2 遅れてごめんなさい
雪が降り積もった森の川辺は、この時期だからこその良さがある。
この穏やかな川辺が、まさにその良さの一つ。
穏やかに流れる小さな川の水は冷たく、雪の白と、苔の緑と、岩の灰色、流木の茶色が絶妙なバランスで和みある景色を作っている。
春から夏にかけて緑が多く、秋は紅葉が目立ち、そして冬へ。また一年が過ぎたと思う季節。
――四季を感じ、死期を感じもする季節だ。
「ヘムリックさん、遅れて申し訳ありません。お待たせしました」
私が話し掛けたのは、川辺で血塗れの手を洗っていた一人の青年――ヘムリック。
年齢は十八歳。
彼とは、五年前に別の患者と旅をしていた時、焼き払われた村で出会った。
「ハンカチ、使いますか?」
ヘムリックは、差し出したハンカチを黙って受け取った。
彼は、焼き払われた村で保護し、診療所があるこの森に私が連れてきた患者の一人。
かなり無愛想な青年だけど、見知らぬ者には攻撃的だった五年前と比べれば、マシになった部類。最近は、私が近寄っても石の剣を構えない。
「クッキーを焼いて来たのですが、良かったら食べますか?」
私は、家で焼いて来たクッキーを取り出し、ヘムリックの前に置いた。
子供が喜びそうなドラゴンの絵が描かれた袋に入れてあるクッキーは、今朝焼いたばかりのもの。見た目はともかく、味はお菓子と認識出来るはずだ。
「スンスン……スン……」
獣のようにクッキーの臭いを嗅ぐヘムリックの反応は、いまひとつ。
頑張って料理の本を購入して作ったクッキーなのだけども、チョコレートクッキーと思う程に焦げてしまったのが残念で仕方ない。
「どうぞ、袋を開けて食べてみてください。見た目は悪いですが、砂糖が付いた炭だと思えば食べれない事はない――」
弁解の余地もなく、クッキーが袋ごと川に払い捨てられる。
川を下っていくクッキーの様子は、とても儚い。
なんとなくそうなるだろうと思ってはいたけど、いざやられるとかなりショック。
彼の故郷で流行っていたお菓子を調べあげ、その中から好きそうな物をせっかく徹夜で作ったのに……どうやら私は、お菓子の家に住んでいる魔女には成れないらしい。おかしな家に住んでるおかしな女のままだ。
「ふん。甘党ではないと受け取っておきましょう……それで、今日は何をされていたのですか?」
服は破れているものの、五年前と違ってヘムリックの身体は健康体。
川の水で手を洗う習慣は先ほど確認出来たし、五年という時間を費やしてこの森の生活に馴染み始めている兆候も確認出来る。
生きて行く為の初期装備として支給した石の短刀や剣の方も自分で研いでいるようだし、そろそろ一言くらい話してほしいところだ。
残念ながら今日も返答はなく、ヘムリックは私を無視するように森の奥へ。
雪の大地に残った血痕を辿るように歩いている彼の行く先は、自分で仕留めた動物か何かの死体だろう。
「ヘムリックさん。五年前と違い、背が伸びましたね? 筋肉がついて身体も大きくなっているようですし、健康そうでなによりです」
――あとを追いながら、私は話し続ける。
私には、ヘムリックくらいの年の娘が居た。
娘の名前は、シェアハート。旧王都のギルドで、受付嬢をしていた子だ。
困っている人を見ると放っておけない娘の性格は、私と正反対。
娘は、よく「可哀想よ」、「なんとかしてあげないと」――とか言って、正当な報酬が貰えない冒険者の依頼の報酬を偽造し、貧しい冒険者を助けていた。
名は体を表す――という言葉のように、娘は、誰かと心を共有するような子に育ちつつあった。
でも、だからなのか、私は娘に嫌われていた。
一人の親として、王都に住んでいる大人として、「偽造はダメだ」と言っても、娘は私の話を聞いてくれない。
魔物を素手で倒せるほど強いのに、どうして困ってる人を助けないの――って、何度も言われた。好かれていた時も、嫌われてからも、魔王を倒してからも。
間違いなく、私は娘にとって良い母親ではなかった。
でも、良い母親になろうと努力はした。その努力が魔王討伐だ。
物語の主人公じゃあるまいし、普通に母親をやらせてくれと言った事もあるけど、娘からは「お母さんなんて要らない!」の一言。だから私は、「お前が居るから私が母親に成れない」と言って、魔王を殺した。
今でも夢見る自分の死……娘の母親と成る為に始めた魔王討伐で私が死んだ回数は、兆の単位を超える。
出産時、流血が止まらず死に掛けていた所に怪しい医者が来て、その医者から貰った薬で不死鳥の力を得た私は、初めて愛した男との間に子供を授かっただけの女。剣を握った事など、勿論ない。
討伐隊が全滅しても唯一の生存者である私が情報を持ち帰り、その情報を基に作成された剣を使い、魔王の討伐に精を出す一方で、娘は依頼の偽造などがギルドマスターにバレてしまい、ギルドを追放。その追放の仕方も酷く、私が魔王を討伐した翌日。娘に借りがあるはずの連中も、追放処分に抗議をしなかった。
――それで良かったと、今も私は思っている。
娘が助けた者達、助けてあげるべきだと言った者達は、全員、「助けてくれ」と言っていない。
幼い時、一緒に遊んだ森の中で聞こえた声も『悲鳴』であり、助けを求める声じゃないから私は無視した。
路地裏で餓死寸前の子供も、人気のない路地裏に居たから助けなかった。
私が誰にも頼まれていない魔王討伐を引き受けた事に関しても同じ。誰も、私に助けてくれ――とは言っていない。
それでも行動した結果が、ギルドを追放された娘と、人間不信に陥る娘を見る事となった私だ。
『お前は、ギルドの受付嬢に過ぎない。助けてほしい者はギルドで依頼をする。お前は自分の気持ちを相手に伝えるだけじゃなく、相手の気持ちを理解してやるべきだったんだ。それが共有というものなんだぞ?』
と、二十を迎える娘に語った後日、娘がギルドで稼いだ金を全て使い、あのオルゴール箱を買ってくれた。
それですべてが丸く収まるなら良かったんだけど、同日の夕暮れ時、魔王討伐で戦力を失っていた王都の上空に魔法陣が出現し、王都は他国の爆裂魔法によって破壊された。
都ごと吹き飛ばされ、残ったのは都の残骸だけ。紙は真っ先に燃えたから、私が王都に伝えていた魔王討伐の資料、文献なども全て無駄に。
戦いでしか解決しない問題は、戦いにしか繋がらない……その教訓が、この森には眠っている。
「――だから私は思うのです、ヘムリックさん。復讐は復讐しか生まない。どちらかが大人の対応をして水に流さないと、永遠に怨みが残り続ける。私が見たところ、今の健康そうなあなたは、とても危険な状態だ。親の仇を討とうとしている。そんな事は辞めるべきだと、カウンセラーとしてお伝えしたいのですが」
どこかで見た事のある気がする光景。ヘムリックが歩む道の左右には、スヴェンを護衛していたであろう王都の兵士、その死体が転がっている。
死体の傷口から考えて彼が殺した訳じゃないが、彼の故郷を燃やした者達と同じ鎧を着ている点が、何よりも不安要素。復讐をさせる為に助けた訳ではないのに、なぜかそこに向かっている気がしてならない。
「聞いてますか? ヘムリックさん」
振り向く事なく進み続けたヘムリックが足を止めて、前方を指差す。
道の先に在るのは、魔物に襲われて大破した馬車と、その馬車の側で分厚い本を抱えてぐったりしている少女の姿。
「……あの子を助けろと言うのですか? この私に」
ヘムリックは頷き、少女の側に近寄って彼女の肩をゆする。
ゆっくりと顔をあげる少女は、年齢的に五歳程度。着ている服は血塗れだけど、上質な物だ。
「ウンウン……不死鳥は居た?」
少女が喋り、ヘムリックが首を大きく縦に二回振った。
「アァ……ありがとう、ウンウン」
血で汚れているから分からないけど、少女の綺麗な青い目や整った顔立ちは、王族の雰囲気がある。
馬車周辺の状況から判断して、少女は連れて来られたというより、スヴェンの馬車に忍び込んで、そこで魔物に襲われた感じだ。大人だけだったら、ヘムリックは助けていない。
「なぜここに来たのですか? お嬢さん」
遠くから話しかけると、少女が袖で顔の血を拭い、こっちに歩いて来る。
忍び込んでいただけあって、外傷はないようだ。全身血塗れだけど、少女の血じゃないだろう。
「これを返しに来たの。この本、あなたのでしょ? 私のひいおばあちゃんが持ってたの」
「ひいおばあちゃん……?」
少女から差し出された本を手にして本の裏を見てみると、著者の部分に娘の名前があった。
そんな馬鹿なはずはない――と思い本を開けば、中盤から白紙のページが続く。中盤のページで一番最後に記されているのは、【その日、不死鳥はオルゴールを手に入れました】という内容。間違いなく、娘の字だ。
「あ…………」
思わず涙が流れてしまった。
「……なぜ、これをあなたのひいお婆さんが?」
質問に対し、疲れ切っている様子の少女は、自分が王都のギルドマスターの娘だと答える。
名前はピュアハート。
少女は、かつてこの地――旧王都でギルドマスターをしていた者の末裔だ。
「私の、エホッ……お父さんが言ってたの。私達のご先祖様は、不死鳥の娘がギルドから追放される前に、ギルドマスターを辞めさせられた人なんだよって。その本は、私のご先祖様が、あなたの娘に返し忘れてた物なんだって。返すのが遅くなって、ごめんなさ……ゲホッゲホッ……」
私は咳き込むピュアハートに歩み寄り、それ以上の説明が不要である事を告げる。
怪我は無いけど、馬車の荷台かその下に隠れてここまで来たなら、相当な疲労。たった一冊の本を返す為にここまで来て、帰る手段など考えていなかった事がよく分かる純粋さは、ある意味で狂気。
「ハァ……風邪を引いちゃったみたい」
「そのようですね」
小さな身体を支えてやると、ピュアハートは安心した様子で目を閉じる。
体温は少し高く、この環境で汗をかいてる。おそらく風邪だ。
しばらく休んで、温かい食事でも与えてやれば、すぐに回復するだろう。
近寄って来るヘムリックもピュアハートの心配をしているようだし、今日のカウンセリングはここまで。
ヘムリックにとって、ピュアハートが良い薬になると信じよう。
「ヘムリックさん、私はこの子を屋敷に連れて行くので、あなたは薬草を採って来てくれませんか? 私の家には薬がないので」
ヘムリックは頷き、森の奥へ走って行く。
これもどこかで見た事がある光景……五年前、衰弱していたヘムリックをここに連れて来た時は、私が薬草を探してこの森を走り回った。懐かしい記憶だ。
「さて。では行きましょうか、ピュアハートさん。美味しい料理は作れませんが、ゆっくりして行ってください」
王都まで送る気はないが、王都に自力で辿り着けるようになるまで見守る事くらいなら出来る。
薬が効かず死ぬ可能性もあるだろうけど、その辺りはこの子次第。
それにしても、ピュアハートか…………良い名前だな。