73話 深城星域会戦
マクリール星系の制圧が完了した情報は、ワープのたびに偵察艦をばら撒いて、通信網を繋げていたケルビエル要塞にも届いた。
ディーテ王国は建国以来、惑星制圧作戦の経験が2度しか無い。
1度目は、元王太子グラシアンによる太陽系侵攻だ。紆余曲折を経た結果、地球は現時点においても、王国民が足を踏み入れられない危険地帯と化している。
2度目は、先般の第三次マクリール星域会戦だ。結果は当初の想定よりも遥かに良好で、地上に根を張っていた天華軍は勿論、旧連合の抗戦派や、武器を蓄えていたマフィア等の類いまで一掃できた。
手付かずだった旧連合の主要施設や、有事に王国を襲うプログラムを施されていたアンドロイド達も、制圧作戦で破壊できている。
マクリール星系を制圧した王国は、転移門から多数の都市建造施設群や製造工場などを持ち込んでおり、今後は自分たちで制御できる代替品を押し付けていく予定だ。
マクリール星系の経済再建は、巨大な資源採掘惑星である第3惑星トゥーラに王国の工業力を投じて、転移門を使って王国と繋いで行われる。反ディーテ教育の見直しにも着手していく。王国が本格的に統治するにあたって、王国民の生命に脅威を及ぼしそうだった部分は着実に解決されており、マクリール星系の脅威度は急速に下がりつつある。
将来的には、衛星フラガに篭るような前王時代の統治方式ではなく、惑星ウイスパを王国民が歩けるような形に出来るだろう。
「深城星系は、どうなることやら」
ハルトが直接管理する事になる深城星系は、統治者のハオランが王国に従属の意思を示して、前王ヴァルフレートも受け入れている。
深城民は、既に深城系王国民として相応の権利を有している。そのため深城星系では、マクリール星系制圧作戦時のように「王国民1人の命は、敵国民50億人の命に勝る」といった作戦は行えない。
すんなりと支配できて、穏当に統治出来れば良い……などと、ハルトは乙女ゲームの通常モードのような甘い妄想に耽った。
王国にとって3度目となる惑星制圧戦が行われるのは、地球を上回る理想的な居住惑星である蓮昌だ。
地球よりも広くて資源が豊かな陸地と海洋、殆ど存在しない有害生物、厚くて安定した大気の層、26時間という惑星自転。天華連邦が飛躍した最大の要因は、最初の居住惑星が蓮昌だったからだ。
現在は深城民の他に、新京民22億500万人と九山民15億4500万人も住んでおり、支配者は、押し込み強盗である合計37億5000万人側だ。彼らの戦力は、天華巡洋艦や空母など9万隻と、駆逐艦32万5000隻である。
天華の巡洋艦換算で、13万3000隻相当の戦力であり、サラマンダー900万艇を擁するケルビエル要塞は12万隻相当の戦力であるため、ケルビエル要塞が攻め込んでも防ぎ切れると、以前の天華5国側は考えていた。
「宇宙戦力は、既に問題にならない。厄介なのは大気圏内の戦力だ」
ハルトが警戒するのは、深城民210億人を支配している大気圏内戦力だ。
天華側の抵抗が激しいほど、深城民の犠牲が増えて、戦後のハルトは統治が困難になっていく。
最速で攻め落として、犠牲を最小にする。それを目標に掲げたハルトは、深城星系の恒星系外縁部まで達すると、すぐに精霊王フルールへ魔力を送って依頼した。
『此方の契約者である俺は、精霊結晶を介さず、フルールとの直接契約を申し込む。此方とフルールの精霊界との間に、界を繋げてくれ。オンシジューム』
ハルトが桜色の精霊結晶に呼び掛けて、ミラも発動用に精霊神の精霊結晶を掲げると、ハルトの眼前に顕現したフルールは2つの結晶に触れながら微笑んだ。
『わたしと魔力を繋げる事の意味を、どこまで分かっているのかな。でも、ハルトから申し込んだから、良いよね?』
『構わない。フルールと契約したい』
『そっか…………おめでとう。わたし、実は特異なの。これからよろしくね。たのしみ』
フルールが淡い輝きを放つと、ハルトの視界に映る景色が次第に歪み、溶けるように崩れ始めた。
フルールが放った光で塗り替えられた光景は、視界いっぱいに広がる花畑と、遠くに見える黄緑掛かった森林、山頂に雪が積もるなだらかな山脈の連なりが存在する穏やかな世界だった。
色取り取りの花々が、大地を鮮やかに彩る。それら花々の上空には、黄色や白、ピンク色に発光する花びらが風に乗って舞い、花びらから蝶々に姿を変えて飛び交っている。
フルールの契約者であるハルトには、視界を舞う全ての存在が、フルールに従う眷属の下級精霊達だと直感的に感じ取れた。
それらの総数は、フルールが好きなだけ生み出せるために、数えても意味が無い。数百億が必要であれば、フルールは瞬く間に数百億を生み出すだろう。
赤い瞳を細めたフルールは、先端に青い大きな宝石が付いた杖を惑星に向けた。
『深城民と、新京民と、九山民を見分ければ良いんだよね。青と赤と橙で印を付けるね。みんな、行っておいで』
鮮やかな色彩の蝶々達が、光の軌跡を残しながら星系内に降り注いでいく。
それらは花びらとなって、星系内の人間達に張り付き、見分けが付かなかった天華民の識別方法をハルト達に与えていった。
既に深城星系は、天華でも王国でもなく、精霊王フルールの支配下に収まっていた。
非常識かつ不可思議な光景に目を奪われていたハルトは、目を瞑って深呼吸を行った後、ゆっくりと開いた。すると視界に広がる世界が、ハルトが知る深城星系の恒星系外縁部に戻っていた。
もっとも、視界に広がる光景が花畑から宇宙空間を映すケルビエル要塞の司令部に戻っただけで、深城星系の異常現象が収まったわけでは無い。
深城星系はフルールが発した光に塗り替えられており、人間の計器では通常の宙域であるはずの座標には、星々が瞬くかのような謎の発光現象が乱発していた。
『戦略衛星メタトロンを持ってくるから、動かして手伝ってくれ。壊れたら新しいのを作るから、使い方は任せる』
『分かったよ。それじゃあ近道ね』
フルールが杖の先端を向けた先、ケルビエル要塞の前方宙域が歪曲して、そこに白と青と赤が入り乱れた直径2000キロメートルの巨大な渦潮が発生した。
急激な勢いで周囲を飲み込む渦潮の出現に、まるでブラックホールが出現したかの如き恐怖を覚えた要塞司令部の要員たちが、一斉にハルトへ視線を向けて無言で説明を求めた。
そんな司令部要員達を見渡しながら、ハルトは彼らに命令を下した。
「あれは恒星系外縁部に出した転移門だ。これより転移門でマクリール星系に戻り、マクリール星系で待機中の軍勢を引き連れて、蓮昌から3億キロメートルに新しく発生させる転移門から展開する。恒星系内で、約40億キロメートルをショートカットすると思えば良い。詳細は機密だ。突入しろ」
多少形状が異なるが、予定通りの転移門だと聞かされた要塞要員たちは内心で胸を撫で下ろして、要塞が渦潮に飲み込まれていく光景を受け入れた。
ハルト自身が参謀であれば、司令長官に対して予め説明しておくように進言しただろう。その方が良い事はハルトも承知しているが、フルールが特異な存在だなどとは想定外だった。知らない事は、説明できない。
ハルトが保証できるのは、フルールが星系の魔素を掌握した事で、転移門が使用可能になる事や、敵の魔素機関の出力が低下する事、敵を識別できるようになる事だけだ。
もっとも、マクリール星系の王国軍にとっては、転移門が繋がるだけで充分だった。
マクリール星系に3つ目の転移門が出現して、そこからケルビエル要塞が現われた瞬間、待機状態にあった王国軍は一斉に魔素機関を最大出力で稼働させた。
『司令長官アマカワ元帥より、全軍に告ぐ。深城星系に、転移門を繋いだ。これより我が軍は、深城星系に突入して、深城星系を占拠している敵軍を殲滅し、従属した深城系王国民を解放する。全軍、直ちに転移門へ突入せよ』
目的を明確にしたハルトは、全軍に進撃を命じた。
命令を受けた8個艦隊と貴族軍、イスラフェル400万艇、様々な部隊を抱えたサラマンダー2500万艇が、続々と魔素変換光を放ちながら、光の濁流となって転移門に流れ始めた。
それら巨大な濁流の天頂方向からは、全長480キロメートルの戦略衛星メタトロンが超加速して軍勢を瞬く間に抜き去り、逆進したケルビエル要塞に続いて転移門に突入していった。
2つの巨大な流星を追って、数百万の大きな星々と、数千万の小さな星々が、続々と250光年の距離を一瞬で転移していく。
王国軍は転移門を通過した直後から、フルールが乗っ取った魔素を介した多次元魔素変換通信波や、天華民に張り付けた花弁の下級精霊達を介して、シャリーの録画映像を流し始めた。
『あたしは、初代総統から699年に渡って深城星系を統治してきた宋家の現当主、宋佳丽です。宋家は、高家に新京、林家に九山の統治を任せましたが、深城星系の権利は与えていません。これより武力を以て、騙し討ちを行った5国を排除し、深城の正統な権利を回復します』
毅然と名乗りを上げたシャリーは、深城民に対して警告を発した。
『宋家当主の名において、深城星系全域に戒厳令を発します。宙域と惑星内の制圧戦が終わるまで、深城人民は自宅などに避難しなさい。王国軍は、天華5国軍の宇宙戦力を殲滅した後、数千万の戦闘艇や制圧機も投入した大規模な地上戦を展開します。各自、管理できるアンドロイドは全て下がらせなさい。外に出ている存在は、全て殲滅されます』
録画映像のシャリーは、今後の展開についても説明した。
深城人民は王国民の一部として、王国民が持つ権利を得る。深城の統治者は、宋家の継承者であるシャリーと、父ハオランが深城民に紹介していたアマカワ侯爵。アマカワ侯爵は、王国から深城星系を任せられて、ソン公爵になったのだと。
深城に関わる他の貴族は、シャリーの従姉妹で王国と婚姻外交を行った宋思乐と宋凜風、そして彼女達の夫。新京民と九山民の扱いについては、スーラとリンファが夫達と共に定める。
基本的には占領時の犯罪行為を罰して、旧占領者達の財産を没収して被害を補償させる。補償し切れない部分は、彼らに末代まででも労働して返してもらうと。
これらは深城民を安堵させて、制圧作戦時に間違っても新京と九山側に付かないようにさせるための広報だった。
なお「労働」という単語を発した瞬間、録画映像であるにも関わらずシャリーは辛そうな顔を浮かべたが、撮れた映像で最もマシなものがコレだった。
映像が繰り返し流される中、深城星系には光の濁流が襲い掛かっていった。
ディーテ王国の星系突入は、あたかも火山の噴火に匹敵する怒濤の勢いだった。
転移門と蓮昌の直線上に存在した艦船は、巨大な塊となって突撃してきた戦略衛星メタトロンに押しつぶされた。
メタトロンの巨体には、魔素機関と繋がった質量波凝集砲、魔素変換防護膜が取り付けられており、星系内の精霊王フルールが魔素を流し込み、内部のコンピュータと配備されている軍用アンドロイド兵たちとで操作している。
フルールの力で動かされるメタトロンは、進路上に存在した不幸な艦船を巨大な質量とシールドで押し潰し、上下左右に回避する天華艦船に対しては、取り付けられた多数の砲門から浴びせた砲撃の雨で炸裂させていった。
その背後からは、天頂方向へ僅かに逸れながら追従するケルビエル要塞が、メタトロンが掻き乱した戦場で生き残った残党を吹き飛ばしていった。
2つの流星が飛び去った宙域には、灼熱のマグマのように転移門の周辺を染め上げた大軍勢の光が、裾野に広がるように流れ込みながら、付近に存在する赤色と橙色の反応を示す天華艦船に群がっていった。
天華巡洋艦と渡り合える戦闘力を持った大型戦闘艇400万艇が、周囲の天華艦船を全方位から包み込んで、1隻を数十本の砲撃で串刺しにしていく。
深城星系の転移門付近は、瞬く間に王国軍に制圧されていった。
「敵は、まともにシールドを張れない。小さな砲撃を当てるだけで爆発するから、沢山の副砲から一斉に数を撃て。シールドと推進は俺に任せて、自分の精霊達と協力しながら、射程内の敵を撃ち続けてくれ」
ケルビエル要塞の運行補助者は、フィリーネ、クラウディア、シャリーの3人だ。
総旗艦レミエルにいるユーナやコレットと比べて、フィリーネの武勲が高くなっており、武勲章や階級に差が生じかねない。そのような懸念が生じるほどに、ケルビエル要塞がマクリール星系と深城星系で撃墜している敵は多かった。
メタトロンとケルビエル要塞が通過した周辺宙域では、天華艦隊が大混乱に陥っている。
魔素を介した通信を妨害され、旗艦からの命令を受けられない天華側は、陣形すら形成出来ずに乱戦に巻き込まれて、後続の艦隊とイスラフェルに狩り尽くされている。
マクリール星系と比べて天華の防衛戦力は7倍近いが、それは王国軍にとって多少獲物を増やした程度に過ぎなかった。
「王国軍の魔素変換反応、我が軍の20倍以上!」
侵攻を受けた天華の支配者達は、絶望的な報告を聞かされた。
「星系異常現象が発生中です。補助艦規模の戦闘艦艇とサラマンダーは、それぞれのエネルギーが、我が軍の10倍以上の130万隻相当ずつ。ケルビエル要塞の5倍以上の全長を持つ新要塞も確認。さらに敵の増援が、星系内に直接ワープアウトを続けています。敵が多すぎます。リキョウ様、対応不能です」
王国軍の突入を目の当たりにしたリキョウは、王国側が星系内へ直接ワープアウトできる新技術を開発して、それを投入した事は理解できた。
リキョウに理解できなかったのは、ワープ出来ないはずの戦闘艇や、ケルビエル要塞の5倍以上という要塞までもが、ワープで侵攻してきた事だ。
現有戦力では、どうやっても対応できない。互角の人間が20対1で殴り合って、1人の側が勝つ事などあり得ないのだ。
そしてリキョウには、対策を講じる戦力も時間的な猶予も存在しなかった。深城星系には、3つの有人惑星と1つの有人衛星が存在しており、膨大な施設も星系内に点在していたが、王国軍は星系全域への同時攻略作戦を展開していたのだ。
王国軍が高速で迫る中、リキョウは光通信を用いて王国側に警告を行った。
『新京の高家、リキョウだ。ディーテ王国軍に警告する。我々は、蓮昌の衛星軌道上を押さえている。惑星に核融合弾を落とせる。深城民は、王国に組み込んだのだろう。王国民が、どうなっても良いのか。我々への攻撃を止めろ。さもなくば、王国民を吹き飛ばすぞ』
追い詰められたリキョウの脅迫は、周囲に居た側近達すら驚かせるものだった。蓮昌には、元々の住人であった深城民の他に、新京民と九山民の合計37億5000万人も暮らしている。核融合弾を撃ち込めば、自国民ごと焼き払う事になるのだ。
もちろん王国側が退けば、リキョウ達は犠牲を出さずに現状を打開できる。そんな側近達の一縷の望みは、通信画面に現れた黒髪の青年によって打ち砕かれた。
「宋佳丽の夫で、王国軍司令長官のソン公爵ハルトだ。結論を告げる。王国軍は攻撃を継続する。王国では、人質に価値を持たせてはならないという原理原則がある。お前達は、未来に人質を取ろうと考える愚か者どもへの見せしめとなる」
旧連合との戦争中、ハルトはマーナ星系侵攻時に人質救出作戦の責任者になった事があった。人質となっていたのは、ハルトの士官学校の同期達だ。
責任者のハルトが下した命令は「捕虜を人質に使われれば、捕虜ごと敵を撃ち殺して進め」だった。そして作戦後、収容されていた捕虜と、救出できた捕虜の数は一致しなかった。
深城星系の住民達も、ハルトやシャリーとの子孫が治める星系の領民達だ。それでもハルトは攻撃を命じた。
「ディーテ王国を相手に、人質は無意味だ。全軍、敵の殲滅を継続せよ」
星系全体に両者の会話が伝わり、王国軍の攻撃が一気に苛烈さを増した。
天華艦1隻に対して、王国側の砲撃が数十度も浴びせられ、爆発四散した宙域にすら殺意に満ちた砲撃が続けられていく。
攻撃の勢いを増した王国軍を目の当たりにした側近たちから、本当に核融合弾を撃つのかと視線で問われたリキョウは、非情な決定を下したハルトを責め立てた。
『その辺の人質事件と一緒にするな。人質が何百億人いると思っている。200億人だ。王国の総人口の3分の1以上だぞ。それを貴様は、見殺しにするのか!』
人質を取っている当人に非難される筋合いこそ無いが、ハルトが何も感じていないわけでは無い。
殺された住民の家族は、非情な決定を下したハルトを恨むだろう。将来、ハルトの子孫が深城星系を統治する際には、色々とやり難くなる。本来、恨む相手は、核融合弾を撃ったリキョウであるべきだが……。
そして王国で唯一の元帥であり、司令長官でもあるハルトにとって、在任中に自らが総司令官として臨む会戦で、深城系とはいえ王国民200億人を死なせることは、人生最大の汚点となる。
他にやり方は無かったのかと、死ぬまで何度も思い返すことになるだろう。
もしもハオランから深城を託された際、半年ほど敵に攻め込まれてない時間的猶予があったならば、ハルトは深城星系をアテナ星系のように守ったり、深城民の重要人物を避難させたりしたはずだ。
だがハオランから託された事がハルトの耳に届いたのは深城の陥落後で、工作の余地は無かった。
内心では割り切れていないハルトは、自らの感情と不一致の言葉を発した。
「星系の奪還作戦で、相応の犠牲者が出る事態は、やむを得ない」
『脅しではない。本当に発射するぞっ!』
リキョウの顔色に、決意を秘めた険しさが増した。
その直後、ハルトはリキョウでは無い相手に、一石を投じた。
「私も本気だ。発生した損害は、新京民に末代まで掛かっても必ず支払わせる。だが新京が出した損害は、九山には背負わせない。また新京民を撃ち殺して、核融合弾の攻撃を阻止すれば、その分だけ戦後の九山は立場が良くなるだろう。林家のリュウホ殿は、宋家と高家、どちらに付かれる?」
それは露骨な裏切りの誘いだった。
不意に誘われたリュウホが一瞬固まった隙を見て、ハルトは宋家という天華側の立場から畳み掛けた。
「簡単な話だ。人質には価値を認めないが、王国への貢献には価値を認める。義父のハオラン殿や、深城の決断を受け入れた前王陛下の意思を蔑ろには出来ない。これは私に可能な最大限の譲歩だ。我が宋家に付くのであれば、林家と九山民は悪い扱いにはしないが、如何に」
ハルトに問われたリュウホは、罠の可能性を疑った。
新京と九山を争わせて、核融合弾の発射を妨害した後、弱った両軍を攻撃するのではないか、と。
だが交渉で偽りを口にすれば、今後はディーテ王国や王侯貴族の約束が、自国民や他国から信用されなくなる。
しかもハルトは、宋家の後継者として、先代であるハオランの名を口にした。この名を使って嘘を吐けば、深城民200億人の信用まで失墜させる。
王国の勝利が確定している戦いで、王国と王侯貴族の信用を永久に失墜させてまで、多少の犠牲を減らす事は収支が釣り合わない。
さらに、第二次ディーテ星域会戦で首星ディロスを襲ったのは、ウンランの大泉軍を中核として、後継者セイランを失って功績を挙げなければならなかった本陽軍と、ユーエンの天都軍だ。
これまでの戦いにおいて、九山は王国の民間人を1人も殺しておらず、王国民から直接的な恨みを買っていない。天華6国で最弱の九山には、王国軍がわざわざ騙すほどの価値など無いのだ。
戦死と降伏以外の選択肢を与えられたリュウホは、奇跡的に訪れた機会を逃さぬように、素早く掴み取った。
『我ら林家は、九山民ごと蓮昌を焼き払おうとする高家を見限り、宋家に付く。自国民ごと居住惑星を焼くなど、全く理解できない。我ら林家は、最初に話に乗る相手を間違えていたようだ。今からでも宋家に付いて新京を攻撃すれば、功績に加点は頂けるか』
リュウホの鋭い眼光と、吊り上がった口角は、ハルトに狩人を連想させた。
良い仕事をさせたければ、良い条件を提示すべきである。自身の領民200億人の命が懸かっているハルトは、働きに相応した報酬が出せる事を示した。
「勿論だ。私は、王国で唯一の元帥、王国軍司令長官、深城星系の担当公爵だ。ソン公爵の名において、深城民の命が救われる分だけ、九山民の扱いを良くすると約束しよう」
『承知した』
リキョウが裏切りを非難する中、ハルトとリュウホの間で交渉が成立すると、ハルトは直ちに深城星系に領域を展開しているフルールに指示を出した。
『フルール、九山民に付けている橙のマーカーを、他の分かり易い色に変えてくれ。それと九山民の通信妨害を解除して、さっきのリキョウとの会話も流してくれ』
『緑にするね。妨害も解除して、映像も流すよ。大丈夫、任せて』
フルールの返事がハルトの耳に届いた直後、ケルビエル要塞司令部のスクリーンに表示されていた橙色の九山軍が、一斉に緑色へと塗り替えられた。
王国軍の敵味方識別表示は、すべて同じシステムを採用している。全軍の表示が切り替わったと判断したハルトは、直ちに全星系に命令を発した。
「王国軍司令長官ソン公爵ハルトより、深城星系の全人類に告ぐ。新京のリキョウが、九山民も住んでいる蓮昌へ核融合弾を撃とうとしたため、九山のリュウホが王国と宋家側に付いた。新京民、お前らもリキョウに殺されるぞ。王国軍と九山軍は、共同で新京軍を攻撃しろ。新京軍は、愚かなリキョウに従うのを止めて降伏しろ」
ハルトの命令に続いて、フルールの手によってリキョウが惑星への核攻撃を行おうとする映像が流されて、戦場の流れが劇的に変化した。
緑色に変化した九山軍が魔素機関の出力を回復して、周囲の無防備な新京軍を圧倒的な火力で攻撃し始めたのだ。
九山軍は、新京軍よりも数が少なかったが、魔素機関の出力異常による戦力評価の5倍差は、数的劣勢を瞬く間に覆した。
反撃するべきか新京軍の各部隊が判断に迷った隙を突いた九山軍が、周囲の新京艦隊を蹂躙して、突き崩していった。
リキョウの命令に従って核融合弾を撃つ新京艦艇もあったが、惑星には新京民も暮らしている事から、発射弾数は多くなかった。そして発射された融合弾も、新京軍の真横に展開していた九山軍が、自国民を守るためにも懸命に撃ち落としていく。
「元帥閣下、九山軍が星系内の兵器を次々と破壊、あるいは自爆させています。新京の制御下にあるものに対しても、こちらへ位置情報を送って来ました」
「直ちに全軍へ、情報を共有しろ。各艦隊司令官、戦闘艇指揮所は、各指揮官の判断で優先順位を付けながら殲滅しろ。予定を繰り上げて、大気圏内の制圧作戦を開始する。サラマンダー全艇、攻略作戦を開始しろ」
九山軍から情報を得た王国軍は、混乱した新京軍の中に艦隊とイスラフェルを押し込んで道を切り拓き、惑星上の新京軍に対しても攻撃を開始した。
青い光の群れが、圧倒的な数で赤い光を押し流していく。
『リュウホ、他民族に尻尾を振る恥知らずの裏切者めっ!』
罵声を飛ばすリキョウに対して、リュウホは目を細めながら笑みを浮かべた。
『最後に、感謝を述べておこうか。核融合弾で九山民ごと攻撃すると脅して、私が大手を振って宋家に付く大義名分を与えてくれた。王国民に撃たれた核融合弾を阻止している我々の価値も、大いに高めてくれた。新京民は、王国と深城の怒りを一身に引き受けてくれた。リキョウの愚かさに感謝するよ。どうもありがとう』
『貴様っ……』
怒りに歪んだリキョウの表情は、そこで光に飲まれて掻き消えた。
リキョウの総旗艦の艦首、領域化でシールド効果の範囲外になっていた部分に、イスラフェルの砲撃が命中して巨大な爆発を引き起こしたのだ。
攻撃を行ったイスラフェルは、王国軍で第0285―073大隊の大隊長艇と識別される、アロイス・カーン大隊長の艇体だった。
戦略衛星メタトロンの支援砲撃と魔素の流れを巧みに利用した艇体は、生じた巨大な爆発をシールドで受けて加速しながら、乱戦宙域を流星の如く駆け抜けていった。
「リュウホ様、新京の総旗艦が撃沈しました。脱出者は確認できません」
「そうか、それは結構」
リキョウ戦死の報告を受けたリュウホは、ふと戦闘開始から未だに2時間も経過していなかった事を確認して、堪え切れずに苦笑を浮かべた。
今この瞬間までの2時間は、九山民15億4500万人の未来が、劇的に切り替わった運命の分岐点だった。
負けている側が自分から売り込んでも、大した価値は認められず、裏切り者が信用される事も、重用される事もない。
だが、王国軍司令長官から引き抜かれるのであれば、話は全く異なる。それも自国民に核融合弾を撃つと言われて、やむを得ない事情があっての裏切りであり、深城系とはいえ王国民を守った実績が加われば、立場は劇的に向上する。
惑星に核融合弾を撃とうとした新京を悪者とする事で、九山民に対しても方針転換を説明して納得させられる。
そして、九山民が戦争で何を得られたのかと振り返った時、九山星系よりも遥かに過ごし易い居住環境を得られたのだと答えられる未来も見えた。
千年単位で民族の未来を見れば、もしかすると収支は釣り合うかもしれない。
僅か2時間弱で、敗滅する陣営から抜け出せたリュウホは、あまりの急展開に笑いをかみ殺しながら、機能が回復している魔素通信を用いて自軍に命じた。
『九山全軍、なるべく多くの点数を稼いでくれよ。宋家の当主殿に、我々の活躍を評価してもらわなければならない。核融合弾の攻撃は最優先で阻止しろ。新京軍と防衛兵器を徹底破壊、王国軍と王国民の戦死者を減らせ。それと新京の降伏は、受け入れるな。我々は、そのような権限は持っておりませんと、慇懃無礼に伝えてやれ。実際に持っていないからな』
リュウホが意図的に新京を煽る指示を出したのは、新京軍を暴れさせて王国民に凶悪さを分かり易く示して、九山民が得る報酬を吊り上げるためだった。
今回の幸運は、宝くじの1等で何回分だろうか。そのように俗な事を考える余裕まで生まれたリュウホは、転身者としての足場を固めるために、先ほどまでは味方だった新京軍を容赦なく襲わせていった。
もっとも、九山軍の支援は殆ど必要なくなっていた。各惑星と衛星に展開していた防衛衛星を蹴散らした王国軍が、大気圏内に侵攻を始めたのだ。
軍事衛星が衛星軌道上を取り巻く時間すら待てないとばかりに、2000万艇以上の戦闘艇が流星となって、大気圏内に降り注いでいく。
それらの一部は、大気圏内で数百万の無人戦闘機とドローン部隊を分離させて、新京軍が惑星上に有する部隊や施設の上空に広がっていった。
瞬く間に両軍の無人兵器が交戦を開始して、砲撃とミサイルが上空を飛び交い、上空と地上で爆発の閃光を煌めかせていく。そこへ遅れて軍事衛星からの砲撃が始まり、地上の防衛施設が反撃を行って、大気圏内に衝撃波を生み出していった。
交戦空域の合間を縫って、人型で全長40メートルの制圧機と重武装アンドロイド兵達を乗せた強襲降陸艇が、惑星全土に降り立っていく。
制圧機の大部隊は、魔素機関から変換したエネルギーで砲撃を行い、新京地上軍の多様な兵器群を撃ち抜きながら、各地を制圧していった。
サラマンダーと制圧機は、いずれも魔素機関の出力が異様に高くなっており、サラマンダーは強力なシールドを張りながら上空を踊るように駆け回り、制圧機は圧倒的な火力で地上兵器を蹂躙している。
それらが大型兵器を破壊していく中、王国軍のアンドロイド兵部隊は、新京のアンドロイド兵を殲滅しながら、主要都市への制圧作戦を展開していた。
「新京軍と民兵の抵抗は、保って2ヵ月か。もっとも、これが無ければの話だが」
自身に張り付いて消えない緑光に魅了されながら、リュウホは制圧までの予想日数を10日に修正した。