87話 地球破壊
王国民と契約する精霊達の大多数が、かつて無い大混乱に見舞われていた。
それはオオスズメバチが、セイヨウミツバチの巣に現われた時に発生するような騒動で、精霊達は迎撃しようと大挙して溢れ出し、対抗手段もないのに集団で飛び回った。
かつてない混乱に見舞われる精霊達に、契約者である人間達が事情を訊ねたところ、精霊達は邪霊に殺される可能性を口にした。
人間同士の争いでは精霊を害せないが、邪霊の魔力を帯びた攻撃であれば、精霊を殺せる。邪霊と契約した天華の人間が動かす軍艦の砲撃や、もっと直接的に制圧した惑星で王国民を殺害する形などが、精霊を害する具体的な手段となる。
もちろん精霊が殺されるような状況に陥れば、契約者も生きては居られない。
精霊に匹敵する邪霊の出現と、それが精霊を省いた軍事力では王国を圧倒する天華に渡った事実に対して、王国では暗雲が立ち篭めるように、払拭しがたい危機感が国民の心を覆い尽くしていった。
フロージ星系壊滅と邪霊出現の報は、太陽系を制圧したばかりのハルトの下にも多次元魔素変換通信波を用いて届けられた。
判断を一時保留したハルトは、考える時間を設けて自らの精霊ミラに相談した。
「ミラ、邪霊について教えてくれ。俺は知らないんだ」
乙女ゲーム『銀河の王子様』を情報源とするハルトだが、邪霊に関しては、クリア後に見られる設定でしか内容を知らない。
載っていた情報は、タクラーム公爵家が所有する魔力を奪う遺物が邪霊に由来する事くらいで、実際の邪霊が登場した姿を見たわけでは無かった。
『邪霊は、精霊から枝分かれした存在です。天使と堕天使に近いかもしれません』
精霊と邪霊を対比したミラの説明によれば、精霊がプラスのエネルギーを持つとすれば、反転してマイナスのエネルギーを持つ存在が邪霊とされた。
精霊同士が争っても、プラスのエネルギーを浴びせるだけなので滅びない。だが精霊と邪霊がエネルギーを浴びせ合えば、負けた側がエネルギーをゼロにされて、相手に吸収される。
そして精霊と邪霊は、互いに捕食被補食関係にあるとの事だった。
「天敵という事か」
『天敵の解釈でも良いと思いますよ。ミラ達が邪霊に食べられると、それを元に邪霊が強化されます。勢力バランスが崩れれば、加速度的に形勢が悪化します。ミラから見た邪霊は、ゾンビ映画のゾンビですね』
これらはミラの主観であったが、精霊側から見た邪霊の認識についてハルトは概ね理解した。
「すると邪霊は、精霊と同様に昇格や領域化も出来るのか?」
『出来ますよ。枝分かれしただけですから、基本的には同じ事が出来ます』
天華が共和国に天体を落とした行動に理解が及んだハルトは、王国を取り巻く状況の悪化に理解が及んだ。
「天華の連中がドワーフと組んだのは、ドワーフが邪霊と契約していたからか」
共和国に侵攻した天華艦隊が邪霊を持っていた事から、ハルトは相手陣営に、ディーテ星系の精霊帝ジャネットのようなC級結晶を配れるクラスの邪霊が存在すると考えた。
すると複数の上級精霊ならぬ上級邪霊も生み出せて、それらに共和国の惑星を食べさせれば、邪霊王を作り出せる。
天華が共和国に天体を落とした行動に、ハルトは理解が及んだ。ようするに天華とヘラクレスの同盟陣営が行ったのは、ハルトの模倣なのだ。
「相手が同じ事をすると、自分の行動の厄介さが分かるな」
天華が共和国の首星に天体を落とした目的は、首星に溜まった瘴気を吸収して、邪霊王を生み出す事で間違いない、と、ハルトは確信した。そして王国の各星系を襲わなかったのは、天華側が王国の防衛戦力を突破できない可能性があったためだ。
フロージ共和国が有する星系は3つ。天華が有する星系も3つ。
邪霊王が3体誕生すれば、天都、大泉、本陽が領域化されて戦力が5倍になり、転移門を使って各星系から増援も出せるようになる。
魔力を持たない一般の天華人民や、巨大惑星アルカイオスの地下に何人暮らしているのか想像も付かない大量のドワーフ達も、いずれ天華製の戦闘艇で迎撃に出てくるようになるだろう。
「最悪の事態だが……」
ハルトは邪霊王3体の誕生について、もはや避けられないと考えた。
共和国は、既に1星系が破壊されており、残る2星系もハルトが太陽系から救援に向かったのでは間に合わない。
そして邪霊王3体を得た天華は、天華の各星系を領域化していくだろう。
「……現時点では、天華の各星系が邪霊王に領域化されたわけではないな」
ハルトは不意に、現状からの打開策を閃いた。
天華は共和国に侵攻中で、今だけは防衛戦力に余裕がない。ハルトが手持ちの全戦力を向かわせれば、天華の惑星を破壊できる。そうすればハルト側は精霊王を得られて、王国の星系に領域を増やせる。
そこまで考えたハルトは、さらに酷い策を思い付いた。
ハルトは太陽系にいて、目の前には地球という惑星がある。
地球を発祥の地とする人類として、禁忌に触れる行為かも知れないが、地球を精霊の糧とすれば、さらに1体の精霊王を増やせるのだ……。
天華とヘラクレスが邪霊を持ち出さなければ、到底思い付かなかっただろう。そして思い付いても、天華に天体を落とされ、核融合弾の地雷原とされていなければ、地球という星の価値に鑑みて躊躇っただろう。
だが邪霊によって、最悪の場合に王国は敗戦の危険すら生じてしまった。司令長官のハルトは、国家の危険を回避すべく、最善の対応を採らなければならない。
さらにハルトが地球を見逃した場合、天華とヘラクレスの同盟側が新たな邪霊王を誕生させるために地球を使う可能性もある。
天華とヘラクレスの同盟側が地球を攻撃しなかったのは、地球には移住するつもりであったのか。それとも共和国の3星系を襲う前に地球を攻撃して、邪霊王1体の段階で王国が阻止に動く危険を避けたためか。
地球を放置すれば、4体目の邪霊王が生み出されるという事態が、ハルトに地球の破壊を決断させた。
「人類という種にとっての地球は、ディーテや深城に勝る価値があるが」
理性では破壊するしかないという結論に至っても、ハルトは苦悩した。
ディーテ王国にとって地球人は頭痛の種だが、地球自体には多種多様な生物が生息しており、人類にとって極めて高い価値を有する。
具体例を挙げるならば、哺乳類の胎盤形成はウイルス感染が影響しており、それをオーストラリアの胎盤を持たない有袋類と比較する事で、人類の進化の過程や可能性を探ることが出来る……と言う事は、地球でしか確認出来なかった。
人体に害や、影響を及ぼす多様な生物が生息する地球は、人類が進化し、免疫を獲得し、環境適応してきた実験場であり、生物学の教科書だ。
ハルトが精霊王を誕生させる目的で、地球の地層を巻き上げるように大量の天体を落とせば、地球ではディーテ独立戦争時を遥かに上回る大量絶滅が発生して、人類は教科書の一部を二度と読めなくなる。
それでもハルトは、決断した。
「王国民の生命は、生物学の教科書に勝る」
人類が地球だけに暮らしていた時代、環境汚染やオゾン層の破壊があっても、各国は「地球のために人類を滅ぼそう」という考えにはならなかった。
王国にとって、王国民は代替不可能な価値を持ち、地球とは比較にならない。
結論を導き出したハルトは、直ちに8個艦隊と貴族軍に撤収準備を命令して、艦隊には突入用天体を集める指示も出した。
そして本国のユーナに依頼して、翌日には本国と侵攻軍との間で、軍幹部と上級貴族を集めた緊急連絡会を行わせたのであった。
「侵攻軍の総司令官である私アマカワ元帥より、ご列席頂いた皆様に、王国が生き残るために不可欠だと判断して実行する2つの作戦について、ご説明します」
女王が出席を命じたのは、御前会議と諸侯会議の参加資格者達だ。
すなわち大将以上の軍人、政府閣僚と2つの議会議長、伯爵以上の貴族家当主と後継者達であり、命じられた全員が会議に顔を揃えた。
それはハルトが会議に先立って事前に配付した資料が、彼らに何を置いても出席すべきだと判断させたためだ。
配布資料には、同盟が共和国を襲う真の目的、天華の各星系が邪霊王に領域化可能性、敵艦隊が不在の今こそ侵攻すべきである事、そして地球の瘴気を浄化して王国側の精霊王を増やす案が記されていた。
概要を理解する出席者に対して、ハルトは確定事項を告げた。
「作戦の1つは、今すぐ地球を破壊して、それを贄に新たな精霊王を作り出す事。これは王国の星系を守る領域を増やすためにも、天華とドワーフに新たな邪霊王を作らせないためにも、不可欠です」
1つ目の作戦を説明したハルトは、続けて2つ目の作戦も説明した。
「もう1つの作戦は、フロージ侵攻軍が戻る前に、天華の星系へ逆侵攻する事。これは、今であれば攻略難易度が低い一方で、天華が邪霊王の領域を作った後では、星系攻略が不可能になるためです」
2つ目の作戦については、ハルトが率いている太陽系侵攻軍から8個艦隊と貴族軍15個艦隊をディーテ星系に戻して、ディーテ星系から転移門でマクリール星系に跳んだ後、マクリール星系から大泉星系に急進するものであった。
九山が把握している天華3星系の防衛戦力は、13万3000隻相当。国家魔力者の自然増を合わせれば、14万5000隻相当となる。
なお邪霊結晶を用いた防衛戦力の大増強は、今であれば行われていないはずである。
邪霊結晶の使用を前提とした大量の戦闘艇を建造して、操縦者を揃えて配備するには、相応の時間を要する。深城攻略の時点で邪霊結晶が存在せず、九山のリキョウも知らなかった天華は、現時点では防衛戦力を増強できていない。
「邪霊結晶で戦闘艇操縦者を揃えるには、まだ時間が足りないでしょう。ですから精霊結晶を得た王国を参考に、天華が艦隊戦力だけを2割増強出来たとして、敵の防衛戦力は、推定17万4000隻相当と考えます」
対するケルビエル要塞は、イスラフェル112万5000艇で天華15万隻相当の戦力と見なされる。そこに正規軍と貴族艦隊を追加すれば、17万隻相当の戦力となる。
王国17万隻と、天華17万4000隻とが争えば、天華が有利だ。
だがハルトは、大泉で17万隻対17万4000隻の睨み合いをしつつ、ケルビエル要塞だけはマクリール星系に戻して、再度112万5000艇のイスラフェルを詰め込んで大泉に向かわせる事を考えた。
ケルビエル要塞が乗せている戦闘艇操縦者は、本来の艦体性能の2倍の戦果を出すと評価されている精鋭達だ。
追加で送る再選抜の第二陣は、当然ながら操縦者の技量が落ちる。軍では評価が1.2倍にまで落ちると計算しているが、15万隻相当だった戦力が9万隻相当に落ちるだけで、それだけの増援が大泉に届けば敵を圧倒できる。
第二陣が届けば、26万隻対17万4000隻の戦いだ。
天華側も、天都や本陽から増援を送るかもしれないが、敵の増援が少なければ、大泉を攻略して精霊王を増やせる。
そして敵の増援が多ければ、地球で昇格させた精霊王で大泉を領域化させて、大泉の防衛艦隊と他星系からの増援艦隊を殲滅し、転移門でディーテ星系から増援を得て、手薄となった天都や本陽に侵攻する。
「天華とヘラクレスが組んで、敵陣営にヘラクレス星系が加わるのだとしても、天華の星系をいくつか攻略して、王国の星系に領域も増やせる次第です。天華を削った分だけ、今後の戦いでも有利になるでしょう」
説明を終えたハルトに、出席者から質問が投げかけられた。鋭い眼光でハルトを射抜いた質問者は、ポダレイ星系の主統治者ドーファン公爵であった。
『それらを実現させたとして、領域を作れないポダレイ星系やマカオン星系は、どうなるのだ。相手には邪霊が居るのだろう』
随分と先の展開まで読めている、と、ハルトはドーファンに感心した。
天華は邪霊王の領域で、全星系を守れる。邪霊結晶によって、いくらでも戦闘艇を配備できるようになった天華の各星系に対して、ケルビエル要塞で運べる程度の戦力しか持ち込めない王国は、今後は攻めあぐねる。
すると戦力が釣り合った星間戦争は、王国と人類国家連合群が争っていた数百年の単位で長引くだろうが、精霊王が不足する王国では全星系を領域化できないために、防衛に穴が空く。
精霊王の領域を広げた星系では、敵味方の戦力差を5倍に広げられて、転移門が繋がる各星系からも増援を得られる。一方で領域を作れないポダレイやマカオンには、そのような恩恵は無いのだ。
ハルトは常識的、かつ万全とは言い難い対応策を示した。
「王国の8星系に対して、精霊王の数が足りません。領域化出来ない星系には、領域化できた星系の防衛戦力を回して、戦力を増強します」
それは応急処置であって、根本的な対策には成り得ない。
ドーファンは最悪を想定して質した。
『邪霊と精霊は、同じ事が出来るのだろう。ならば天華とドワーフが、イスラフェルと同規模の星間船を量産して、1億艇の規模でポダレイとマカオンに侵攻すれば、一体どうなるのだ。防衛できるのか』
そんな事は起こり得ないとは、ハルトも断言できなかった。
天華が国家の存亡を懸けた決死の覚悟で、イスラフェルに相当する星間船を大量建造して送り込めば、両星系は守り切れない可能性もある。
数億艇のイスラフェルと、それを動かせるC級結晶を置けば戦力的には対抗できるだろうが、億単位の戦闘艇同士が入り乱れて戦う会戦で、常に惑星を守り切れるとは限らない。何れ綻びは出来るだろう。
それに精霊結晶を生産するエネルギーにも限りがある。
ディーテ星系は、2度の会戦で数十億人が殺されて瘴気が溜まり、それを浄化して吸収した精霊帝ジャネットは相応のエネルギーを有するが、無限に供給出来るわけでは無いのだ。
ハルトは険しい表情を浮かべながら答えた。
「可能な限り戦力を配備して、天華の侵攻に備えます。その他の対応策は、順次講じていきます」
『卿は、王国全軍を意のままに操れる絶大な権限と引き替えに、それを以て最大限、王国と王国民を守る義務を負う』
司令長官であり、王国で唯一の元帥でもあるハルトは、黙して頷いた。
『王国を守るために、地球を破壊して精霊王を増やすのであれば、賛同するからやれば良い。そして領域化できない星系の防衛も、最大限にやって貰う。防衛策の進捗状況は、常に報告を頂きたい』
「分かりました。領域化できない星系方面軍と諸侯には、防衛策の進捗状況を随時伝達します」
ドーファンが座すと、会議の場を沈黙が支配した。
出席者には、地球への天体突入に賛同以外の意見を持つ者も居るだろう。
そんな彼らが声を上げなかったのは、ドーファンの質疑によって、精霊王1体の有無が、王国星系の滅亡にすら関わると理解したが故だ。
ポダレイやマカオンは最後方に位置する星系だが、遠方の共和国すら襲う敵を相手に、安全など保障できない。
フロージ星域でヘラクレス星人の指導者イシードルが宣言したとおり、自分達が生物として生存して繁栄する事は、他の全てに優先されるのだ。
「それでは地球を破壊して、新たな精霊王を作り出した後、敵星系に侵攻します」
決定が周知された後、対外発表の内容が説明された。
前提として地球は、天華によって、地球人の半ばが火星に移された後、大量の核融合弾が埋設された地雷原となった。さらに核融合弾を起爆させる天華のアンドロイド兵も紛れ込んでいる。
そのため王国が地球に天体突入を行う主目的は、『天体突入によって核融合弾を破壊して、地雷原を取り除き、長期的には地球を安全な環境に戻す事』だとされた。
発表に関しては、地球に天体を突入させた後に行う。
実行前に発表すれば、故郷の破壊を宣言された地球人や、時間稼ぎを行いたい天華が、騒ぎ立てて邪魔をする事が容易に予見できるためだ。
地球には、王国に反発する地球人が残っている。抵抗して隠れ潜む彼らを完全に移民させる事は、王国では何百年掛けても出来ない。そして大泉に侵攻する王国には、彼らの翻意を促す時間など全く無かった。
王国は、火星への移動命令に応じない全ての地球人を見限ったのである。
地球の破壊は、最大量の瘴気を浄化できるように、上級精霊アルフリーダの魔力を込めた天体を満遍なく叩き込む形で行われた。
地球の地層が大気圏外まで吹き上がり、海底が貫かれて海洋が沸騰する。
何度も見慣れた光景だという思いと、地球を滅ぼしたという事実が、ハルトの内心を渦巻いていった。
ハルトは重い溜息を吐き出すと、アルフリーダに目を向けた。
数十億年を掛けて地球に積もった瘴気が、アルフリーダの魔力を浴びて浄化され、エネルギー化して彼女に吸収されていった。
地球は数十億年の歴史で、浄化し切れない瘴気が相当に溜まっていたのだろう。集められたエネルギーが吸われるごとに、顕現したアルフリーダの周囲の庭で植物が生い茂り、抱える銀の如雨露からは光が溢れ、亜麻色の髪とピンクのドレスは神々しく輝き、深紅のイヤリングが濃く染まっていった。
いつの間にか、首元に青色のペンダントを下げていたアルフリーダに向かって、ミラは感心した風に評価を口にした。
『頑張れば、此方で精霊帝に届くかもしれませんね』
徹底的に焼き尽くされた地球を背に、アルフリーダは穏やかに微笑んだ。