63 発病
グレーシス様と三曲目のダンスをちょうど踊り終えた時だった。
「きゃあ!」
突然何かが割れる音と、女性の悲鳴が後ろから聞こえた。
何事?
声のする方に顔を向けると、飲み物のグラスが床で割れて、グラスの破片と飲み物が散乱している。直ぐ近くに、男性が一人蹲っていた。
大きな犬耳とふさふさした尻尾。彼は確か……。
「ハーレンス!」
隣にいた犬耳の女性が声をあげて手を伸ばそうとして、ガクリとその場で倒れた。
「妃殿下!」
駆け寄ったハーレンス殿下付きの護衛も突然、バタリと倒れた。
ハーレンス殿下と女性はオオカミに、護衛はキツネの姿に変わり、全員が唸り声をあげ始めた。
「き……狂気病だ!」
唯一ヒト型を保っている犬耳護衛の言葉を聞いた招待客達が、一斉に獣化した三名に注目した。
「狂気病だって!?」
「感染するぞ!」
「早く逃げろ!」
招待客達が口々に叫びながら、出口に向かって走り出した。
「不味いな。失礼、リーリス。」
「え!?きゃっ!」
グレーシス様はそう言って中腰になると、私を軽々と肩に担いだ。
私を肩に担いだまま、一方向に向かう招待客を素早く避け、階段を数段とばして駆け上がり、王族専用の席まで着くと優しく下ろしてくれた。
「突然雑な運び方をして済まなかった。」
「いえ、一体何が起きているのですか?」
ホールを見ると、沢山の招待客がパニックになって出口に殺到している。
もし、グレーシス様がここまで運んでくれなかったら、小柄な私は突き飛ばされて、もみくちゃにされていたかも知れない。
「グレーシス様、ここまで運んでくださって本当に有り難うございます。こんな状況になっていたなんて……。」
さっきまで楽しくダンスを踊っていたのが信じられない。
獣姿になった三名は理性を失くしたように叫び、転がり回って、誰彼構わず襲いかかろうとしている。
招待客は全員獣人で身体能力が高いからか、何とか逃げて躱し、出口に向かう。
勢いのまま突進したものの、躱された獣達はそのまま頭から壁に激突している。
明らかに普通ではない。
「あれでは魔物と大差ないな。いや、食べる目的を持った魔物の方がまだ理性的か……。」
隣で、独り言のように呟くグレーシス様の腕に触れ、尋ねた。
「これが狂気病なのですか?」
「ああ、致死率百パーセントの治療法が無いとされる病で、感染すれば先ず助からないと言われている。原因は不明だが、特にイヌ科獣人の発病率が高い。感染者に噛まれたり、引っ掛かれたりすると傷口から感染する為、他の獣人や人間にも感染する。感染すれば理性が失われ暴れ回り、手がつけられなくなる。」
とんでもなく危険な病だった。
「皆が混乱するのも無理はありませんね……。」
誰だって命は惜しい。
理性なんて失いたくないもの。
でも、王族は事態を収拾しなければならない。
「騎士達に告ぐ。直ちに招待客の安全を確保しつつ、別室に避難誘導して全員待機させ、箝口令を敷け。王宮医師には睡眠矢の要請を。睡眠矢の準備が出来るまで、獣化した三名の動きを封じろ。ただし致命傷は負わせず、決して噛み付かれるな。感染しては意味がない。睡眠矢を打って動きが止まったら、直ちに別室に隔離せよ。」
リロイ国王陛下が指示を飛ばす。
夜会の警備にあたっていたのは国王直属の近衛騎士と第二部隊の王族専用護衛騎士、第三部隊の施設警護騎士だった。
騎士達は素早く役割分担し、招待客の避難誘導役と獣化した三名の動きを封じる役に別れていた。
魔物並みに暴れ回る三名の獣を前に、騎士達は苦戦を強いられている。
噛み付かれないように回避しながら、致命傷を負わせず動きを封じなければならない。
ふと気になった。
「獣化した三名の動きを封じて睡眠矢で眠らせて隔離する、その後はどうするのですか?」
「眠らせたまま、なるべく早くホーウル王国へ送り返す。後は向こうの判断だ。」
グレーシス様の判断、という濁した言い方に嫌な予感がした。
でも、王族として国の事は知る必要があると思ったので、敢えて聞いた。
「では、テナール王国で感染者が出た場合の対応は、どうされるのですか?」
「……安楽死だ。」
絶望的だった。
もし沢山の国民が感染してしまったら?グレーシス様が感染してしまったら?自分が感染してしまったら?
起こり得る現実に怖くて手が震えた。
急に怖さが実感されて、逃げ惑う皆の気持ちが初めて理解出来た気がした。
癒し手は使える?分からない。でも試してみたい。
リロイ国王陛下の前に跪いた。
公式の場では、この所作をする事で、リロイ国王陛下に話がある、という意思表示になっている。
「リーリス、申してみよ。」
「はい、今回、私では何の役にも立たないかもしれません。でも、隔離まで終えたら、どうか彼らと接触する機会を与えて頂け無いでしょうか?」
騎士達もいる手前、癒し手とは言えない。
けれど、リロイ国王陛下には私の言いたい事が伝わる筈。
「王宮医師クレインとグレーシスの同行があれば許可しよう。」
リロイ国王陛下は頷いて、私の目をしっかりと見つめてくれた。
「有り難うございます。」
「では、さっさと彼等の動きを封じなければな。」
グレーシス様はそう言って私の隣に跪き、リロイ国王陛下の返事を待った。
「グレーシス、申してみよ。」
「はい、私が動きを封じます。理性を無くして全力で襲いかかって来る王族を相手に、護衛騎士達が、自らを守りながら、殺さないように手加減するのは難しい。だが、私なら造作もありません。剣を持つ許可をお願い致します。」
公式の場に王子として夜会に出席する場合、グレーシス様も剣は持たない。
だから、剣を持つ場合は国王陛下の許可が必要だった。
「良いだろう。グレーシスに剣を。」
グレーシス様は普段から帯剣していないと落ち着かないからと、夜会の直前まで剣を持参して、入場前に宰相のイーサンに剣を預けていた。
だから宰相のイーサンは直ぐにグレーシス様のベルトと剣を用意出来た。
素早く帯剣したグレーシス様に声をかける。
強くても心配になるのは仕方がない。
絶対大丈夫なんてあり得ないのだから。
「お気を付けて。」
「ああ、直ぐに終わらせる。」
不安そうにする私の頭を優しく撫でて、グレーシス様が獣に向かって軽やかにホールへ飛び降りた。
獣達を前にした瞬間、魔物討伐の時と同じ、感情を一切廃した表情に変わった。
騎士達が全く近付けない中、いとも簡単に獣の背後に素早く回り込んで体勢を低くし、後ろ足に向かって剣を素早く真横に振った。
スパッと腱が切れ、血が吹き出し、返り血がグレーシス様の白い正装服に飛び散った。
後ろ足で体重を支えられないオオカミは叫ぶように声を上げてその場で倒れ、首を激しく動かして前足だけで動こうと尚も暴れようとしている。
けれど、動きは格段に鈍くなった。
間髪入れず、騎士達に襲いかかる他の二体の背後に素早く回り込み、後ろ足の腱だけを正確に切る神業を繰り出した。
あっという間に三名の動きを封じ、獣の叫ぶ声がホールに響いた。
そのあまりの速さと手際の良さに、騎士達は呆気に取られていた。
「睡眠矢が準備出来ました。」
「貸せ。」
騎士の持ってきた矢をグレーシス様が受け取り、のたうち回る獣三名の臀部に躊躇いなく、ザクリと突き立てた。
「同類にも容赦がない。まさに黒の鬼神だな……。」
誰かが呟く声がホールに響いた。
睡眠矢の効き目は早く、獣化した三名は直ぐに意識を失い、それを待っていたクレインを含めた王宮医師達が、直ぐに後ろ足に包帯を巻いて止血を完了させた。
「よし、運びだせ。」
騎士によって三名は何処かに運ばれた。
「クレインは此方へ。」
早速リロイ国王陛下がクレインを呼んでくれた。
「クレインの治療にリーリスとグレーシスの同行を許可した。今から隔離部屋へ案内を頼む。」
「畏まりました。」
リロイ国王陛下の言葉の意味をクレインは察して、隔離部屋へ案内してくれた。
「中へどうぞ。」
隔離部屋の扉前で待機している護衛騎士にも話は行っていたようで、直ぐに扉を開けてくれた。
隔離部屋には大きな一台のベッド以外に何もない。
ベッドに横たわる獣化した三名の臀部には、睡眠矢が刺さったままになっていた。
「時間が来て新しい睡眠矢を刺したら古い矢は抜く。そうして睡眠薬を切らさないようにするんだ。」
グレーシス様の説明を聞いて、ただ悲しくなった。
癒し手が役に立たなかったら……そう思うと、触れるのが怖かった。
お願い。
そんな気持ちで恐る恐る各々の背中に触れた。
……………ある。治る力がある気がする。
「どうだ?」
「治る力と言うべきなのか分かりませんが、治る力があると感じます。」
グレーシス様に告げて、何時もの様にゆっくりと背中を撫でながら、声をかける。
「大丈夫、大丈夫。」
なかなか治る力は育たない。
でも、少しずつ確かに育っている。
「大丈夫、大丈夫。」
各々二十分程撫で続けた時、もう大丈夫だと何故か確信が持てた。
ゆっくり背中から手を離して、医師のクレインに尋ねる。
「多分大丈夫だと思うのだけれど、医師として治ったと判断出来るかしら?」
見る限り、睡眠薬で意識の無い三名は、何も変わっていない。
「そうですね、以前の伝染病とは違って顔色や呼吸は変わらないので判断出来ません。理性が戻っているか、が判断基準になりますが、不確かな状態で睡眠矢を止めるのはリスクがあります。狂気病になると、ヒト型を保てなくなるのは以前の伝染病と同じです。だから、このまま睡眠矢を打ち続けてヒト型に戻れば、治ったと言えるでしょう。」
「つまり、ホーウル王国に経過を待って貰う必要があるのか。」
グレーシス様が、獣化したハーレンス殿下を見下ろして呟いた。
「その旨をリロイ国王陛下に報告しておきます。妃殿下が大丈夫と言うなら、希望が持てる気が致しますから。」
直ぐに治ったと判断出来ないのは歯痒いけれど、ヒト型に戻ってくれるのを願って、隔離部屋を後にした。
「庭園に寄ってから帰ろう。顔色が良くない。」
グレーシス様の手がそっと頬に触れた。
「それは助かります。」
思ったより自然エネルギーが減ってしまったから、補わなければと思っていた所だった。
秋の庭園は少しひんやりとして、肩が開いているドレスでは肌寒い。
「折角の夜会が台無しになってしまったな。」
グレーシス様が上着を脱いで私の肩にそっと掛けてくれた。
グレーシス様の温もりと優しさが感じられて、心がふわりと温かくなる。
「でも、お兄様以外の男性とダンスを踊る夢は叶いましたし、伝染病に感染するリスクがあるのに、皆の為に剣を振る素敵なグレーシス様の姿を見れたので、大満足です。ただ、黒の鬼神なんて怯える方がいたのは残念でなりません。」
グレーシス様の戦う姿は確かに残酷に見えるかもしれない。
でも、誰も、騎士でさえも犠牲を出したくないという優しさ故の強さが根底にはある。
グレーシス様の事をよく知らないのだから、仕方がないのかもしれない。けれど、やるせない。
「有り難う、リーリスにそう言って貰えるなら、正装服を汚した甲斐があったというものだ。」
グレーシス様が目を細めて、私の顔にかかっている髪の毛をそっと耳に掛けてくれた。
「次に夜会がある時には、またダンスに付き合ってくれるか?付き合って貰わなければパートナーが居なくて私が困るのだが。」
グレーシス様が私の手を取って懇願してくる。
私がグレーシス様とダンスを踊るのが好きだと知りながらそんな言い方ズルい。でも、嬉しい。
「勿論付き合います。約束、ですよ。」
「ああ、約束だ。」
「あ!」
気づいた時には、グレーシス様が良い笑顔で恭しく私の手を持ち上げ、手の甲にキスをした。
この流れ最近多い気がする。
グレーシス様ったら私に忠誠を誓いすぎなのではないかしら?
全然慣れなくて恥ずかしいけれど、嬉しいとも思ってしまうのだから困る。




