自宅訪問−教師と謎の男 1
二回のノックがされ、シンはのろのろと扉を開けた。そこに居た担任教師、倉田を見て無言のままに中へ招き入れる。倉田は私服だった。――と、いってもジーンズにストライプのワイシャツ、それにジャケットといった格好で、学校での姿と大した変化を見られないが。首にないネクタイだけが少しだけ印象を変えさせる。
「……で、退学手続きってどういう事ですか?」
妙に突っかかる口調でシンは問うた。何故、退学させられるかが不明だった。
「辞めた方がお前の為だと思った。私も教師など辞める」
「は? 何でだよ?」
その意図が分からずシンは怪訝な顔をする。
「闇に居るべき存在なのだ、宿主は」
「……?」
「不必要に他人を巻き込む必要はない。いや、巻き込んでは何より面倒だ。生きる、死ぬ、といった事の前に、隠すというのが何よりも面倒だと思わないのか? お前は今日、怪我をしてまで学校へ来た。朝の段階で気付けなかった私にも非があるだろう。しかし、周囲に何事もないように振舞うのは精神的にも辛い。だとすれば、そういった事を隠さなくとも必要のない世界――つまり、闇にいるのが得策だ。私はそう思った。反論は?」
黙ったままシンは顔を伏せた。何も考えられなかった。ただ、疑問が沸いてきて、それを口にした。
「……宿主には、何時?」
「私か? 私はつい半年ほど前だ。夜、職員室で一人、仕事をしていたら私の机の上にいつの間にか箱が置いてあった。そこで契約をし、以来私は宿主だ。これまでに悪魔の魂は二つ口にした。一つは魔物と化した哀れな女。そして、中田郁郎。……女の方は手にかけたが、中田郁郎は明日から何事もなく、また登校して来るだろう。恐らく、今日の事も覚えていまい」
倉田が言いながら、雑多に物が散らかる部屋の中を見渡した。
「あんたは、どうして宿主になって平気なんだよ? 中田みてぇに狂っちまったみたいでもないのに……」
「分別を弁えているだけだ。願いが叶うなどと本気で思ってはいないからな。降掛かる火の粉は払う。そして、消え入りそうな火ならば、風除けになる。――それが生徒ならば、尚更」
冷たい教師だと、シンは今の今まで倉田をそう思っていた。生徒に大した感情も抱かず、仕事として相手をしているのだと、そう思っていた。なのに、相変わらず冷静さを欠かずに連ねる倉田の言葉をシンは真に受けられた。不思議と、信じられた。
「……それで、闇って何だよ?」
「詳しい事は知らぬ。だが、何時までも一般人としての生活をするのは面倒極まりない。念動力などという能力だ。座ったままにほぼ全ての事を出来る。それを一々、手を動かし、足を動かしてやるのはどう考えようとも愚かだ。ならば、それが普通の世界。宿主で溢れる世界に居ればいい」
「知らなくて、どうすんだよ? 言い草からして、闇に入るんだろ? なら、知らなくてどうやって入る?」
「臭う場所へ向かえばいい」
「臭う……場所?」
聞き返すと倉田が急に立ち上がった。それから足音を立てないように玄関のドアへ向かい、扉に耳を当てる。そんな行動を見ながら、シンは困惑した。何をしているのか分からない。しかも、真顔だから余計だ。
「……誰かが居る。私が念の為に仕掛けておいた罠に引っ掛かったらしい」
「罠?」
「視認しにくいピアノ線を浮かべて、幾重にもして周囲に張り巡らせておいた。それに引っ掛かっている者がいるのだ。このアパートは大家とお前以外に住んでいないし、来客なんかほとんどないはず。ならばこれは、宿主だと疑うべきだ」
倉田の推理にシンは生唾を飲んだ。息を殺し、自分も周囲の音を注意深く聞く。階段を上がってくる僅かな音。わざと音を立てないようにしているのだろう。こうして静かにしてないと聞き逃すくらいの音だ。意図的に音を小さくしているのなら、どうしても不吉な予感が沸いてくる。
「どうするんだよ……先生」
「離れろ」
倉田がシンと一緒に玄関から離れた。そして、念動力で家具を動かして玄関に集める。音もなく家具を積み重ねて、バリケードを作り上げた。念動力の便利さを目の当たりにしながらシンは、足音の主を待った。
「すみません、影宮さん。宅配便ですー」
ドアがノックされ、そんな声がした。ほっとシンが胸を撫で下ろした直後、倉田がシンの後ろ襟を掴んで止めた。
「んだよ?」
押し殺した声でシンが問う。
「鏡を見ろ」
「鏡?」
倉田が宙に浮かせている鏡を指差した。鏡には、別の位置に設置された鏡が映っていた。それはドアの外を見せていて、宅配業者の格好などしていない若い男の姿を映していた。当然のように荷物らしい物は持っておらず、その代わり手には自動小銃があった。背筋に冷たい物を感じ、シンは息を呑む。
「用心をしていて良かっただろう。……しかし、向こうは銃を持っているな」
「サイコキネシスで弾丸止めちゃうとかは?」
「高速で動く物体を止められる程の力はない。まして、引き金を引くと同時に撃ちだされれば、その瞬間に死ぬ。外に武器になるような物も把握していないから動かせぬ」
「んじゃあ、どうすんすか? 都合良く、居留守に引っ掛かるなんて事にならないだろうし――」
「留守ですかー? ……出直すか」
足音が遠ざかっていき、鏡から人の姿が消えた。言葉を失くして、二人は何とも言えなくなる。都合が良いと言ったばかりなので、気が抜けない上に、でもあの雰囲気からは本気で出直したんじゃないかと思える。
「……鏡で、先見えないの?」
「もう鏡がない。この微妙な角度を全部、調節するのは難しいんだ。これ以上は増やせぬ」
とりあえず窓から外を伺い、シンは誰もいないのを確認した。腰を下ろして、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「んー……もう、疲れた……。退学でも何でもしてやるよ……。あ、そだ。家に連絡くらいしねぇとなぁ……。んー、でも、行方暗ませないとダメか……? どうなんすか、そういう所って」
シンが尋ねると倉田は少し考えてから眉をひそめた。
「そうだな……。こうしよう、お前は死ね」
「……え?」言われてシンは眉間にしわを寄せ、唖然としながら倉田を見つめた。「それは……あの、あれだよな? よく漫画とかにある……死んだつもりっつーか……な?」
「死んだつもりで行方を暗ましてどうする?」
「んじゃ、マジで死ねってか!? この人殺し! 殺人教師!」
シンが喚くと、倉田が散らかっていた空き缶をぶつけた。
「痛っ」
「騒ぐな。静かにしろ」
悪態をつこうとするが、シンは一応止めておいた。
「いいか、とにかく今日はお前の今後の身の振り方だ。居場所は俺が見つけてやる。お前は死ね」
「だから、死ぬってどういう事だ?」
「戸籍上、死んだ事にすればいい」
「はぁ?」
訳が分からないまま、シンは倉田を凝視する。
「何かの事故に巻き込まれ、そのまま行方を暗ませればどうなると思う?」
「……死んだって思われる?」
「それだ。それを使う。だが、都合良く事件など――」
呟いて、シンと倉田はある事に気付いた。先ほどの謎の訪問者。彼を利用して、事を大きくすれば――。
「先生、銃に勝てると思う?」
「やってみなければ分からないが――二対一なら、或いは」
よっしゃ、とシンが息を吐きながら立ち上がった。能力を使って、玄関の扉を拳でぶち破る。二階にあるシンの部屋。その部屋の前は壁がなく、ほとんど人通りのない道に向かっている。破壊音に気付いて、先ほどの謎の男が振り向いた。
「んじゃあ、先生。いっちょ、やりますか」
手摺から飛び降りてシンが言った。能力で強化された肉体は二、三メートルの高さから降りても平気だ。
「……援護をしてやる。お前は突っ込め」
倉田が周囲にある物を見回して状況把握をしながら言う。了解、とシンが答えると、謎の男がシンに銃口を向けた――。