103 ボナペ辺境伯とお化け
国境を超えてから降り始めた雨は、辺境を守護するボナペ辺境伯の城塞に到着する頃には止み、濃い霧が森全体を覆っていた。
森の中に建つ石造りの城塞が、何だか、おどろおどろしく見えるのは、レミリオお兄様から聞いた、辺境領に纏わる、噂話を思い出してしまったからに違いない。
「ボナペ辺境伯領の森は、自殺スポットとして有名で、雨の日は、死者の魂が、彷徨っているらしい。死者の声を聞いた者は、死者の世界へ連れて行かれるそうだ。ボナペ辺境伯も、霊に取り憑かれているとか。」
お化けなんている筈ないわ。
背筋が寒いのは気温が低いせい。
そう自分に言い聞かせながら、グレーシス様の手を握った。
「テナール王国の殿下方、ようこそお越しくださいました。ボナペ辺境伯であり、騎士団長のボナールと申します。お忍びで、歓迎会は不要との事ですので、食事は部屋に用意させます。ゆっくりとお休み下さい。」
四十代のボナール閣下は茶色い長髪を後ろで束ねて、騎士団長というより、領主という雰囲気だった。
笑顔が不気味に感じるのは、やはりお兄様の噂話のせいに違いない。
きっと、日中に会えば、爽やかに感じるかもしれない。
そう自分に言い聞かせる。
客室は二部屋用意されていた。
私とグレーシス様で一部屋。ティミラーお義兄様とフレイルお義兄様が、一部屋で案内された。
客室は隣同士なので、バルコニーに出れば会話も出来るし、獣人の身体能力ならば、行き来も出来る。
部屋で夕食を終えた頃、グレーシス様が言った。
「邸に着いてから、女性のすすり泣く声が聞こえていた。何だろうな。」
ビクッとして、飲みかけの紅茶をこぼしそうになった。
「女性のすすり泣く声、ですか?私には聞こえませんでした。お化け、でしょうか?」
「お化け?そんな風に考えた事はなかったな。そういった存在を感じた事もない。リーリスはお化けが怖いのか?」
テーブルを挟んで向かいに座るグレーシス様が、興味深そうに、視線を向けてくる。
「だって、レミリオお兄様が、声を聞くと死者の世界へ連れて行かれるって……。グレーシス様が連れて行かれたら嫌ですもの。それに、侍女以外の女性陣は、社交や結婚式の参列で王都にいる筈です。忙しい侍女が、いつまでも泣くのを許されるとも思えません。」
不安になっていると、席を立ったグレーシス様に頭を撫でられた。
「大丈夫だ。ティミラーやフレイルも聞いている筈だ。確認してみよう。」
バルコニーを出て、グレーシス様に抱き上げられると、タンッと軽やかにジャンプして、隣のバルコニーに降り立った。
「何故、扉から来ない。」
私達に気付いたフレイルお義兄様が、バルコニーの扉を開けた。
「外は護衛も居て面倒だ。聞きたい事がある。」
グレーシス様は早速声について聞いてくれた。
「ああ、女性の声か。聞こえてたよ。どうしたんだろうね。面倒事には首を突っ込みたくないから、黙っていたよ。」
ティミラーお義兄様も聞こえていたらしい。
「お化けか。それは無い。安心したか?」
フレイルお義兄様が私の肩を、ポンポンと撫でてくれた。
「はい、でも、それなら、どなたでしょうか?」
「獣人奴隷、とも考えられないか?」
グレーシス様の言葉に、お義兄様達が溜め息をついた。
「全く無い、とは言い切れ無い。」
「だとしたら看過出来ないね。面倒だけど、ちょっと行って確認してみようか。」
「私も行きたいです。お化けじゃないって確信が欲しいですし。」
グレーシス様の袖を、引っ張って見つめた。
「木を飛び移ったり、壁を蹴って飛ぶかも知れない。着地で落下したりもするが、行くか?」
ここは三階、見張りを避ける為、バルコニーから出発するのだろう。
でも、一人で客室に残るのも怖い。
グレーシス様達がいない間に、本当のお化けに会うかもしれない。
「どうせ怖いなら、グレーシス様と一緒が良いです。」
「そうか。なるべく気を付ける。」
グレーシス様が優しい目を向けて、安心させるように、頬を撫でてくれた。
「じゃあ、決まりだね。では、侍従にはもう休んで貰おうか。」
ティミラーお義兄様に従って、一度客室に戻り、もう休む。と部屋の外に待機している侍従達に伝えた。
そうすると、侍従達は早く休めるので、お互いに都合が良い。
侍従達を休ませ、部屋の明かりを消すと、セーラン王国に入国する時に支給された、フード付きのローブを着て、グレーシス様とバルコニーに出た。
辺りは真っ暗で何も見えないし、女性の泣き声なんて私には聞こえない。
私では、隣のバルコニーに出てきたお義兄様達を認識するのが精一杯だった。
「リーリス、行くぞ。」
「はい。」
暗闇の中、グレーシス様は私を抱き抱えると、お義兄様達と一緒に、三階のバルコニーから隣の木へ飛び移った。
更に隣の木へと声のする方に向かって、飛び移って行く。
見回りに見つからないよう、城塞の僅かに出っ張った足場を踏み台にして、壁を駆け上がったり、飛び越えたりしながら、一度も地面に降りずに、上部に一つだけバルコニーが付いている、尖塔の屋根にたどり着いた。
尖塔はかなり高い。
暗闇でも下を見ると、地面が遠いのが分かるから、怖い。
「ここだな。」
グレーシス様の言葉に、ティミラーお義兄様が周りを見回した。
「明らかに閉じ込める目的だね。逃げられる場所なんてないし、下には見張りがいる。」
「獣人か、はたまた犯罪者か。」
フレイルお義兄が顎に手を当てて顔をしかめた。
唯一あるバルコニーに降りたって、物陰から中を見た。
ベッド近くで女性が泣いている。
お化け、ではない。
「え?」
泣いている女性を、思わず二度見した。
「知り合いか?」
「ノーネリアお義姉様……レミリオお兄様の婚約者です。」
「「「え?」」」
流石にグレーシス様やお義兄様達も驚いたらしい。
窓をコンコンとノックして、大窓を開けてみると、鍵はかかっておらず、簡単に開いた。
「リーリス殿下!?どうしてこちらに?ここはもしかして、テナール王国なのですか?」
ノーネリアお義姉様はハッとして、小声になって青ざめた。
「いいえ、ここはボナペ辺境伯の城塞です。結婚式に参列する為、王都へ向かっている途中です。お義姉様は王都にいる筈では?」
「そう、なのですが、式の衣装合わせをするために馬車で邸を出て、その時に眠くなって、気付いたら、ここに閉じ込められていたのです。まさか辺境まで連れて来られていたなんて……。」
ショックで言葉を失っている。
「誘拐されたわけだね。」
ティミラーお義兄様の声を聞いて、獣人に気づいたノーネリアお義姉様が、ビクリと肩を揺らした。
「お義姉様、驚くのは分かりますが、殿下達は、私の夫とお義兄様達です。とても優しくて紳士ですので、ご安心下さいませ。」
にっこり微笑むと、ノーネリアお義姉様も少し安堵した表情になった。
「リーリス、あまり長居しては見張りに気付かれる可能性がある。さっさと退散するぞ。」
「でも、ノーネリアお義姉様が。」
「私に任せろ。」
フレイルお義兄様が、ノーネリアお義姉様の前に跪いて、手を差し出した。
「ノーネリア嬢、私達とここを脱して、一緒に、婚約者の居る王都へ向かいませんか?もし、貴女がそうしたいなら、私がお運びします。」
王族であるフレイル殿下が獣人であろうと、ノーネリアお義姉様の公爵家に比べれば格上なのは一目瞭然。にも関わらず、わざわざ跪て、紳士的に接している。
ノーネリアお義姉様は、その事を分からないほど失礼な令嬢ではない。
ノーネリアお義姉様は、フレイルお義兄様の手をそっと取った。
「殿下にそのように言って頂けるなんて光栄です。」
「では、失礼。しっかりと掴まって下さい。」
フレイルお義兄様は、お義姉様を抱き上げて忠告した。
「あと、見つかりますから、何があっても声を出さないでください。」
「畏まりました。」
ノーネリアお義姉様は、コクコクと頷いた。
「リーリスもな。」
グレーシス様に再び抱き上げられて、にっこりと念を押された。
「……はい。」
グレーシス様に、ギュッとしがみついて、目を閉じた。
塔から落ちるように足場を辿って木に飛び移り、木から木へと移動して、やっと客室のバルコニーにたどり着いた。
何度体験しても、あの速度と浮遊感は怖い。
ノーネリアお義姉様もかなり怖かったのか、放心状態だった。
「私はティミラーとフレイルの部屋で寝る。朝、侍女に事情を話せば良いだろう。」
グレーシス様と、お義兄様達が気を利かせて、二人にしてくれた。
「では、寝ましょうか。」
布団をめくって隣を促した。
「リーリス殿下と同じベッドで眠るなんて、畏れ多いです。」
「お兄様とは寝るのに?」
何度か王宮に泊まる事もあったと記憶している。
「それは……。」
首を傾げる私を見て、ノーネリアお義姉様が真っ赤になっている。
「結婚式が控えていますから、疲れを溜めてはいけません。式で綺麗なお義姉様を見たいので、諦めて下さいませ。」
にっこりと微笑むと、ノーネリアお義姉様は諦めてベッドに横になった。
「有り難うございます、リーリス殿下。私、もうレミリオと会えないのではないかと……。」
ノーネリアお義姉様がポロポロと涙を流した。
妃教育ではいつも凛として、どんなに辛くても涙を見せないお義姉様が泣いている。
本当にお兄様が好きなのだ、と伝わって嬉しくなった。
「絶対に私達がお兄様の元へ届けますからね。」
それにしてもお化けじゃなくて、お義姉様で良かった。
今頃お兄様は、鬼の形相でお義姉様を探している筈。
もし、見付からなくても、式の予定を変更出来ないから、他の令嬢を宛がわれて式が行われて仕舞う。
そんな事になったら、全員漏れなく不幸になってしまうのが目に見えるだけに、絶対に避けなければいけない。
お兄様は人当たりが良く、冷静沈着で、何でも出来るように、それはそれは努力していた。
それは全てお義姉様に良く見られたい一心で、お兄様にとっては他の令嬢なんて駒、位にしか見ていない。
お義姉様は、そんなお兄様を知らないのでしょうね。
泣き疲れて眠ってしまったお義姉様に、お布団をかけて微笑んだ。
私達、なかなかお手柄ではないかしら?きっとお兄様から感謝されるわね。




