79話 太陽系侵攻計画
王国暦444年11月。
マクリールと深城の両星系を奪還した王国は、一時的に進撃を停止していた。
アテナ星域会戦から3度も会戦が立て続いたが、王国軍は戦闘継続が不可能な損害を受けたわけでも、補給体制や士気に問題が生じたわけでも無い。
おそらくハルトが進撃を命じれば、戦闘艇900万艇を詰め込んだケルビエル要塞が太陽系に乗り込んで、今頃は4度目となる太陽星域会戦が繰り広げられていただろう。
前王太子グラシアンが太陽系に侵攻した際は、連合側がディーテ星系に向かったために、『会戦』と呼ばれるような大規模な戦闘は発生しなかった。
また昨年の天華による旧連合領への侵攻時も、天華側はウンランによるディーテ星系への迂回進撃を支援するために、王国軍がディーテに集結する引き金となる太陽系攻略は避けていた。
そのため太陽系で会戦が行われれば、ディーテ独立戦争の西暦3282年以来、462年振りの第二次太陽星域会戦となる。
太陽系の制圧は、太陽系から独立したディーテ王国民にとって、イデオロギー上の価値を有する。そのため、直ちに進軍すべきだという意見は多かった。
「撤退した敵のアテナ星系侵攻軍は、本国防衛に入るものと思われます。今であれば、太陽系とヘラクレス星系は容易に奪えるでしょう。また敵が太陽系やヘラクレス星系に残っていた場合は、敵本国との合流前に削る機会を得られます」
長らくハルトの参謀を続けている総参謀長ベルトラン大将も、早期の進撃案を支持する大多数の1人だった。
そして彼は、王国軍が両星系を獲得した暁には、ケルビエル要塞に配備されているイスラフェルから、50万艇ずつを2星系の防衛に移してはどうかと進言した。
一般的な技量を持つ操縦者が運用した場合、イスラフェル50万艇は、天華3万3333隻と互角の戦力評価だ。現在の天華にとって、3万隻は易々とは出せない戦力であり、削り合いになるほど王国が優勢になっていく。
星系内での活動拠点は、伯爵級以上の魔力者に要塞艦を送り込ませる事で、イスラフェルの係留が可能な巨大母港を展開できる。貴族制度を維持するために国家へ貢献したい諸侯も、喜んで協力するだろう。
イスラフェルの艇体は2つの星系に残しておき、操縦者だけは軍艦に乗せて定期的に入れ替えれば、何年であろうと戦力を配備し続けられる。
天華が対応不可能な大軍で侵攻してきた場合でも、生身の操縦者だけであれば軍艦に乗せて撤退出来る。撤退の際には、50万艇のイスラフェルを自爆させれば、敵に渡さなくて済む。
だから侵攻してはどうかと、参謀達は進言するのであった。
参謀達が行った提案は、それほど悪くない内容だと、ハルトも理解している。
ハルトが考える問題点は、天華に奪われた星系を奪い返す際にはケルビエル要塞が必要であり、ハルトでなければ対応できない事であった。
王国軍の司令長官であり、深城星系の主統治者であり、状況次第では天華本国に攻め込む切り札でもあるハルトは、重要度が低くて維持も出来ない星系の奪い合いに投入するような人材ではない。
いずれ両星系には侵攻しなければならないが、猪のように敵が居るから単純に突進すれば良いわけでは無く、切り札を使うにはタイミングというものがある、と、ハルト自身は考えていた。
「俺以外の誰かが、ケルビエル要塞に戦闘艇を満載して戦場に向かえるのであれば、直ぐにでも進撃許可を出すのだがな」
司令長官のハルトが否と告げた事で、ベルトランは進言を取り下げた。だが、次の侵攻作戦を望む人間は、王国軍に留まらなかった。
『敵が弱体化した今が、最大のチャンスだ!』
『敵が態勢を整える前に、太陽系とヘラクレスを取り戻すべきだ』
『天華連邦から、王国の全星系を奪還しろ』
王国全体で世論が沸き上がる背景には、第二次ディーテ星域会戦で30億人が殺された後、先の3会戦で王国側が大逆転した流れがある。
つまり王国民の熱狂は恐怖の裏返しであり、勝利を重ねる事によって恐怖を払拭したいのではないか、と、熱気に触れたハルトは肌で感じ取った。
先の3会戦のうち、5000万人を動員したマクリール星系と深城星系の会戦では、王国軍の戦死者が合計で20万人程度しか出なかった。
戦死者は0.4%程度で、内訳も補充が容易な戦闘艇の操縦者が大半だった。それでいて戦果は絶大であり、居住可能星系2つと287億人を獲得して、新京軍を壊滅させ、九山軍を吸収している。
王国民が次に進めと叫ぶのは、致し方が無い流れなのだ。
「全く、面倒な事になった」
大型戦闘艇への切り替えによる防衛態勢の強化を指示していたハルトは、無責任な人々の声に、不満そうな表情で愚痴をこぼした。
ディーテ王国では、最高指導者の女王ユーナが最終決定権を持っている。そして軍事的な判断は、ユーナからハルトに一任されている。
だが、王国民の意志を完全に無視することは出来ない。
王国という集団の構成員は、一般の王国民が殆どを占めている。
そして王侯貴族制度は、王国民の意思によって成り立っている。
あまりにも民意と掛け離れた行動が続けば、制度自体に疑問符を付けられるのが王国の定めなのだ。
熱狂というエネルギーが王国を席巻した結果、背中を押された国民院議員が動き出した。そして議員が、下院議会で正式に政府を質した事から、政府が司令長官のハルトに照会を行う事態へと至った。
議会による参考人招致では無く、あくまでも照会である。なぜなら王国議会には、ハルトを参考人招致したくない理由があった。
遡ること4年前、議会の大多数が賛成して行われた太陽系侵攻作戦において、王国は人類連合に逆侵攻されて、首星防衛戦で10億人を殺された。そしてハルトは旧ヴァルフレート派であり、グラシアン派の失敗には関わっていない。
ハルトを参考人招致した場合、ハルトが侵攻しない理由として、太陽系侵攻作戦の失敗を議会で取り上げる事が想定されたのだ。
『私は軍事の専門家として、この上ない結果を出している司令長官として、星系の防衛強化を指示していました。素人集団の議会は、元王太子グラシアンに実績を作らせるために防衛を軽視して侵攻させ、逆侵攻されて10億人を殺させた4年前の首星防衛戦を再現せよ、と、仰せですか』
太陽系侵攻作戦に賛同した議員達は、軍事の最高権威者であるハルトから「お前達のせいで10億人もの王国民が殺されたのだ。その責任は取ったのか」と断罪される事で、これまで政治家として築き上げてきた名誉を全て失いかねない。
反撃を畏れた議員達は、ハルトを呼び付けて議会で質す危険極まりない行為を避けて、政府を経由して安全な照会を行ったのである。
王国政府には、軍事を所管する軍務省という組織があって、軍務尚書という大臣がいる。
軍務尚書エリオット・バーンズは、かつて分艦隊司令を務めた退役少将であり、軍事的な知見は、国会議員の中でも群を抜いて高い。
軍事に精通したバーンズは、議会で声高に威勢を上げる国民院議員や、国民院に押されて眉をハの字に曲げるスタンリー首相らを冷ややかに眺めた後、組織的には部下にあたるハルトに質した。
「アマカワ長官、どうするかね」
議会が騒ぎ立てようとも、侵攻の決定権はハルトが握っている。
なぜなら天華の星系を攻略できるのが、ケルビエル要塞だけだからだ。ハルトが行かないと言えば、他の誰を出しても攻略は成功しないのだ。
さらにハルトは武勲章を8度、ユーナは6度受章しており、王侯貴族の義務を数世代分は果たしている。
王国民が正式な手続きに則ってユーナを解任して、ベルナールやジョスランを次王に仕立てて強制的に出撃を命じようとしたとする。その場合、解任決議案に怒ったハルトが退役すれば、貴族だから行けとも言えない。
どう足掻いても天華星系を攻略できない議員達は、天華が戦力を回復していく様に焦った風見鶏の王国民に責められて、やがて議員辞職や解散総選挙に追い込まれるだろう。
そして新たな議会に謝罪されたハルトが、予定通りに防衛力が整った頃に「仕方が無い」と出てきて天華に侵攻すれば、結局のところハルトの予定通りに進む。
バーンズの問い掛けは、選択権が完全にハルトの手中にあると理解した上でのものだった。
はたしてハルトは、王国民と議会の方針に従う判断を下した。
「やむを得ません。太陽系とヘラクレス星系への侵攻は、議会の要請に応じて、予定を繰り上げましょう。片道2ヵ月掛かるポダレイとマカオンからの参加を計算に入れれば、次の侵攻は年明け以降になるでしょうが」
「長官の予定と異なるが、それで良いのかね」
「もちろん、良くありません。防衛態勢が不充分なまま、国民の意志で計画外の侵攻を行うなど……」
それでもハルトが受け入れたのは、ユーナの退位後を見据えて、ユーナとハルトで独裁的な事ばかりしたくないという思いがあったためである。
明らかに大きな犠牲が出るだとか、最初から失敗が分かっているなどの理由があれば、反対するのが司令長官としての責務だと考えて、ハルトは理由を挙げた上で断固反対しただろう。
だが各星系に配備されるサラマンダーとイスラフェルの防衛戦力は、精霊王が領域を展開していなくとも、容易には突破できないほどには高まっている。
もしも天華が、王国の1星系を壊滅できる数十万の大艦隊を集めて侵攻してきた場合、天華本国は戦力が殆ど無くなっているはずだ。その場合、王国の1星系が壊滅する事と引き替えに、天華3国を壊滅させて戦争を終わらせられる。
そんな無意味な侵攻は、合理的を自称する天華側には出来ない。
だからハルトは、僅かでもリスクを負う事は不本意ながらも、議会の責任にする形での早期侵攻を許容したのだ。
「よろしい。それでは議会に説明しておく。長官は準備を進めたまえ」
「了解しました」
バーンズは、防衛強化計画を中途半端にしたまま議会の方針に従うハルトに意外性を感じつつも、軍務尚書としての役目を全うした。
それからの王国議会の動きは、速かった。
国民院で採決が行われて、太陽系侵攻案が可決された後、爵貴院でも可決されて侵攻が決定したのだ。
具体的な作戦計画については、王国軍に一任された。
ハルトが定めた動員戦力は、ケルビエル要塞とイスラフェル112万5000艇、正規軍10個艦隊、貴族軍15個艦隊程度。また情報参謀として、天華5国の内情を知る九山の将官も加わる。
貴族軍の徴用は、かつて元王太子グラシアンが勝手に召集した基準を参考にした。公爵家5個分艦隊、侯爵家3個分艦隊、伯爵家1個分艦隊、子爵と男爵は魔力相応の戦艦で、過去の従軍や新興などで免除される条件も付けている。
ハルトが徴用対象の範囲を狭めても、貴族達は自ら望んで参加してきた。
王国民の意志で侵攻が決定して、貴族として正式に呼ばれて従軍実績や武勲章を得られる『太陽系侵攻作戦』に参加しないなど、ディーテ王国の貴族としては考えられない。
むしろ身代を超えて集まり過ぎる事を懸念したハルトは、星系防衛も重要である点や、戦死した場合には家の存続に影響が出る点などにも言及して、定数を守るようにと自重を求めたほどだった。
そしてハルトは、太陽系では転移門を使えないために、今作戦では女王ユーナと移動要塞レミエルが参戦しない旨も伝えた。
「2度のディーテ星域会戦では、前王陛下が不在であったならば、首星は壊滅していました。全員が突撃して、守りの総責任者を不在にする事は危険です。今後は私が攻め手で、女王陛下が守り手となります」
女王で大将のユーナと、公爵で元帥のハルトは、両者とも会戦時には王国中の誰が相手であろうとも従わせられる。そして両者が戦場と首星に在れば、どのような事態にも強権で対処できる。
バーンズは理解を示しつつも、王国の不文律に言及した。
「王国民は、王族が戦場に立つべきだという考え方を根強く持っている。国王が高齢であれば、王子が戦場に立つ形は理解されるが、女王陛下は未だ21歳であらせられる。どのように説明するかね」
今更ユーナが戦場に立たなかったところで、国主としての適性を問われる事は無いだろう、と、ハルトは確信している。
だが無視するのでは無く、建前の1つも用意した方が良いだろうと考え直したハルトは、バーンズの質問に王国の徴用制度を持ち出して答えた。
「女王陛下は、武勲章を6度も受章されて、王侯貴族の義務を果たされました。そもそも女王陛下は、高魔力者の私と婚約して、従軍免除の条件も満たしておられます。制度を無視して女王陛下を従軍させると、他の貴族女性も倣わざるを得ず、次世代の高魔力者を安定的に確保出来ません」
王国には、『高魔力者と結婚ないし婚約した高魔力女性は、徴用対象から省く』という従軍免除の条件があって、ユーナは制度を守らせる側の代表者だ。
ユーナが率先して戦場に出ると、他の貴族女性が従軍免除の制度を使えなくなる。精霊結晶の登場によって高魔力者の価値は下がったが、星間移動には必要な存在であり、無くすことは出来ない。
ましてユーナの相手は、ケルビエル要塞を動かすハルトである。
次世代の移動要塞を欲する王国民は、ハルトの名で出される女王が戦場に出ない理由に、納得せざるを得ないだろう。
バーンズは、説明を受け入れる意を示して頷いた。
「明文化された制度を示されれば、制度を守らせる側の議会側も、受け入れざるを得ないだろう。戦場に出る王族の候補は、女王陛下の他にも王子殿下が2人おられる。いずれも次期国王候補であらせられる故、女王陛下の名代としては丁度良かろう」
ベルナールとジョスランは、いずれも王位ないし公爵位を得る予定であり、いずれの身分でも相応の武勲を立てておいた方が良い事も理解できている。
太陽系とヘラクレス星系には充分な敵が居らず、武勲章は得られないだろうが、太陽系奪還作戦に従軍して太陽系を奪い取った実績は、王位や公爵位を持つ未来で役に立つ。
両王子が名代になると確信したバーンズは、女王が従軍しない事を議会で納得させられると確信して、ハルトの主張を受け入れた。
もっとも最近のハルトは、王級魔力者が移動要塞を動かして敵を撃つという旧来の考え方に、疑問符を浮かべつつあった。
ケルビエル要塞が搭載できる戦闘艇イスラフェルは、112万5000艇だ。 1艇の戦力評価は0.4だが、それに搭載数を掛ければ、45万の評価になる。
それに対してケルビエル要塞自体の戦力評価は8000程度であり、6588がハルトの魔力であって、運行補助者は1人につき500から700程度しか加算されない。
駆逐艦700隻分が誤差だとは言いたくないが、連合と戦争をしていた頃とは異なり、ケルビエル要塞の戦力は会戦の勝敗を左右しなくなりつつある。
現在のケルビエル要塞に求められる役割は、戦闘艇を運ぶ超巨大空母であり、その役割だけであればハルトのみで事足りる。
ユーナの代わりに別の王族が来ても、形式的なものにしかならないのだ。
差し当ってハルトは、要塞の運用を改めるべく提言した。
「尚書閣下。昨今は戦闘艇の投入数が勝敗を決します。ケルビエル要塞につきましては、魔素機関の稼働者を予備まで揃えて最前線に投入するよりも、総旗艦かつ母港として運用した方が良いと思われます。今後、運用を変えていきます」
「それも議会に伝えておこう。それにしても私が現役の頃は、大型艦を揃える事が至上命題だったが、数年で劇的に様変わりしたものだ」
バーンズの述懐に対してハルトは、戦争の形態が変わったのでは無く、単に歴史を繰り返しているのだと考えた。
「これは航空戦力の登場による、大艦巨砲主義からの転換という歴史が繰り返されたに過ぎません。ちょうど切り替えの時期だったのでしょう」
「私は歳を取って、長官ほど柔軟な思考は出来なくなっているようだ。新しい物事の構築は、若い世代に任せるとして、古い世代の私は、古狸共の相手を務めるとしよう」
かくして議会に要請された王国軍は、太陽系侵攻作戦を行う事となった。