80話 タカアマノハラ大公領
太陽系侵攻作戦にあたり、王国は星系に領域を展開せず、転移門も繋がない。領域化できる星系には限りがあって、太陽系の重要度は低いからだ。
そのため大規模な戦闘艇の投入は予定しておらず、既に転移門が繋がっている4つの星系内で活動している数千万の戦闘艇や制圧機の操縦者達は、艇体や機体と共に手が空いていた。
そのため彼らは、獲得した星系の開発に投入された。
「マクリールと深城に軍を投入して、資源採掘と重工業を行わせる。手が空いている数千万の戦闘艇と制圧機の操縦者は、開発と輸送任務に注ぎ込め」
マクリール星系の第3惑星トゥーラは、巨大な資源採掘惑星だ。
万有引力の法則では、重力は天体の質量に比例し、半径の2乗に反比例する。
トゥーラの質量が地球の2.5倍で、半径は地球の0.9倍であるため、重力は2.5÷0.9÷0.9で3.08倍となる。
地球よりも小さいのに質量が大きいのは、地球の核が鉄やニッケルを主体とする金属であるのに対して、トゥーラはより重い金属であったためだ。それによってトゥーラは、人類にとって高い価値を有する資源惑星となった。
惑星の採掘を阻む要因は、高重力と、マイナス40度の平均気温である。そのため採掘は細々と行われてきて、資源を十全に活かせていなかった。
そこへハルトは、『新星系を王国の統治に組み込む』という大義名分の下、政府の全面的な支援を受けながら、王国軍の数千万という戦闘艇と制圧機を投じて、開発を一気に押し進めさせたのである。
大量の都市建造施設、軍事施設の建造施設群、アンドロイド生産施設が、転移門を使って首星から各星系に送り込まれた。そして無人の採掘施設がトゥーラに量産されて、爆発的な勢いで開発が始まったのである。
「惑星トゥーラは、王国軍が徴発した。現地の法律や既得権益は、全て無視して良い。物理的に可能な限り、徹底的に開発しろ」
血税が注がれる軍に惑星開発を行わせるには、相応の大義名分を要する。
ハルトはマクリール星系と深城星系に軍を投じる理由として、新星系を王国の統治と経済圏に組み込む他にも、戦闘艇や制圧機を作業に従事させて、操縦者の技量を向上させる目的を付け加えた。
様々な既得権益を無視して進められたのは、両星系の主統治者がタカアマノハラ大公とソン公爵、王国の政治と軍事の責任者もユーナとハルトであり、命令したハルト自身が全権を有していたためだ。
ユーナとハルトは、権力を持ってから僅か1年という期間で4つの星系に領域と転移門を繋ぎ、3つの会戦に大勝し、2つの星系を奪還して、戦争で劣勢を完全に覆している。
結果を出しているユーナとハルトの現体制は、王国民から圧倒的な支持を受けている。であればこそ、強権を以て物事を強引に押し進められたのだ。
実際にハルトは、かなり無茶をしている。
「マクリール星系で得られる鉱物資源は、王国全体の需要を満たせる。適正価格の3割くらいで流せば、王国の生産活動が加速するだろう」
惑星規模の膨大な資源が、適正価格の3割という破格の安価で市場に流される事になった結果として、王国のあらゆる生産活動が爆発的な加速を始めた。
生み出される大量の製品は、王国民の生活を確実に豊かにする。
それによって短期間で株式市場が大混乱に陥り、先物取引が乱高下を繰り返し、大企業が倒産や身売りをするなど、相応に大きな影響が生じたものの、王国全体では大幅に国力が上がると見込まれた。
現状について経済学者の一部は、単純な国力向上には留まらないとの見方を示した。
『転移門が繋がった4つの星系では、地球時代の農業革命と産業革命の連鎖が引き起こされた時のような、資源革命と輸送革命の相乗効果が発生しています。これから発生する経済発展は、未来には転移門革命と呼ばれる事になるでしょう』
転移門と国力を最大限に活用して引き起こされた事態は、経済成長の始まりという生半可な次元では無く、人類の経済レベルが一段階引き上げられる引き金になったと指摘する経済学者は、既に枚挙にいとまがない。
そんな経済発展の裏では、未練がましい声を上げる者も居た。
「ダンピング、ダンピング……」
ハルトに文句を言い募ったのは、マクリール星系の現大統領であり、タカアマノハラ大公領では領地政府の要職に就く予定のサラ・フィギンズだった。
サラは、現大統領と領地政府の要職という2つの立場から、吸い上げられる星系内資源を惜しんだのだ。
「適正価格の3割って、いくら何でも、おかしくないですか。6割なら利益は2倍ですよ。トゥーラの鉱物は腐らないし、建材にも使うから、需要が尽きることは、無いのにっ!」
サラの主張は間違っていなかったが、ハルトは首を傾げながら言い返した。
「王国政府と軍は、数千万の戦闘艇と制圧機を投入して、資源採掘プラントを建造して、片道2ヵ月を数時間に短縮する転移門で流通を担っている。その分を販売価格に転化しないから安くなるのだが、マクリール星系は、自前で出来るのか?」
「むぐぐっ」
魔力者の数は限られており、魔力値にも個人差がある。精霊結晶が無ければ、数千万という戦闘艇と制圧機の大規模投入は実現不可能だ。
それは運搬も同様で、転移門が無ければ片道2ヵ月の航路を、輸送艦で細々と運ぶしかない。
簡単に言い負かされたサラが膨れっ面のままに押し黙ると、アンドロイドの身体でサラの隣に立つ人造知性体リンネルが、不機嫌なサラへの説得に加勢した。
「大量の都市建造施設、軍事施設の建造施設群、アンドロイド建造施設、軍用の精霊結晶を装着した数千万人、魔素機関を強化する領域、数百光年を一瞬で跳べる転移門。利用料を払っていると思えば、凄く安いかもしれないですね」
リンネルが利点を挙げていく度に、膨れっ面を見せていたサラは、次第に得をしているのでは無いかと思い始めたらしく、笑顔になっていった。
精神構造が単純で、純朴なマクリール星人らしいサラの様子を眺めたハルトは、自分達が作り出した人造知性体に言いくるめられるサラが、ユーナの領地の重役で本当に大丈夫なのだろうか、と、不安を覚えた。
マクリール星系は、入植時に地球とディーテの戦争が勃発して開発が全く行われず、文明から取り残されて、農耕と牧畜からやり直した歴史がある。
要するにマクリール星人は、人類の文明発展から取り残された田舎者だ。
連合加盟国になったのは西暦3523年で、連合が王国に敗北する219年前だった。加盟後も大規模な開発は行えず、様々な分野で他星系に遅れていた。
リンネルは生み出したが、それは他星系の連合加盟国が生み出した人造知性体の基礎技術を用いている。マクリール星人の娘であるリンネルは、既に創造主を出し抜いて、王国の意に沿って動いている。
ハルトは簡単に言いくるめられたサラに期待せず、自ら現地政府への説得材料を提供した。
「ちなみにマクリール星系のタカアマノハラ公爵家は、王国が建造した採掘プラント、資源の加工・生産工場、販路に至るまでの全てを払い下げられる予定だ。女王陛下への退職金の一部だな。これで半永久的な貿易黒字が見込めるぞ」
「それを早く言って下さいよ!」
「タカアマノハラ公爵家は、女王陛下と俺の子孫が継承する家だ。お前達には説明できない話もあるが、俺が自分の子供に不利な事をする訳が無いと覚えておけ。分かったな?」
「そ、そうですよね!」
ハルトは王国全体を指揮する司令長官であり、全体のために少数を切り捨てる事も、不平等な負担を押し付ける事も有り得る。
少し考えれば分かるはずの事を考えずに、単純に信じてしまったサラに対して、ハルトはマクリール星人に対して持っていた『単純で扱い易い民族』という認識を深めた。
「まあ良い。マクリール星系を経済発展させて、将来はお前達にも王国籍を与える。すると公爵家は大きな領地収入と、人口に応じた議席も得られる。お前達の生活も豊かになって、皆幸せだ。そういう風に、マクリール星人を説得しろ」
「分かりました。それなら説得し易いですよ。去年までは王国の占領軍が、こちらに何も説明しなかったから、民衆が疑心暗鬼になって、大統領府が抑えるのにどれだけ苦労した事か……」
妄想の花畑を旅するサラを目の当たりにしたハルトは、溜息を堪えた。
サラが指摘したとおり、マクリール星系の旧連合民は、前王時代には無力化政策の対象だった。魔力者同士の結婚を禁じ、星間航行能力を失わせて、王国に反乱する力を失わせようと図っていたのである。
計画が変更された理由は、天華連邦と戦争になったためだ。
第二次ディーテ星域会戦において天華は、王国民30億人を殺した。それによって国民の怒りは天華に向かっており、既に滅ぼした旧連合へのアレルギー反応は小さくなっている。
そしてマクリール星系では天華の侵攻に合わせて、魔力100以上の人間を残らず王国に連れて行ったために、既に無力化されている。星系には転移門が繋がっており、数千万の戦闘艇が飛び交う状況では、反乱のしようがない。
現状に至ってマクリール星人は、王国民にとって脅威の対象どころか、歯牙にも掛ける相手ではなくなったのである。
そして同星系が女王ユーナの退位後の領地とされたことで、マクリール星系の旧連合民は、前王時代の封殺による無力化政策から、女王ユーナの吸収合併へと変わったのである。
「後は、連合が自分達に都合良く行ってきた歴史教育の改革だな。ディーテに対する植民支配、ディーテ政府指導者への処刑を発端とする戦争勃発、連合側が仕掛けたフロージ星系戦などについて、ディーテ側の視点で教育を受けさせろ。ディーテと同じ教育を受けないと、憎しみ合いは終わらない」
先程まで機嫌が良かったサラが、再び不機嫌に黙り込んだ。
サラも連合の教育を受けてきた世代であり、連合側の視点で歴史を教え込まれている。自分達が加害者側だと言われても、容易には受け入れがたいのだ。
逆の立場で考えれば、ハルトも連合に負けた上で、「地球がディーテに行っていたのは取引であって、植民支配では無かった。ディーテ側の一方的な勘違いによる暴発である。そのように教育しろ」と言われれば、不機嫌になるだろう。
だが教育を受けさせない限り、王国籍を与えるのは不可能だ。
「そもそもフロージ星系戦は、俺自身が襲われた当事者だ。旧連合が捏造しようとした証拠も証人もいる。王国は、事実を教育しろと命じている。これは再び戦争にならないために、王国が強制する。お前達の意見は求めていない」
「…………わかりました」
サラは言葉少なげで不満を露わにしていたが、拒否はしていなかった。
フロージ共和国で行われた連合側の奇襲と、大義名分の捏造は、終戦時に証拠が明らかにされている。中立のフロージ共和国も認めており、旧連合支配者層も受け入れた以上、サラも認めざるを得ない。
そのように捏造した事実がある以上、心証的には受け入れ難いが、連合が捏造しない組織だとは言えない。連合が勝てば押し通せただろうが、負けている。
人類の歴史は、勝者が作ってきた。サラは内心の不満を口には出さず、渋々とハルトの要求を受け入れた。
マクリール星系の現地政府に様々な要求を受け入れさせたハルトは、管理の細部を王国の行政府に任せた。
最初から全てを行政府に丸投げする事も出来たが、強権を持った司令長官でタカアマノハラ大公の婚約者でもあるハルトが直接動けば、誰も阻めずに万事が最速で進んでいく。迅速に進ませたかったハルトは、直接動いた次第であった。
マクリール星系では、ハルトが厳しく命じる憎まれ役を果たして、ユーナが優しく配慮する役を担って、様子を見ながらバランスを調整する手が使える。
深城では、シャリーの従姉妹であるスーラやリンファが憎まれ役を果たしてくれるので、ハルトが憎まれ役を果たす必要は無い。
この辺りでハルトのキャパシティは限界となり、フィリーネや、コレットの領地にまで手は届かない。王都のアマカワ侯爵領も、クラウディアに任せてしまおうかと考えているくらいに忙しかった。
カルネウス侯爵家は歴史が長くて、現当主も現役であるため、フィリーネの領地経営は何とかなるだろうと思われる。その一方で、伯爵に陞爵したコレットは大変なはずだが、遺伝子提供を約束したハルトが手を貸せる状況にはなかった。
副司令長官と領地経営で四苦八苦しているであろうコレットに対して、ハルトは申し訳なく思いつつも、自力で解決してくれることを祈った。