プロローグ
久しぶりの新作です。プロローグから二話までUPします。
今度はお貴族様の恋愛物ですが、人外も交えて「ちょっとだけざまぁ」な展開です。
ヒーローは前半に爪の先ほど、中盤から大々的に登場になります。
気長にお読みくだされば幸いです。
では、よろしくお願いします。
冷たい。
心臓が止まりそうな冷たさに、密かに盛られた眠り薬と墜落の衝撃もあって、腕や足を動かそうにも力が入らない。
息苦しさに思わず口を開けてしまえば、僅かばかりの息さえ流れに奪われた。ゆっくりと全身が痺れ、朦朧とした意識は闇の底へと引きずり込まれ……。
(――ああ、私は死ぬのね)
抗うことは、もう止めた。本当の自由がようやく訪れる。
誰かに傷つけられることも、ささやかな期待を裏切られることもなく、侯爵家と言う檻から解き放たれて、やっと母の許に旅立てる。
心の奥で焦がれ切望していた死が、とうとう私を攫いにきてくれた。
冷たさに痺れていた全身はいまや感覚も遠く、死出の旅路が少しは楽になる。
魅惑的な死神の腕に身をゆだねようとした時、強い力で何かに包まれた。熱く感じるほどの抱擁に、冥府に向かいかけた足が強引に引き留められる。
地の底に誘う死神の冷たい腕ではなく、誰かの熱く生気溢れる鼓動が、消えかけた『私』を引きもどした。
(――安易に手放していいの? お母様がずっと大事にしてくれていたエリーを!)
意識だけは心地のよい場所へと運ばれ、今度は羽毛のように優しく撫でさすられた。
ひと撫でごとに絶望は消え、なんとも懐かしい想いが溢れてくる。
『間違いが起こる前でよかった……。妾は間にあった……』
繊細な指先が、私の頬を優しく撫でる。
母の慰撫を思い出し、私はふと微笑んだ。
「誰?……お母様なの?」
『エリー、すまぬな。妾たちのせいでいらぬ重苦を味わわせてしもうて……。ほんに、すまぬ』
なのに、その優しい手の持ち主は悲しみと後悔のこもった震える声音で私に詫びるのだ。
母ではない、優しい御方。
ぽつりぽつりと私の頬に水滴が落ちる。それを指先が拭い、何もなかったようにまた撫でる。
『だが、まだお前の苦しみは続く。それを堪え、生きて真の幸福を掴んでおくれ。……愛しいエリー』
また雫が落ちた。今度は前髪の生え際付近に。指先はそれを拭うことなく、雫は徐々に額に滲んで消えた。
(どうしたの? 私に何を詫びているの? まだ、私は生きているの?)
薬によって身体の自由を奪われ、どことも知れない山奥の断崖から谷底に馬車ごと落とされ、凍えるような冷たい渓流に沈むしかなかったのに?
誰も私の生を望んでいなかったはずなのに?
『もう大丈夫だ。己の生を諦めるな!』
若草のような爽やかな匂いと共に、低い囁きが私を励ます。
あなたは誰? と問いたくても自由はきかず、ただ強烈な熱を感じただけ。
これはきっと夢。夢の中で起こったまぼろし。
眠りに引きずり込まれながら、初めて手渡された願いを夢でもいいからと胸に刻んだ。
生きなければ、と。




