50 騎士棟
お茶会があった日の夜九時、私室に訪ねて来たグレーシス様の手には、沢山のリボンがあった。
「ティミラーに話した通り、祝賀会の時に、全員からリボンを回収した。約束通り全員無事、帰還したからな。」
グレーシス様からリボンを受け取った。リボンは擦り切れて糸がほつれていたり、血で汚れていて、討伐の壮絶さが想像された。
「本当に良かった。」
リボンを、ギュッと胸に抱いて、グレーシス様と全員の無事を喜んだ。
「また、お守りのリボンを作りますね。」
何か、いけない事を言ったかしら?
グレーシス様が、眉間に皺を寄せている。
「すまないが、リボンは作らないで欲しい。決して迷惑では無い。寧ろ皆喜ぶだろうと分かっているが、私が嫌なんだ。その……儀式とは言え、リーリスの手に、他の男が口づけするのが。」
グレーシス様が私の手を取った。
「ごめんなさい。考えが至りませんでした。私だってグレーシス様が、他の女性に口づけするなんて見たくありません。もっと気楽に受け取って頂けると、有難いのですが……。」
「それは無理だろうな。喜びと忠誠を、最大級の謝意で表現したいのだろう。」
他に何かないかしら、と考えた。
「では、差し入れは如何でしょう。騎士団では、三時休憩があると、ドルフから聞きました。甘いものなら、疲れも取れるのではないでしょうか?」
「それは皆、喜ぶだろう。私もリーリスに会う口実が出来て良い。」
「私もグレーシス様に会えるのは嬉しいです。何かご希望はありますか?」
「リーリスのクッキーは好きだ。幾らでもいける。」
「では、クッキーにしますね。」
翌日の朝食後、早速ベインにお願いする。
「……と言うわけでベイン、また厨房を使わせて欲しいの。」
「オーブンだけは料理人に任せる事。いいな。」
「分かったわ。約束する。有り難うベイン。」
「だーかーら、手を握るんじゃないっ。俺はまだ死にたくない。」
何故かグレーシス様を誤解しているベインに許しを貰って、クッキー作りを始めた。
前回と比べて、かなり沢山作らなければならない。
勿論、邸の者達の分も忘れない。
何とか午前中に作り終わった。
昼食を済ませて三時前。
護衛のサンセに案内して貰って騎士棟へ向かい、騎士棟入口の受付係に、サンセが訪問理由を説明してくれた。
「受付係によると、殿下は執務室にいるそうです。ご案内します。」
サンセと執務室に向かっていると、向いから、エイガーがやって来た。
「妃殿下お久しぶりです。どうされましたか?」
「グレーシス様と皆さんに、差し入れをお持ちしました。お疲れでしょうから、甘いものでも如何かと思いまして。」
「其はありがたい。私も丁度、グレーシスに用があるので、一緒に行きましょう。」
執務室へ到着すると、エイガーは扉をノックして、返事を待たずに扉を開けた。が、執務室には誰も居なかった。
「仕方ない、折角なので騎士棟を案内しますよ。それとも、もう見学されましたか?」
「いいえ、でも、エイガーは休憩時間でしょう?休んだ方が良いのでは?」
「全然大丈夫。案内なんて、休憩みたいなものです。部隊長にも会えるかもしれませんし、皆喜びますよ。」
折角エイガーが申し出てくれたのに、頑なに断るのも失礼かもしれない。
「では、お願いしようかしら。」
「はい、決まり。護衛は自分がするから、サンセ殿はここで待機宜しく。グレーシスが戻ったら、探しに行ったと伝えてもらえるかな?」
「別に良いが、知らないぞ。」
何が知らないのかは分からないけれど、サンセは溜め息をついている。
一方、エイガーは全くお構い無しの様子で、サンセに手をヒラヒラ振ると、騎士棟を案内してくれた。
「ここが騎士の休憩室。今皆、気を抜いているから、驚きますよ。」
休憩室の前で、エイガーは、いたずらっ子のように私にウィンクした。
さっきの様に扉をノックして、直ぐに扉を開けた。
「妃殿下がお越しだ。差し入れを持って来てくださったそうだ。」
先程とは変わって、部隊長補佐らしい威厳のある声に驚いた。
休憩していた者達は驚いて、慌てて脱いでいた上着を着たり、ぐったりしていた姿勢を正したり、あたふたしている。
折角休んでいたのに、申し訳無い気持ちになった。
エイガーは、チラリと私を見て、口角を上げた。
本当に悪戯好きな方。
「お休みのところ、お邪魔してしまいました。差し入れのクッキーをお持ちしましたので、良かったらどうぞ。」
近くの机にクッキーの入った箱を置いて、直ぐに立ち去ろうとした。
「妃殿下、お待ち下さい。折角ですので、紅茶をお入れします。」
確か以前、カールセンと名乗っていた騎士が、急いで給湯室へ行く。
「お構い無く。すぐにお邪魔致しますから。」
「妃殿下、どうぞ付き合ってやって下さい。もてなしたいのです。」
そう言ってエイガーに椅子を引かれてしまっては、座るしか無い。
「では、お言葉に甘えますね。」
着席すると、エイガーが仰々しく聞いてくる。
「妃殿下、早速頂いても宜しいでしょうか。」
「どうぞ。上手く出来たと思いますが、感想を聞かせて頂けると嬉しいです。」
「「「妃殿下がお作りに?」」」
皆同じように驚くので、可笑しくて笑ってしまった。
最初にエイガーが食べてくれた。
「旨っ。これは癖になりますね。」
エイガーの後に皆、箱を順番に回してクッキーを食べ、旨いを連発してくれた。好評のようで安堵した。
「エイガー。」
一番離れた所にいた、体が大きくて強そうな騎士が指をクイクイと動かしている。
その瞬間、全員が彼に注目して、休憩室が静かになった。
一体どうしたのかしら?
疑問に思っていると、エイガーがクッキーを、一つ手に取った。
「ほら、ベクター。」
エイガーが、ベクターに向かって、クッキーを投げた。
クッキーは放物線を描いて、吸い込まれるようにベクターの口に入り、休憩室にモグモグと咀嚼音が響いた。
「まあ、凄い、上手ね。」
思わずパチパチと拍手してしまった。
今度は騎士達が目を丸くして私に注目する。
あら?何か間違えた?
それよりも気になる事がある。ベクターと呼ばれたあの騎士は、全く美味しそうな顔をしていない。
「あの、お口に合いましたか?」
ベクターは無言で、コクリと頷いた。
「エイガー、あと十枚くれ。」
「は?お前にやるなら俺が食う。」
ベクターとエイガーは互いに遠慮がない様子。
どうやら友人のような関係なのだろう。
「おい、まだ食ってない奴もいるんだからな。」
紅茶を淹れてくれたカールセンが、物申して、騎士達が同意している。
その後、緊張が解けたのか、騎士達は全員、クッキーを食べてくれた。
「また、お持ちしても良いかしら?」
「「「是非お願いします。」」」
再び差し入れする約束をした。
休憩室を出て、エイガーと執務室に向かう。
「思ったより長居してしまいましたね。次回は別の場所に案内致します。」
執務室に到着して、エイガーがノックする前に、扉が開いた。
「エイガーは充分休憩したようだな。訓練は任せた。リーリスは此方へ。」
グレーシス様に手を引かれて執務室に入ると、エイガーを外に残したまま、扉が閉められた。
「待っていてくれれば、騎士棟の案内くらい私がしたのに。」
「では次回お願いいたします。今日は休憩室に伺って、差し入れのクッキーを渡すだけで終わってしまいましたので。」
「そうか、取りあえずソァーの好きな所に座って。今紅茶を淹れる。」
「グレーシス様が紅茶を淹れるのですか?」
「ここでは何でも自分でする決まりだからな。」
グレーシス様が紅茶を持って、隣に腰かけた。
「グレーシス様には、別に取ってありますよ。」
ハート形のクッキーが入っている箱を開けた。
「あと、リボンも作りました。グレーシス様だけですが。」
黄色いリボンを差しだして、グレーシス様の方に向き直る。
「何時も、ご無事を祈っております。」
リボンを受け取ったグレーシス様は、ソファーから降りると、跪いて私の手に、少し長めの口づけをした。
やっぱりドキドキしてしまう。
立ち上がったかと思ったら、顎をクイッと上げられて唇を奪われた。
「あの……これはどんな意味が?」
「したくなったから、した。」
フッと微笑まれて、また唇を塞がれた。
「……っ誰か来たら、どうするのですか?」
「鍵を掛けたから問題無い。それに、サンセには、誰も通すな、と言ってある。」
いつの間にそんな事を。
「あの、でも、エイガーがグレーシス様に用がある、と言っていましたよ。」
「用は後でも聞ける。」
再びキスされた。
「グレーシス様っ、仕事場で……駄目ですっ。」
「休憩中だから問題無い。」
真面目な顔で言われてしまった。
冗談なのか本気なのか、分からない。
話題を変えよう。
「クッキーは今食べますか?其とも後にしますか?」
「今、食べさせてくれ。」
食べさせてくれ、と聞こえた。
じっと此方を見ている。どうやら聞き違いでは無いみたい。
ハート型のクッキーを一枚取って、グレーシス様の口に運んだ。
パクッと食べた時に、グレーシス様の唇が指に触れて、ドキリとした。
食べ終わると、今度はグレーシス様がクッキーを摘まんで私に食べさせようとしてきた。
「リーリス。」
何だかとても恥ずかしい。
ずっと待たせる訳にもいかないので、思いきって食べた。
でも、一口では食べきれずに割れて、半分になってしまった。
残りをグレーシス様が、パクリと食べる。
「やっぱりリーリスのクッキーは美味いな。」
ご機嫌そうに微笑まれた。
「今日のグレーシス様は、何時もと違います。どうされたのですか?」
「それは、少し、拗ねてしまったようだ。」
また唇を奪われる。
クッキーの甘い香りがした。




