91話 星系強奪計画
大泉に到達したウンランは、死の星と化した故郷を目の当たりにした。
王国軍が突入させた天体は30個。
大陸に落ちた12個の天体は、直径490キロメートル、深さ180キロメートルほどの巨大なクレーターを生み出した。
衝突で発生したエネルギーは、半径5000キロメートル以内を熱放射で焼き尽くし、5000キロメートル先に秒速900メートルの衝撃波を吹き荒れさせ、マグニチュード12.3の地震を引き起こしている。
海洋に落ちた18個の天体は、海水によって衝撃が和らげられて、地表に比べて1割から2割ほど小さなクレーターを生み出した。
それでも発生した熱放射、衝撃波、地震は、大陸に落ちた天体と同規模の惨劇を引き起こしている。さらに衝突地点から5000キロメートル先にまで、高さ60から90メートルの津波が押し寄せて、地上の全てを押し流した。
『海洋では、溶けた岩石と超高温のガスが煮えたぎり、三酸化硫黄が放出されて、強烈な酸性雨が遍く惑星に降り注ぎました。衝突で生き残った植物や海洋生物が酸性雨で死滅し、大気、海洋、土壌が悉く汚染されました』
海洋を致命的に汚染させると、現代技術を駆使しても浄化し切れない。
莫大な時間と労力を費やせば、いつかは住める程度にまでは環境が回復する。だが新惑星に移民した方が遥かに早くて安上がるために、現代では回復させる選択にはならない。
実行者であるハルトは、これらの汚染を意図的に引き起こした。
大泉が主導した第二次ディーテ星域会戦において、王国民30億人を殺された報復として、人類の居住可能星系の一覧から大泉を取り除いたのだ。
「人民の避難は、どうなった」
『敵の惑星攻撃までには、星系到達から1ヵ月の猶予がありました。当時の戦況は不確かでしたが、住民は約半数が天都へ避難しております』
ウンランが早々に立ち直ったのは、事前情報で心構えをしていた事に加えて、自身も共和国の3惑星を破壊していたからだった。それに部下が、王国の足止めを目的として、太陽系で地球を壊滅させている。
戦争に勝つために、居住惑星を破壊して、精霊王や邪霊王を生み出させる。同時に、焦土作戦によって敵の継戦能力を落とし、侵攻を停滞させる。
自身が論理的な判断に基づいて実行していればこそ、ウンランは敵が行った同種の行為に理性が働いたのであった。
「本陽と天都の増援には、大泉の物資を持って帰還させろ。先行艦隊も、物資を回収して、大泉人民の大半が向かった天都へ向かう。後続の本隊にも同様の指示を出せ」
言葉に出したほど、内心ではウンランも割り切れていなかった。
それでも知性が必要な判断を行い、各艦隊に大泉星系の物資を持たせて、他の天華星系に移動させる指示を出させた。
さらにウンランは、大泉星系では邪霊王の領域化も行わなかった。
「大泉星系は、君の故郷だろう。領域化しなくても良いのかね」
イシードルの問いは、疑義照会ではなく、確定事項の最終確認だった。
住めない星系となった大泉の領域化は、砂漠に水を撒くが如き徒労である。それよりも、新たな星系に領域を繋げる方が、大泉人民に未来があるだろう。
人類が航行可能な宙域には、居住可能に成り得る星系の候補は沢山ある。新たな星系に領域を作り、天都やヘラクレスと繋げた方が、遥かに建設的だった。
「邪霊王は、限られている。大泉星系の領域化は不要だ」
「ふむ。3つの領域化は、星間船と技術の対価だからね。どこに繋げるのかは、君達が自由に選べば良い。この後は、天都星系に向かうのかね」
「その予定だ。そして本陽とも繋げて、戦況を立て直す」
新たな目標を定めたウンランは、艦隊を天都へ向かわせた。
この時点でウンランは、大泉を蹂躙した王国軍がマクリール星系に撤退したと考えていたのだ。
新たな惨劇の報は、天都に辿り着く前日に届けられた。
ケルビエル要塞が本陽星系に出現した報告が入り、そのまま星系内に直進されて、ウンランが天都へ到達した頃には、平州が破壊されたのである。
本陽星系の被害自体に関して、ウンランが受けた衝撃は大きくなかった。
既に故郷の大泉星系が破壊し尽くされた時点で、情報に対する心理的な壁を張っていたからだ。
だが状況の悪化に関しては、悲観的にならざるを得なかった。
現在の天華3国が有する艦艇は、約50万6000隻。
内訳は、太陽系から離脱した2万隻、ヘラクレス星系防衛の7万隻、共和国に侵攻した7万4000隻、大泉と本陽の残存艦艇20万隻、天都の14万2000隻である。
これらの艦艇が、魔力者と契約する邪霊によって性能を強化されて、さらに邪霊帝の領域内では戦力を5倍に引き上げられる。
天華巡洋艦50万隻は、通常宙域では王国軍イスラフェル1000万艇相当、領域化された宙域では5000万艇相当。
ケルビエル要塞が単独で運べるイスラフェルは112万艇ほどであるため、天都星系とヘラクレス星系の安全は確立されたと見なして良い……はずである。
だが僅か2星系であり、天華の星系は天都1つだけになった。
王国との開戦時、天華5国は劣勢に立たされるどころか、苦戦する事すら想像できなかった。そして蓋を開けてみれば、5国のうち4国の首星が壊滅している。
残り1国となった天都は、本当に安全を確立できたのか。
何かしらの見落としがあった場合、天都を破壊された後では取り返しが付かない。天華連邦は、滅亡するしかなくなるのだ。
天華の誰も答えを知らない問題に悩んだウンランは、自らの邪霊マリエルに訊ねた。
「マリエルであれば、現状でどうする」
『王国が、邪霊王の領域化前に天華を攻めた。それならウンランも、精霊王の領域化前に王国を攻めて、王国の星系を邪霊王の領域にすれば良いんじゃないかな』
「……何だと?」
大雑把な問いに対する答えは、予想外の抜本的な解決策だった。
『邪霊王で領域化して、転移門から軍勢を送れば、勝てるよね。王国の2星系を領域化して、その2つを新大泉と新本陽にすればどうかな』
マリエルの作戦が生み出す効果は、絶大だろう。ウンランは発生する効果を完全には想像し切れずに、僅かに間を置いてから重ねて訊ねた。
「それは実現出来るのか?」
『王国星系に赴いて、邪霊王に領域を作らせるだけだよね。具体的には……』
マリエルは、王国星系を邪霊王の領域にするまでの順番を説明した。
既に領域化した天都星系から、転移門でヘラクレス星系に跳ぶ。これは今すぐ実行できる。
そして邪霊王と契約するイシードルを連れて、ヘラクレス星系から王国領域の中心に位置するアポロン星系まで、迂回しながら高速艦で移動する。
到着したアポロン星系に精霊王の領域があったとしても、王国の中心からはアルテミス、ポダレイ、マカオンのいずれにでも向かえる。
対するケルビエル要塞は、天華の最深部である本陽星系にまで侵入しており、帰還には2ヵ月近くを要する。
ウンランが直ぐに向かえば、ケルビエル要塞に追い付かれる可能性は低い。
『太陽系と、大泉星系と、本陽星系。3つ壊されたけど、精霊王の領域化を確認していない王国の星系は、まだ4つあるよね。だったら、どこかは邪霊王の領域に出来るよ。これで打開に繋がるかな』
易々と解決策を示されたウンランは、あまりの呆気なさに、本当にそれで良いのかと疑った。
「作戦に穴は無いのか。思い当たるリスクは……」
『王国の8星系が、最初から領域化されていたら、諦めるしか無いよね。先に領域化されていると、先手が一方的に星系のエネルギーを吸えるから、同格だと勝てないかな』
王国が領有する8星系に、精霊王の領域を既に展開済みという最悪の可能性を示唆されたウンランは、一瞬言葉に詰まった。
「先手は、必ず勝てるのか」
『あたし達は、此方で活動するにはエネルギーが必要なの。あたしが今使っているのは、契約者であるウンランの魔力や瘴気、邪霊結晶という名のエネルギー結晶体だけど……』
「ああ、それで?」
『領域化すると、星系内の生命体が発する瘴気全部に、門を繋いだ自分の界からも力を引き出せるの。同時発動なら実力差で勝敗が決まるけれど、先に領域化されていると、エネルギーに対抗する手段と力がなければ、上書き出来ないよ』
マリエルの説明に、ウンランは一先ず納得を示した。
「マリエルは、どの程度なら上書きできる」
『そうだね。あたしが邪霊帝なら、普通の精霊王の領域は奪えるよ。でも、特異な精霊王が相手だと、多少はリスクがあるかも。特異は見分けが付かない事もあるから、基本的にはやらない方が良いよ』
「生憎と、王国相手には負けが込んでいる」
『ウンランが失敗したら、あたしは邪霊界に還るよ。でも、あたしを王に昇格させた事は評価しているから、あたしが生み出す新たな邪霊には、ウンランの魔力特性を継承する子も作ってあげるね』
不意にウンランは、ギリシャ神話に登場する精霊ニュンペーを思い浮かべた。
ニュンペーは長命で人間に力を貸すが、男を攫うなど暗黒面も持つとされる。木の精霊であるニュンペーはドリュアスと呼ばれ、気に入った男の精気を吸うべく、自身の木の中に引き摺り込む。
既にウンランは、マリエルに魔力を吸われており、魔力特性を取り込まれているらしくあった。
古代の人間が創作したニュンペー自体が、邪霊達と契約して力を借りた人間達の体験談から生まれたのでは無いか、と、ウンランはマリエルを眺めながら想像した。
だが対価は、いつの間にか吸われた魔力特性に見合う。
マリエルからの提案について、邪霊王が手元に居るとは言えないウンランは、自身の発案としてユーエンに相談した。
「以上の考えにより、この作戦を実行すべきと考える」
『王国の居住星系を奪う訳か』
ウンランと同種の驚きを示したユーエンは、直ぐに作戦の価値を理解した。
未開の星系を邪霊王に領域化させて、転移門から物資を運び込み、テラフォーミングを行って初期開発するよりも、既に人類が住んでいる星系を占拠した方が遙かに簡単だ。
そして何よりも、王国の星系を2つ奪って天華の物とすれば、単純に2を増やすのではなく、敵対勢力から2を奪えて、2倍の効果を得られる。
しかも奪えるのは、国力だけでは無い。
『王国の星系を奪えば、あちらの資源、技術、情報、人間も全て手中に収められる。王国が深城を奪った時のように、画期的な成果となるか』
数十億人という王国民は、王国との戦争を終わらせる決め手にも成り得るのではないかとユーエンは考えた。
両勢力の各星系が、精霊王や邪霊王の領域で守られた後は、互いに敵星系を攻略出来なくなる。手詰まりとなれば、国家である両勢力は、いずれ停戦や終戦を考えなければならない。
その際に交渉材料として、停戦あるいは終戦後の民間人返還を条件に示せば、家族の返還を望む王国民からの圧力を受けた王国は、否が応でも終戦を検討せざるを得なくなる。
今大戦を呼び掛けたユーエンは、王国の戦力を見誤ったと自覚している。
自星系だけであれば、無傷で邪霊結晶を得ているために黒字だが、開戦前にユーエンが想像していた状況とは全く異なる。
だが降伏では無く、互いに攻めあぐねての終戦であれば、天華の子孫達は国家魔力者や邪霊と契約する戦闘艇の操縦者を増やして、将来は劣勢を覆せるだろう。
拮抗する勢力であるならば、無理に戦争する必要も無い。
邪霊結晶を得た今、支配家を同じくしたままに複数の星系に進出する選択肢も生まれたのだ。終戦後は王国を相手にせず、天華の領域を広げていく手もある。
様々な可能性に鑑みたユーエンは、ウンランの提案に賛同した。
『状況を改善できる可能性があると考える。やってくれ』
「承知した。それでは王国の星系に到達するタイミングに合うように、天都ないしヘラクレス星系で、攻撃部隊の準備を整えてくれ」
『勿論だ。それと1つ、相談があるのだが……』
ユーエンが語ったのは、避難民の受け入れについてだった。
王国軍が1ヵ月近くも張り付いていた大泉星系からは、星系人口125億人の約半数が、首星を破壊される以前に離脱している。逆に速攻で破壊された本陽星系からは、人口112億人の1割ほどしか離脱できなかった。
大雑把に見積もって70億人以上の難民が発生したが、太陽系の下位互換でしかない天都では、彼らを受け入れる余裕が無い。
押し込めば入るが、70億人が入った分だけ、303億人に割り振られる資源が目減りする。内紛は目に見えており、ユーエンは天華人民同士が相打つ未来を懸念したのだ。
ウンランの提案通りに王国の星系を制圧しても、地上掃討戦などがあって、すぐには住めない。かといって想定外の膨大な避難民を乗せた星間船は、循環システムが長くは保たない。
『アポロン星系に精霊王の領域があった場合、移住までにはさらに時間が掛かるはずだ。一時的にでも、ヘラクレス星系の惑星アルカアイオス地表に避難させてもらえないか』
既に居住惑星を持たないウンランは、ユーエンの話を受け入れるしか無かった。
そして2人の話を聞いていたイシードルも、鷹揚に頷いた。
「旧連合民が住んでいた地表部であれば、構わないよ。地下で暮らす我々にとっては、快適ならざる土地であるし、ジルケの瘴気の足しにもなるだろうからね」
アルカイオスは潮汐固定された惑星で、重力は地球の1.8倍だ。
恒星と向かい合う面は永遠に真夏の炎天下で、反対面は冬の暗闇が永遠に続く。
そのため人類に適した居住エリアは、恒星が地平線に見える昼と夜の中間点か、地下空間に限られる。
地上であれば、夜明け前の薄暗い空の下、あるいは夕暮れに染まった変わらない空の下で過ごさなければならない。
ヘラクレス星人が、昼夜や四季、天気や相応しい温度まで創り出せる箱庭の地下空間に篭もるのには、相応の理由がある。
「大泉民には、可能な範囲で選ばせてくれ。王国に領域を作って惑星を制圧するまで船で待つか、一先ずアルカイオスで暮らすのかを」
『可能な範囲で対応させるが、酸素や水、食料に問題がある船は、乗員をアルカイオスに降ろさざるを得ない。個別対応は不可能であるが故に、選別自体は機械的に行う』
「やむを得ない」
自分がアルカイオスに住むのであれば、耐え難く感じるだろう。
早急に王国の星系を奪わなければならないと決意したウンランは、イシードルと共に、高速戦艦で王国領域へと潜り込んでいった。