5話
薄目を開けると真っ黒な目が目と鼻の先にあって、ぴしりと固まる。
キスヲスル距離デスヨってぐらい近い、、。
余りの衝撃に声が出せない。目の周りが窪んで見えたのは堀が深いのと黒い睫毛が長いから。
ーーこの人もあの国同様外人さん風だわぁ。
そんな、なんかどうでも良い事が頭をよぎる。
「おはよう。」
「、、、オハヨウゴザイマス。」
意思疎通出来るらしい。私の方がカタコトになってしまった。少し身体を起こして彼と距離を開けると、あんなに血濡れだった顔も身体も綺麗になっていた。あの目を最初に見なければ夕方会った人だとは分からないぐらい別人に見える。ああ、この人生きてるんだとゾンビに連れ去られた説が無くなって安堵した。
ここは何処かの洞窟?洞穴らしく今は明け方の様で少し空が明るくなっているのが見える。これから太陽が顔を出して1日が始まるのを歓迎するかの様に外では小鳥の囀りが聞こえる。囀りというかもう音の暴力にも似た元気さが鼓膜を揺らす。私は一晩気を失ってしまったのだろう。私の体の下には毛布が敷かれ、この人がそれなりに私を気遣ってくれたのが分かる。それでも直ぐに信用する様な事はしない。
「御怪我は大丈夫ですか?」
1番聞きたかったことを第2声で言わせてもらう。ちゃんと生きてるよね?ゾンビじゃ無いよね?の確認だ。
彼は凄く驚いた顔をして身体を起こしそのまま胡座をかいて、
「ああ、お陰様でここ最近1番調子が良い。」
と言ってくれた。良かった!ゾンビ説はこれでおさらばだ!私は嬉しくて頬が緩む。
彼は続ける。
「あの時は本当に死ぬかと思ったんだ。が、アンタのお陰で助かった。まさか止血だけじゃ無く体内の毒まで消してくれるとは。」
そして泣きそうな人みたいに眉毛を下げて唇を震わせて、でも口角は上げてと顔を歪めた様な戸惑っている様な複雑な笑顔を見せてくれた。顔の表情が変わるだけで昨日の血だらけのピクリとも動かない青白いこの人が今生きていると実感出来て安堵する。
何が起こったか分からないが、あの時私を治そうとして自分も治すことに成功したのだろう。火事場の馬鹿力ってやつだ。
彼の身体をざっと見る。洋服も着替えたのかあの赤黒いシミだらけの物では無く綺麗になっているし昨日は腕から先が無かった様に見えたけど両腕があるから怪我してぐるぐる巻きにしてあったのを私が勘違いしたのかもしれない。何にせよ今は五体満足で健康そうだ。髪は明るい茶色の癖っ毛で背丈も私よりずっとある。服から覗く首も腕も太くて逞しい。お城の人達よりずっとこの人は骨太でお肌の張りから私より年下の青年と勝手に憶測させて貰う。鼻上から両眼の下に続くそばかすが中々チャーミングな外国人風ムキムキ青年である。何故かそんな彼は私のお陰と勘違いしているけれど私は何もしていない。むしろ私も治して貰って彼に感謝している。
「生きてて良かったです。」
本心から言った。
きっとここに運んでくれたのも一晩無事に過ごせたのも彼のお陰なんだろう。
ただこの人が信用出来るかと言ったらそうでは無い。
素直に私もお礼を言って事情を話しスキル無しだと知られればまた掌を返されるかも知れない。私は一晩ぐっすり睡眠取れたからか3大欲求のもう一つ、食欲があり得ないほど出てきている。簡単に言うと物すっごくお腹が空いている。喉も乾いてる。
勘違いしている彼に黙っているのはとても悪いが、この人が何であんな場所で怪我をしていたのか悪い人の可能性も捨て切れないしこんな屈強な人に鶏ガラの様な私は簡単に殺されてしまう。
ーー勘違いしている内に食糧を分けて貰ってここを去ろう。
脳内会議で今後の方針が決まった私はさて何と言って食糧を貰おうか思案する。
「助けたお礼に食糧を下さい。」
あまり嘘は付きたく無い。寧ろお礼をしなきゃなのはこちらです。ごめんなさい。却下。
「朝ごはんにしませんか?」
何言っちゃってるの?彼女かな?これでどさくさに紛れて食べ物にありつこうとするとか色々ごめんなさい。却下。
「お腹すいてるので食糧を分けて下さい。」
シンプルにこれだろうか?
そんな思案中の目の前に
「これ良かったら。」
と何か薄くて赤茶色いモノが渡される。何だろう。硬くて魚の干物っぽいけどそれより薄くて骨は見当たらない。煎餅?いや食べ物から頭を離そう私よ。
「あれ?食べたことない?肉の干物。」
食べ物だったー!!!
すぐに齧る。硬い。イカのスルメを分厚くして一枚の板にした様な噛みごこち。
硬いタイヤよりさらに堅い!
水分不足の私の口の中では中々柔らかくならない。水が刺し出される。彼から貰ってすぐにごくごくと煽る様に飲ませていただく。あっという間にコップの中が空になってしまった。そこに彼が手をかざして並々と水を継いでくれる。魔法だ。彼は水魔法が使えるのだ。またごくごく飲んでからお礼もいただきますもそもそも貰って良いのかとか何も言ってない事に気づいた。
私ったら何をやっているの!もう無意識に色々口にしていた。
これが毒入りだったら
ーー私は既に死んでいる。
「食いにくいかな?こうやって少しずつ齧っていくと段々柔らかくなって行くからさ。焦ると喉つまらせて死ぬからよく噛んで?」
なんか怖い単語出たけど彼も同じ物をグキャグキャと噛んでいく。
そう
ビリ、、グギャ、、ギャギュ、、
音が食べ物を食べる時の音じゃない。どんな顎してるんだ。そしてこれ分かったぞ。
もの○け姫に出てくるヒロインが主人公に食べさせてあげる干し肉だ!
あのシーンも凄く良かった。食べれない主人公に柔らかくした肉を口移しで食べさせてあげるの。あの時の彼の涙よ。
ーーーそしてあの肉。
凄く硬そうな描写あったよね?音は違うけどきっとそれ。なんかスッキリしてさらに言えばなんか映画の体験をしてるようでこのゴムより硬い干し肉も考え深いものに思えてくる。
「ありがとうございます。いただきます。」
遅れ馳せながらも本心からの言葉だけを言ってありがたく私も朝食を頂いた。
食べ続けて気付いたこの干し肉の特徴。塩を練り込んで干した?んだか噛めば噛むほど柔らかくなり塩っぱさが肉の旨味を引き出してくれるという、にくい演出を口の中でしてくれる。肉だけに。
疲れきった身体にこの塩加減がとてもありがたい。ひたすら噛み続ける。食事が美味しいと思えたのはいつぶりだろうか。食べているのはひたすら硬い肉だけど、目の前に一緒に食べてくれる人が居る。この世界に来て7日以降はずっと1人でゴミを漁って食べていた。それもきっと何ヶ月も。この世界に冬があったらきっと私は冬は越せなかった。そんな辛くて寂しい日々が日常と化していただけに、今のこの食事が奇跡に思える。目頭が熱くなって干し肉がさらにしょっぱくなってしまった。それでも美味しいのだからこの干し肉は高級な干し肉かもしれない。黒毛和牛とか使ってるのかも。
「あーあ何泣いてるんだよ。」
一緒に食べていた青年が困ったように言って顔をゴシゴシ拭ってくる。
ーー青年よ食べるの早すぎやしませんか?
私まだ4分の1も到達していない。でも沢山噛んだからかお腹は満たされて来たようだ。なんか子どもにするようにゴシゴシ顔を拭かれてあれぇ?と首を傾けたけどされるがままされてみる。
「うん、いきなり慣れないモン食うと腹が驚いて後で腹痛くなったりするから今日はこの辺で切り上げるんで正解だ。」
そう言われてまた水を差し出される。
大事な食料が!!
と思うけれど仕方ない。
有り難く飲んで
「ご馳走様でした。」
と言いながら空の器と干し肉を返すと干し肉は受け取ってもらえなかった。
「その肉は全部やるから沢山食って力つけろ。な?」
そう言われてまた目頭が熱くなる。
「・・・・・。」
え?貰って良いの?
と言う言葉を飲み込んでこの青年の気が変わらないウチに
「ありがとう。」
と言って有り難く頂く事にする。
私は急いで肉を少し折るように力を加える。山になった所で出来るだけ真ん中あたりを齧る。
かじかじかじかじ、、、
「何してんだ?」
という質問は今はスルー。彼の気が変わらないウチに完成させたいのだ。
穴が少し空いたので服のほつれてる裾をビリビリ破いてグルグル捻りその穴に通してギュッと縛った。それを首からかければ肉のネックレスの完成だ。カバンも何もない私がソーヴェに乗ってもこれで落とさない!素晴らしい出来!
うん、これで1週間は食糧に困らない!
私よナイスアイデア!
「、、ブはぁ!」
しかし私の素晴らしい出来のナイスアイデアを見て青年が吹き出した。
「なんだよそれ!」と言いながらまた顔を拭ってくる。
水で濡れた付近が黒くなったのを見て、途端に恥ずかしくなった。
そうだ、私お風呂とか入ってなかったから顔だけじゃなく全部汚いんだ。
申し訳なくて俯いてしまう。
「髪を洗うか。」
そう言うと頭の上に丸い大きな水の塊が浮かんだ。大きなシャボン玉のように浮かぶ水の塊はグニョングニョンと揺れて私の頭を全部覆った。
さっきの発言は質問では無くて、確定事項だった様である。
顔だけ出てる状態だから呼吸に支障は無いけれど初めての体験にどう反応したら良いのか分からない!だってこれ彼の魔法加減1つで殺される。顔もこの水に覆われたら窒息死待った無し!
「やっぱ調子いいな。全身一辺に洗っちまうか。」
青年が独り言を呟くと、むにょん、タプンと顔と足以外全部が水に包まれた。
ーーー!!!?
初めての体験に声も出ない。私の命が彼の手に握られている恐怖。呼吸が短くなる。はっはっはっと小さく細かく身体が息を勝手に変える。
「ほら動くなって。」
そして青年は私の後ろに周り、、、
ガシガシガシガシと髪を洗い始めた!!!
ーーーー!?
私は変な格好で固まってしまった。
だってだって!
洗うってなんか洗い方違くない!?桶に水入れて洗うとか上からかけるとかシャワーみたいにするとか、、、
そんな私にお構いなしに
頭皮も指で沢山擦られる。
ごしごしごしごしごし、、
ゴジゴシゴシ、、、
うん、これはこれでアリかも。洗って貰えるのが心地良くなってきて体の緊張が解けてきた。
しかも爪が当たらない彼なりの配慮付き。
体を包んでいる水が黒く濁ってきた。どんだけ汚れてるの私、、居た堪れなくて私も首とか腕とか胸とか腹とかゴシゴシこする。青年が顔を拭ってくれたタオルをくれたので私もそれで
ごしごしごしごしごし、、、、
水が濁って黒ずんでいく。
あ、今の私の格好
千と○ひろの顔のない奴だ。
黒い体に顔面だけ出てるこの感じ、体は濁った水だけど形はもうその物!!そう思ったら楽しくなってゴシゴシ擦する力も自然と強くなる。
片足上げて足の裏も指もゴジゴシゴシ、、反対もゴジゴシゴシ
青年も私の頭が終わったら背中をごしごしごしごしごし、、、
すっごく気持ちが良い!垢すりマッサージってこんな感じなのかも。なんて完全に油断していた。
背中に服が引っ張られる感じがしてビリビリビリと服が破かれた。
ーーーー!!?
ーー私の唯一の一張羅が!!
布一枚穴を開けて頭を通したワンピースはボロボロだけど今の唯一の財産なのに!突然スッポンポンにされて驚きのあまり悲鳴も出ない!いや出す!悲鳴を!大きく息を吸って悲鳴を出す前に
「こんな奴隷服じゃなく俺の予備の服着ろよ。」
そう彼が余りに優しい声音で言う物だから身体から吸った空気が抜けてしまった。すっかり大人しくなった私に何も言わずに彼は背中、腰、尻、太もも、膝裏と後ろをゴジゴシゴシ洗っていく。
ーーワタクシこれでも23歳の成人女性、、
けれど性的な嫌悪感は一切なく、女性として意識されて無いと分かって安心すると共に少し悲しくなってきた。確かに痩せ細った身体はガリガリで女性特有のふくよかさも凹凸も何もかも無くなってしまった。以前の私はそれなりに有ったのだと此処で弁明しても仕方ないけれど。本当に節くれだった身体は以前の姿の見る影も無いのは確かで、、。
前から思っていたけれど子どもに見られている?気がする。それは彼の態度だけじゃなく、森に連れてきた御者達の態度からも察せられた。
それはそれで彼がロリコンじゃ無い限り性的意味では安心なので、良いんだけど。良いのかな?うん考えても仕方ない!されるがまま洗われた。
「うし!」
彼なりに満足したらしい。パチンと1つ指を鳴らした途端に水はフヨフヨと私から離れて洞窟の外に出てバシャンと大きな水溜りを作った。
なるほどすぐに乾く様に外に出したのね。妙に納得する。今私が全裸なのは考えない。
そして背後からまたパチンと指を鳴らした音がした途端、髪や身体に残っていた水滴が消えて一瞬で身体が乾いた状態になる。魔法って凄い!
「やっぱり調子良いとかの次元じゃねぇな。」
と彼はぶつぶつ言いながら背中越しに
「これを着ろよと服を一式出してくれた。」
着方がよく分からないけれど何となくわかる範囲で着ていく。パンツに下着。シャツにズボン。問題はパンツとズボンが下がってくる事。落ちない様に両手で押さえていると紐でギュッと縛って調節してくれた。
手首足首も紐でグルグル巻いて縛って調節してくれる。ぶかぶか上下の袖もダボダボだったのがとてもスッキリ動きやすくなった。それに清潔な洋服を久しぶりに着たからかとても気持ちが良い。
「うん!中々様になってるじゃねーか!」
満足そうな彼の笑顔が眩しい。
「後は靴だよなぁ。流石の俺も子供用の靴は持ってねぇしな、作るにしても、、うーむ、、、」
「そこまでして貰わなくても!」
あ、やっぱり子供だと思われてる、、。と思いながらも靴は固辞させて貰う。
本当に充分過ぎるほど良くしてもらったのだ。彼は私を命の恩人だと勘違いして色々してくれたけれど、実際の私は何もしていない。こんなに騙し続けるつもりは無かったのに、綺麗にしてもらって洋服まで頂いてしまった。少し食糧貰えたらなぁって程度の考えだっから、これ以上して貰うのは流石に悪過ぎる。
私が一生懸命
「もう大丈夫です。」
「充分です。」
「靴いりません。」
と言っても彼は聞いてくれない。直立したまま腕を組んで何か思案している。
わぁ本当に大きいなぁ。彼の腕が私の顔の位置に在る。ちっとも相手にされてない。彼からすると子どもがチョロチョロしてる程度なのだろう。
「ほらこれ食って大人しくしてろ。」
目の前に私の作った干し肉ネックレスが出される。身体を洗うので取り上げられていた私の宝物。じゅるりと自然に涎が口の中に広がる。なんだかんだでもうお腹が空いてきた。太陽も随分傾いて見える。時間が進むのが早いなぁ。私が寝ていたマットの上に2人で座ってまた干し肉を食べる。
「いただきます。」
今度はちゃんと手を合わせて食べ始める事が出来た。随分と余裕が出てきたらしい。
「へぇ?」
と彼は私を見遣ってまたゴキュ、ガキュと干し肉を食べ始めた。音がやはり絵面に合わない。
私もかじかじしていると、
「靴っていうのは大事なんだぞ。」
なんか彼の靴についての講義が始まった。
「良いか?靴は足を守るためにあるんだ。身体の中で1番怪我し易いのはどこだと思う?」
かじかじかじかじ。
「足なんだ。
じゃぁ身体の中で1番汚れる場所はどこだ?」
かじかじかじかじ。
「やっぱり足なんだぜ?
地面に直接着く足は木の枝なんかで簡単にスパッと切れちまう。そんで簡単に土とかが入っちまう。それで其処を放っておくとどうなると思う?」
かじかじかじかじ。
質問してるけれど私の答えは求めてない様で話はどんどん進む。私もかじかじはしてるものの彼を見て話しをよく聞く。
「傷口から入った汚れに身体が負けて熱が出て苦しいよぉって最悪死んじまったり、足がドロドロに腐ったり、そのまま痛いよお、辛いよぉって言いながら死んじまったり、、」
結局みんな苦しんで死んでるじゃん。
かじかじしながら眉を顰める私に彼は気分を良くしたのかニカリと笑って
「だから靴はとりあえず俺が作ってやるよ。」
と頭をグリグリしてくれたのだった。