78話 蟷螂の斧
「生きるために障害を排除する事は、生物にとって自然の摂理だ」
確信を以て自説を説いたのは、ドワーフと蔑称されるヘラクレス星人の指導者イシードル・アザーロヴァであった。
ヘラクレス星人を封じ込めた人類連合、戦後に方針を継承したディーテ王国、両勢力と交易して活動を支えたフロージ共和国の3勢力は、ヘラクレス星人にとって生存の障害であり、排除の対象となる。
だが主張を実現するためには、相応の力が求められる。
邪霊帝ジルケの契約者であるイシードルが行ったのは、天華連邦との同盟であった。
邪霊という特別な力を有しても、星間船が無ければ、邪霊の力を十全に活用できない。そして単に邪霊を持つだけでは、天華の戦闘艦という軍事力に対抗できず、一方的に搾取されてしまう。
故にイシードルは、彼にとって最良のタイミングを見計らった。
天華連邦が不利な状況に陥って、イシードルの協力なくしては破滅に至るタイミングで声を掛けたのである。
絶妙のタイミングで声を掛けられた天華には、ヘラクレス星人との同盟を断る選択肢は存在しなかった。
だがイシードルにも、想定できない誤算があった。
天華のウンランに渡した邪霊が、イシードルの思惑に反して、自らの契約者であるウンランを優先したのである。
ヘラクレス星人と組んだウンランは、渡された邪霊結晶を非魔力者達に使わせて安全性と効果を確認した後、自らも邪霊結晶を装着した。
ウンランが契約に用いた邪霊結晶から顕現した上級邪霊マリエルは、灰色の髪に群青色の洋服を着た少女だった。
マリエルは優しい声色で諭すように、契約者のウンランに提案してきた。
『ウンランが最初にすべき事は、邪霊結晶の効果の検証だと思うよ。非魔力者にD級結晶を使わせて、戦闘艇を動かせることを確認して、それから必要なところへ伝えれば良いかな。そのくらいなら、直ぐに確認出来るよね』
マリエルの提案通りに検証を行ったウンランは、少なくとも性能面においては、邪霊結晶が王国の精霊結晶と遜色ない事を確認した。
早速ユーエンに連絡しようとしたウンランを制止したのは、連絡を後回しにさせたマリエルだった。
『ちょっと待って。邪霊の存在を隠した方が効果的だから、そういう形で話を進めたらどうかな。それと、フロージ共和国への宣戦布告はヘラクレス星人に行わせて、彼らを矢面に立たせると良いよ』
ヘラクレス星人から渡された邪霊結晶から顕現した存在でありながら、マリエルはヘラクレス星人が不利になる事を一切厭わず、むしろ率先して提案した。
その事を訝しんだウンランは、疑義の目を向けた。
「何故、ドワーフが不利になる事を勧める。ドワーフの味方では無いのか」
問われたマリエルは、不思議そうに首を傾げて見せた。
『あたしはウンランの契約邪霊だよ。ドワーフが全滅しても構わないし、数の多いドワーフに軍艦艇を与えて戦わせれば、ウンランが助かるんじゃないかと思ったのだけれど』
邪霊帝の契約相手であるヘラクレス星人をドワーフの蔑称で呼んだマリエルに、ウンランは思わず生唾を飲み込んだ。
「邪霊帝の意思は、忖度しなくて良いのか?」
『ジルケ様は、ヘラクレス星人に価値なんて見出していないよ』
儚げに微笑むマリエルを観察したウンランは、邪霊帝が契約者であるイシードルに対して、単純に従っているわけでは無いのだと理解した。
(邪霊帝への造反ではなく、邪霊には明確なルールの線引きがあって、その中でマリエルは自己選択しているのか)
少なくともマリエルにとっては、自身の契約者では無いヘラクレス星人は、矢面に立たせたり、消耗品のように使い捨てたりしても、一向に構わない存在であるらしかった。
そしてマリエルの契約者であるウンランに対しては、積極的に支援する姿勢を見せている。
王国の精霊も契約者を優遇していたと思い直したウンランは、マリエルに改めて依頼した。
「承知した。色々と教えてくれると有り難い」
『うん、良いよ』
それからマリエルが口にした内容は、敗滅寸前のウンランにとって、不利な現状を打開するために重要極まりないものだった。
『まずは、あたしを邪霊王に上げれば出来る事を説明するね。星系に領域を展開する事、精霊王の領域を奪う事、邪霊結晶の作成も可能だね。フロージ共和国の3星系を攻撃する時に、あたしの魔力を込めた天体を混ぜておくと良いよ。大泉に領域を繋げられても、後から奪い返せるし』
思わず目を見張ったウンランが、慌てて聞き返した。
「フロージ共和国の3星系は、邪霊帝の契約者であるドワーフ王アザーロヴァが契約する上級邪霊3体で攻撃するのだろう。紛れ込ませて大丈夫なのか」
『ジルケ様が相手でもなければバレないよ。それにジルケ様の系統の邪霊王が3体から4体に増えて、契約種族もヘラクレス星人と天華人民の2つに増えて、ジルケ様にとって何か不都合があるのかな?』
マリエルに問われたウンランは、邪霊帝の利を考えて納得した。
どうせなら最初からヘラクレスではなく、天華連邦を邪霊の契約対象に選んでくれれば良かったのだと思わなくも無いが、その場合にはヘラクレス星系を邪霊帝の瘴気回収地にする事は無かっただろう。
何百億人、何千億人が住んでいるとも知れないドワーフの負のエネルギーは、人類の居住惑星でも最大級のはずである。
邪霊には邪霊の考え方があって、彼女達は自分達の都合で動いている。相手が合理的である事を大いに納得したウンランは、示された方針を確認した。
「邪霊側に問題が無いのであれば、実行しよう。天体を混ぜるとして、どの程度にすれば良いのだ」
『そうだね。3体の上級邪霊とあたしは、お友達では無いから、3つの星系で3分の1ずつもらおうかな。あたしが3分の1を3回で、3体の上級邪霊が3分の2を1回ずつ。それくらいが丁度良いかな』
「分かった。ところで先ほどの、大泉に領域を繋げられても奪えるというのは、王国の精霊王が展開した領域を奪えると言う事か」
それが可能であれば、アテナ星域会戦や第三次マクリール星域会戦、深城星域会戦などの敗戦が、今後は真逆の結果になり得る。
無意識に握った手に力を篭めながら問うたウンランに対し、マリエルは軽く頷いて請け負った。
『あたしは特異だから、普通の精霊王や邪霊王が相手なら奪えるよ。つまり大泉にイシードルの邪霊王が領域を展開した後でも、それを奪えるよ』
マリエルの発言に、ウンランは己の耳を疑った。
「するとマリエルは、他の3体の上級邪霊より強いという事か」
『3体のどれが相手でも、1対1なら、あたしの調子が最悪で、逆に相手が絶好調でも、1万回戦って1万回とも余裕で勝てるよ』
絶対に負けないと太鼓判を押されたウンランは、逆にマリエルがどの程度強いのかに関心を持った。
「それでは、3対1では?」
『1万回中9999回以上は、あたしの勝ちだね。ウンランは自己申告が過剰だと思うかも知れないけれど、あたしは過少申告だと思っているよ』
確信的に語るマリエルに対して、ウンランは当然の疑問を質した。
「同じ邪霊王でありながら、そこまで差が生じる理由は何だ?」
『そうだね。電力使用量が同程度のコンピュータは、製造した時代が異なっても、同程度の性能だと思うかな』
「…………理解した」
コンピュータの性能は、100年も違えば全く別物になる。
100年前のコンピュータが3台有ったところで、最新機種の演算に勝つ事は万が一にも不可能だ。ウンランは、否が応でも納得せざるを得なかった。
『分かり易く話しただけで、新しければ強いわけでは無い点には注意してね。でも、あたしは同格の中では、強いと思うよ。灰色で、惜しかったみたいだし』
マリエルは諦観の表情で呟いた後、口を閉ざした。
マリエルとの打ち合せを終えたウンランは、ユーエンに報告を入れた。
ウンランが行ったのは事後報告であり、総責任者のユーエンが拒んで大泉単独になったとしてもヘラクレス星人と組む事は決めていた。
はたして報告を受けたユーエンは、ウンランの報告を全面的に賛同した。
戦争は天華側の圧倒的な劣勢であり、邪霊結晶を手に入れる機会を逸した場合、戦局の覆しようが無いためである。
「戦力が不足していれば、太陽系の防衛戦力もヘラクレスに合流させるが」
居住惑星が欲しくて始めた戦争でありながら、太陽系を捨てても構わないとの発言は、現状と邪霊結晶への期待を端的に表していた。
総責任者の承認を受けたウンランは、今後の予定を語り始めた。
「アテナ星域会戦の残存戦力14万4000隻のうち、7万隻を防衛に残して、残る艦隊でフロージ共和国へ向かう。ヘラクレス星系は邪霊帝ジルケの領域であり、防衛には充分足りる。また共和国の戦力は、王国の12個艦隊相当であり、我々の艦隊で7400隻程度だ」
ヘラクレス星系には、元々2万隻の艦隊が配置されていた。ウンランが残す艦隊と合わせて9万隻であり、領域による魔素機関の出力異常効果で、戦力差が5倍の45万隻分になる。
ケルビエル要塞が運べるサラマンダーは900万艇で、天華艦隊12万隻分の戦力評価だ。王国軍に攻め込まれても、約4倍の戦力で迎撃を行える。
マリエルの情報にあった領域を奪える点をウンランは懸念したが、ジルケは邪霊帝であり、相手が精霊帝でも易々とは奪われないと保証されたのである。
(王国に常識は通用しない)
これまで王国に常識を当て嵌めて、悉く失敗してきたウンランは、マリエルの保証に対して強い危機感を抱いた。
だが彼は、ヘラクレス星系が陥落しても構わないと決断した。
王国側が精霊帝を有していたとして、それをヘラクレス星系に消費するのであれば、天華の星系に使われるよりはマシだ。マリエルの昇格で、ウンランが自前で邪霊結晶を生産出来るようになれば、ヘラクレス星系と邪霊帝は死守すべき対象では無いのである。
そしてフロージ共和国に向かう7万40000隻は、共和国の総戦力の11.5倍となる。
万が一にも失敗の無い圧倒的な戦力で、有無を言わせずに3星系から瘴気を回収して、4体の上級邪霊を邪霊王に引き上げる計画だ。
然る後に、天華の3星系に領域を作らせて防衛効果を増させる。そして上級邪霊の振りをしたマリエルを密かに所持しておくのが、ウンランの考えであった。
「侵攻と防衛の戦力は充分で、増援は不要と考える。むしろ太陽系に戦力を残しておき、王国を引き付けて、足止めに使った方が良い」
マリエルの部分を除いた状況を説明されたユーエンは、納得を示した。
「分かった。転移門が繋がる事を見越して、あらかじめ操縦者を集めて、戦闘艇も量産させておこう。頼んだぞ」
「無論だ。大泉のためにも、最善を尽くす」
邪霊王に領域を作らせて、邪霊結晶と戦闘艇ユンフーに防衛を担わせれば、天華の各星系は陥落不可能になる。アテナ星域会戦のような戦いが、攻防を入れ替えて再現されるのだ。
領域があれば、魔素機関の出力異常で戦力が5倍差になる上に、転移門で他星系から好きなだけ増援を呼び込める。
王国が有する防衛力の理不尽さに、蟷螂の斧を振るっていた自覚を持ったユーエンは、人知を超えた戦争の帰趨に思いを巡らさざるを得なかった。