32 森へ息抜き
城塞を中心とした城下町の外は、森が広がっている。
辺境に来る途中で見た森は、とても美しかった記憶があるので、ぜひ散策してみたいと思っていた。
それが、今日叶う。
グレーシス殿下の休日初日、空は快晴でおでかけ日和だった。
「休日なのに、グレーシス殿下は騎士服なのですか?」
「念のためだ。今日は天気も良いし、馬で行こうか。」
「良いですね、乗馬なら、嗜み程度には乗れます。」
「いや、リーリスは病み上がりだから、相乗りにしよう。」
先に馬に跨がったグレーシス殿下は、私を前に乗せると、私を後ろから覆うように、手綱を握った。
まるで、グレーシス殿下に包まれているみたいだった。
屋上で、ベッドで、そして今は馬上で。
最近グレーシス殿下には、色々な形で包まれてばかりな気がする。
けれど、全く慣れる気配は無く、恥ずかしさに戸惑うばかりだった。
グレーシス殿下は、部隊長補佐のエイガーと、辺境の騎士二名の護衛と共に、馬を走らせる。
城塞を出て町を通り抜け、外壁の門を潜り、壕に架けられた橋を渡れば、目の前に森が広がっていた。
森の中は、木洩れ日が射し、光の柱によって幻想的に見える。
新緑の爽やかな香りや、足元に咲く小さな花に癒された。
馬上から景色を楽しんでいると、グレーシス殿下の声が右耳の近くで響いた。
「この先に滝がある。討伐任務で必ず立ち寄る場所なんだが、水が綺麗で景色も良い。そこで食事にしよう。」
「はい、どんな場所か楽しみです。」
振り向くと、思ったより顔が近いので、恥ずかしさから慌てて前を向く。
景色に意識を集中していると、グレーシス殿下が急に、馬を止めた。
「リーリス、ここで馬を降りる。」
言われるがまま補助され、馬から降りた。
直後、馬が走り去ってしまった。
「殿下、馬が――――」
「静かに。魔物がいる。」
グレーシス殿下が私の前に踏み出して、剣を構えた。瞬間、五メートル位の大きな生物が二体、此方に向かって走ってきた。
蜥蜴っぽい?でも頭や四肢には毛が生えている。
瞬く間にグレーシス殿下の振った剣が、魔物の四肢の腱を切断したので、魔物はその場で倒れ、奇声を発しながら首だけが激しく動いている。
グレーシス殿下は、更に流れるような剣裁きで首を飛ばした。
ボトリ、と足元に大きな頭部が此方にゴロゴロと転がって来て、目が合った気がした。
「ひっ。」
思わず声が出て、慌てて口元を手で押さえた。
すかさず頭部の眉間にザクッと剣を突き立てるグレーシス殿下は、返り血を浴び、今までに見たことの無い、冷酷な表情をしていた。
護衛騎士三名は、他の魔物と戦っている最中で、四肢の腱を切断し終えた所だった。
空かさずグレーシス殿下が首を落とし、眉間をザクリ、と突き刺す。
魔物の頭部から剣を引き抜き、付いた血を振り払って鞘に戻した。
一瞬の出来事だった。
「すまない、嫌な所を見せてしまった。」
フルフルと首を横に振った。
とんでもない、無事で良かった。と言いたかったのに、目の前で起きた事が衝撃的すぎて、声が出なかった。
「後処理があるから、待っていてくれ。」
グレーシス殿下は護衛達と魔物を解体して肉を取っている。
正直言って魔物の解体姿は怖い。
けれど、騎士は討伐だけではなく、解体の技術もあることに感心した。
作業を終えたグレーシス殿下が言った。
「リーリスはエイガーの馬に乗ってくれ。滝までもう少しだ。」
「え?」
「リーリス妃殿下、此方へ」
部隊長補佐のエイガーが、馬上から手を伸ばす。
躊躇いながら手を取ると、引き上げられて、エイガーの前に跨がった。
グレーシス殿下が、ピューッと口笛を吹くと、先ほど逃げたと思っていた馬が戻って来た。
グレーシス殿下は、戻って来た馬に跨がると、先導するように前を行く。
どうしよう、怒らせてしまった。全然こっちを見てくれない。声を出したのがいけなかった?声をかけてくれたのに、返事出来なかったのが駄目だった?
思い当たる事が色々ある。
どうしよう、謝らないと。
目的地の滝に着いた。
細かい水しぶきが薄い霧の様に漂って、少し湿った空気は心地好いのに、気持ちは沈んだままだった。
「すまないが、あの小屋で少し、待っていてくれ。」
グレーシス殿下が指差した先には、煙突のある木造の小屋があった。
何時もなら、用がある時には言葉にしてくれるのに、どうして何も言ってくれないのですか?そう聞きたい。
でも、傍にいて欲しくないから。なんて拒絶されたらと思うと、怖くて聞けなかった。
「自然が心地好いので、近くで待ちますね。」
笑顔を張り付けたまま、エイガーに馬から下ろしてもらい、近くにある岩に腰を降ろそうとした。
「少々お待ちください。」
エイガーが、サッと敷物を敷いてくれた。
「有り難う。」
「とんでもございません。」
エイガーの笑顔に癒されて、少し気が紛れた。
グレーシス殿下は、滝のすぐ側にある水場で、血を洗い流し始めた。
手や顔だけでなく、上着も脱ぎ始め、鍛え上げられた肉体美が顕になる。
ドキリとして、慌てて目を反らした。
「我々は討伐で汚れた時、ここの水場で衣類の汚れを流すんです。獣人は特に臭いに敏感ですから。汚れが酷いと上下全部脱がなければならないので、裸になることもしばしばですが、今日は流石にそうは行きませんね。」
赤面している私に、エイガーが教えてくれた。
「待たせたな。食事にしようか。陽気も良いし、ここで取るか?」
隣に腰掛け、いつも通り接してくれるグレーシス殿下に、ホッとしつつも、先程の事が頭から離れない。
「あの、さっき何か気に触る事をしたみたいで、ごめんなさい。」
やっと言えた。
「え?いや、何も気に触る事など、なかったが?」
「本当に?相乗りしてくれなかったり、目を合わせてくれなかったのは、私に怒っていたからではないのですか?」
不安感から、覗き込むように黄色い瞳を見つめた。
「……すまない、誤解があったようだな。」
良かった、真っ直ぐに目を見て話してくれる。
「あの時は、汚れも匂いも酷かったから、汚れていないエイガーに任せただけだ。目を合わせられなかったのは、魔物と同様に、私も怖かったのではないか、と思ったんだ。」
「殿下が?」
確かに、討伐で悲惨な姿になった魔物は、夢に出てきそうな位、怖かった。
でも、守ってくれたグレーシス殿下に対して、凄いとは思っても、怖いとは感じなかった。
「リーリスに拒絶されるのでは。と思うと、目を合わせられなかった。私は魔物を討伐する様が、黒の鬼神、なんて二つ名を付けられるほど、恐れられているしな。」
悲しげな表情に胸が苦しくなった。
こんなに優しくて素敵な人を、拒絶する筈が無いのに。
グレーシス殿下の顔が良く見えるように座り直し、指でグレーシス殿下の頬にそっと触れた。
此方を見るグレーシス殿下の黄色い瞳に訴える。
「拒絶するなんてあり得ません。私は殿下の傍に居たいんです。これからもずっと。」
言ってから気付いた。
私はグレーシス殿下の事が、一人の男性として好きなんだ、と。
結婚して愛するつもりは無い。と言われても、さほどダメージはなかった。
国の為に生きるのが王族で、友好の為に好きに過ごせるならば、問題ない。とまで思っていた。
でも、さっき私は拒絶されるのが怖い。と思ってしまった。
そして殿下も、私に拒絶されるのが怖いのだと知って、同じ気持ちだと嬉しくなった。
「……ありがとう。」
頬に触れている手を優しく掴まれて指にキスされた。
気持ちが伝わったのは良いけれど、こんな恥ずかしい事を、サラッとするのだから困ってしまう。
「わ、私の指はご飯ではありませんよ。」
手を引き抜こうとしたけれど離してくれない。
「美味そうだったのでつい。」
悪戯っぽく微笑まれて、今度は手の甲にキスされた。
「で、殿下っ……。」
「ん?」
こちらを見つめたまま、手はまだ離してくれそうにない。
「……の狩った魔物の肉を、祖国に送りたいのですが。」
必死に話題を逸らした。
「分かった。手配しよう。ぶれないな、リーリスは。」
グレーシス殿下は苦笑して、私の掌にキスをした。
「ぶれないのは、殿下の方です。」
もう赤面するしかない。
話題逸らしは失敗に終わったけれど、お兄様に魔物肉を送る目的は達成出来そうなので、良しとしよう。




