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 数日後の夕刻、食後のお茶を味わっていたところに、給仕と入れ違いに件の彼が現れた。

 何かを尋ねるたびに侍女たちから返ってくる「レイファ様」とは、彼のことのようだった。


「名乗りが遅れたね。僕の名はレイファ。ちょっとした才能を買われて、大公様の庇護を受けているんだ。でも、立場は平民だから礼儀は無用だよ? ところで、お加減はいかがかな?」


 戸惑いの濃い私の様子に気づいてか、レイファ様は流れるような所作で私の向かいの椅子に座ると、軽い口調で名乗ってくれた。

 人間味のある口ぶりに肩の力を抜き、姿勢を正して向き合った。

 侍女たちから報告を受けているのだろう。私が詳細を請おうと口を開きかけると、麗しい微笑でやんわりと抑えられた。無視や拒絶ではなく、焦るな急くなと紅い双眸は伝えてくる。

 私は喉元まで出かかった問いを飲み込み、落ち着くために肩の力を抜いた。


「だいぶ楽になりました。私のような得体の知れない者に、いろいろとお気遣いくださり、感謝いたします」

「だから、畏まったりしないでよ。僕もこの外見だ。怪しさなら負けてないからね。それに、貴女の身元はしっかりと確認させてもらった。ロイグラム侯爵家のエリュミナ嬢に間違いない」


 レイファ様の不可解な断言に、私は思わず息を詰めて彼を凝視した。

 ロイグラム侯爵家に、私が無事に保護されたと遣いの者でも送ったのだろうか? であっても、そんな簡単に私がエリュミナ本人だと断定できはしないはず。

 ましてやあの父のことだから、知らぬ存ぜぬを通して追い返すだけだ。


「確認……ですか? 何を根拠に?」

「貴女にとっては辛いことだろうが、心を乱すことなく聞いて欲しい。現在、王都の侯爵邸にはエリュミナと名乗る娘がいる。年頃は貴女と同じくらいで、侯爵も奥方もその娘をエリュミナと呼んで可愛がっているらしい。亜麻色の髪に若草の瞳の娘だが、覚えはある?」

「いっ、いいえ」


 鼓動がどくりと弾み、途端に息苦しくなる。

 レイファ様は、私ではない私が王都の屋敷にいると告げた。

 それは、誰? 私の名を騙り、父や継母に可愛がられている娘とは?

 胸の奥で、幼い私が蹲って泣いている。

 寂しいと。悲しいと。

 暗く埃臭い屋根裏は、存在を無視されていた私が、唯一弱音を吐ける場所だった。

 母が亡くなると同時に、母の私物は盗まれ掠め取られて、あっという間に消えた。残った物は、価値どころか忌まわしいと捨てられそうになっていた寝具の一部や簡素な器、そして、生前母がこっそりと手渡してくれた形見だけだった。

 屋根裏にそれらを集めて形見を隠し、辛い時にはもぐりこんで心を慰めた。

 あの場所がなければ、私の心は壊れていただろう。もしかしたら、己の手でこの世を去って……。

 息を深く吸い、ゆっくりと吐いて心を静めた。 


「私が知っているのは、父と義母の間に男児が生まれたと聞いたくらいで……」

「やはり」

「でも、エリュミナは私です!」

「大丈夫。解ってる」


 レイファ様は立ち上がると、時間をかけて手ずから薫り高いお茶を淹れ、私の前に置いた。

 食後に出された物と違って精神安定の効果がある茶葉らしく、酒気に似た香りが辺りに満ちる。一口二口味わうと、動揺で昂った感情が自然と落ち着いてゆく。


「それについても、しっかり調べてある。侯爵の後妻であるアンネラ様だが、彼女には侯爵家に嫁いで来る前から娘がいた。以前から彼女のもとに足繁く通う身分の高そうな男が周囲の人たちに目撃されていて、たぶん娘の父親だろうと噂になっていた」

「それなら耳にしたことがあります。母がまだ存命だった頃から、父は頻繁に愛人の屋敷に通っていたと。ですが、子供をもうけていたとまでは……」


 父が私と母を見捨ててからすぐに愛人を囲ったことは、別邸の使用人たちの噂話を耳にしていたから知っていた。でも、私と齢が近い子供をもうけていたなんて……。


「だろうね。貴女はともかく、愛人にできた娘なんてそれこそ関心が向かないものだろうし。しかし、今回は必要になった」


 そこまで言い終えたレイファ様は、改めて私を真っ直ぐに見据えた。


「先日もお伝えしたが、ロイグラム侯爵家長女エリュミナに、レーブル大公家から縁談が持ち込まれている」

「えっ?」

「レーブル大公デュオン様直々のご指名でね」

「たっ、大公殿下が私を望まれているとおっしゃっていたのは、婚姻のお話だったのですか!?」

「そうだよ。にも拘わらず、デュオン様が望んだエリュミナ嬢とはまったく違う娘が、その名を騙って侯爵夫妻と共に王都で暮らしている。そして――」


 ふいに言葉を切ったレイファ様は、ぎらりと底冷えのするような輝きを紅い双眸に灯すと、それはそれは物騒な笑みを浮かべる。

 怒りが見えるその眼差しは、実際にはここにいない者たちに向けられているのだろう。それを直視してしまった私は、思わず目を伏せた。


「アンネラ様が実家に残してきた娘は、先日隣国の大商人に嫁ぐ予定だったが、輿入れの途中で事故に遭い亡くなったという話だ」

「……どこかで聞いたような……?」


 レイファ様が怒るのは当然だ。侯爵風情が、彼の主である大公殿下を騙そうとしているのだから。それも、主が望むエリュミナを秘密裏に亡き者にしてまで。

 罵りが溢れ出そうなのを奥歯を噛みしめて堪え、さらりと流した。

 悲しさよりも腹立たしさが増しただけ。恨みよりもどうしようもない憐みが。


「そうだよねぇ。でも、真のエリュミナ嬢は、今ここに生きて存在している。さて、貴女はどうしたい? 私が正真正銘エリュミナ本人だ! と、公に名乗り出たい? それとも――」


 と、その時いきなりノックもなく扉が開かれ、大きな影が悠然と入ってきた。


「その先は私が話す。レイファ、座を譲れ」

「デュオン様、夜半に女性の部屋に無断で押し入るなど、少々不調法すぎますよ?」

「これはすまんな。気が急いていたのだ、許せ」


 大股で近づいてきた人物は遠慮することなく近づいてくると、椅子に座っていたレイファ様を見下ろして睨み、ついで私に顔を向けて詫びてきた。

 あまりのことに、私は呆気に取られて闖入者をまじまじと見つめていたが、すぐに相手が大公殿下だと悟ると慌てて腰を上げて膝を折った。


「そのままでよい。病み上がりの女性に礼を取らせるほど無粋ではないからな。さあ、椅子に戻って楽にしておれ」

「たびたびのお気遣い、大公――」

「閣下も殿下もいらん。公の場ではないのだから、対外的な儀礼など必要ない」


 白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた壮年の男は、大公殿下ことデュオン・レーブル大公その人だった。

 父よりも年上と記憶していたが、堂々たる覇気を漲らせた偉丈夫だ。体格に似合いの強面が私に向けられ、凄みのある紫水晶の双眼がじっと見据えてきた。


誤字脱字等ありましたら、お手数かと思いますが誤字報告くださるとありがたいです。

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