83話 追加契約
王国民に熱気の渦が沸き起こり、戦争の高揚感が全星系を呑み込んでいた。
大艦隊の魔素変換光が、光輝く流星群となって、ディーテ星系内を泳いでいく。それらは王国民が放つ矢であり、年明けには太陽系に射られて、天華連邦の軍勢を貫いていくだろう。
首星から夜空を見上げた王国民は、自分達が作り出した大小の星々が、宇宙を輝かせながら流れていく光景を誇らしげに想像していた。
「来年のうちには、天華3星系まで届くんじゃないか」
「それなら賭けるか。俺は来年が旧連合領で、再来年が天華星系だと思う」
星系内を流れる矢の大半は、マクリール星域会戦と深城星域会戦で活躍した、王国軍10個艦隊と貴族軍15個艦隊だ。
5年前の王国全軍に匹敵する数の彼らは、戦闘力では5年前を圧倒する。
艦隊運動の1つを取り上げても、その差は歴然だ。
人間が常識的に運用していたのが5年前だとすれば、魚の群れが大海を泳ぐように自在に動くのが精霊を導入した王国艦隊だ。
精霊達は、新系統の通信手段、周辺の精霊艦隊との連動システム、敵の攻撃に対する予知と回避システム、独自に思考して人的ミスを減らす補助システムなどになって、王国の戦闘力を飛躍的に向上させている。
攻撃力だけでは無く防衛力も、5年前の王国民に伝えれば誰も信じないほど強大化した。
王国の最前線と目されるディーテ、アテナ、マクリール、深城の4星系では、領域化が行われた上で、数千万もの戦闘艇が宙域を飛び交っている。
領域内では、イスラフェル3艇と天華艦1隻の戦力評価が釣り合う。従ってイスラフェルが1500万艇あれば、開戦時の天華の総戦力である100万隻を5倍も上回る。
王国は戦闘艇の切り替えを続けており、いずれ億単位のイスラフェルが転移門を飛び交う予定だ。
さらに深城から回収された複数の天体が、新たな戦略衛星に続々と改造されていた。
ディーテ星系のメディアでは、深城星系から戦略衛星用の天体が送り込まれる度にテロップを流している。
『王国政府の発表によれば、本日26時より27時にかけて、深城星系に繋がる転移門より、5つ目となる戦略衛星用の天体が到着します。なお転移門の上部を通過するため、民間船の転移門通過は通常通りに行えます……』
首星ディロスから3億キロメートルの宙域に開かれた3つの転移門は、それぞれ直径2000キロメートルで、転移門の上半面が軍と貴族用、下半面が民間用となっている。
戦略衛星に用いられる天体は、最低でも直径300キロメートル以上の大きさだが、転移門の上半分だけで通過できる。
艦艇が駆け抜け、戦略衛星となる天体が続々と届く姿に、王国民は戦いの高揚感に包まれながら、勝利を確信していった。
天体を改造して生み出す戦略衛星は、領域が作られた各星系に最低1つは置かれる予定だ。精霊王が勝手に動かしてくれるために、敵に突入させて相打ちにさせた後を考えれば、2つ以上あっても良い。
現在は4つの星系にしか置けないが、ハルトが新たに領域を増やせば、新たな星系にも戦略衛星が配備される。
戦略衛星は、領域内においては、天華艦隊3万隻を撃破できる戦力だ。そして戦略衛星は、無人兵器かつ自己判断で活動できる点が最大の脅威となる。
第二次ディーテ星域会戦の折、侵攻してきた天華は、国家魔力者を使い捨てにして核融合弾を乱発する戦法で、王国軍の迎撃部隊を苦しめた。
そんな天華による特攻と艦艇の使い捨てが、無人の戦略衛星を有する王国軍でも出来るようになるのだ。
無人の戦略衛星であれば、損害を無視して敵艦隊の中心部に突撃させて、敵軍の陣形を崩壊させられる。
戦略衛星の戦力評価は、1基で天華3万隻相当に過ぎないが、どれだけ破壊されても新たな戦略衛星を次々と突入させれば、敵側の士気は崩壊するだろう。
既に戦況的には有り得ないが、天華連邦が50万隻でアテナ星系を占拠したとして、王国側がディーテ星系から戦略衛星だけを続々と送り込んだ場合、天華の防衛艦隊は10個目の戦略衛星を投げ込まれた時点で壊滅する。
不足するのであれば20個、30個と送れば良い。
量産される戦略衛星の名前は、フラガ2、フラガ3、フラガ4……。いくらでも増やせる量産型だと示す事で、敵の士気は崩壊する。
現在のハルトが「実現できたら良い」と考える未来図は、王国の全星系に精霊王の領域と転移門が作られる事だった。
「王国が有する8星系のうち、領域化したのは半分の4星系。残り4星系も領域化すれば、防衛も流通も万全になる。天華の星系は残り3つで、全てを精霊が饗しても、1つ足りないが……」
王国8星系が転移門で繋がれば、距離の壁が無くなった8星系は、誰も取り残されることなく同時に発展していける。
大人数と大量の資源があれば、人類の発展は加速していくだろう。
そんな理想への障害となるのは、彼女達に供する惑星が足りないことだ。
これから居住可能惑星に数十億人を住ませて、200年後には精霊に饗させるから出て行ってもらう予定を立てたとする。
だが200年後に出て行く必要があると分かった上で、それなりの対価も得られる人々が納得して出て行ったところで、それは極めて正常な行動であって、まともな瘴気が溜まるだろうか。
フルールやレーアを精霊王に引き上げた新京星系や九山星系では、惑星に住む数十億人が戦火の中で、恐怖や絶望と共に焼き殺されていった。
それと同じ事を戦争中の天華3星系には出来ても、他には出来ないために、精霊に饗させる惑星が足りないのである。
なお饗させる上級精霊については、ハルトには補充のアテがあった。
「精霊王に引き上げて、領域化させる候補の上級精霊が欲しい。カーマン博士に貰ったB級結晶2つの他にも、あと2つ持っておきたいが、直接契約しているミラやジャネットなら用意できるよな」
ハルトに要求されたミラは、不思議そうに首を傾げた。
『ミラが上位精霊を用意できるなんて、お話ししましたっけ?』
「いや、聞いていない。だけど精霊王には、数体の上級精霊が配下に付いてもおかしくないだろう。だったら格上の精霊帝が、数体の上級精霊を用意するくらい、難しくはないだろうと思ったんだが」
ハルトは言い訳したが、実際には乙女ゲーム『銀河の王子様』でカンニングしている。作中でユーナの契約精霊ジャネットは、B級結晶を作れていた。だからジャネットには可能で、同じく精霊帝のミラにも可能だと確信している。
はたしてミラは、結晶を作れる事を肯定した。
『ミラはベジタリアンですから、理想の野菜を生み出す事を目指しています。ですから野菜に使う分は蓄えて、お肉の分だけ排出して結晶体を作っています』
「それなら、シャリーに渡した結晶は、余剰エネルギーというか、余分なエネルギーだった訳か」
『はい。ミラにとって不要なエネルギーを詰め込んだので、クロエは最初から力の有る上級精霊ですね。その後も、マーナ、トール、フレイヤの3星系で溜まりましたから、それで良ければ作れるのですが……』
ミラの説明は、本来であれば聞き捨てならない内容を含んでいた。
王国と深城との国交樹立時、ミラがシャリーに渡した精霊結晶から生まれたダークエルフ姿の精霊クロエが、中級ではなく上級だった事は重大な問題だ。
ミラが排出したい不要なエネルギーであり、クロエがミラの管理下にあって、人間に対しては隠し果せるのだとしても、当時は独立国であった深城の王女殿下に機密の塊である上級精霊を渡すのは非常に拙い。
契約者であるハルトを守るために、他国の人間であったシャリーに対する監視を強めるなど、ミラの行動には想像し得る理由がいくつかあるが。
深城が王国に組み込まれた今であれば、ハルトが婚約者であるソン公爵夫人シャリーに渡しても、王国民は受け入れるだろう。編入後に渡した事にすれば、問題が無いだろうと判断したハルトは、クロエの件を聞き流して続きを促した。
「それで、作成には何か問題があるのか?」
『ありますよ。3星系で得たのは、王国に滅ぼされた人達の思いです。それを基にして単純に生み出した精霊に王国を守らせるのは、お勧めできません。ですから上級精霊は、ディーテ星系のジャネットに頼むのが良いですね』
「なるほど。それは確かに良くないな」
説明を受けたハルトは、ミラから精霊結晶を得る事を断念した。
『ジャネットに依頼して、4体の上級精霊を揃えれば良いと思います。お手持ちの結晶が2つ有りますから、2体の作成で済みますね』
ミラの視線が、ハルトの懐に入った精霊結晶に伸びていった。
ハルトが所有するB級結晶は、ハルトの家族や婚約者用にと頼んで、精霊神の契約者であるカーマン博士から10個という制限付きで受け取ったものだ。
そのような入手経路で、精霊王に至れる才覚の無いハズレの上級精霊が混ざっているはずもない。視線に促されてハルトが取り出した精霊結晶に視線を向けたミラは、2体の精霊について説明した。
『亜麻色がアルフリーダで、紅色がベレニスです。アルフリーダは万能型、ベレニスは攻撃型でしょうか』
「それならアルフリーダがアポロン星系で、ベレニスがアルテミス星系かな」
王国で精霊王の領域を展開していない4星系のうち、最前線に近いのがハルトの挙げた2つの星系だ。天華は3星系があって、2体の精霊王を誕生させて敵が残っていた場合、両星系を領域化するのは道理に適う。
もっとも、ハルトが両星系に転移門を繋げる意図は他にある。
アポロン星系には、フィリーネやクラウディアの実家がある。そしてアルテミス星系には、タクラーム公爵領や九山の移民先がある。
フィリーネが継承するカルネウス侯爵領に転移門を繋げて、行き来を楽にする。それと同時に、余計なことを企むタクラーム公爵領にも転移門を繋げて、戦略衛星を何十個でも放り込めるようにしておく。
アルテミス星系に攻撃型の精霊王を据えるのは、目的に鑑みて適任だからだ。
「まずは両星系だな。精霊王を1体だけ得られた場合、個人的にはアポロン星系を優先したいが……」
領域を展開した精霊王は、精霊結晶やハルトの魔力を介さなくても、領域内で勝手に瘴気を浄化して、エネルギーを回収できるようになる。
契約者であるハルトの死後も、精霊王達は自らの領域内に人類が存在する限り、何万年、何億年だろうとエネルギーを回収し続けて、自己強化に使用できる。
精霊王の領域内で行われる魔力支援や、転移門の使用は、人類から安定的にエネルギーを回収し続けるための餌でもある。星系の安全性や利便性を高めて、人類を定住させる共存共栄型であるが。
かくしてエネルギーを溜め続けた精霊王達は、いつの日か、精霊帝に至るだろう。
人類と精霊とで紡ぎ出す、星の歴史の第一歩として、ハルトは亜麻色の精霊結晶を自らの情報端末に繋げた。
刹那、ハルトの周囲が、丁寧に手入れされた庭園に移ろいだ。
庭園にはテーブルクロスが敷かれた丸テーブルと、木製のイスが置かれており、イスには銀色の如雨露を手にしたピンクのドレス姿の女性が優雅に腰掛けていた。
『わたくしが、ミラ様からご紹介を賜りましたアルフリーダです』
優しい声色で穏やかに挨拶した女性は、亜麻色の髪と空色の瞳を持ったハーフエルフだった。耳には真紅の宝石が付いたイヤリングが輝いている。
精霊の髪の色は属性に関係すると知るハルトは、アルフリーダの属性を光と土ではないかと予想した。
だが空色の瞳や、真紅のイヤリングは、水や火に関係しているようにも思える。結論に迷ったハルトは、彼女が複数の属性を高レベルで持つのではないかと想像した。
「ハルト・アマカワだ。天華の星系にある瘴気を浄化して、精霊王に昇格した後は、ディーテ王国の星系に領域を作って貰いたい。俺の子孫が住む事になる星系だ。可能な範囲で、末永く守って欲しい」
『承りますが、わたくしが領域を作った後も、時々は会いに来て下さい。此方の契約者である貴方が協力的であれば、色々な効率が上がります。貴方が存命中で、ご自分の意志で動ける間だけで構いませんので』
「分かった。約束する」
『仮初めの契約が成立しました。わたくしと直接契約する時は、紫のパンジーと口にして下さい』
囁きを残したアルフリーダは、彼女の世界である美しい庭園と共に、空気に溶けるように薄れていった。
アルフリーダが消えていく様を見届けたハルトは、次に紅色の精霊結晶を手に取り、自身の情報端末と接続した。
繋がれた紅色の精霊結晶からは、赤髪に赤い瞳、へそ出しの短い上着にロングスカートを履き、まるで神話のアルテミスのように弓矢を携えた女性が現われた。もっとも身に付けている装飾品は、古代には似つかわしくない高度で繊細な品々だったが。
彼女は、妖精的な外見は有していなかった。だが、明らかに人間とは異なる特徴を持っていた。それはスカートの後ろから生えている、狼のような尻尾だった。
いかにも精霊的な外見を有する精霊達とは異なり、獣人型という珍しい彼女は、尻尾に視線を向けるハルトの様子を気にも留めずに名乗った。
『あたしの名前はベレニス』
「ハルト・アマカワだ」
ハルトは咄嗟に名乗り返したが、感心が逸れていて、アルフリーダの時のようには言葉を繋げられなかった。そんなハルトに構わず、ベレニスは自らハルトの要件に答える。
『直接契約したいなら、赤のカトレアと言えば良いわ』
契約の言葉を伝えたベレニスは、赤髪を振りながら身を翻して消えていった。
サバサバとした精霊だと感心しながら見送ったハルトは、不意に身体の力が抜けると同時に、抜けた分の何かが入り込む感覚を得て、椅子の背もたれに身を沈めた。
こうしてハルトは、カーマン博士から得た全ての精霊結晶を使い切った。