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「お初にお目にかかります。アラベルの娘、エリュミナにございます」

「おお……エリー……」


 領主邸で私たちを出迎えてくれたジュノー伯爵家の当主であるジャルジェ伯父は、どこかしら母の面影を映す、ほっそりとした立ち姿の優しげな紳士だった。

 初めて顔を合わせた姪の私を見て、青い瞳を潤ませながら母しか使わなかった愛称で私を呼ぶと、広げた腕で私を包んだ。

 ジャルジェ伯父も私の中に妹であるアラベルの姿を見出したらしく、切なげに目を伏せて一筋涙を零した。


「長い間、苦労をかけたね。なんの力にもなれず、すまなかった……」

「いいえ。伯父様が私たちのために、いろいろとご尽力くださっていたと、大公殿下より伺っております」

「私もエリーのことは大公殿下から伺っている。アラベルがエリーに伝えられなかったことやしてやれなかったこととを、私が代わりに渡そう。だから、実家に帰ってきたのだと思ってゆっくり寛いでほしい」

「あ、ありがとう、ございます」


 そこで私もとうとう涙を堪えられなくなり、声を詰まらせてしまった。背に回された腕に、よりいっそう力が込められる。

 震える腕が私を離すまいとしているように感じ、その思いの深さに気づけば私も縋りついて泣いていた。

 ジャルジェ伯父のことは、急を要する旅立ちの指示の後に大公殿下から聞かされた。

 婚姻式を最後に、何度打診しても面会の申し込みを断られ、私の誕生祝いや母のお見舞いすら拒絶されたそうだ。

 周囲からも小さなすすり泣きが聴こえ、涙で霞む視界に立ち並ぶ使用人たちやマーシェまでもが肩を震わせ、涙を拭っているのが映った。

 私の帰還と母アラベルを想い涙する人々を見て、改めてすべてに感謝した。

 ひとしきり様々な思いを交わし、伯爵の案内で応接間に場を移した。お茶を淹れ終えた侍女が下がると、静かな空間に私たち二人だけが残された。

 涼やかな風味のお茶で喉を潤すと、私はこれまでのことをぽつぽつと語り、ジャルジェ伯父は相槌を打つだけで黙って聞いてくれた。

 物心ついた時には別邸で暮らし、会う時はいつも寝付いていた母。

 何かある度に自室に鍵をかけられて遠ざけられ、一切の情報から遠ざけられていた。母の死すら隠され、葬儀の後に侍女から簡単に教えられたほどだ。

 それでも物事の判断がつく年頃になれば、使用人たちがする噂話、家令と父の遣いの会話など、あちこちで拾い聞いた話の意味を理解できるようになった。

 そして、母は侯爵家に愛されて迎え入れられたのではなく、女に生まれた私は母共々父に疎まれていたのだと思い知った。


「母はいつも懐かしそうにジュノーの思い出を語ってくれていました。帰りたい、と」

「私も会いたかったよ。ことに亡くなった父は、どれほど望んでいたか。なのに、奴は……。私たちが一番腹立たしかったのは、アラベルの葬式の時だ。亡くなったことさえ連絡がなく、こちらが送り込んでいた密偵の報告で知り、慌てて父と押しかけてどうにか立ちあえたんだ。しかし、死に顔にすら会わせてもらえなくてね。ただ、それよりも姿が見えないお前のことが気になって、侯爵に父と詰め寄ったんだが、お前は高熱で伏せっていると。そう言われては、どうしようもなかった……。あの時から父は気力を失ったようだった。強引にでもエリーに会わせろと、見舞わせろと訴えれば、そうすれば父もエリーも……」

「いいえ。無理をなさらなくてよかったのです。傲慢で冷酷な侯爵のことです。きっと不敬だなんだと言いがかりをつけて、ジュノー家に対して禄でもないことを仕掛けてきたかもしれません。そんなこと、母も私も望んでおりませんわ」

「そうか……そうだな」

「今こうしてお会いできました。神々の加護と母の導きが叶えてくださったのでしょう」


 母と私を気にかけてくれていたと聞いて頼もしく思いはしたが、祖父や伯父が無謀な争いを堪えてくれたことに胸を撫で下ろした。悔しいけれど、失ってしまったものや過ぎ去った時間を惜しんでも、けっして戻ることはないのだから。


 その日は、夕食の時間まで私と伯父の長い思い出話に終始し、旅の疲れもあるだろうからと、客間に案内されてゆっくりと湯をもらってから休んだ。

 寝台に横になったが眠りはまだ遠く、小机に置かれた小型のランプの灯りを見つめながら、ジャルジェ伯父から聞いた話を思い出す。

 母がどうして侯爵家に嫁ぐことになったのか。

 色々な思惑を隠しての政略結婚など、貴族間なら珍しくはないと知っている。

 縁繋ぎや名誉だったり金銭だったり、それこそ望む跡継ぎを産んでもらうための賢さや美貌だったり。家柄や格式の差などで公には認められない場合もあるが、それ以外の条件が合えば本人たちの感情など二の次になる。

 それ故に、病弱で寝付いてばかりの娘を侯爵家が望んだ理由がわからない。

 別邸の使用人たちは、父に捨てられ母を亡くした私に毒を含んだ嫌味を吐いて、憂さを晴らすことを楽しんでいた。

 その中で何度も言われたのは、婚約破棄された瑕疵持ちの母を同情した侯爵が貰い受けた、と。


(あの侯爵()が、同情なんかで縁を結ぶはずなんてないわ。侯爵家の名誉を何よりも優先するあの(ひと)が……)

 

 ここはもう侯爵家の檻の中ではないし、私はすでに身分も名前も失った。


(悲しくはない。これは、自由――)


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