狂った復讐の愚者 1
「訳が分からねえな……。でも、実際に箱がブレスレットになってるし」
シンは呟きながら、右腕にあったブレスレットを見た。髑髏をモチーフにした模様がついているブレスレットで、あの箱と同じく漆黒で、何なのか分からない材質だった。とりあえず外そうとして、だが、外れなかった。僅かな隙間があって動きはするが、手首に引っ掛かって外れてくれない。
「……え? ちょ、おい」
思い切り引っ張ってみるが、右手首が痛くなってくるだけだ。それでも努力し、足でブレスレットを固定して右手を引っ張ったりするが、全然、意味がない。痛くなってくるだけだ。
「こら、暁。どうなってんだ。何とか言いやがれ」
ブレスレットを見つめてシンが言ってみた。
「……」
だが、静寂が流れただけだ。うんともすんとも言わないし、それどころか自分で空しくさえなってきてしまう。
「畜生……。絶対に信じねえ。断じて、信じてやるもんか」
自棄になりながら呟いて、シンは散らかった畳の上にごろんと寝転んだ。鞄を枕にし、目を閉じた。そのままそうしていたが、眠れそうになかった。妙に目が冴えて、意識ははっきりとしてくる。
「……何で、寝れないんだよ?」
誰に尋ねるでもなく呟いて、シンは苛立ち気味に舌打ちをした。上半身を起こして、頭をぼりぼりと掻き毟る。右手首の黒いブレスレットがやけに目に付いた。
「散歩でも行くか……」
決めると早く、制服を脱いでジーンズとシャツを着て、シンは部屋を出た。財布をヒップポケットに入れ、携帯電話を左のジーンズのポケットに入れる。アパートの階段を降り、一車線の道路を歩いていく。目的地はなかったが、シンはよくこうして散歩をしていた。夜になれば夜空を見て、昼ならば陽光を受けて輝く水溜りを見たりと、そういった事が何となく好きだった。十分程歩いていたら、シンの携帯が鳴った。
「もしもし」
左手で携帯を持ち、電話に出た。
『俺だが』
「ん……? 暁?」
その声にシンは怪訝な顔をして足を止めた。右手首のブレスレットを凝視して、携帯からの音を意識する。
『そうだ。シン、新聞を俺に読ませろ。買え。スポーツ紙ではないぞ。いいな?』
それだけで電話が切れ、シンは通話の切れた携帯を凝視した。着信履歴を見てみるが、残っていなかった。その現象に眉をひそめて、小首を傾げる。
「新聞……? 俺、パシリ?」
そう考え付き、露骨に面倒くさそうな、それでいて、とても嫌そうな表情を浮かべた。誰かに良いように使われるのを嫌う性分なのだ。足は目に付いたコンビニへと向かった。
「大体、健全な高校生が必要もないのに新聞なんか買うかよ」
コンビニに入り、入ってすぐのレジのすぐ近くにある新聞を見る。
「いや、絶対に買わない。金が勿体ねえっつーの」
適当に新聞を二つほどレジに持って行き、シンは自答した。金を払い、コンビニを出て新聞を広げる。
「――って、何やってんだ、俺?」
また携帯がなり、今度はディスプレイで番号を確認した。知らない番号だ。
「もしもし?」
『俺だが。新聞を読め。そうしなければ、この時代の事が俺に伝わってこないのだ』
「嫌だ」
『拒否権はない。お前は俺の下僕だ。現に言葉では否定しつつも、新聞を買ってしまったではないか。それを捨てるのか? 勿体ない事をする奴だな』
暁に言われてシンは苦虫を噛み締めた顔をした。確かに今月の家計はピンチだ。なのに、買ってしまった。ならば、それを捨てるなどどんなに勿体ない事なのか。単純な損得を考えてシンは折れた。
「……分かった、読めばいいんだろ? 黙読? 音読?」
『黙読でいい。一面記事だけでいいぞ』
「なら、立ち読みで良かったじゃねえか……」
呟き、シンは新聞を広げた。《謎の通り魔殺人、死傷者ニ十人に》とされた見出しがつけられていた。シンが内容を読む限りだと、先月から通り魔が頻発し、死傷者がニ十人になったというものだ。手口は背後から襲われるというものらしかった。被害者に関連性はなく、最初は五十代の会社員、次に六歳の女児と、世間を恐怖に震撼させている。
「こんなんがどうした?」
だが、シンは現実味を感じられずに「こんなん」としか認識をしなかった。
『いや、確認に過ぎない。シン、これが起こっているのはこの周辺だな?』
「ああ……。それがどうしたんだよ? 通り魔がそんな珍しいか?」
『もういいぞ。あとは教養でも読んで身につけるんだな』
それきり暁の声はしなくなり、携帯をポケットにしまってシンはため息をついた。
「ヤな奴」
新聞を脇に挟んでシンは舌打ちをした。そのまま、また行く宛てもなく散歩を続けるのだった。
* *
――彼は、復讐がしたかった。
入社して十年が経ち、職場にも慣れ、婚約までしていた。それなのに、会社が彼を解雇したのだ。理由は、人員削減。不景気のしわ寄せに遭い、彼は全てを失ってしまったのだ。職を失い、それをきっかけに婚約は解消、新築していた家も建てられなくなり、多額の借金を負った。目立ちはしないが、仕事は出来る方だった。それなのに、再就職先は見つからず、時間だけが経過していった。
そんな折だった。彼が箱と出合ったのは。住んでいたマンションを追われ、公園で眠ろうとした時に箱が彼の視界に飛び込んできたのあった。そして、箱に言われた。どんな望みも叶えてやる、と。その言葉の魔力に魅せられ、彼は宿主と化した。与えられた力に彼は狂喜し、そして狂気に陥った。まずは自分を解雇した会社の重役を殺害した。次に、目に付いた女児を殺した。次々と、彼は殺しを重ねていった。抵抗をされようとも、能力を得た彼には毛ほども邪魔にならなかった。
「今日は、あれでいい――」
狂気を孕んだ鋭い視線で、彼は高校生らしき人物を目に留めた。新聞を脇に挟み、缶のココアを片手に道を歩いている。そして、彼はポケットに手を入れて、サバイバルナイフを出して少年に向かって駆け出した――。