夜光−闇夜街
「――何だ、こりゃあ……?」
地下へと深く降りていくエレベーターの中でシンは呟いた。壁がない、むき出しのそこから見える眼下は、まるで小さな街だった。明かりはほとんどなくて薄暗いが、大きなドーム型の空間に建物が立ち並んでいる。普通の住宅のような一軒家、アパートやマンションのような集合住宅。碁盤の網の目のようにきちんと区分けされているのが、エレベーターの眺めから分かった。
「ここが闇の世界における最強組織の基地。闇夜街です」
「闇夜街……」
サラの言葉を反復しながら、シンが街を見下ろす。やがてエレベーターが止まると、柵だけの扉が開いた。エレベーターを降りてから頭上を見ると、真っ暗で天井がどこまであるのか見えない。何百メートルも降りているのが、エレベーターに乗っていた時間の感覚で分かる程度だった。
「なあ、先生……。これって、夢か何か?」
「さあな。少なくとも、私は幻を見ているつもりはない」
倉田が返し、歩き出したサラの後ろについていく。少しも驚くことなく、倉田は状況を呑み込んでいるように見えた。一方のシンはついていくのが精一杯で、何だか頭が混乱しそうな気さえする。
「待ってっての」
小走りになって倉田を追いかけ、シンは歩いていく。街に人影はほとんどなかった。時折人を見かけるが、誰も彼もこちらに大して興味を示すことがなかった。脇を通り過ぎても少しも視界に入っていないかのように、すれ違うだけだ。何だか不思議に思いながら、シンは街を見ながら歩いていく。建物は地上のそれと変わらないが、どうにも静まり返った雰囲気をしていた。
「ここは、我らの組織の本拠地であると共に、組織の人間の住まう土地でもあります。一人一人に家が与えられ、そこに住みます。あなた達にも与えられます。組織の人間といえども、戦闘員ではない者もいます。そういった者は街の管理や、戦闘に直接関係のない仕事をして生計を得ることになります。そういった者を戦闘員と区別して、守人と呼びますが、戦闘員と守人に上下関係はありません。何故なら、守人がいなければこの街は機能しなくなるから」
「つまり、守人がいなければあらゆる町の機能が麻痺をする。守人とは文字通り、町を守る者。戦闘などの前線に赴くことはないが、後方支援を主として活動をしている。そういう解釈でも構わないだろうか?」
倉田がサラの説明に対して言うと、彼女はこくりと頷いた。正直、シンはいまいちよく分かっていなかった。
「そして、我らが組織には二人の司令がいます。戦闘員を率いる、第一の司令・紅。そして、守人を率いる第二の司令・蒼。この二人が、我らの大将です。今から、紅司令に謁見をしに行きます。くれぐれも、粗相のないように。特に、影宮真吾さん」
特に、とまで付けられて言われ、シンは眉をひそめた。だが、粗相と言われてもきちんとした態度というのがどういうことをしていればいいのか、いまいち分からない。難しい顔をしながら一応頷いておいた。
それからしばらく、何も喋らずに歩き続けた。道はひたすらまっすぐで、エレベーターを降りてから一度も曲がることはなかった。やがて、先に立派なお屋敷のような建物が見えてくる。趣のある、古風な洋館だ。ご丁寧に外門まであり、そこでやっと立ち止まる。
「開けてくれ。コード・39。サラだ」
門に向かってサラが言うと、一人でに鉄製の門が開く。それに口笛を吹いて驚きを表しながら、シンは再び歩き出したサラに続いた。
「すげぇな、これ……」
「闇、とやらがいかに危険なのか、知れるものだな」
呟いたシンに倉田小さくが呟いた。
「え?」
「いずれ分かる。今は、紅とやらに会うのが先だ」
適当にはぐらかされた気がし、シンは小首を傾げた。だが、洋館の扉が開けられたのを見ると、そんなことはすぐに頭の中から消え去った。
扉をくぐると、そこは雰囲気のある広い玄関ホールだった。蝋燭の灯った豪華なシャンデリア。床には赤い絨毯が敷かれ、壁には甲冑やら、骨董品であろう古い武器などがあった。玄関ホールは二階まで吹き抜けになっていて、螺旋状の階段がある。両脇に扉があったが、サラが階段を上がったのでそれに続いた。
「……」
屋敷の中を見渡しながらシンは歩く。初めて見るシャンデリアを眺めながら階段を上がっていると、階段に躓いた。
「おっ?」
間抜けな声を上げながらシンが転びそうになると、壁際にあった甲冑が飛んできて体を支えてくれた。無機質な甲冑の冷たさを感じ、それから倉田を見る。
「余所見をするな」
「先生、助けてくれたの?」
「そうだ」
倉田が答えると甲冑が元の位置にふわりと飛んでいった。便利な能力を羨ましく思いながら、シンは再び歩き出したサラに続いた。
「ここに紅司令はいらっしゃる。中へ」
一番奥にあった扉の前でサラが立ち止まり、二人に言った。
「……あんた来ないの?」
シンが尋ねるとサラが無言で頷く。
「守人、なのだろう?」
「えっ……?」
倉田の言葉にシンが声を上げた。そしてサラを見ると、彼女は少し俯いたようにしながら目を伏せていた。否定しないということが、肯定に繋がった。どうして分かったのかと倉田に問おうとしたが、さっさと倉田が扉を開けて中へ入ってしまう。その後ろに続き、シンは扉を閉めた。その時に、サラが深く頭を下げているのを見たが、本当に一瞬でそれを疑問に思った頃には部屋にいた紅が口を開いていた。
「第一の司令。紅だ」
扉に背を向け、シンが前を見る。立派なオークの机に男性が座っていた。年は四十代くらいだろうか。目尻にしわがあり、髪の毛にも白髪が少し混じっている。だが、若く見えた。臙脂色をした革製の服に身を包んでいて、強い眼光をしていた。
「倉田総司。……私たちがスカウトされた旨を、まずは聞きたい」
平生と変わることなく喋る倉田を見て、シンは何故だか心強く思った。
「我々の組織の名を聞いたかね?」
「基地の名前なら聞いたぜ。闇夜街――まんまの名前なんだな」
今度はシンが言い、一つだけある小窓から外を見る。外、とは言っても地下にある闇夜街の景色なのだが。
「ここは常夜の世界だ。闇の組織最強。これが我々の自負であり、そしてそれを見事に表しているのがこの闇夜街。闇にある街は、地上のそれと変わりはしない。だが、その中身は全くの別物だ。街に住む全員が、何かしらの仕事を受け持っている。物資の流通、エネルギーの確保、情報の管理、挙げればきりがない。そして、その恩恵を受けるのは戦闘員。宿主もいるが、数が少ない。多くが一般戦闘員。宿主と戦えばまず負けるだろう。だから、我々は宿主を常に求めている。出来るならば、素質がある者を。影宮真吾くん、君の行動は三日前から監視させてもらっていた。夜、君は魔物に襲われただろう? それが何故、表ざたにならなかったと思う? 我々が後始末をした。情報の隠蔽、という名の。そしてキョウを向かわせたが、あの坊やはどうにも抹殺衝動があるらしくて君の実力を探り、相応の力を示したならばスカウトをするようにとの命令を下したのに、そうしなかった。そして、倉田総司さん。あなたは影宮真吾くんの監視をしている所で見つかった。随分と能力を使いこなしているようで、急遽、スカウトの為に情報収集を始めた所だった」
「早い話」
静かに倉田が口を挟んだ。
「……」
黙ったまま倉田を見るシン。
「私たちが宿主で、それなりに能力を使っているから。――という理由で、問題はないでしょうか?」
「その通りだ。そして、君たちはスカウトに同意をした。――我らが組織は夜光。衣食住、その他、医療設備から何から何まで、全て闇夜街には揃っている。これより、君たちは我らの仲間だ。掟を守ってくれさえすれば、夜光は全てに応える」
早口に紅が言い、二人の方に歩み寄ってきた。近くに来られて、急にシンは息苦しさを覚える。何か、とてもなく重いものが圧し掛かってきている感覚がし、紅から目を離せなくなる。はっきりと、悟る。――勝てない、と。争うような理由はどこにもないし、そんなつもりも全くない。だが、紅と戦い合ったら死ぬ、とはっきり意識した。
「掟、一。闇では全てを失くしたものとし、上にあった全ての関わりを断つこと。掟、二。任務の遂行は何事よりも重視するものとするが、命を投げ打つことは禁ずる。掟、三。裏切り者には絶対制裁を。異常の掟を守ってくれれば、後は自由だ。ちょっとした規則など、細かいことを私はとやかく言うつもりはない。そうそう、闇で本名を名乗るのは危険だ。コードネームをつけるのが原則だが、希望があるか?」
「シン」
即答するシン。だが、意識してはいなかった。気付いたら口が動き、声を発していたのだ。それが暁の仕業と知るのは、携帯に入ってきたメールを後で見た時だ。
「いいだろう。君は今からシン、だ。君の家はここから南、あのマンションの空き部屋のどこかを好きに使ってくれればいい」
紅がシンの肩を軽く叩き、それから倉田に目をやった。
「……希望は、ない」
「そうか。ならば私が君にコードネームをつけよう。そうだな……鋭。それが君の名だ。鋭い洞察力、観察眼があると報告を受けていた。だから、君には鋭い、という文字から鋭だ」
「良かろう」
素っ気なく答え、倉田――鋭が踵を返した。扉に手をかけ、足を止める。
「シンの隣に俺は住まう」
「好きにしたまえ。ここではある程度の自由が与えられる」
鋭が扉を開け放って部屋を出ていく。その威風堂々とした態度にシンは何だか言葉を失っていた。今までは担任の嫌味な教師、という印象しかなかったのに、ここへ来てからは随分と格好良く見えた。
「……なぁ、オッサン」
開け放たれた扉を見つめながらシンが声を出す。
「何かね?」
「……腹減ったんだけど」
「マンションへ行く途中に、レストランがある。全て、無料だ。そこで食べるといい。私のお勧めは、特製ミートソースのスパゲティーだ」
ありがと、と素っ気なく言ってからシンは紅を振り向いた。笑みを見せてから、鋭の後を追っていく。二人が出ていくと、紅は最初と同じように机に腰掛けた。
「なかなか、将来有望だな」
「鋭という男が私には信用なりませぬ」
呟いた紅に答える声があった。静かな声だ。
「ネイバー、そう言うな。彼の調べはついている。彼の両親は、闇にいたそうだ。ならば、ここへ彼が来るのは必然。一度、闇に落ちた者は、その子孫も含めて再び光の下へ留まることは出来ない。だからこそ、夜光があるのだ。全ての闇の者に、光を浴びせてやれる存在が。全ての闇の者が、いつか光へと戻れるように――――」