10 獣
午後からは雨が降って来たので、私室で大人しく過ごしていた。
日が落ち、そろそろ夕食の時間になる。
グレーシス殿下は戻っていないのか、ドルフからまだ声はかからない。
バタン
部屋の外だろうか、何かが倒れる音がした。
「何?」
侍女のマイが紅茶を淹れて「直ぐに戻ります」と言い残して退室したきり、戻って来ないのも気になった。
何かあったのかしら?
扉を開けて部屋の外を伺う。
「え!?」
廊下には様々なネコ科動物が身動きも取れず苦しそうに踞っている。ライオン、オセロット、コロコロ、カラカル、オオヤマネコ……
いつ邸に入って来たのかしら。
まるで物語の世界にやって来たかのようだった。
「リーリス妃殿下、今声をかけようと思っていたところです。こちらへお入り下さいませ。」
「これは一体何事なのですか?」
グレーシス殿下の私室から出てきたドルフに言われるがまま、グレーシス殿下の私室に入室した。
ドルフに言われたとは云え、勝手に入ったりして怒られないかしら。
「落ち着いて聞いて下さい妃殿下。グレーシス殿下は体調を崩して、今はベッドで横になっております。廊下にいる彼らの事は、手の空いている者に任せておりますのでご安心下さいませ。」
「分かったわ。」
グレーシス殿下の状況を確認する為、ドルフと共にベッドに近付く。
「え?」
ドルフを見た。
「此方がグレーシス殿下でございます。」
存在感のある大きなベッドには、大きな黒豹が一匹、蹲って苦しそうに息をしている。
此方がグレーシス殿下?まさか……。
「え?では廊下の獣達は……。」
「邸の侍従達でございます。」
そのまさかだった。
「そう、だったのね。」
にわかには信じられない。
でも、良く見ると、黒豹のうっすらと開けている目から覗く、シャンパンの様な黄色い瞳は、確かに人間の姿をしたグレーシス殿下と同じものだった。
「この病は獣人にしか罹らない伝染病です。一度罹れば再び発症しないのですが、命を落とす者も多く、殿下もあまり良いとは言えない状態です。獣人は体調不良や大怪我等、身体に負担が生じると体力を温存する為、獣の姿になるのです。体力が戻れば、自然にヒト型に戻ります。」
ドルフの話を聞いていると、ノックの音がしてマイが入室してきた。
「王宮医師のクレイン殿を呼んで来ました。」
クレインは国境から宮殿までの道中、私の体調管理をしてくれた王宮医師だった。
「お元気でしたか、リーリス妃殿下。」
「ええ私は元気よ。でも、グレーシス殿下が黒豹になってしまって……。」
クレインはベッドを見ると、早速、グレーシス殿下を診察し始めた。
「残念ながらこの病には特効薬がありません。予断は許さない状況ですので、なるべく目を離さないようにして下さい。対処療法になりますが、薬草茶を出しておきます。睡眠効果もあるので、眠れれば少しは良くなるでしょう。」
クレインの出してくれた薬草茶は一回分だった。
こんなに酷い状況ならば、三日分は出してくれると思ったのに。
「あの……。」
薬草茶を見て戸惑う私に、クレインは申し訳無さそうな顔をして言った。
「実は現在、王宮内で爆発的に伝染病が広がっておりまして、王宮の薬草園で働いている者達も伝染病に罹ってしまい、薬草を摘み取る作業者が不足しております。明日、茶葉が出来次第お届けに参りますのでお待ち下さい。」
王宮の機能に問題が生じる程に伝染病が広がっていたなんて。
医師のクレインも忙しいだろう。
「その薬草を摘み取る作業、私がお手伝いできないかしら。」
「リーリス妃殿下が、ですか?それは駄目です。」
慌てた様子のクレインに首を傾げた。
「摘み取るには熟練者でなければ出来ない作業なの?」
「そうではありません。ですが、王族にそのような事をさせられません。」
「今は有事の時よ。薬草茶はグレーシス殿下の他にも沢山の方が必要としている筈よね。王族ならば命を助ける為に出来る事があるならば、やるべきではないかしら。」
「それは、そうかもしれませんが……。」
クレインが助けを求めるように、ドルフに視線を送っている気がする。
ドルフはいつもと変わらない優しい表情のままで、考えは読めない。
ドルフも同じように、駄目と言うかしら?
「クレイン殿、私からもお願いします。ご存知の通り、人間の妃殿下は伝染病に罹りません。人手が足りないのは事実でしょう。リロイ国王陛下には、私から話をしておきます。ただ、実際に作業をして無理ならば、直ぐに辞めると約束して頂くのが条件です。リーリス妃殿下、いかがでしょう?」
予想外にもドルフは味方になってくれた。
「ええ、無理ならば辞めると約束するわ。迷惑をかけたいわけではないもの。」
「ドルフ殿がそこまで言うのなら、承知いたしました。ただ、私は診察で薬草園には常駐出来ません。担当者に話をしておきますので、担当者の指示に従って頂きますが、よろしいですか?」
「ええ、勿論よ。」
話が一段落してドルフは薬草茶を準備する為、クレインは邸の侍従達の診察をするために退室した。
一人グレーシス殿下の私室に残り、看病しようとベッドサイドの椅子に腰掛けた。
伝染病って事は熱があるのよね?獣の時でもタオルでおでこを冷やしても良いのかしら?
でも、そんな形跡は無い。
着替えは……これは服を着ているのかしら?裸なのかしら?どうしよう、よく考えたら人間と同じように看病して良いのか分からない。
困ったわ。ドルフ、早く戻って来てくれないかしら。
夫になるヒトが黒豹になるなんて……。
何だかまだ、物語の世界にいるようだった。




