18 リロイ国王
六月下旬、春の終わりを告げる激しい雨が、窓を叩くように降っている。
今日は一日中、私室のソファーに座って、リボンを縫って過ごしていた。
グレーシス殿下の所属する騎士全員分を作るには、丁度良い暇潰しになる。
「少し休憩されては如何ですか?」
侍女のマイが紅茶を淹れてくれたので、手を止めた。
時間はもう夜七時を回っている。
今日はお忙しいのかしら?
何時もよりも帰りが遅い。
「あと三十分待って戻らなかったら、先に食事を頂くわ。」
「かしこまりました。料理長に伝えて来ますね。」
侍女のマイが私室を出て直ぐ、扉を閉め切る前に、声が聞こえてきた。
「殿下、お帰りなさいませ。」
どうやら、グレーシス殿下と鉢合わせしたらしい。
最近、グレーシス殿下が戻る五分前にはドルフが教えてくれるので、(ドルフによると音で分かるのだとか)それを聞いてから、エントランスでお出迎えするのが、日常になっていた。
何故か今日は、ドルフからの連絡が来る前に、グレーシス殿下は帰って来たようだ。
「暫くリーリスと二人で話がしたい。人払いを頼む。」
「畏まりました。」
マイが去り、入れ違いでグレーシス殿下が私室へと入室して来た。
人払いするなんて、ただ事ではない。
「リーリス、突然ですまない。話がある。」
「お帰りなさいませ。どうされました?」
ソファーから立ち上がって、グレーシス殿下の傍へ駆け寄った。
「……まだ公にされていないが父、リロイ国王陛下が危篤だ。と宰相から報告を受けた。先ほど面会して来たのだが、父上の専属医師が言うには、もう助かる見込みは無いと……。」
「そんな……。」
あまりにも突然の事だった。
「伝染病に感染しても、休まずベッドで公務を続けていたせいで、病状が悪化したらしい。無理に、とは言わないが、癒し手の力を借りられないだろうか?」
家族を失うかもしれない不安で辛い筈なのに、グレーシス殿下はそれでも命令せず、私の意思を尊重しようとしている。
「お役に立てるなら、惜しむつもりはありません。ただ、回復する力が残っていなければ、癒し手を使えない場合もあるのです。それでも良いですか?」
癒し手は、あくまでも回復する力を助けるだけで、万能ではない。
「それでも良い。医師には、もう出来ることが無い。と言われたんだ。ただ、父上が回復した場合、癒し手を隠す事は出来ない。知られても良いか?」
グレーシス殿下は、私の秘密を守れない事を心配して、何度も確認してくれる。
本当に優しい方。
「大丈夫です。私にとってグレーシス殿下の家族は、私の家族同然ですから。それに、癒し手の事を話した時に、いずれリロイ国王陛下や王妃殿下、お兄様方には、いつか話すべき時が来る。と覚悟していましたから。」
大丈夫、と笑顔で答える。
「そうか、ありがとう。では直ぐに面会の許可を取る。準備をしておいてくれ。」
グレーシス殿下はそっと私の肩に触れて、私室を出て行った。
夜九時頃、許可をもらったグレーシス殿下に連れられて、リロイ国王陛下の私室に入室すると、デニス王妃殿下が悲愴な表情で、弱々しくベッド脇の椅子に座っていた。
「……最後の挨拶に来てくれたのね。私は席を外すわ。何かあれば隣の私室に居るから、呼びに来て頂戴。」
デニス王妃殿下は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「母上、大事なお話があります。」
癒し手について、デニス王妃殿下には先に話す方が良い。と事前に話し合って決めていた。
グレーシス殿下の真面目な表情を見たデニス王妃殿下は、再び椅子に座り直した。
「わざわざこんな時間に、リーリスの入室許可を取って人払いさせたのは、その為なのね。」
「はい、緊急でしたので。この話は他言無用でお願いいたします。」
「良いでしょう。話しなさい。」
グレーシス殿下は癒し手について、自身の体験を踏まえながら、デニス王妃殿下に話した。
「セーラン王国国王が秘密にしたがる力ね……でも、グレーシスは実際に見ていないのでしょう?」
「はい、私は眠っていましたから。しかし、私を含めて邸の者達も約三日~五日で完治しましたので、実感はしています。もしかしたら父上も、私のように助かるかもしれません。助からないかも知れませんが。」
「そう、分かったわ。もう見守るしか出来ないのだから、何でもやれるなら、やるべきよね。」
デニス王妃殿下の許可を貰い、グレーシス殿下の後に続いて、リロイ国王陛下の傍まで行った。
美しい豹柄をした豹姿のリロイ国王陛下は、大きなベッドに人形のように、力無く横たわっていた。
呼吸は僅かにしている気がする程度で、生きているのか不安になるほどだった。
リロイ国王陛下の背中にそっと触れて、掌に集中する。
ああ、良かった、本当にほんの僅かだけれど、回復する力がまだ残っている。
「どうだ?」
心配そうなグレーシス殿下に向かって、しっかりと頷いた。
「これなら大丈夫です。暫く時間を頂けますか?」
「いつまでも待つから頼む。」
グレーシス殿下の言葉に頷いて、リロイ国王陛下の背中に置いた手を、ゆっくりと動かす。
「大丈夫、大丈夫。」
いつものように優しく声を掛けながら、しばらく撫で続けた。
グレーシス殿下とデニス王妃はその間、少し後ろにある椅子に腰掛けて、待ち続けてくれた。
十五分位経った頃、僅かにしているか分からない程の呼吸は、次第に正常な呼吸に変わり始めた。
更に五分後には顔色も良くなって、明らかに穏やかな表情になってきた。
これならもう大丈夫。そろそろ医師を呼んで診断して貰おう。
癒し手の後、医師に診断して貰うのは、ちゃんと回復しているかを確認する為に必要だった。
振り返って、後ろの席を見るとグレーシス殿下が居ない。
「!?」
デニス王妃殿下が直ぐ傍に立っていたので、少し驚いた。
癒し手に集中していたせいで、二人が動いた事に全く気が付かなかった。
デニス王妃殿下は口元を手で覆ったまま目を見開いて、じっとリロイ国王陛下を見詰めて、少し震えているように見えた。
大丈夫かしら?
デニス王妃殿下に声をかけようとした時、扉が開いた。
グレーシス殿下だった。
「リーリス、父の専属医師を連れてきた。今の状況なら良い結果になると思ったのだが。」
「ありがとうございます。そろそろ来て頂こうと思っていました。」
医師に席を譲って、リロイ国王陛下を診てもらう。
「まさかこんなことが……奇跡としか言いようがありません。とても良い状態です。これでしたら、もう大丈夫です。」
太鼓判を押した医師が退室するのを全員で見送り、扉を閉めた。直後、キュッと右からグレーシス殿下、更に左からデニス王妃殿下に抱きつかれた。
「え!?」
「ありがとうリーリスのお陰だ。」
耳元で感極まったような、グレーシス殿下の掠れた声が聞こえた。
「こんな事……本当に奇跡だわ。ありがとう、リーリス。」
デニス王妃は嬉し涙を流していた。
突然の事に戸惑いながら、二人の背中に手を回して、遠慮がちにポンポンと撫でた。
「お役に立てたのなら、こんなに嬉しい事はありません。治る力があって本当に良かったです。」
「ええ、そうね、本当に良かった。」
暫く三人で抱き合って、喜びを分かち合っていた。
「……何事だ?」
リロイ国王陛下が突如目覚めた。
「あら、リロイが元気になるまで、ベッドに縛り付けて、暫く動かさないようにしましょう。と話していたのです。」
デニス王妃殿下が、それはそれは楽しそうに悪戯っぽく、少女のように笑った。
意識不明の重体で、死も覚悟していただけに、余程嬉しかったのだろう。
「母上、くれぐれもお願いいたします。」
対称的にグレーシス殿下は真面目な表情だった。きちんと休ませないと、今度こそ助からない。と知っているからだろう。
「何故だ?私はもう元気だぞ。」
「「……。」」
デニス王妃殿下とグレーシス殿下が、顔を見合わせて、信じられないモノを見るように、リロイ国王陛下を見た。かと思うと、私に視線が向けられた。
「リーリス、少しは辛さも残すべきだ。」
「そうね、何も無かった。みたいな顔をされるのは、何だか癪ね。」
こっそりと、難しい要求をされてしまった。




