10話
今更名前とか?
ーーー名前、今更。
いや私もこの青年の名前を知らないからお互い様だけど、え?今更お互いに名乗るの必要ですか?
もうこのまま【お前】で行くんだと思っていたよ。私も心の中でこの人の事を
【この人】【青年】【彼】と三人称でしか呼んでなかったし。
「おい、大丈夫か?!嫌な質問して悪かった!」
色々考えて動きが止まる私にまた何か勝手に勘違いしたらしいこの人は私を横抱きにしたままギュッと抱きしめて私ごと前後に身体を揺らす。
きつく抱きしめられているので彼の顔は見えないが、彼がゆりかご其の物になった様に私ごとゆっさ、ゆっさと揺れてくれる。
密着しているが故に彼の体温や匂いを感じとってしまって、、それに安心してしまう自分は本当に愚かだと思う。
こんな自分は嫌だ。
あまり深入りはしたくない。
この青年は言動が粗野ではあるが優しい人なのはもう知ってしまって、、。
見た目大きくてゴツくてとても立派な筋肉をお持ちのマッチョメン。
だから立ち上がると怖く感じてしまうけれど、私のために服や靴を用意してくれてご飯も沢山食べさせてくれて、何より私の見た目や出身を嫌わず黙っていてくれたりと彼なりの配慮をしてくれる。
まだ出会って1週間経っていないだろう。
それでも彼なら大丈夫と心を赦してしまいそうになってしまっている。
彼に絆され始めている、、
その事をはっきりと否定出来ない。
けれどこの青年も私がスキル自分だと知ったら今後どうなるか、、、。
分からない。
もし
『なんだ、スキルなしか。』
と冷たい目を向けて離れて行ってしまったら。
違う!
離れる可能性の方が高いからこそ彼に心を開いてはいけないんだ!
常に自分一人でこの世界で生きていける様に彼との間にある壁を死守しなければいけない。
だから名前を教え合う必要なんかない。
そもそも、この世界に来て私の名前を知っているのはあのお城の数人だけで、呼んでくれたのはあの聖女サマただ1人。
その聖女サマでさえ、スキルが分かるまでの短い間だけで。
前の世界の名前はこの世界の名前とは余りに違い過ぎているし、そこまでこの人に私の中を踏み込ませるつもりは無い。
だからやっぱり名前を教え合う必要はないと言いたいのに
「じゃぁ俺がつけてやろう。ファニーモミール。」
勝手に名付け始めてきた。
「うん、ファニーなんてどうだ?ファニーモミールは俺の故郷に咲く、白い花の名前だ。好きな人に贈る花なんだ。」
なんて屈託なく笑うのだろう。
また勝手にこの人は私の壁を壊しにかかってくる。
「私、白くない。今まで通りで良いです。」
しっかりNOと言えた。断れない日本人女性の私にしては頑張ったと褒めたい素晴らしい対応なのに
「その白い花の真ん中が黒いんだよ。丁度お前の目と髪の様に綺麗な黒なんだ。」
全然懲りずに
「ファニー。ほら、はい。って言えって。ファニー?」
余りに優しい目で、声音で私を呼ぶから逃げ道が無くなっていく。
「ファニー。ほら、はい。は?
ファ、二ィ、ー?」
なんか顔が近づいてくる。大きな手が私の頬を撫でて髪を耳にかける。これは、この雰囲気はあまりに甘い。甘過ぎる!
返事するまで顔が近づいてくるのでしょうか?そもそも私は横抱きにされたまま。
カーッと頬に熱が溜まる。
返事をすればこの状況から抜け出せる?しなければ、、この状況の行先は如何わしい方向では、、?
「ファニー、、。」
顎を片手で添えられて上を向かされる。
いわゆる顎クイ。
これまでにないほど近く青年の顔があってその目に私が映ってて、
ーーーもう、、無理、、。
「はい、、。」
私は耐えきれなくなって顔を両手で隠した。日本ではこの距離の近さは恋人同士の距離です!挨拶でほっぺにチュウとかそのウチする感じ?
ーー無理です!
子どもの教育上この雰囲気は宜しくないので即刻離れて欲しい。いや、私は子どもでは無く成人女性だけれども。今は子どもで良いです。はい。
私の返事に満足したのか彼から
「よし!」
といつもの声を掛けて貰って頭をぐしゃぐしゃかき混ぜられる。
ーー良かったいつもの青年に戻った!
変に鼓動が煩い胸に手を当てて息を吐く。名前一つで動揺するとは情け無い。男の耐性が低過ぎる。
私だって以前の世界で元彼の1人や、、2人、、、?、、
ーーーあ、やめよう悲しくなってきた。
中学生の時の手を繋ぐだけで精一杯のお付き合いを人数に入れた私は何と戦っているのだろう。虚しい、、。
私をまだ横抱きにしている青年に対して少し気持ちが落ち着く。虚しさ万歳。
「あなたの名前は何ですか?」
私だけではフェアではないので一応聞いてみる。ワットユアネーム。名前が何だというのだ。名前ぐらい呼んで呼ばれてやろうじゃないの!さあ、ジョンでもトムでもマイケルでもジャクソンでもどんと来い。
「ファニーが決めて?」
息巻く私にまた甘い声を今度は耳元で直接掛けられて今度こそ私は固まった。
ーーーあなたはあるんじゃないの?この世界の立派な名前がさ。一言で良いんだよ。
頭ではこんな辛辣な事が言えてるのに、現実は全く機能しない発声器官。
青年は
「使った名前は沢山あるんだけど全部俺個人のじゃないからな、、。」
とぶつぶつ言っている。
聞こえてるよ?詐欺でもしてたのかと少し心の距離を置く。
そして出てきた名前に驚いた。
「マイクにジャクシー、リンケーンにエディソン、、」
あうおう。随分立派な名前がずらり。
もう良いんじゃないの?
ルド〇フといっぱいアッテナ で。
余りに立派な名前で不貞腐れた投げやりの心境になってしまう。
「沢山呼ばれたけれど、どれも役職みたいな物でさ。俺、種族人間だけど明らか別の種族なオーソドックスな物もあるし。俺だけの名前ってねーから、ファニーが付けてよ。」
膝の上に横抱きではなくお座りさせられる。青年の胡座の上に私が正座。この体格差よ。
えーと、今の話しを要約すると
『吾輩は人間である。名前はまだ無い。』
という事で私が付けろと。
突然言われても考え込んでしまうわ。
私の名付けセンスを舐めないで欲しい。
犬はポチ、猫はタマ、某人気ゲームのピカチュ〇はピカピカ、ゴースト系のゲ〇ガーはゲンゲン、あなたは人間だからニンニン!それは無いわ!
うーん、、うーん、、
この人は私に花の名前を付けてくれたけど、私は花の名前をそこまで知らない。
チューリップにひまわり、タンポポ、、どうせなら素敵な花言葉のお花が良いけれど、花言葉は更に知らないのでお手上げだ。
この世界によくありそうでな発音の物でこの人が喜びそうな名前、、って何故この人は今凄く嬉しそうなんだろう?
まだ名前すら決まってないのに口元が緩んで目尻が今までに無いぐらい下がってる。眼差しが宿しているのは歓喜の色。その瞳にまた惹きつけられた。彼は私の目が黒くて綺麗と言ってくれたけど、彼の目はもっと綺麗だ。私の目は焦げ茶だ。まあ黒っぽいから黒で良いけど。
彼の瞳は吸い込まれそうなほど闇色なのに光を反射するとキラキラ光るのだ。まるで満天星の夜空の様に綺麗な瞳だと断言出来る。
「星空。」
「ホッシェづぉら?」
ーーー凄く言いにくそう、、。
「夜空。」
「ゆぞーら?」
日本語の発音は難しかったらしい。でもうん、星空よりは良い響きの名前かも。
「あなたの瞳は吸い込まれそうな程に深い黒色でしょう?そこに光が反射すると星が沢山瞬いている夜空の様に綺麗なの。ユゾーラは私の故郷の夜の空の事。星が沢山煌めいている夜空。だからあなたの名前はユゾーラ。どうかなぁ?」
「ユゾーラ、ユゾーラ、、「
彼は何度も噛み締める様に言葉にすると
「気に入った!」
っと満面の笑顔を見せてくれた。良かったぁ!とホッとする私に
「ユゾーラって呼んで?」
とお願いされる。余程嬉しいのだろう。そこまで喜んで貰えると私も考えた甲斐があったというもの。
「ゆぞーら!」
私も笑顔で呼んでみた。
「ファニー。もう一回。」
彼も優しい笑顔で答えてくれるから促されるまま
「ユゾーラ。」
彼の名前を紡ぐ。
「ファニー。」
また名前が返ってきて、
「ユゾーラ。」
「ファニー。」
「ユゾーラ。」
「ファニー。」
「・・・・・。」
洞窟の入り口のすぐ前は滝の水がゾォン、ゾォンと流れ落ちて天然のベールが外との視界を隠す。
私達は何度もお互いの名前を言い合ってクスクス笑った。