95話 繋がる星系
アポロン星域会戦から1ヵ月が経った。
会戦後のハルトは、ケルビエル要塞でアルテミス星系とポダレイ星系に赴き、精霊王の領域を展開している。
これはアポロン星系に邪霊王の領域を生み出した天華が、王国の新たな星系に侵攻して、次の邪霊王の領域を広げないための予防策だ。
精霊帝ミラが手元から離れた以上、次の塗り替えは行えない。先手を打たれれば手の施しようが無く、可能な限りの領域化を行ったのだ。
なお優先順位は、王国民の星系人口で選んだ。
精霊王の精霊結晶は私物だが、精霊王を誕生させた本陽星域会戦では王国民の命を投じており、ハルトには最善手を打つ道義的責任があった。
かくして両星系を巡り、2人の公爵に歓迎されて、1人の公爵からは明らかに不満を持たれたハルトは、ポダレイ星系の転移門からアポロン星系に帰還した次第であった。
「復旧は、終わっているだろうとは思っていたが」
実際のアポロン星系は、復旧が終わったどころでは無かった。
転移門から出現したケルビエル要塞の前方には、ディーテ星系やアテナ星系のような大規模宇宙港が生み出されていた。それらは整然と張られた蜘蛛の巣のように、重厚とした円網を宙域に広げている。
巨大な巣には、王国の各星系から運ばれてくる物資が受け止められており、細かく仕分けされた後、無人船で恒星系内の各所に送り出されていた。
巣にはアポロン星系内からも物資が送り込まれており、他星系から跳んできた戦闘艇の群れは、アポロン星系で荷物を入れ替えて、各星系へ戻っていく。
通常は片道1ヵ月を要する輸送が、荷の入れ替えを含めても、僅か2時間足らずで行われていた。
数千万の戦闘艇と、自動操船される恒星系内の無人船団が送り届ける数多の資源が、星系配備の都市建造施設群によって様々な形に生まれ変わり、各星系に送り届けられて、王国民の生活レベルを引き上げていく。
転移門で7星系が繋がった相乗効果は未曾有で、今まさにディーテ王国は、超高度経済成長期の入り口へと突入していた。
「今が人類の転換期かもしれないな」
様変わりしたアポロン星系を唖然と眺めていると、王国軍とアポロン系貴族との調整役として残していたクラウディアから、ハルトに通信が入った。
『ハルト様、お帰りなさいませ』
イタズラ子狐が元気そうに駆け寄って来る姿を連想したハルトは、口元に笑みを浮かべて答えた。
「ただいまで良いかな。1ヵ月間、上手くやってくれたようで助かった。発展が早すぎて、正直なところ驚いたが」
天華の侵攻時、惑星を周回する発電衛星を破壊されたデルポイは、人間の居住環境に痛手を負った。
恒星アポロンはK型主系列星で、質量が太陽の約7割、温度が4800度ほどだ。そのハビタブルゾーンの中間を、地球の1.2倍という半径で、重力も1.2倍の惑星デルポイが周回している。
太陽系の地球と比較して、恒星から届くエネルギーが小さい惑星デルポイは、惑星の表面温度が低く、潮汐力の影響が強いために、一昼夜が50時間もある。
つまり惑星デルポイは、地球に比べて暗くて寒い惑星であり、大量の発電衛星と恒星からの集光システムに頼っていたのだ。
それを破壊されたデルポイは、転移門が無ければ復旧に躓いていただろう。
だが転移門で繋がった他の星系が支援した結果、アポロン星系は速やかに機能を回復させられたのだ。
その後の急速な発展に関しては、コースフェルト公爵家を中心としたアポロン系貴族の努力の賜物であるが。
『お役に立てて何よりです。ゼッキンゲン侯の言い様ではありませんが、王国軍中将の階級は、軍と貴族を繋ぐのに、とても役に立ちました』
「そうか。便利に使えたのだったら良かった」
アポロン星域会戦後、ハルトはクラウディアを中将に昇進させている。
昇進させた理由は、ケルビエル要塞の駐留艦隊司令官であるフィリーネの後任が欲しかったからだ。
フィリーネの実家である侯爵家には、後継者がフィリーネしか居ない。
カルネウス侯爵家に遺伝子提供の約束をして、代わりに精霊結晶工場の支援を得ていたハルトは、カルネウス侯爵家の継承問題に一定の責任を負うと自覚する。
このほどアポロン星域会戦が勃発し、カルネウス侯爵が戦死の危機に瀕して、侯爵家の継承に明確な危機が生じたために、フィリーネが侯爵家で引き継ぎを受ける必要が生じた。
そこでフィリーネに侯爵家の引き継ぎを受けさせるために、彼女の要塞駐留艦隊司令官という仕事をクラウディアに引き継がせようと図った次第である。
その他の人事としては、戦死したゼッキンゲン侯爵を昇進させた。
アポロン星域会戦で犠牲になった民間人は、輸送艦や要塞艦に乗艦した者や、惑星への攻撃の余波で犠牲になった者などを含めて、6000万人ほどだった。
惑星に被害が及んだ会戦としては、過去の各会戦と比べても極小で済んだ。
戦死者を減らした最大の功労者がゼッキンゲンであり、彼を退役中将の戦時徴用扱いとして、戦死による二階級特進で上級大将に昇進させたのだ。また死後であるが、コレットと同じ副司令長官の役職も与えている。
王国のために働けば報われると示す目的が含まれるが、ハルトはゼッキンゲンに対する感謝の形として、かつて不本意に退役して届かなかった階級と役職を贈ったのだった。
「それでゼッキンゲン侯爵の後継者は、どうなったんだ」
『ゼッキンゲン侯爵には正式な夫人と後継者がおらず、愛人とその子供は多くて、宮内省は次期侯爵の選定に困っているようです』
「…………愛人は、何人居るんだ」
加齢停滞技術で引き延ばされた寿命の半分ほどを生きたゼッキンゲンは、高魔力の子孫を残すのは貴族の責務の1つだと考えていた節があり、魔力継承を目的とした沢山の愛人を抱えていた。
ハルトが初めて会ったフューチャーアロー号での交流会でも、愛人を1人同伴している。
ゼッキンゲンには、愛人の数に比例した高魔力者の子供が居たはずで、直系で侯爵級の魔力者であれば、侯爵家の継承候補者になれる。
ゼッキンゲン侯爵家は名家で、ゼッキンゲンも上級大将かつ副司令長官となった名誉を有するため、愛人達はこぞって自分の子供を後継者に推すだろう。
だが現在の王国は、次王の選定問題を抱えており、ユーナですら単純に年長者を選ぶ事も、魔力が一番高い者を選ぶ事も、安易には選択できない状況にある。
年長者が良いと主張する者が居れば、ベルナール派だと思われる。逆に高魔力者が良いと主張すれば、ジョスラン派だと思われる。
旗色が鮮明なタクラーム公爵ですら、この件に関しては露骨な言及を避けて、皮肉げな笑みを浮かべるだろう。
明らかに面倒そうな事態に対して、ハルトは問題を棚上げした。
王国軍司令長官であるハルトは、国防という、侯爵家よりも遥かに重大事を抱えている。
防衛に限定すれば、王国8星系で領域化できないマカオン星系が懸念事項だ。
そしてアポロン星系で、邪霊王の領域をミラで塗り替えた事により、逆に邪霊が王国星系を塗り替えられるのではないかという不安も抱かせた。
「精霊王と精霊帝について、いくつかの軍事機密を諸侯に開示する」
第6回目となる諸侯会議の場において、ハルトは7星系が繋がった報告と共に、精霊に関する情報を一部開示した。
精霊帝や邪霊帝は容易に生み出せず、塗り替えは基本的に起こり得ない。
その事を伝えなければ、防衛計画の骨子が作れないために、防衛を担う諸侯への情報共有は不可避と判断したのだ。
これまで行ってきた惑星破壊による浄化エネルギーの回収と、それをどのように用いたかについて、ハルトは諸侯に全て開示した。
・マクリール星系の精霊王は、カーマン博士から渡された。
・ディーテ星系の精霊帝は、精霊結晶第二工場の元管理者。
・新京星域の瘴気は、深城星系の精霊王に用いた。
・九山星系の瘴気は、アテナ星系の精霊王に用いた。
・旧連合3星系の瘴気は、アポロン星系の精霊帝に用いた。
・旧連合3星系は無人惑星で、上級精霊の昇格に使えなかった。
・星系の塗り替えは、敵のアポロン星系侵攻後に開示された。
・大泉星系の瘴気は、アルテミス星系の精霊王に用いた。
・本陽星系の瘴気は、ポダレイ星系の精霊王に用いた。
・地球の瘴気を得た精霊王は、ハルトが契約中である。
ハルトが地球を破壊する際の説明によって、知的生命体が暮らす惑星のエネルギー化で、上級精霊が精霊王に昇格出来る事は知られている。これまでの浄化と星系の領域化の時系列を計算すれば、概ね知られる内容ではあった。
伝えた情報は全てが事実であるため、諸侯が精査しても矛盾は一切生じない。
もっともハルトは、精霊神の精霊結晶という高エネルギー結晶体の存在だけは隠しており、切り札の全てを開示したわけでは無かったが。
「元王太孫と元公爵が、王位継承権争いによって旧連合に軍事機密を流したのが4年前。そして現女王陛下は、精霊結晶を使わない魔力では王位継承条件を満たさず、他に満たす王子が複数居ました。この情報を天華に流されれば、各星系が陥落する危険があり、今まで最重要軍事機密としてきた次第です」
何故隠してきたのかと疑念の声を上げられる前に、ハルトはぐうの音も出ない理由を挙げて、諸侯の追求を封じた。
なお敵同盟が有する邪霊に関して、ハルトは自身の予想を伝えた。
・邪霊結晶を配ったヘラクレスは、邪霊帝を有する可能性が高い。
・敵同盟はフロージ共和国の3星系にて、邪霊王3体を得ている。
・天都星系とアポロン星系の他にも、未だ1星系を領域化出来る。
これらの情報共有によって、王国で唯一の領域化が行われていないマカオン星系からは、主統治者であるモーリアック公爵が当然の主張を行った。
『それで司令長官は、邪霊王に領域化される危機に瀕したマカオン星系には、いつ頃に精霊王を配して下さるのだ』
モーリアック公爵は、それを訴えて然るべき立場だ。
なぜなら星系の防衛戦力が10だとして、領域化すれば5倍の50、逆に敵に領域化されれば5分の1となって戦力が2となる。
領域の有無は、最大で25倍の戦力差となるのだ。
王国が全軍で20の戦力を有するとして、そのうち半数をマカオン星系に集中配備したところで、転移門の繋がる7星系は戦力が50、マカオン星系は敵に領域化されれば2となる。
現在、王国でもっとも侵攻されやすくて危ういのが、マカオン星系であった。
だがモーリアックも、ハルトの手元にある精霊王を使えとは言えない。
ハルトとケルビエル要塞は、現状で敵星系に侵攻する唯一の手段だ。
実際にハルトの手元に高位の精霊が在ればこそ、通常では不可能な速度でマクリール星系と大泉星系を往復して、第二陣のイスラフェルを運び込み、大泉と本陽の両星系を攻略出来た。
マカオン星系を守る事と、敵星系を攻略する事とでは、後者の方が王国の最終的な利益に資する。
故に、邪霊を有した敵陣営との戦いにおいて、ハルトの手元から精霊王を奪う事が正しい選択なのだとは、モーリアックも強弁できなかった。
だからこそモーリアックにとっては最大限の譲歩で、いつ領域を作ってくれるのかと問うたのだ。
「タイミングとしては、手元の精霊王が2体になった時です。時期については、現時点で目途は立っていません」
『当面の目処が立たないのであれば、そう言ってもらいたい』
「僅か半年前、大泉と本陽は健在でした。1年前、マクリールと深城は敵の手にありました。1年半前、女王陛下の即位前でした。情勢は目まぐるしく変化しており、半年後の予想は出来ません」
ハルトは出来るとも、出来ないとも明言しなかった。
マカオン星系に領域と転移門を作らせたいモーリアックは、ハルトからの否定ではない回答に一先ず可とするしかなかった。
『マカオン星系を領域化できなければ、46億人の星系民に危機的な状況が続く。領域化するためであれば、マカオン系の貴族と星系民は如何なる助力も惜しまない。司令長官には、それを念頭に置いて頂きたい』
「勿論です」
ハルトは暫定的な措置として、領域化されていないマカオン星系に王国軍の半数を送り込んで、人間の手による最大限の防衛体制を整えさせた。
王国暦445年7月。
女王戴冠の2年目は、前半だけで天華連邦の2星系、フロージ共和国の3星系、太陽系の地球と、人類から6つの居住星系と約250億の人命が失われた。
さらに邪霊の出現と、邪霊王による敵星系の領域化によって、ハルトが描いた完全勝利という終戦の道筋は、宇宙の藻屑と化して消え失せた。
現在の天華の目的に鑑みれば、アポロン星系侵攻は効果的だった。
ハルトは手持ちの精霊帝を失い、天華は邪霊の脅威を王国に知らしめた。そして両陣営は、敵を滅ぼし切れなくなっている。
この時点で相手から停戦ないし終戦の打診があれば、手詰まりになりつつあるハルトとユーエンは、おそらく本格的な条件交渉に入っただろう。
勝っている時に矛を収めるのは難しいが、既にユーナとハルトの体制は、それを押し通せるほどの力を有していた。
逆に負けて終戦すれば責任問題になるが、天都を除く4国はユーエンを責める力を失い、天都は傷付かずに領域と邪霊結晶を手に入れている。
だが両陣営は、話を持ち掛けた側が譲歩せざるを得ない事から、あるいはさらに有利な状況を作った後を想定して、自ら終戦は持ち掛けなかった。
そして精霊と邪霊を加えた両陣営が争い続けた結果として、人類は有史以来で最大の転換期を迎える事となった。
あとがき
・6巻の投稿は、しばらくお待ちください。
・本作2巻が発売されます。
2巻の書き下ろしで、Web版とルート分岐します。
お見かけになられたら、ぜひお買い上げ下さいませ。