82話 深城星系
マクリール星系で大まかな方針を出し終えたハルトは、深城星系に移って同様の指示を出すと共に、深城星系の検分結果をユーナに報告した。
詳細は所管省庁が調べている最中だが、差し当って必要なのは概要である。
伴った報告者はシャリーで、一緒に居るハルトに打ち解けた彼女は、ハルト達が居て画面越しであれば、ユーナと普通に会話できるレベルに成長した。
シャリーの脳内では、ユーナは野菜に置き換えられているのだろう……とは、ハルトが決して口に出さないソン公爵家の秘密である。
「深城星系は、西暦3045年に入植した人類全体で6番目の移民星系。星系の特色として、星系内物質が他の星系よりも多い点が挙げられるわ」
シャリーが語る深城星系は、西暦3333年にディーテ政府が行った地球との戦争の影響で、母体となった宗主国から独立した。それから410年後の西暦3743年、天華5国の侵攻を受けたハオランが王国への従属を表明し、翌年9月に王国へ編入されて、現在に至っている。
恒星はG型主系列星で、岩石惑星5個、ガス惑星3個、巨大氷惑星4個の他に、太陽系を上回る多数の準惑星や衛星を有している。
「深城を誕生させた後に残った塵とか星間ガスの量が、同じG型主系列星の太陽系やディーテ星系よりも多かったの?」
ユーナの確認に、シャリーは軽く頷いて答えた。
「そうよ。星間分子雲の密度が比較的濃くて、それが恒星に集まりきらなくて、今の形になったの。深城の巨大ガス惑星は、太陽系の木星を複数衝突させたくらいの大きさで、星系内の天然資源も豊富だったから、天華が発展していけたの」
G型主系列星の1つである太陽は、太陽系全体の質量の99.86%を占めている。そしてスペクトル分類で1つ上のF型主系列星であれば、恒星の質量が太陽の1倍から1.4倍になる。
深城星系の質量であれば、恒星はF型になるはずだった。
それが恒星の誕生時に、現在の星系内にある物質を集めきれずに、F型になり損ねてG型になったのだ。
「おかげで戦略衛星を建造する手頃な天体も、選り取り見取りだ」
司令長官の立場から所感を述べたハルトだったが、深城の星系内物質は異様に多い。深城星系の恒星系外縁部に浮いている天体の質量は、地球の質量の約10万倍といったところで、現在の人類には使い切れないほど存在する。
軍人としては有り難いが、経済界の人間が知れば、マクリール星系とは桁違いの資源量に恐怖するだろう。
深城星系には、ハビタブルゾーン内に3つの岩石惑星が存在する。
恒星深城から順に4番目の惑星が、首星となった蓮昌だ。
その他に3番目の河池と、5番目の玉江は、人類の現代技術ではハビタブルゾーン内とされる位置に入っており、数百年単位でのテラフォーミング中だ。
地球と比べた各惑星の直径は、河池が1.2倍、蓮昌が1.3倍、玉江が1.5倍。
3番目の惑星・河池は、火星に近かった惑星の半分を海に変えて、大気も人間の居住可能レベルまで改良しており、現在は5億6000万人が暮らしている。
4番目の惑星・蓮昌は、保門と呼ばれる直径5000キロメートル級の衛星が公転しており、こちらはテラフォーミング済みで巨大なリゾート地となっている。
5番目の惑星・玉江は、全球凍結をテラフォーミングして、地球単独時代のロシアに近い環境に変えており、現在は4億4000万人が暮らしている。
「居住可能惑星が3つもあるなんて、贅沢な星系だね」
深城だけが侵略戦争に加担しなかったのも、逆に他の天華5国から侵略を受けたのも、これほど豊かな星系であれば納得であろう。
2つの惑星について、シャリーは補足した。
「天然ではなくて、現代技術で維持できるハビタブルゾーン内だから誤解しないで。未だテラフォーミング中で、多くの人は住めないの。調整は続けていかないと」
シャリーは大学の環境学部で惑星循環システムを専攻した後、惑星環境構築団体の理事となっている。理事は殆ど肩書きだけだったが、今後の深城に必要なことは学んでいた。
これから人類が技術発展していけば、他の星系でもハビタブルゾーンが広がって、居住可能惑星も増えていくだろう。
深城星系の事情を踏まえたユーナは、女王の立場から、今後の王国の方向性を考え直した。
「居住星系を増やすより、既存の星系で住める場所を増やした方が良いのかな」
かつてディーテ王国は、連合に居住惑星を破壊される事を想定して、国策で居住惑星の分散を行ってきた。
だが旧連合は滅びて、天華との戦争も終わりが見えつつある。
転移門による物流で国内が急速に発展している現状に鑑みれば、往復に月単位を要する沢山の辺境星系に進出するよりも、既存の星系で居住エリアを増やす方が発展していくかもしれない。
現在、王国が有する居住惑星は8つある。
その半数に精霊の領域が広がっており、残りは手付かずだ。
ハルトが契約しているミラを使えば5つ目の領域を作れるが、有能な精霊を手元に残しておけば、自分の子供への魔力継承に力を貸してくれる事から、ハルトは精霊帝のミラを手放したくないと考えていた。
「王国が他星系に移民しても、俺は領域を増やせない。天華3国の居住惑星を3つ潰して、精霊王3体を増やすのが限界だ。アポロン星系とアルテミス星系に使って、残りはポダレイかマカオン。1つだけ残すと、角が立ちそうだが」
ポダレイ星系とマカオン星系は、いずれも首星や天華から同程度の距離であって、同じくらいの人口で、領域化の優先順位を付け難い。
「王国の8星系のうち、1つだけ転移門を繋げない状況は、女王の立場だと困るかな。でも余裕がないのは、分かったよ」
王国民が納得できる明確な理由付けを行わず、一方だけに転移門を繋げる事は、物理的には可能でも政治的には好ましくない。
ハルトが開き直れば押し通せるが、転移門を繋げられなかった側の貴族家と王国民からは恨みを買う。ハルトの精霊結晶は私物であって、それを使わないことを恨むのは逆恨みだが。
「理由も無く片方だけに転移門を繋げるという事は、止めておこう」
「うん。そうして」
王国が圧勝しており、かつての柔らかい口調に戻りつつあるユーナだったが、女王としての自覚は強く有るようだとハルトは考えた。
ハルトの認識を肯定するように、ユーナは深城の領地についても意見した。
「それで深城星系で任せる2つの伯爵領についてだけど、広すぎないかな?」
それはどちらかと言えば、ハルトと共に居るシャリーに向けたものだった。
深城星系の人口は、深城系王国民200億人と元新京民22億人である。
ソン公爵家は、2つの伯爵家が統治する合計10億人を除いた深城系王国民190億人を統治して、元新京民の管理責任者となる。
戦争賠償金を負う元新京民22億人に対しては、王国籍を与えずに、深城星系の資源を採掘させたり、2つの惑星の改造事業に従事させたりする。作業内容は、スーラとリンファが深城民の不満を見ながら決める予定だ。
2つの伯爵家が管理する人口は通常の伯爵家よりも多いが、新領地は統治困難な諸事情に鑑みて、本来より多くの統治人口を預かることが認められている。
そのため両伯爵の統治人口が2倍以上でも、問題とはならない。
なお領地については、ハルトのソン公爵家が蓮昌、スーラが嫁いだマルゴワール伯爵家が5番惑星の玉江、リンファが嫁いだデュルケーム伯爵家が3番惑星の河池を領地とする割り振りとなりそうだった。
両伯爵家は同格だが、社交的で事態を主導したスーラが、地球の1.5倍の大きさを持ち、将来性の高い玉江を選んだ。そして従属的なリンファが、現在は人口と居住性に勝る地球の1.2倍の大きさの河池を受けた。
天然資源は多いが、深城では問題にならないのではないか、と、シャリーは考えた。
「確かに領地は広いかもしれないけれど、2つの惑星の居住性は良くないし、天然資源も深城全体から見れば、大した事が無いわよ。それに収入って、惑星改造に使われるわよね。王国にとって問題ないんじゃないの?」
2つの惑星は、自転速度や寒暖差などに対応し切れておらず、決して住み易いわけではない。
そして深城星系内の膨大な天然資源は、他の星系と同様に星系貴族と領地政府で管理しており、最終的には主統治者であるソン公爵の意見が通るので、両伯爵家の好きには出来ない。
2つの惑星程度が有する資源は誤差であり、新領地として軌道に乗るための元でになり、余力はテラフォーミングに費やされるのだから、王国にとって問題ないのではないかとシャリーは首を傾げた。
シャリーが説明したとおりの方針を承認しているハルトは、補足した。
「他民族である深城民は、今のところ宋家しか統治できない以上、宋家のスーラとリンファに丸投げした方が楽だ。2つの惑星の人口が増えれば、爵位に見合わない分を王家の直轄領にすると説明しておく形で、どうだろうか」
深城は自ら王国への編入を希望した星系であり、住民のほぼ全てが天華民でもあるために、指導者が宋家でなければ統治が難しい。
そんなハルトの口添えに、ユーナは渋々と理解を示した。
「それなら言い含めるのは、深城を実力で奪還したわたしがやっておくね。次王だと、反感が出ちゃうかもしれないし」
「それが良いかも知れないな。それとすまないが、議席数を抑えることも周知させてくれ。数千万の戦闘艇と制圧機で威圧されたばかりの深城民は、ユーナが言えば逆らえない」
ハルトが依頼した議席について、王国では上院である爵貴院と、下院である国民院の議席が、人口1億人に対して1議席を与えられる。そんな制度の例外が、新領地である。
ソン公爵家やタカアマノハラ公爵家は、人口とは関係なく、他の公爵家と同じ12議席ずつに抑えられる。2つの新伯爵家も、他の伯爵家と同じ2議席ずつとなる。
さらに今のところは王国籍を与えないマクリール星系の旧連合民に関しては、国民院の議席も与えない予定だ。
これはハルトが自ら提案して、ユーナに呑ませたものだ。
ハルトが危惧するのは、将来の独立や国家の分割だ。
元女王ユーナと救国の英雄ハルトが当主で居る間は、どれほど力が強かろうと憂慮する必要は無い。ユーナとハルトに野心があれば王位を譲らなければ良いだけだし、王位継承後も次王と争いになればユーナとハルトが勝ててしまうので、次王側も藪蛇になるような事はしない。
だが次世代以降では、国王でない者の力が強すぎれば、国が割れる危険がある。
国家とは、人類が形成する最も大きな群れだ。
群れを作れば、資源を融通し合えて、共通の敵にも対処できて、敵対や中立よりも活動効率が向上する。人間に限らず、動物も魚も同様だが、大きい群れを作れば、全体が生存する可能性が高まる。
その大きな群れを分割して、争いを生み出して、子孫が生き延びる可能性を下げるのは好ましくないとハルトは考える。
議席数を抑えるのは、2つの公爵家が持つ議席と発言権を他と同列に抑えて、国を割らないようにする配慮の一端だ。
数百年も経てば、王国は他星系に進出していき、国家全体から見たマクリール星系や深城星系の比重は小さくなる。その頃には新星系も王国に馴染んでおり、王国は割れることなく未来に続いていく。
ユーナは女王の立場から、臣下の力を抑制する考えに反対しなかった。彼女が気にしたのは、国民や各星系が有する権利の平等についてだった。
「他の公爵家と同じ議席数にすると、1票の格差が大きくなるよね」
ソン侯爵領の190億人は、深城系王国民であり、王国民の一部にあたる。
同じ王国民である彼らが、12億人分の議席と発言権しか持てないのは、不当な扱いにならないか。
その問題に対しては、ハルトには彼なりの答えがあった。
「編入直後という個別の事情を踏まえて、両星系の政治を王国と現地の折衷案で行う。つまり王国議会への発言権が低くなる代わりに、現地にある政治体制や文化が尊重される形だ」
編入直後という事情を踏まえて、完全には王国法を押し付けず、制度や文化を尊重する代わりに、王国法に口出しする権利も小さくする。
ハルトの案が現実に即した内容だと判断したユーナは、議席の抑制に同意した。
国家の指導者である女王は、細部の調整までは一々行わない。
それらは政府の仕事で、女王の提案を基に法案の条文を整えて、議会で審議する形となる。
女王達には、戦争の対応を最優先させるべきだと考える政府は、内政面で手を煩わせる事はせず、女王の指示を受けた後の事務的な作業を請け負っている。
他ならぬソン公爵とタカアマノハラ公爵が、自分達の家の力を抑制しろと主張しているのだから、法案は誰にも反対されることは無いだろう。
なおハルト達が示した方針は、タクラーム公爵家側に向かう九山のリン伯爵家にも適用された。
リン伯爵家の爵貴院議会の議席は2席で、国民院の議席は今のところ持てない。
ハルトは深城星系から去る新伯爵に対して、自ら提案して施行させた制度の意図を説明した。
「リン伯爵。新興貴族の力を抑制するのは、将来の反乱を防ぐためだ。権限の抑制は、ソン公爵家やタカアマノハラ公爵家に対しても同様に行われている。九山民を納得させて、上手く組み込む工夫をしてくれ」
納得してくれ……ではなく、納得させて工夫してくれと告げるのがハルトの立場で、対応するのが王国伯爵であるリュウホの立場だ。
リュウホとしては、勿論否とは言わない。
ジギタリスという条件付きであれ、リュウホが上級貴族に名を連ねて、アルテミス星系に領地を与えられ、九山民の半数に対する直接統治権と、残り半数に対する間接統治権を得たのは、王国側からの最大級の譲歩だと彼も理解している。
九山民は、深城民から沢山の恨みを買っている。王国が罪を問わなかったとしても、同じ土地に住むことは難しいのだ。
それに伯爵家として、2議席だが爵貴院の議席も得られた。議席があればタクラーム公爵の派閥に入れて、派閥の力でより大きな事が出来る。
リュウホの妻となるジギタリスの妹リシンは、次王候補である第二王子ジョスランの婚約者だ。悪い立場では無いと、リュウホは思っている。表面的な事実を説明すれば、九山民を納得させる事は難しくなかった。
「承った。アルテミス星系は地球並みの惑星環境であるようだし、九山民の1人である私に統治権がある。それに精霊を相手にするのはもう懲りた」
リュウホが冗談交じりに両手を挙げると、ハルトも苦笑を浮かべた。
「俺はシャリーと共に天華製の戦略ゲームでよく遊ぶが、どれも精霊結晶は出ていないな。今後はゲームに精霊を加えて、王国軍が危険な事を教え込むと良いだろう。もっとも、ゲームに出せる王国の敵は、あと数年で消えるかもしれないが」
但し、ゲームに出せない敵であれば、王国内部で密かに存在する。
その首魁であるタクラーム公爵家の要塞艦を中心とした大艦隊が、深城星系の各星に張り付いて、九山民を乗せ続けていた。
公爵が動かす超大型移民船は、僅か1隻で10億人を新たな星系に運べる。タクラーム公爵家だけで、九山民15億4500万人が移民されようとしていた。
「ソン公爵は、私の妻となるジギタリスとは中等部時代の同級生だったと聞いた。妻共々、これからよろしく頼む」
「……ああ、こちらこそ」
不意に心を掻き乱されたハルトは、それを表情に出すまいと全神経を集中させ、辛うじて平凡な返答を絞り出した。