76話 邪霊
アテナ星域会戦から、既に3ヵ月もの月日が経過しようとしていた。
50万隻の大艦隊を率いて突入したウンランは、王国軍の戦闘艇7000万艇と相対し、魔素機関の出力異常によって為す術もなく蹴散らされて、太陽系まで撤退した。
敗軍の将となったウンランは、散り散りになった艦隊をなるべく多く集め、太陽系で部隊を再編していた時、後背のマクリール星系が陥落した報を受けた。
マクリール星系を奪われては、本国が敵の射程に入る。
そこで慌ててヘラクレス星系まで戻っていた最中、立て続けで深城星系が陥落した報告を受けた。
マクリール星系では脱出艦艇が無かったためにまともな情報が得られなかったが、深城星系に関しては、星系内を航行中だった多くの艦船が逃げ延びており、詳細が届けられていた。
深城星系の外縁部に出現したはずのケルビエル要塞は、マクリール星系のような現象を引き起こした後、居住惑星から約3億キロメートルの近距離に直接ワープアウトして、後続の大軍と共に星系を膨大な軍艦の光で飲み込んだ。
王国が深城星系を統治する事は、ハオランから後継者の指名を受けた娘がアマカワ侯爵と組んでいるために可能だ。
新京が奪って、王国が取り返して深城民に再分配する。深城を継承するのは宋家の血筋であり、深城民が天華5国ではなく王国側に付くのは不可避だ。さらに制圧された深城星系の新京と九山上層部からも、天華5国軍の情報が吸い出される事は目に見えている。
天華5国の保有戦力と各星系への配備数、予備戦力や国家魔力者の補充速度など、知られてはいけない情報が王国に売り渡されてしまう。
「終わった……か」
宇宙に存在する全ての事象には、1つの例外もなく始まりと終わりがある。
それら事象の1つに過ぎないディーテ王国と天華連邦との戦争について、天華5国の指導者の1人であるウンランが終わりを予見した事は、現代の人類にとっては大きな意味を持つ。だが遠い未来の人類にとっては、単に歴史の教科書に載る程度の出来事でしかないだろう。
未来の人々にとって些事である戦争について、ウンランは冷静に、自陣営が敗北する事を悟った。
ウンランが敗北を確信した最大の要因は、両軍の戦力補充速度だ。
王国は、ウンランに王都を破壊された1年前から現在までの短期間に、深城星系に400万艇もの大型戦闘艇を投入できるほどに戦力を回復させ、技術発展した。
常識的には有り得ない話で、ウンランには悪夢としか思えない。
大型戦闘艇の他にも、謎の出力異常現象をアテナ星系や深城星系で引き起こし、星系内に直接ワープアウトを行えるようになり、直径が約480キロメートルの巨大戦闘衛星を投入するなど、1つ1つが戦争で決定打と成り得る技術躍進を頻発させている。
現時点における両軍の手札を見比べたウンランは、既にどのような出し方をされても敗北の時期や被害が異なるだけで、結果は変わらないと結論付けざるを得なかった。
時間経過ごとに大型戦闘艇は増えていくであろうし、切り札も深城星系での事象が最後とは思えない。今すぐアマカワ侯爵が突然死しても、既に天華が勝てる見込みは無かった。
「どのような形で、民衆を納得させるべきか」
ウンランが悩んだのは、敗北の仕方についてだった。
王国に降伏する意志を伝えるだけであれば簡単だが、現状でそれを行っても、天華側が勝っていると思わせていた3国の天華民が降伏を受け入れない。
彼らに対しては、天華5国が旧連合領の全てを併合し、ディーテ王国の首星を直撃して国王ヴァルフレートを戦死させたところまで教えていた。どのように解釈しても、天華側が勝っていると判断すべき情報であり、突然降伏するなど思いも寄らないだろう。
国家魔力者は天華民ではなく、消耗品の兵器であるため、どれだけ破壊されても損害には計上しない。だから伝えていなかった。
大泉を統治する曹家のセイランがマクリール星系で、ワープアウト直後に核融合弾を当てられて戦死した事実は知られているが、常識的には狙い撃ち出来るものでは無く、防衛していた王国軍も撤退したため、単に運が悪かっただけだと見なされた。
新京と九山の被害に関しては、王国側が自国の損害を無視して特攻して、両星系の防衛戦力が壊滅はしなかったが、隙を突かれて天体を落とされたと伝えていた。そのため新京と九山は、王国寄りになった深城に侵攻して支配したのだと。
全てを支配家にとって都合の良いように伝達してきたために、今になって「負けると確信したので降伏する」と伝えても、天華民が受け入れられないのだ。
現状で天華民が受け入れられるのは、勝利宣言による終戦くらいだ。天華が大義名分であった連合民を確保して、居住星系を獲得する目的も果たして、王国の国王も戦死させる懲罰も行ったため、現在の領地で一度区切る……という形であれば、統治家は民衆を納得させられる。
既にマクリール星系を奪い返されているため、実現しない話であるが。
有りの侭に全ての事実を伝えれば、果たしてどうなるのか。
現在の統治家は引き摺り下ろされて、一族皆殺しも有り得る。その後は、国王を殺されて王都も破壊された王国側の怒りを過小に見積もった天華民が、王国との妥協ラインを模索するだろう。
甘すぎる条件交渉を王国側が受け入れる事は有り得ない。だが天華民にとって厳しい条件は、天華民が受け入れない。戦争は継続されて、天華3国の居住惑星に天体を落とされて、天華連邦の滅亡で終戦となる。
そこまでを理路整然と説明しても、なお天華民は受け入れられない。愚民は愚民であるが故に、何事も実体験しなければ分からないのだ……と、ウンランは考える。もっとも、ウンランが考える最大の愚か者は、王国と開戦して現状まで至らしめた自分自身であるが。
思考という無限の海を揺蕩っていたウンランは、自身が為すべき事について、概ね答えを導き出した。
最初に盟主であるユーエンに降伏の方針を相談して、ユーエンが受け入れるのであれば従い、受け入れないのであれば大泉単独でマシな降伏を模索する。
盟主のユーエンに相談したが、受け入れられなかったので独自に降伏するとして、天都や本陽が交戦している間に王国に降伏すれば、多少はマシな結果になるだろう。
ウンラン自身の死に関しては、前王ヴァルフレートを殺しているために不可避だ。ウンランは自分が拷問や晒し者にされる趣味嗜好を持たないため、降伏の段取りを付けた時点で、責任を取って自裁する形を望むが。
「今であれば、事前に一族を逃がすくらいは可能か…………っ!?」
軽い溜息と共に呟いたウンランが、星間用の魔素変換通信波を起動させたところで、周囲が突然の暗闇に覆われた。
素早く周囲を見渡したウンランは、非常灯など点灯して然るべきものまで消えている状況に、物理的に有り得ない異常性を見出した。
暗闇で視覚を奪われる中、聴覚は錫杖を打ち鳴らすような「シャランシャラン」という音を捉えた。音が聞こえる方に身体を向けて、暫く聞き入ると、次第に音が近付いてきている事が聞き取れた。
やがて暗闇にボンヤリと浮かび上がる恒星ヘラクレスと、惑星アルカイオスと、衛星ケイデス。そして恒星と惑星の間に、あるはずの無い色褪せた惑星が出現した。
恒星光に照らされた謎の惑星の表面は、荒れた凹凸の激しい白色の肌。ほんの僅かに青色が見えるが、それは水とは異なるものだとウンランの直感が告げていた。
謎の白い惑星は青白い光を乱舞させ、光の中で恒星と惑星を消し去り、やがて錫杖を持った1人の女に姿を変えた。
白い修道服のような衣に灰色のマントを羽織って、額飾りを付けた赤紫の瞳を持つ色褪せた髪の女。木製の白い杖を左手に持ち、杖の先端には青い水晶が沢山付いていて、それが打ち鳴らされて乾いた音を発している。
その女の張り付いた微笑を目にしたウンランは、肌に怖気が走った。
表情が判別出来るほどに近付いた女の傍には、いつの間にか1人のドワーフが並んで立っていた。
白いシャツと赤いズボンの上に、金色の刺繍が施された赤黒いベストと黒い蝶ネクタイを着け、白手袋をはめて、ベストと揃いの赤黒いロングコートを着て、さらにベストやコートと揃いの赤黒い杖を手にした長い金髪の中年ドワーフ。
ドワーフらしく体格がずんぐりしており、身の丈は子供で、まるで太った子供が貴族の格好をしているような滑稽さがあった。
それら二者を視界に収めたウンランは、一度目を瞑ってからゆっくりと開き、変わらぬ光景に評価を下した。
「幻覚と幻聴が同時に起きるとは、いよいよわたしも末期症状か。降伏の提案以外にも、代理人を選定すべきだな。現状で、先の見える人間が代理人を引き受けるとは思えないが」
独白したウンランに向かって、幻覚とされたドワーフがヒゲを揺らしながら言葉を返した。
「幻覚ではなく、隣の白い彼女がディーテ王国の有する精霊のような存在だとすれば、どう思うかね」
頭の回転は悪くないウンランだが、ドワーフの言葉を理解して返答するまでには、数秒の間があった。
「どうもこうもない。まさかヘラクレス星人にまで、王国の手が回っていたとは思わなかった。降伏勧告であるならば、内容を聞こう」
表情を引き締めて、気を張り直したウンランに向かって、ドワーフは穏やかな表情で首を横に振った。
「いや、これは降伏勧告ではなく、提案だよ」
「提案とは?」
「うむ。彼女は、精霊とは食性が異なる邪霊だ。精霊は、瘴気を浄化して食べる。そして邪霊は、瘴気や精霊を食べる」
「精霊を……食べるだと?」
自信ありげなドワーフと、泰然自若とした白い女の一挙手一投足を観察したウンランは、聴覚に届いた「食べる」の意味を測りかねて、視線と言葉の両方で説明を求めた。
対するドワーフの男は、綺麗に揃えたヒゲを揺らしながら答える。
「精霊側も、邪霊を浄化して食べるそうだから、両者は互いに捕食関係と言ったところか」
ドワーフの説明を聞いたウンランは、素早く思考を巡らせた。
精霊が瘴気を浄化して食べ、邪霊が瘴気を食べる。
人間は、瘴気なる存在を観測出来ておらず、管理も出来ていない。であれば勝手に食べれば良いにも拘わらず、王国側の精霊が人間に憑いているのは、人間を介する必要があるからではないか。少なくとも精霊は、人間に憑く理由を持つ。
ならば同様の存在である邪霊も、人間に憑く必要があるのではないか。
王国側は、精霊を理解して利用しているのか、騙されて利用されているのかは兎も角として、現在は共存関係にある。
邪霊を名乗る白い女が、精霊と捕食し合う関係にあるのだとすれば、精霊と共存する王国側とは共存関係にはなれない。
邪霊側がドワーフと協力関係にあるのだとして、ドワーフだけでは足りないからウンランに声を掛けたのだとすれば、天華に有ってドワーフには無い魔力者や、星間船などが必要なのかもしれない。
(王国は精霊を持つ。だが邪霊という存在もいて、王国と対立する側に付こうとしている。我々が、邪霊と組むか組まないかの二択か)
精霊と邪霊が捕食し合うのであれば、力関係は一方的ではなくなる。
ウンランが白い女に協力して、得られると考えられるものは、精霊結晶のような邪霊結晶や、その他に王国が行っている不可思議な現象の数々だろう。
だとすれば、それらを得られる代わりにウンランが支払う対価は何になるのか。
何でも良い……と、ウンランは決断した。
天華が滅びないためには、王国に対抗出来る武器が必要だ。国家と民族の死に比べれば、大抵の事はマシだった。
「我々は、船や技術を提供すれば良いのか。戦況は芳しくないが、邪霊結晶はどれくらい提供してもらえるのか」
僅かな説明からウンランが導き出した答えに、ドワーフは目を見開いて驚きを表した。
「ああ、話が早いな。とても早くて、実に素晴らしい。彼女は邪霊帝ジルケ。眷属を増やして、星を食べさせ、領域を増やす。天華3国に、王国のような領域と転移門を与えられるだろう。最初に食べる星は、フロージ共和国の3星系。君達には、実行戦力を用意してもらう」
ドワーフが発した単語から、ウンランは王国が引き起こしていた様々な現象を瞬く間に理解していった。
謎の出力異常は領域で、星系内への直接ワープは転移門。
王国側の精霊が星を食べて力を得たのであれば、天華の新京と九山、旧連合のマーナとフレイヤとトールの合計5星系が破壊された後に、王国側の不可思議な現象が増大した理由にも得心がいく。
王国の各星系を落とすには戦力が足りないが、フロージ共和国の3星系であれば、現在のウンランが有する戦力だけでも充分に可能だ。
「邪霊結晶も、必要な数を提供しよう。だが領域を作るのは私の契約邪霊であり、契約者の私や配下の者達を害すれば、その力を奪う事は努々忘れるなかれ。裏切りは身を滅ぼす。我々は運命共同体だ」
「理解したが、王国に降伏する方がマシな要求はしてくれるな。その場合は、王国側に降伏して終わる。声を掛けるタイミングを見計らっていたのだから、分かっているだろうが」
釘を刺し返したウンランに対して、ドワーフは二度頷いた。
「もちろんだ。我々の目的は、ヘラクレス星系から出るという、ささやかなものだよ。天体を一つ落とされるだけで我々は終わる。連合と王国の戦争で、それを理解した。連合に閉じ込められて幾百年、星間航行技術は、完全に廃れてしまった。船ごと頂こう。どこに住もうか。どこまで行こうか。我々は、ついに自由を手に入れるのだ」
気分良く夢を語り出したドワーフに対して、ウンランは天華の運命を握るドワーフの気分を害するリスクに躊躇った後、忠告の言葉を発した。
「わたしの人生最大の失敗談だが、王国を侮ると痛い目に遭う」
忠告されたドワーフは、多少驚いた表情を浮かべたが、気分を害した様子は見せず、傍らに立つ邪霊帝に視線を送って語った。
「だからジルケは、精霊神が居なくなるまで介入を避けていたのだ」
「精霊神とは何か」
「精霊や邪霊には、格や階位のような、絶対的な力の差があるようだ。だが今であれば、邪霊帝ジルケと眷属達が、王国の精霊達を食べられる」
「詳しく教えてくれ」
王国歴444年10月。
250億人以上もの犠牲者を出して、ようやく終わりが見えかけたディーテ王国と天華連邦との戦争は、王国側が精霊に頼った結果として、必然的に彼女達の事情に巻き込まれていった。
・あとがき
今話で、4巻は終了となります。
5巻の投稿は、しばらくお待ち下さい。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。