21 辺境へ出発
朝七時、空は雲一つ無い青空が広がっていた。
天気の良い朝は、放射冷却の影響でまだ肌寒い。
邸の門前には馬車と荷馬車、そしてグレーシス殿下が選抜した王国騎士団魔物討伐専門部隊、略して王魔討専部隊、約二十名が馬を降りて整列して待っていた。
「皆さんおはよう。グレーシス殿下の妻、リーリスです。暫くよろしくね。」
騎士達に微笑むと、右手を左胸に乗せる敬礼が返ってきた。
「リーリス、クレイン医師と侍女のマイは既にこの馬車で待機させている。おいで。」
馬車に乗るのを補助するために、グレーシス殿下が手を差し出してくれた。
「ありがとうございます。」
手を借りて馬車に乗ると、続いてグレーシス殿下が颯爽と乗り込んで、私の左隣に座った。
「妃殿下、未だ冷えますので膝掛けをお使い下さい。」
向かいに座っている侍女のマイが、膝掛けを掛けてくれた。ふわふわとした肌触りが心地好い。
馬車の扉を閉めたグレーシス殿下が、窓から合図を送ると、騎士達が一斉に馬に跨がり、辺境へ向けて出発した。
辺境へは馬車で四日程掛かる。
馬車内には私を含めて四人。
真向かいには侍女のマイ、その隣に王宮医師のクレイン、私の左隣にはグレーシス殿下が座っている。
馬車と並走している王魔討専部隊は、私の護衛と休息を兼ねて、休憩の都度交代しながら、一名が馬車に乗る予定になっている。
最初はグレーシス殿下が馬車に乗る、と決まったそうだ。
馬車が出発して、窓の景色を眺めながら、テナール王国へ来た時の事を思い出していた。
「テナール王国へ来る時は、障気に当てられて眠ってしまったせいで、景色を見る余裕がありませんでしたし、グレーシス殿下はお忙しくて、馬車でゆっくり話す機会もありませんでしたから、少し楽しみです。」
グレーシス殿下に笑いかけると、グレーシス殿下は黙り込んで、何故か馬車内が静まり返った。
何か変な事を言ったかしら?
疑問に思っているとグレーシス殿下が口を開いた。
「すまないリーリス、あれは嘘だ。」
「嘘?」
グレーシス殿下の顔を見て、首を傾げる私に答えたのは、グレーシス殿下ではなく、マイだった。
「障気に当てられて眠くなると説明しましたが、人間は障気に当てられたりしません。嘘をついて申し訳ございません。」
マイが頭を下げた。
「妃殿下に出した薬草茶は睡眠効果のあるお茶だったのです。すみません。」
クレインも続けて頭を下げた。
突然の告白に驚いた。
「ちょっと、頭を上げてください。何か理由があったのでしょう?」
彼等は優しい。他者を傷付ける事を平気で出来る方達ではない、と一緒に過ごしていれば分かる。
「我々はリーリスについて、病弱で問題のある王女らしい。としか情報を持っていなかった。もし、リーリスが宿泊先で差別的な言動をすれば、たちまち悪い噂が広がる。もし、馬車内で騒げば、魔物が人間の匂いを嗅ぎ付けて、馬車が襲われる危険もあった。それを避ける為に、私が眠らせると決めた。彼等は私に従っただけだ。獣人は人間嫌いだから、宿泊先の貴族もそれを了承していたんだ。」
グレーシス殿下が説明してくれた。
「そうだったのですね。良かった……。」
「良かった?」
「はい、ずっと寝てばかりで、宿泊先の皆さんに挨拶出来なかったし、殿下には運んで貰って、迷惑ばかりかけていたので、王女としての常識を疑われたのではないか、と気になっていました。」
私に落ち度がなかった事に安堵した。
「それは無い。リーリスは常に王族らしく振る舞っていた。」
グレーシス殿下の言葉に、マイとクレインが頷いている。
「それならば良かったです。殿下、この話を黙っていても、何も問題は無かった筈です。でも正直に話してくださってありがとうございます。私はその気持ちが嬉しいです。グレーシス殿下やマイ、クレインが、とても心根の優しい方々だと知れたから。」
にっこりと微笑むとグレーシス殿下の表情はそのまま、獣耳だけピクリと動いた。
何を思ったのか掌同士を重ね合わせるようにして、グレーシス殿下の右手が私の左手に乗せられ、互いの指を絡めるように手を握りこまれた。
何コレ恥ずかしい。
突然の事態に訳が解らなくて、グレーシス殿下を見ると、シャンパンのような黄色い瞳が、何時もより真剣な眼差しを湛えていた。
「優しいのはリーリスの方だ。」
真っ直ぐに見詰められると、更に恥ずかしさが増して、鼓動が早くなる感じがする。何だか顔まで火照ってきた。
気まずくなって向かいの二人に視線を移す。
「その通りでございます。」
「そうですね。」
グレーシス殿下の言葉にマイとクレインが同意している。
膝掛けで手が隠れているので、向かいの二人は私達が手を繋いでいると気づいていないようだった。
何だかとても悪い事をしている気持ちになる。
「そんな風に言って貰える程では無いと思うけれど、ありがとう。」
何とか平静を装う。
グレーシス殿下は指を絡めたまま、しっかりと私の手を握って、離す気配が無い。しかも時々グレーシス殿下の指が私の指を撫でるような動きをするので、恥ずかしさがなかなか収まらない。
これは何を意味しているの?
無言で訴えるようにグレーシス殿下を見る。
「何だ?」
何かは此方が聞きたいのですが。でも、手を繋いでいるのを向かいの二人に知られるのは、何だか気まずい。
「いえ、何でもないです。」
紅潮したまま俯くしかない。
「妃殿下どうかされましたか?」
マイが私の挙動不審具合を察知した。
「いえ、何でもないの。」
「でも、顔が赤いですよ。」
マイがとても心配してくれるので、出来る範囲で正直に言った。
「それは……殿下のせいです。」
グレーシス殿下が察して、手を離してくれる事を願った。
困った事に、マイとクレイン、そして何故かグレーシス殿下にまで、温かい眼差しを向けられただけで、結局交代まで、手はしっかりと繋がれたままだった。




