1 プロローグ
セーラン王国の王女として生まれた私、リーリス・セーランは、他人とは違う能力がある。
それは相手の回復する力を助けられる癒しの能力で、それをお父様は「癒し手」と名付けた。
その能力を秘匿するために幼い頃から十八歳の今まで王宮で隠される様にして育てられてきた。
「学園にも通わず王家主催の夜会も顔を出す程度で、王宮に籠ってばかりの王女は病弱と聞いたが、他にも大きな問題を抱えているのではないか。」
そんな噂が社交界で囁かれた。
噂の影響は大きく、過去、私に婚約希望を申請していた方々全員が辞退を申し出てきた。結果、未だに婚約者は決まっていない。
いつか運命の方が現れて、この王宮と言う名の鳥籠から連れ出してくれないかしら…。
そんな夢を見た日もあったけれど、現実は思い通りにはならないものね…。
暫く感傷に浸ってしまった。
気持ち切り替える為に、午後のティータイムを庭園で楽しもうと決めた。
現在、王宮内の王族居住区域にあるこの庭園は春の花が見頃を迎えている。
「本日はピンクの髪と瞳をお持ちのリーリス殿下をイメージした桜の紅茶をご用意致しました。」
「まあ、ありがとう。」
侍女が紅茶を淹れてくれる。
美しく咲き誇る桜に癒されながら紅茶を半分ほど飲んだ頃、慌てた様子の執事が呼びに来た。
「リーリス殿下、国王が至急執務室に来るようにとの事です。」
お父様が私を呼ぶときは大抵体調不良で癒し手が必要な事が多い。
「直ぐに向かうわ。」
足早に執務室へ向かい、ノックをすると中から宰相様が扉を開けてくれた。
執務室に入室すると、宰相様は勿論、お父様の他にお兄様、お母様までいた。
私の心配を余所に執務室にいるお父様は体調不良、ではなさそうだった。
けれど皆難しそうなお顔をされている。
「お父様お急ぎと伺いましたが、どうかされましたか。」
私を見て、ふーっと長いため息をついたお父様に何を言われるのかとても不安になってきた。
確か、庭師と土いじりに夢中でドレスを汚してしまった事は知られていない筈だし、料理人がいる厨房でクッキーを教えて貰うのは許可を頂いた。
十八歳にもなって廊下を駆け回ったのは王女として反省しているけれど、それ位で怒られるとも思えない…多分。
ため息をされるに値する行動を一つ一つ思いだす。
「…リーリス、北の隣国テナール王国の第三王子と結婚が決定した。相手はリーリスが病弱だろうと、問題があろうと良いそうだ。よりによって野蛮な獣人なんかに嫁がせなければならないのは非常に不本意だが…すまない。」
「え?」
予想と全く違う内容に驚いた。
さらに予想外だったのはテナール王国側から政略結婚を申し込んで来た事だった。
北の隣国テナール王国は獣人が興した独立国で、セーラン王国には採れない鉱石が採れる重要な貿易相手国になる。
けれども人間側はセーラン王国に限らず、獣人に対して魔物の肉を食べる野蛮人として人間より下位種族と差別的な考え方が一般的だった。
でも私は獣人さんの獣耳や、しっぽも出来るなら撫でたい位には好意的だったりする。
残念ながら一般的には受け入れられない考えだと理解はしている。
一方獣人側は子どもを誘拐され、奴隷にする人間を人の皮を被った悪魔だと忌避していた。
現在、セーラン王国での奴隷制度は禁止されているが、過去に幼い獣人が誘拐され、奴隷にされた事件は残念ながら未だ解決には至っていない。
二年前に数名の獣人達が奴隷解放を訴えてセーラン王国の王都で暴動を起こした『獣人王都襲撃事件』。
それが切っ掛けでテナール王国との関係は更に悪化してしまった。
今では両国民の国境往来が禁止となり、国境の決められた場所で物資の輸出入をするだけの関係となってしまった。
「テナール王国は人間の事を嫌っているとばかり思っていました。それに病弱で問題があると噂されているのを承知で私と結婚したがる理由が分かりません。」
「リーリス、これは取り引きであって人間に好意的な訳ではない。…テナール王国側の言い分によれば、獣人は家族を大切にする種族だから、血縁関係になれば、セーラン王国に対して武力行使をしないと約束し、仮に他国から侵略される危険があれば手を貸すと持ちかけてきた。流石、身体能力が化け物並みな奴らの考えそうな取り引きだ。我が国にも全く不利ばかりではないのは確かだが、結局はリーリスを人質にした脅しだ。」
私の疑問にお兄様が苛立ちを隠せない様子で説明してくれた。
「獣人が人間を嫌っているのは明らかだわ。向こうでリーリスが蔑ろにされないか、それだけが心配よ。」
お母様は眉間を押さえ、お父様と宰相様はただ黙って私の反応を見ている。
「決定した」お父様はおっしゃった。
今まで私は婚約者として誰からも必要とされなかった。
でもテナール王国は本意ではないにしても病弱で問題があると疑われている私を必要としてくれた。
ずっと夢見てきた王宮の鳥籠から連れ出してくれる方が現れた。それが獣人さんであっても、私は嬉しく思う。
「両国の和平の為に喜んで嫁がせて頂きます。」
自由の翼を広げるように私は晴々とした気持ちで皆に微笑んでいた。