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駅で大泣きしていた変な女は、学校で『妖精』と称される超絶美少女だった

作者: かきつばた

 ――女が一人、目立たないベンチに座って泣いていた。


 それに気づいたのは俺だけ……かはわからないが、足を止める者は皆無だった。

 俺だって、そもそも素通りを決め込んだ。気が付いたのはたまたま。見なかった振りをしよう、と。

 

 でも印象に残ってしまった。女は、うちの高校の制服を着ていた。

 

 いつも通学に使っている地下鉄なのに、今日は地上への階段がやけに多く感じた。段々と足が重たくなってくる。どんどん周りの人間は俺のことを追い越していく。迷惑そうにする者もいるが、だいたいは無関心に、機械的に。


 何やってるんだと思いつつ、俺は踵を返していた。こんなものはただの自己満足からくる偽善行為。頭の中では理解しながら、階段を下りる足は止まらなかった。

 俺は決して善人じゃない。他人に見返りを期待する、打算的な人間でもない。この行動原理は、ただの気まぐれだ。なんとなく見過ごせなかった。

  

 人気が全くない駅のコンコースは別世界のような、不思議でどこか心細くなる雰囲気が漂っていた。間延びしたピンポン音が、それに一層拍車をかける。


 女が座るベンチは、階段の陰にあった。この通路の先にはエレベータがある。でも、そこから人がやってくる気配は微塵もない。

 

 一歩一歩、そっと近づいていく。女にはまるで存在感がない。ただ静かに顔を伏せ、肩を震わせるだけ。

 だから実際には泣いていないのかもしれない。でも、もの悲しい雰囲気を放っている。俺はそう思ってしまった。


 女の前で足を止める。彼女が俺に気づいた様子はない。あるいは、気づいていてなお無視しているか。とにかく、ずっと顔を下に向けたまま。

 彼女の素性を判別できる要素は、その服装以外になかった。やや青みがかった黒髪はとても長く、顔を伏せているせいで、あたかもベールのようになっていた。ガッツリと手で顔を覆い、ブレザー姿特徴的なものは何一つない。持ち物はといえば、飾り気のない普通のスクバが、その足元にぽんと置かれているだけ。


 俺にとっては、女が誰かは至極どうでもよかった。公共の場で泣くとい異常事態が、目の前で起きている事実だけで十分だ。


「おい、アンタ、大丈夫か?」


 はっきりと、相手の耳に届くように声を出す。ちょっとばかりの緊張を感じながら。


 女はピクリともしない。ただ延々と泣き続けるだけ。これこそまさに、人目も憚らず。この世界には、自分しか存在しないかのような振る舞い。その姿に心の奥底に押し込んだ何かが、ほんの僅かに疼きだす。


 聞こえてないわけがない。こいつは強く俺を拒絶している。それは逆に、何でもないことの証だ。俺に、他人にできることは何もない。


 それでもなお、俺はこの場を離れることができなかった。もう一つだけ呼びかける。それは自らに対するアリバイ工作。


「大丈夫か?」


 さっきよりも、ずっとぶっきらぼうに。もはや返事なんて、欠けらも期待していない。こんなことをしておいて、なんていう酷い自己矛盾だろう。自分でも、思わず顔を顰めてしまう。


 やはり答えはない。謎の安堵を覚えながら、俺は踵を返す。


「ひっく、ひっく……大丈夫、です」


 消え入りそうなほどか細い声だったが、はっきりと聞き取れてしまった。反射的に、俺はぴたりと足を止める。


 やや生まれる微妙な間。背中から困惑する気配が伝わってくるが、それはこっちだって同じこと。  


 果たしてどうしたものか。迷う余地はないのだが、なかなか振り返るまでには及ばない。


「あの、どうしたんですか……?」


 しまった。向こうから声を掛けられてしまった。数秒の間に立場が逆転。それはこっちのセリフだ。


 俺は黙ったまま、またその場でターン。ちょっとだけ決まりが悪い。


 女はちゃんと立ち上がっていた。しっかりとこちらに顔を向けて。ところどころ、顔には髪の毛がくっついている。目元から顎にかけて、謎のラインがはっきりと。そこに真っ赤な目鼻が加われば、これはもう泣いていたことは確定だろう。


 涙の後処理をせず、彼女は口をぽかんと開けて焦点の合わない目を向けてくる。明らかに不審がってるな、これは。やけにまばたきが多いのが、ちょっと気になった。


 とりあえず、俺は制服のポケットに手を突っ込む。折り畳まれた布に行き当たり、それを引っ張り出して彼女に突き付けた。


「使えよ」

「…………へ?」


 一瞬にして、女の顔に驚きが広がっていった。俺の顔とハンカチを交互に見比べるだけで、手を伸ばしてこようとはしない。


 仕方ないので、ハンカチを握る腕を軽く上下させた。それでようやく、彼女は受け取った。


 ぽんぽんと、丁寧な仕草で女はハンカチを自らの顔に押し当てていく。乱れた髪を軽くながら。


 俺は黙って、彼女が落ち着くのを待っていた。手持無沙汰でかなり気まずい。エレベータの方が気になって、そっちの方を気にしながら。


「あの、ありがとう。洗って返すね」


 ようやく落ち着いたらしい。といっても、しっかりその顔を見れば泣いていたことは丸わかり。でもいくぶんか、先ほどよりも顔色はいい気がする。


 その顔には微かな笑みが浮かんでいた。大きな丸目はどこか人懐っこそうな印象を与える。


 女は俺のハンカチを握りしめていた。やや眉を顰めながら、俺は腕を伸ばす。これ以上、こいつに関わるつもりは毛頭ない。


「その必要はない」

「あ、あの、それはちょっと……」


 すぐにその顔が曇った。何かを躊躇うように、伏し目がちに。


「は? それ、俺のハンカチなんだが」

「そうだけど。だってその、これあたしの使ったやつだよ。汚いというか、いや、あのそういうので興奮するんだったら――」

「なにくだらないこと言ってんだ、アンタ」


 女は勝手な妄想を口にして、慌てふためいていた。


 開いた口が塞がらなかった。早急にこの場を立ち去りたい。女も大したことないようだし。話しかけて損をした、とまでは言わないが、ちょっと拍子抜けな気分。こんなところで泣いていたくらいだし、変な奴だろうとは想像がついていたが。

 

「わかった。ハンカチは返さなくて結構だ」

「……えっ、それは悪いって」

「いいから。最悪、ゴミ箱にでも捨てたらいい」

「それはもったいなくないかな」

「とにかく、もう平気なようだし、じゃあ俺はこれで」


 無理矢理会話を打ち切って、俺は帰ろうとする。三度目のターンはなんとも馬鹿らしい。


 でも、女が素早く俺の前に回り込んだ。なかなかの身のこなし。


「ちょっとちょっと、いきなり話しかけてきてもう帰るわけ?」

「別に何ともないんだろ、アンタ。じゃあいいじゃねえか」

「いやいや、泣いていた理由とか聞かないのかなーって」

「それをアンタから言うのか……」


 そういうのは、普通隠しておきたいものだと思うが。この女の場合、病気や怪我とかが理由じゃないようだし。

 十中八九プライベートな問題。さすがにそこまで首を突っ込むことはしない。ろくなことにならないのは、経験からわかりきっている。


「アンタの事情なんて、爪の先ほどの興味もない」

「うわっ、結構バッサリ言うなぁ、キミ。傷つく~」


 おどけた言い方。凹んだ表情はわざとらしい。


「じゃあさ、興味ないならどうしてあたしに話しかけたの?」

「さあな」

「…………ぷっ、あはは! 『さあな』って、なあにそれ?」


 女は盛大に笑いだした。泣き顔の痕跡を全て吹き飛ばすような勢い。俺は文字通り腹を抱えて笑う人間をしばらくぶりに見た。


「そっか、そっか。いやぁ、キミって意外と面白い人なんだね。もっと怖い感じかと思ってた。むすっとしてるし」

「生まれつきこの顔だ、悪かったな」

「ああ、ごめんね。気を悪くした?」

「いや別に。よく言われることだ」

「そうなんだ」


 女はさっきからずっとニコニコしている。朗らかで活発的なタイプなのだろう。

 段々とさっきの泣き姿が不鮮明になっていく。今目の前にいる女と、頭の中にある像が全く結びつかない……変な奴に変わりはないけれども。


「で、そろそろどけてもらえるか? いい加減、帰りたいんだが」

「えー、もうちょっとお喋りしようよ~、せっかくだし!」

「何がせっかくだ。面識のない奴と話し込む趣味なんてないし、そんなに暇人でもない」

「…………面識がない、ねぇ」


 薄笑いを浮かべながら、彼女は俺の放った言葉を繰り返した。にやにやと目を細めて、底意地の悪さが前面に出ている。


 もしかすると、こいつは俺のことをどこかで見かけたことがある、とか。同じ高校だ。ないとはいいがたい。でもそんなの、覚えているものだろうか。


「まあいいや。ってかさ、キミって結構まわりくどい話し方するね」

「言ってろ」


 ぞんざいに吐き捨てると、女はぺろりと舌を出して肩を竦めた。なかなかの煽りっぷりだと思う。


 その横を通って、階段の方へ。さっきアナウンスが流れていたから、そろそろ次の電車が来てもおかしくない。帰宅ラッシュに巻き込まれるのは、非常に息苦しくていやだ。


「ありがとね、声かけてくれて」


 その声音は今までとはまるで違っていた。とても真っ当な言葉に、俺には聞こえた。


 つい足を止めてしまう。意味はないとわかってはいても。ただ身体は依然、前に向けたまま。


「ハンカチ必ず明日、返すね」

「さっきも言ったろ。その必要はない。もう二度と会うこともないだろうからな」

「そうかな?」

 

 くすりと、奴が笑みをこぼしたのがわかった。


 聞こえなかったように、俺は大きく一歩を踏み出す。そんなことはない、心の中で強く言い切る。そんな必要はない、気まぐれは一度だけだ――




        *



(まじか……)


 教室に入る直前、俺はつい固まってしまった。間違ったはずはないとわかっていながら、教室表示を確認する。


 最窓際後ろから二番目――俺の席に座っている奴がいた。それはいい。確固たる占有権を主張するほど、自らの座席に執着心は無い。


 問題はその犯人。


「お、来た来た。やっほー!」


 堪えかねて足を踏み入れるなり、一際大きな声がした。騒がしかった教室が一斉に静まり返る。


 俺の席に座っていた奴が、勢いよく手を振っていた。おそらく、こちらに向かってだと思う。


 流石にその顔には見覚えがあった。昨日の今日だし。初めて見かけた時と違って、今回は泣いてはいないようだ。


「や、やめなよ、アヤハ。ヤバいって」

「えぇ、だいじょうぶだよ~。鹿久保しかくぼくん、いい人だから」


 どっちも勝手なこと言ってやがる。一方は、前席の女子だった。プリントを渡してもらう時くらいにしか、面識はない。


 にしても、俺の名前まで知っているとは……当たり前か。あいつがここにいることが、その証拠みたいなところはある。


 手を振ってくるのは無視して、奴のもとに急ぐ。到達するなり、無造作に鞄を床に置いた。


「おはよっ!」

「どうしてここに?」

「やっぱ気づいてなかったんだ。あたしたち、同じクラスだよ?」


 はぁ、と女は大きなため息をついた。だが、すぐに唇を尖らせて、上目遣いに睨んでくる。


「クラス替わったばかりだから、気づかなかったんだ」

「あっ、そか。なるほどね~。だったらしょーがないかな」


 ポンと、女は手を叩いた。その顔いっぱいにすぐに笑みが広がる。単純な奴め。

 今のはもっともらしい言い訳だ。本当は、クラスメイトの顔なんて覚える気がない。どうせ、必要以上に関わるつもりはない。


「で、何か用か? 俺の席にいるのは、偶然じゃあないんだろ」

「察しがいいねぇ、鹿久保君は。これだよ、これぇ」


 彼女が取り出してきたもの、それは奇麗に折りたたまれたハンカチだった。その柄には見覚えがある。


「はい、やっぱり返すよ。もらっちゃうと悪いし」

「それは、ご丁寧にどうも」

「ちゃんと洗ってあるから。舐めても洗剤の味しかしないよ?」

「…………何か言ったか?」

「やだなぁ、もう、冗談ですってばぁ」


 全く悪びれた様子はない。明らかに俺をおちょくってる。話し方とその笑顔がなんともまあ腹が立つ。


 この女、ホントとんでもないことばっか言うな。頭がぶっ飛んでる……前席の女子もとても驚いた顔をしてるぞ。

 こっちはもっとも、俺のことを気にしての表情かもしれないが。


「用は済んだよな。どいてくれ。座りたいんだ」

「実はねぇ、もう一個あるんだ~」

 

 我が物顔で、彼女は机の中に手を突っ込んだ。すぐに中から、長方形の平たい箱が出てきた。もちろん、俺に見覚えはない。なんてことするんだ、こいつは。


「ホントはサプライズにしようと思ったんだけど。鹿久保君、こんなに早く来るとは思わなかったから」

「人を遅刻の常習犯みたく言うな」

「実際、まだ四月なのに、何度も遅刻してるよね。あと、欠席も多いし」


 どこか勝ち誇った顔をしながら、女は箱を突きつけてきた。一瞥すると、ハンカチのパッケージだというのがわかった。


「これは……?」

「昨日のお礼。『もうちょっとおしゃれに気を遣った方がいいよ、キミ』ってことで」

「余計なお世話だな。……わざわざ用意してもらったのに悪いが、俺は感謝される様なことをした覚えはない。だから、礼なんて不要だ」

「えぇ…………ありがたく受けときなって。それに、もし要らないならごみ箱にでも捨てたら?」


 冷やかすように言うと、女は目を細めて唇の端を微かに曲げる。そして、力強くハンカチの箱を俺の胸に押し付けた。


「はあ。わざわざどうも」

「いえいえ、お気になさらず~」


 釈然としないながらも、おずおずとお礼の品とやらを受け取ることに。このまま問答続けることの方が面倒だ。この女、なかなかに素晴らしい性格をしている。


 …………奇妙な間ができた。微妙な空気、俺と女は言葉を発することなく、ただ視線を交わし合うだけ。


「どしたの?」

「それはこっちのセリフだ。用は済んだろ。さっさと退いてくれ、座りたいんだ」

「えー、まだいいじゃん。先生来てないんだし」


 何がまだいいのかは全くわからない。担任の存在の有無と、俺がこの席に座れないことは少しも関係ないと思う。


「ちょっとどこ行くのさ?」

「どうせホームルームが始まるまで数分だ。今すぐ、アンタに退けてもらう必要はないだろう」


 踵を返して、来た道を戻る。時間を潰すあてなんて一つもないが、それでもここにいるよりはマシだ。


「アヤハ! 何やってるの、鹿久保に話しかけるなんて。見てるこっちがハラハラしたわよ」

「カスミン、なにかっかしてるの? そういう言い方は――」

 

 カスミンとやらの反応の方が普通だ。俺はクラスの中で浮いている。その自覚もある。


 だからこそ、カスミンには頑張ってもらいたい。もう二度と、こんなことが起こらないように、是非とも説得してほしいものだ。




        *




 あの変な女――華宮綾芭はなみやあやはは俺とは真逆の人間と言える。彼女の周りには人が絶えることはない。ありていな言い方をすればクラスの人気者。


 休み時間、ぼんやりと眺めて出した結論がこれだ。


「いやいや、クラスのじゃない。学年……学校全体でも人気あるぜ~」


 彰吾しょうごはにやりとした顔で言うと、最後の一切れのトンカツを頬張った。


 ずいぶんと大げさな言い方だな。頬杖を突きながら、奴が咀嚼し終わるのをゆっくりと待つ。いい時間だから、さすがに食堂は空き始めていた。


「色白で巨乳、顔もアイドルみたい。それに、明るくて誰にでも分け隔てなく優しくて、おまけに体操部! 人気にならないわけがないわけがないってやつだな」

「部活は関係あるのか? それに、なぜ『わけがない』を二回言う……」


 肯定してるのか、否定してるのか、頭がこんがらがってきた。これをおそらく、本気で言っているのだから、恐ろしい。

 呆れた気持ちを水を飲んで押し流す。


「あるさ! レオタード姿ってやつ? すっげえかわいいんだって。通称、新栄しんえいの妖精!」

「妖精、ね。とりあえず、やたらと興奮するのをやめろ。気持ち悪いぞ、お前」

「もうっ、正宗君ったら、厳しいんだからぁ」


 強く一睨みしてみるも、この男には効果はなかった。調子のいい薄ら笑いは残ったまま。

 いつも通りの軽薄そうな姿に、ため息が出た。コップが空なのが惜しい。


 他クラスのこいつがここまで言うんだから、少なくとも学年全体には、華宮綾芭の存在は知れ渡っているんだろう。

 確かに、クラスの連中と話している時もいつもニコニコしてたし、顔の造りも一般的には悪くないと思う。


 だから、ますますあの泣き顔の像が崩れていく。とてもあんなことをするタイプじゃない。


 あれだけ周りに人がいれば、悩みなんて誰にでも相談できるだろうに。……その行為がいつも最善じゃないと知っていながら、俺はそんなことを考える。


「しかしびっくりだよ、あの正宗が、女子に興味……それもあの華宮綾芭とはなぁ。なんだい、明日は大雪かい?」

「とんだ異常気象だな、それは」

「でもたまにあるよね」

「この土地でも、流石にねーよ」


 少なくとも、もう五月に近いこの時期に、雪の上を進んだ記憶はない。

 

 華宮にそこまでの興味があるわけじゃない。休み時間も意識して見てるわけじゃなかった。

 彰吾に話を振ったのは、ただの雑談のつもりで。俺とは違い、奴はそれなりに周囲の情報には敏い。


「お、いたいた。おーい、鹿久保君!」

「あら、噂をすれば四十九日ってやつだね」

「諺をミックスするな」


 彰吾のボケを捌きつつ、俺はたちまち苦い気分になる。

 

 俺の方は振り返らなくても、出入り口の方が見える。だから、声を掛けられる前から、あいつの存在に気付いてしまった。


 近づいてきた華宮は、当然と言った感じに俺の隣に座った。せめて彰吾の隣に座って欲しい。


「あれ、鹿久保君の友達?」

馬崎まざき彰吾、友達ではないな」

「相変わらずだね、正宗は」

「馬崎……鹿久保……ああ、キミが馬崎君なんだ。うわさは聞いてるよ~」

「どうせあれでしょ、こいつとセットで、馬鹿コンビってやつ」


 馬の方が嫌そうにこちらを指さしてきた。


 彰吾とは一年の時に同じクラスだった。比較的ツルむことが多かったのと、どちらも浮いていたから、陰でそう呼ばれていたことは知っている。……彰吾が教えてくれた。


「う~ん、そう呼ぶ人もいるね。でもひどいと思う。あたしはそういう名前弄りって言うの、嫌いだな」

「やばいよ、正宗。この子、天使だ。俺、好きになっちゃった」

「単純だな。そもそも、例のセンパイはどうしたんだよ」

「人が誰かを好きになるっていうのは、誰にも止められないんだ」


 何言ってんだ、こいつ……顔に似合わず詩人みたいなこと言いやがって。

 こいつもまた、華宮とは別ベクトルで変な奴だった。


「えっ!? ええと、その……」

「冗談みたいなものだから、無視すればいい。こいつに気があるんだったら、別だが」

「あの、ごめんね、馬崎君」

「謝られると、逆に傷つくなぁ」


 わざとらしく落ち込んだ様子を見せる彰吾。華宮はそれを見て、少しだけあたふたしている。


「じゃあ俺はこれで」

「待って、待って。ようやく見つけたっていうのに」

「…………あのな、俺に構わないでくれ。昨日のことは秘密にしておいてやるから」

「昨日、秘密!? おいおい、正宗。いったい華宮さんと何が――」

「お前の想像しているようなことは一ミリもないから安心しろ」


 ったく、本当に面倒くさい。朝のやり取りで全てが済んだと思っていたのに。


「昨日のことは別に……そりゃ、黙ってくれればうれしいけど。あんな恥ずかしい姿」

「恥ずかしいっ!? まさむ――」

「うるせえ、彰吾」


 身を乗り出してきた彰吾の無防備な額に、デコピンを一つくれてやる。食堂の中に、乾いた音が小気味よく響いた。

 そのまま奴は額を押さえて丸まった。悪は滅びた。


「じゃあ、なんで俺を探してた?」

「聞きたいことがあって、放課後何か予定あるかな」

「ああ。いっぱいに詰まってる」

「嘘つけ、正宗。バイトのシフト減らしたし、暇なんじゃなかったの」

「てめえ、余計なことを」

 

 どうやらデコピンの威力が足りなかったらしい。いっそのこと、弁慶の泣き所でも蹴っ飛ばしてやろうか。


「そうなの? ってか、バイトしてるんだ」

「アンタには関係ないだろ」

「……いやぁ、ホント面白いなぁ」

「ね、そうでしょ。こいつ、見た目がいかついだけで、中身はそんなとっつきづらくないんだよ」

「わかる、わかる~。意外と、優しいし」


 見当はずれな俺の評価で、二人は盛り上がっていた。つい、眉がぴくぴくと動いてしまう。

 だが、反応するのはこいつらの思う壺なのはわかっていた。


「じゃあな、彰吾。俺は戻るから」

「なんだよ、せっかく華宮さんがいるんだぜ? もう少し話していこうよ」

「ご自由にどうぞ」

「あ! じゃああたしも一緒に――」

「ついてくるな」


 腰を浮かせかけた華宮を、呆れた口調で制しておく。そもそもこうすることにしたのは誰のせいだと思っているのか。


「むっ、強情だなぁ、キミ。いいよ、いいよ。一人で戻るから。邪魔してごめんね。馬崎君も」

「いえいえ、そんな全然。妖精様と会話できて役得というか……」

「よ、妖精!? は、はずかしいな……やめてほしいんだよ、そんな大げさなあだ名」


 その狼狽えようにあからさまなところはない。顔が見事に赤く染まっている。

 誤魔化すように、今度は華宮が立ち上がった。入れ替わるようにして、俺は再び席に着く。


「じゃあ放課後よろしくね…………正宗君!」


 たったと駆け足気味に、華宮は出ていった。食堂を走るのはいかがなものかと思う。


 いや、そんなことよりも。あいつ最後、なんて言った?


 同じことを思ったのか、彰吾の顔はかなりニヤついている。


「同じはぐれ者の誼みでいっとくよ。明日から有名人だ、おめでとう正宗」

「シャレにならない冗談はやめてくれ……」




        *




 あんな風に言われたところで、はいそうですか、と手をこまねいて待っているわけがない。ホームルームが終わった瞬間に、俺は真っ先に教室を出た。

 がらがらの校舎を通って、最短距離で玄関に到着した……はずなのに。

 

「ふっふっふ~。お見通しだよぉ」


 あの女は俺の靴箱の前で仁王立ちを決め込んでいた。不敵な笑みを浮かべて。


「……どうなってやがる」

「全力で回り込んでみました」


 答えになっていないと思うが、藪蛇な気がした。

 

 何はともあれ、こうなるとこいつを無視して帰ることはできない。上履きのままで帰るなんて暴挙に、さすがの俺も出たくない。


「なんなんだ、お前はいったい。なんでそんなに構ってくる?」

「クラスメイトのことを知りたいと思うのは、普通じゃん。しかも超変人と噂の人ならなおさらさ」

「俺はそうは思わないね」

「……変わってるって自覚無いんだ」

「そっちじゃねえよ」


 こんな生活をしておいて、自分は周りと変わらないと思っていたら、ヤバい奴だ。


「というか、アンタ。鞄なんか持って、部活はどうした?」

「昨日はあたしのことわからなかったくせに、もう部活のことは知ってるんだ! 耳が早いなぁ、なになに、あたしにそんなに興味を持ってくれたわけ?」

「勝手に言ってろ」


 ふふっ、と華宮は笑みを溢す。微笑ましいものでも目の当たりにしたように。


「あたしはキミの噂、けっこー知ってるよ? 遅刻欠席は当たり前。気に入らない先生に喧嘩売ったり、中学では同級生と派手な揉め事を起こした、とか」


 マユツバとは思ってるけど、と奴ははにかんだように笑った。


 どれも根も葉もない、とは言えない。心当たりのあるものはある。だからといって、今さら指摘されたところでなんとも思わない。


「実際はさ、不真面目なくらいだよね~。見た目はちょっと近寄りがたいとこはあるけどね」

「お前、本人を目の前にしてよくそんなこと言えるよな」

「キミって、そこまで悪い人じゃないと思うんだよね。泣いてるあたしに声かけてくれたでしょ。今だって、強くは拒絶しない」


 断定するような強い口調に、俺は言い返せなかった。自分のそんな一貫性のなさが、恥ずかしくなってくる。


 段々と、一階部分が騒がしくなってきた。本格的に生徒の下校が始まったようだ。


 普段はなんとも思わないのに、今だけは気になってしまう。この状況は、絶対より面倒なことに繋がる。それこそ、彰吾の言っていたような。


「アンタの用が何であれ、とりあえず場所を変えないか。ここはちょっと人目に付き過ぎる。アンタも困るだろ」

「別に? あたしは気にしない……ううん、気にしたくないんだけど」

「…………俺が気になるんだ」

「あれ、意外。キミでも周りの目を気にすることがあるなんて。じゃあ、カフェでも行きますか。元々、そのつもりだったし」


 やっと華宮は靴箱の前から退いた。どこか勝ち誇ったような表情を見せてから。そのまま自分の靴箱の方に移動する。


 まんまとしてやられた気分だ。ここから逃げる、という手段もあるけど、問題を先延ばしにすることに変わりはない。

 俺は大人しく、華宮と一緒に学校を出た。


 少し距離を取って、あいつについていく。登下校の道とは逆の方向。


 やってきたのは、近くにあるコーヒーチェーンだった。


「……い、いやぁ、ごめんね。おさいふ忘れたの、全く気付いてなかったや」

「人を誘うつもりがあったんなら、絶対にありえないことだと思うけどな」

「うっ、ぐさりと来る……」


 注文を済ませて、商品を持って空いたところに座る。二人掛けの座席、ソファ側の方を華宮に譲った。


 バイトを減らした身としては、痛い出費だ。こいつの分まで払うことになって、すっかり財布は寂しく……。


「鹿久保君、ブラックコーヒー飲めるんだ! おっとなぁ~」

「大人でも苦手な人はいるだろ」

「出た、お得意の屁理屈!」

「帰っていいか?」

「……ば、場所を変えようって言ったのはそっちでしょ」

「もともと話したいことがあったんじゃないのか」


 華宮はすっかり押し黙ってしまった。気にせず俺は、コーヒーを飲み進める。


 改めて考えれば、どうしてこんな状況になったのか。ちょっとよくわからなくなってきた。


 本来、目的を持っていたのは向こうの方なのに、一向に口を開く気配はない。先ほど買った、よくわからない飲み物にも手を付けない。ただ時間が、ゆっくりと過ぎていく。


「繰り返しになるが、こんなとこでゆっくりしてていいのか? 部活は――」

「つい最近辞めたの。この間、ちょっと怪我しちゃって。小さい頃からずっとやってたけど、もういいかなって」

「それが泣いてた理由か?」

「…………さあて、どうでしょう?」


 弱々しい笑みは、今日のこいつより、昨日の女の雰囲気と合致する。


「なんかさ、無償に泣きたくなる時って……鹿久保君にはないかな。見るからに強そうな人だから」

「…………まあちょっとはわかる気もするけどな」


 自然と言葉が出ていた。気まぐれだなんだと言い訳しておいて、あの時声を掛けようと思った一番の理由は、つまるところそれだった。


 華宮はちょっと意外そうな顔をした。アーモンド型の目がぐっと丸くなる。


「いや、今のは気休めだった。忘れてくれ」

「……ふふ、鹿久保君はやっぱりおかしな人だ」


 ほっこりしたように言うと、ようやく彼女は飲み物に口を付けた。


「お前に言われたくねーよ。金持ってないのに、人をより道に誘うような奴にはな」

「もうっ、何回も言わないでよ! あたしだって反省してるし」


 あのしおらしい感じは一瞬にして消え去っていた。でもそれは決して気のせいじゃない。妖精だなんだと謳われるこの女にも、全く違う一面がある。


 それを知ったからと言って、俺はこいつと仲良くするつもりは毛頭ないが。……それは俺の役目じゃない。


「それじゃあな」

「……へ? 待って、待って。意味わかんないだけど」


 空になったカップを見せつける。カフェとは飲み物を飲むための場所。長居しようなんて殊勝な気持ちは微塵も湧かない。相手がこいつだとなおさら。


「金は別に返してくれなくていい。代わりに、俺にはかかわらないように」

「えー、どうしてよ?」

「逆に訊くが、どうしてそんな俺に構おうとする? 俺とアンタに、クラスメイト以外の接点はないじゃないか」

「あたしの泣き顔を見たのが、キミだけ、だからかな」


 華宮は悪戯っぽく言い放った。どこまで本気かは全くわからない。


 俺は一つ鼻を鳴らして、出口に向かって歩き始めた。


「また明日ね、正宗君」

「…………名前で呼ぶな」

「いいじゃん」


 この時点で俺はもう嫌な予感がしていた。いや、もっと言うならば、声をかける前から面倒事に発展する予感はあった。


 すっきりと晴れ渡る空を、こんなにも忌々しく思ったことはなかった――




        *




 昼休み。今月、いや、通算でも何度目かはわからない遅刻。

 担任に顔を見せてから、俺は教室へと向かった。


「はい、昨日借りてたやつ」

「…………話、聞いてなかったのか?」


 着席するなり、華宮が飛んできた。ちらりと奴がさっきまでいた場所に目を向けると、そこには小さな人だかり。その誰もが、こちらの方に目を向けている。


 机の上には、昨日の飲み物代と書かれた封筒が乗っている。置くときにチャラチャラと音が聞こえたから、その中身は硬貨だろう。


「それってさ、お金返せばキミをからか――話してもいいって、ことだよねぇ」

「自分のいいように解釈するな」

「知りませーん」


 けらけらと、華宮は明るく笑い飛ばした。


 その顔を強く睨むものの、奴は少しも怯む素振りを見せない。


「威嚇しない、威嚇しない。これからも仲良くしよーよ、正宗君」

「あ、綾芭!? 鹿久保とどうしてそんな親しそうに――」


 前の席の主、俗称カスミンがこちらを振り返った。ずっと聞き耳を立てていて、もう我慢の限界だったのかもしれない。


 その隙に、俺は封筒を掴んで立ち上がる。制服のポケットにねじ込んで、ここからの脱出を図る。


「あ、逃げるな!」

「便所だ、便所」

「ちょっと、女子に向かってそんなこと言わない!」


 無視して、一気に出口へ。


「そうだ! 正宗君、今日の放課後はどこに行こうか?」


 ドアをくぐる直前で、あいつは叫びかけてきた。とてもわざとらしい口調で。


 教室が一気に色めき立つ。それを感じながらも、俺は廊下に出て目の前の階段を駆け下りていく。


 結果論だが、あの女を無視すればよかった。ほんの気まぐれは、通過点にしか過ぎなかった俺の学生生活を粉々にする一撃となった。


 人と関わるのをなるべく避けて生きてきたのに、まさか最もヤバい奴に引っかかるなんて。

 俺は昨日の自分を激しく呪った。同時に、不完全な今の自分もまた。


 華宮綾芭は妖精なんかじゃない。俺にとっては、悪魔のような女だ。これからどうなるのか、それを思うと深い絶望を感じるのだった。

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