ち上がった。
「貴女を背中に乗せる為です。」
コリーニ殿下が、伏せのポーズをしたので驚いた。
乗れって事?
「殿下の背中に跨がるなんて失礼な事は出来ません。もう歩けますからご心配なく。」
歩こうとしたら、スカートの裾を咥えられて、引き止められた。
「我々にとって必要な時に背中に乗せたり、乗ったりするのは、よくある事です。急いでいるって言いましたよね。さっさと乗って下さい。」
「……はい……。」
断れる雰囲気ではないので、仕方なく背中に跨がった。
「きゃっ!」
跨がった直後、コリーニ殿下がスクッと四本の足を伸ばして立ち上がったので、バランスを崩して、もふもふとした背中にポフンと倒れ込んでしまった。
咄嗟に腕を胴に回して、何とか落ちないよう必死に捕まった。
「………っ、そんな密着っ、変な乗り方をしないで下さい。」
「変な乗り方と言われましても……。乗り方があるのですか?」
コリーニ殿下に盛大なため息をつかれてしまったけれど、初めてなのだから仕方ないと思う。
「乗馬みたいに私の背に手をついて、少し体を起こして下さい。」
「こう、ですか?」
何とかコリーニ殿下の背中に手をついて、体を起こした。
コリーニ殿下が呼吸をする度に、乗っている背中が動く。
乗馬のように鞍や手綱等、乗る為の準備がされていないオオカミの背中は不安定で、動いたら振り落とされそうで怖い。
「あの、この体勢ですと、持つ所が無くて落ちそうになるから、怖いのですが。」
「どこでも強く掴んで構いません。」
「強くって、そんな、背中に乗られて髪の毛を引っ張られたり、肉を掴まれたら、つねられているのと同じで痛いでしょう?そんな事出来ません。」
「獣化した時は丈夫になるので、痛みはありません。まさか貴女が痛いかを心配して、掴むのを躊躇うなんて思いませんでした。」
どうやら私は、動物虐待するような人間だと思われていたみたい。
そんな風に見えるのかしら?
「普通は躊躇うものです。自分がされて嫌な事は、他者にしたくないですから。」
「普通、ですか。」
何だか、まだ疑われている気がする。
動物虐待なんて、した事ないのに。
「さあ、さっさと掴んで下さい。ぐずぐずしていられません。」
「では、失礼しますね。」
恐る恐る掴んだ。
「もっとしっかり掴まなければ落ちますよ。」
「はい。」
両手でギュッと掴むと、コリーニ殿下が勢い良く走り出した。
「あっ、ちょっと、待って!早いっ!」
「急いでいると言ったでしょう。」
コリーニ殿下もグレーシス様と同様、走る速度が尋常ではない。
体を起こしたままバランスを取るなんて無理だった。
体勢を低くして、オオカミの背中と自分の体を密着させた方が、空気抵抗も少なくなる気がするし、安定する。
「ちょっ、また、くっつかないで下さいっ!」
「ご免なさい、でも、本当にこの乗り方じゃないと駄目なのっ。」
迷惑をかけているのは分かっている。
けれど、どうにも出来ない。
「……仕方ないですね。しっかり捕まっていて下さい。」
怒られると思っていたけれど、思いの外、口調が優しい気がした。
「はい。」
キュッと握って、ぴったりと体をくっ付けたら、更にスピードが上がった。
「きああぁぁぁっ!!」
もふもふは素敵だけど、もう絶対にオオカミの背中には乗りたくない。
心の底から思った。




