3 失態
「ネコの獣人マイと申します。リーリス殿下の専属でお世話をさせて頂きます。」
「同じくネコの獣人メイと申します。マイと交代でお世話をさせて頂きます。」
「私はピューマの獣人クレインです。王宮で医師をしております。リーリス殿下の体調管理をさせて頂きます。」
馬車には侍女のマイとメイ、王宮医師のクレインが同乗してくれている。
マイとメイは白い髪で瞳は青い。マイは背が高く、メイは背が低い。年齢は二十歳位だけれど、メイの方が幼く見える。
王宮医師のクレインはブラウンの長い髪と瞳をした線の細い男性で、年齢は三十歳位らしい。が、二十代と言われても納得する位、若く見える。
「お待ちの間、お茶でもお淹れ致します。お口に合うと良いのですが。」
「有り難う、頂くわ。」
マイが淹れてくれたお茶は、初めて飲む味がした。けれど、香りも良くて美味しい。
「初めての味だけれど美味しいわ。」
「それは何よりです。疲労回復の効果もあるお茶なのですよ。」
クレインが説明をしてくれた。
「では、これからの説明を致します。」
メイから今後についての説明が丁度終わった頃、扉の外で待機していた二人の護衛騎士の一人、サンセ(彼はライオンの獣人らしい)が声を掛けてきた。
「そろそろ出発致します。」
「畏まりました。」
返事を返しているマイに驚いて思わず質問した。
「セーラン王国で従者達が、一時間以上かけて馬車に乗せた積み荷を、もう乗せ替えたの?」
まだ十分も経っていない気がする。
「獣人は人間に比べて力も強いですから、一度に多くの荷物を運べます。」
「そうなのね。ところで、グレーシス殿下は馬車に乗らないの?」
「グレーシス殿下は王国騎士団の部隊長としての任務もありますから馬車には乗りません。」
「そう、お忙しいのね。」
窓から外の様子を見ると、グレーシス殿下が騎士達に何か指示を出している。
そして、サッと馬に跨がった。
素敵。
見惚れていると馬車が走り始めた。
暫くて、すぐに睡魔がやって来た。
何とか耐えていた。
けれど、マイに見破られてしまった。
「大丈夫ですか?恐らく障気に当てられたのでしょう。セーラン王国に比べて我が国は障気が濃いので、人は体に何かしらの影響が出る場合があるのです。慣れるまで時間が掛かりますので、無理せずお休み下さいませ。」
「そうなのね。そんな話、初耳だわ。まだまだ知らない事があるのね。では少し休ませて貰うわね。」
少し、そのつもりだったのに目覚めると、見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。
「王宮までの三日間、宿泊はテナール王国で有力とされる名のある貴族の邸でお世話になる予定です。」
馬車で説明された内容を思い出して、飛び起きて真っ青になった。
「お気づきになったようですね。今、夕食をお持ちします。」
近くで待機していたであろうマイが声をかけてきた。
「そんな事よりマイ、今は何時なの?グレーシス殿下はどうされたの?私はどうやってここへ来たの?」
なるべく冷静に質問した。
「今は夜の十時で、グレーシス殿下は辺境伯夫婦と食事を終えて、別の客間でお休みになっております。リーリス殿下をお運びしたのは、グレーシス殿下でございます。」
「……何と言う失態。お世話になる方々に御挨拶もしないなんて失礼の極みね。グレーシス殿下に恥をかかせてしまったわ。それに……。」
寝顔を見られたなんて。涎は大丈夫だったかしら。口は開いていなかったかしら?ああ、どうしましょう。
それにどんな風に運ばれたのか気になる。
肩に担いで?片手で抱えて?まさか物語のお姫様みたいにするあの……抱っこ?
頭の中は大騒ぎだけれど、これでも王女なので、お澄まし状態を保っている。
「ご安心下さいませ。体調不良なのは仕方がないと、ご理解くださっておりますから。」
考えるような仕草の私にマイが淡々と答えてくれた。
「明日は辺境伯ご夫婦に、お会い出来るかしら。」
「……申し訳ございませんが、先を急がねばなりませんので、日の出と同時に経つ予定です。ご夫婦にも挨拶せずに経つ旨を伝えております。」
「そうなのね。では、お詫びの品を送りたいから、ご夫婦のイニシャルを教えてくださる?それと積み荷から木箱を持って来て貰えるかしら。」
「木箱、ですか?」
「ええ、花の彫刻が掘られた、両手サイズくらいの木箱よ。見ればすぐに分かるわ。」
身振りで木箱の大きさを伝えた。
「畏まりました。」
マイが積み荷から木箱を探している間、メイが食事や湯浴みの準備をしてくれた。
「では、お休みなさいませ。」
間もなく深夜十二時、マイとメイが退出したのを見届けて、持ってきて貰った木箱から、絹のハンカチと刺繍セットを取り出した。
セーラン王国では伴侶に刺繍入りのハンカチを贈るのは特別な想いを意味している。グレーシス殿下に最高の一枚を贈る為、練習用として沢山ハンカチを用意して持ってきていた。
練習と言っても刺繍の技術は教えて頂いた先生にお墨付きを貰っているし、プレゼントするなら手を抜くつもりなんて無い。
いかにイニシャルをお洒落なデザインにするかが腕の見せ所ね。
二枚のハンカチに急いで夫婦各々のイニシャルを刺して、何とか日の出前に完成させた。
「お世話になりました。御挨拶出来ず誠に申し訳ございません、とお伝え下さいませ。」
朝早く見送ってくれた執事にハンカチを預けて、別れの挨拶をするしか出来なかった。
「必ずお渡し致します。」
執事はにっこりと笑って見送ってくれた。
「執事に何を渡したのですか。」
エスコートしてくれていたグレーシス殿下は、私が執事に何を渡したのか気になったらしい。
「ハンカチです。イニシャルを刺繍しただけで大した物ではございませんが。」
「刺繍が大したことがない、と。」
「いえ、刺繍自体は奥の深いものだと思いますが、私が刺したものは嗜み程度のものだと言う意味です。勿論プレゼント出来るレベルには達している筈ですので、失礼には当たらないかと思っております。」
「ええ、失礼では無いでしょう。」
グレーシス殿下の言葉にほっと胸を撫で下ろした。
次に泊まる先ではきちんと挨拶をしよう。
馬車に揺られながら固く決意をした。
刺繍をさしていたせいで睡眠不足だったけれど、昼までは元気に起きていられた。
でも昼食後、またしても睡魔がやって来て気付いたら、またしても見知らぬ部屋のベッドに……。
そして再び反省しながら夜なべしてハンカチにイニシャルを刺し、翌日、またお昼過ぎから眠くなり……。
結局、私は起きていられずに三日間、どの方にもお会い出来ず、反省しながら執事にハンカチを預ける羽目になってしまった。
しかもその間、グレーシス殿下に抱き抱えられ続けていたと思うと、申し訳無いやら恥ずかしいやらで顔を合わせるのが気まずい。
「本当にご迷惑をお掛けして申し訳ございません。」
穴があったら入りたい気分だった。
「……謝る必要はありません。体調不良なのだから仕方がないと誰も気にしておりません。」
グレーシス殿下はそう言って下さったけれど、素直に、はい、そうですか、良かった、一安心。なんて思えなかった。
敵が誰だか分からない王公貴族の世界では、相手に弱みを握られない為に、感情を悟らせないようにと教育される。
グレーシス殿下も王族なだけあって、ほどんど感情を面に出さない。口調は常に丁寧で冷静。
だから私が失態して本当はどう思っているのか、まるで掴めない。
きっと呆れられてしまったに違いない。
宿泊先の主人には、病弱な人間の王女なんてグレーシス殿下の妻に相応しくない、なんて思われたかもしれない。
元気だけは自信があったのに、まさか障気に当てられて眠くなるなんて誤算だったわ。
頭を抱えるしかなかった。