65話 転移門
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ハルトが置き去りにしたケルビエル要塞は、ディーテ星系で改装を行っていた。
そもそもの始まりは、第二次ディーテ星域会戦を把握出来なかった星間通信能力の不足だ。
ケルビエル要塞は全長90キロメートルで、8キロメートルの厚さを持つ複合流体金属層の内側に、全長74キロメートルの内部空間を有している。
これはサラマンダーだけを詰め込めば、物理的には900万艇が42組入り、戦艦を含む1個艦隊であろうとも150個を収容出来る。
実際に艦艇の駐留に使える空間は、全体の10分の1。出し入れも考えればさらに4分の1が運用上妥当な収容数となる。
すなわちサラマンダーであれば、942万艇。艦隊であれば、3.7個艦隊。この計算に基づいて、敵に対する遅滞作戦として900万艇を率いて戦ったが、艦隊を使わなかったことで各星系との通信に支障を来したことから、駐留艦隊を加える決定を下したのだ。
サラマンダーは全長150メートル、全幅75メートル、全高50メートル、体積56万2500立法メートル。
補助艦は、全長600メートル、全幅200メートル、全高150メートル、体積1800万立法メートル。
体積は32倍も異なるが、サラマンダーが942万艇入るところを900万艇で抑えるのであれば、サラマンダー42万艇分、補助艦にして1万3000隻ほど収容できる余裕が生まれる。
補助艦を乗せられるのであれば、偵察艦のみならず、要塞の補修や衛星フラガのような天体の改造に使える工作艦も直属に欲しい。
さらに駆逐艦の体積は補助艦の8倍だが、補助艦を4000隻ほど減らせば、星間通信を中継できる駆逐艦が3個艦隊分500隻ほど収容できる。
「ケルビエル要塞を改装して、駆逐艦と補助艦を乗せられるようにしてくれ。数は駆逐艦500隻、護衛艦1000隻、偵察艦2000隻、輸送艦2000隻、工作艦4000隻だ」
それだけの艦艇を運用できる人員を揃えられるのかについては、魔素機関を稼働させる艦長に限れば、C級精霊結晶を与えれば揃う。
補助艦の艦長は、旧戦闘艇を動かしていた騎士階級を使う。
かつて戦闘艇は、1個艦隊に2000艇が配備されていた。補助艦の艦長9000人は4.5個艦隊相当だが、ケルビエル要塞の活躍や重要度に鑑みれば、ハルトが必要だと言えば要求が通る。
また駆逐艦の艦長は、同じくC級結晶を付けた旧補助艦長で問題なく揃う。1個艦隊に配備される補助艦は500隻で、1個艦隊の補助艦をケルビエル要塞に引っ張るくらいは、司令長官の権限で簡単に通る。
艦長を除く人員に関しては、最大数の軍用アンドロイド兵は作るだけで済む。
その他の人員は、旧連合領の星系方面軍に配属されていて、今は本国に撤退している人員をケルビエル要塞に配属替えする事で補った。
「規模は9500隻になるけど、人員は97万5000人で、1個艦隊50万人の倍にはなっていない。軽巡洋艦以上は無くて運用も要塞補助だけだから、艦隊司令官は1人で問題ないだろう。フィリーネで良いか」
ハルトの呟きを聞いたフィリーネは、久しぶりに侯爵家令嬢らしからぬ呻き声を上げかけた。
フィリーネは人口8億人を有するカルネウス侯爵家を継承する身であり、その程度の部下を管理する能力は期待されても仕方が無い身分であるが、物事には段階というものがある。艦隊司令官や、せめて分艦隊司令官を充てるべきだろうと。
ハルトの行動に対してフィリーネは、今後の昇進も見越して、コレットを副司令長官、フィリーネを複数の艦隊を統括する駐留艦隊司令官にしようとしているのだと予想した。
今は新任中将で1個艦隊を上回る人員の指揮が不相応でも、直ぐに階級が実態に付いてくる。
ケルビエル要塞の運行補助者は、B級結晶さえ持っていれば誰でも良かった。肝心の結晶数が不足しているためにフィリーネ達が選ばれたのだろうが、それは本人の実力とは無関係の選択だ。と、フィリーネ自身は考えている。
それを自覚しつつも、己の役割を必死に果たそうとしているのが駐留艦隊司令官の現状であった。
やがてハルトの呟きは現実のものとなり、艦隊編成と要塞の改装が実行に移された。
改装にあたっては、最初にケルビエル要塞が纏っていた複合流体金属層が抜き取られた。
すると74キロメートルの要塞本体が現われて、そこへディーテ星系が首星ディロスの復興に半年ほど用いていた都市建造施設群や、首星が有していた軍事施設建造用の都市建造施設群が一斉投入されて、駐留艦隊の施設が組み立てられていく。
条件を入力すれば、無人化された建造施設が自動的に建造してくれる。
無重力空間において、同じ構造のものを単純に量産して組み立てていくだけであり、駐留施設は無人化された施設群によって瞬く間に造られていった。
最後に外壁で覆って、再び複合流体金属層を纏わせれば、改装されたケルビエル要塞の完成である。
「要塞司令官が立ち会わないままに終わりましたわね」
完成を見届けたフィリーネは、呆れた声を上げた。
ケルビエル要塞には、戦力となるサラマンダーの他に、様々な任務に必要な補助艦があった方が良いのは事実だった。
本来であれば、あらゆる任務をたった1基の要塞に負わせるべきでは無いのだが、既にケルビエル要塞は「たった1基の要塞」とは見なされていない。
戦略要塞とすら見なされるケルビエル要塞の任務を補助するために、フィリーネは9500隻の艦隊を隷下に組み込んだ。
そんな割り振られた1個艦隊の試験運用に追われる合間、フィリーネは領地でサラマンダーの操縦者を掻き集めている祖父のカルネウス侯爵バスチアンと、星間通信の時間を持った。
『健康そうで何よりだ。ソン公爵との仲は、変わりないか』
「ええ、お爺様もご壮健で何よりですわ」
頷いた侯爵は、眉間に皺を寄せた険しい表情で言葉を紡ぎ出した。
『首星に居たテオドールが戦死したことで、次代の継承者はお前になった。100年は自由にさせるつもりだったが、侯爵になるのは20年後といったところだ』
カルネウス侯爵家は、当代侯爵であるフィリーネの祖父から次代の父へと継承された後、二代後のフィリーネに託される予定であった。
それが先の第二次ディーテ星域会戦で父が戦死したことで、父を飛ばして次代がフィリーネに成らざるを得なくなっている。
アポロン星系を領地とするフィリーネの両親が首星に居たのは、弟ホルストが魔法学院高等部の二年生であり、両親と共に過ごしていたためだ。
アポロン星系をカルネウス侯爵が統治し、次期侯爵は首星で他星系の貴族達と交流して様々な交渉を行う。何代も続けてきた流れは代々上手くいっていたのだが、戦争という先代までは無かった事象によって次期侯爵が戦死するという不幸に見舞われた。
『我が家の名を高めたお前の継承は確定しているが、戦場に出るお前の保険が必要だ。1年前に士官学校を卒業して以降、子供を作ることに軍の制限も無くなっているのだろう。予定としては、何か考えているのか』
「……う゛っ」
フィリーネの口から、久しぶりに侯爵家の令嬢らしからぬ呻き声が発せられた。
士官候補生が本人の合意で妊娠すれば、規則によって除籍処分となる。除籍処分になるような選択肢は有り得ないため、遺伝子提供者の件は卒業まで先送りが当然だった。
卒業したのは連合との戦争が終結した頃で、帰国後には参謀庁教導局で第三教導部長という内示があり、多少の仕事をした後に天華との戦争が始まって従軍し、ようやく最前線から帰国して一息吐いたところだった。
ハルトが約束を破ることは有り得ないとフィリーネも確信しているが、今はユーナが両親を失って女王に即位し、ハルトが支え始めたところで、言い出すタイミングとして悪い。
状況を説明するフィリーネに侯爵は理解を示したが、それで引き下がりはしなかった。
『第二次ディーテ星域会戦で、防戦に参加した貴族の9割以上が戦死した。特に男性貴族の死が多すぎた。出産で魔力を落とせば継承資格を失う子女しか残らなかった貴族家は、高魔力男性の遺伝子を求めている。今、首星で困った動きがあるようだ』
「と、仰られますと?」
『ソン公爵に対する組織的な遺伝子提供依頼の流れがある。彼は魔力固定化後に受けた各種の検査で、精子や子供への魔力継承に問題が無いことが確認されている。単に精子だけで良いから提供してもらえないかという話だ』
「本来の遺伝子提供は、魔力継承の協力も含めていたはずです。単なる人工授精では、平均で0.45倍まで落ちるのではありませんか」
フィリーネは従来の常識を述べたが、侯爵は論より証拠とばかりに、黙々と数字を示した。
・ハルトと魔力1万7280(侯爵級)女性との間に生まれる子供の魔力値。
第一子 0.45倍=1万6086。
第二子 0.45倍=1万5503。
・侯爵級の男女で生まれる子供の魔力値。
第一子 0.9倍=1万5552。
第二子 0.9倍=1万4386。
・ハルトと魔力1万3310(伯爵級)女性との間に生まれる子供の魔力値。
第一子 0.45倍=1万4747。
第二子 0.45倍=1万4297。
・伯爵級の男女で生まれる子供の魔力値。
第一子 0.9倍=1万1979。
第二子 0.9倍=1万1081。
・ハルトと魔力1万(子爵級)の女性との間に生まれる子供の魔力値。
第一子 0.45倍=1万3629。
第二子 0.45倍=1万3292。
・子爵級の男女で生まれる子供の魔力値。
第一子 0.9倍=9000。
第二子 0.9倍=8325。
侯爵が示した数値を見たフィリーネは、頭の中が真っ白になった。
ハルトが魔力継承に手を貸さずとも、子爵家の魔力が次代で伯爵級になっている。
伯爵家の魔力は、流石に侯爵級には届かないようだが、本来は魔力継承に労を費やしても平均0.9倍で下がるところが、逆に1.1倍ほどに上がっている。
侯爵家の魔力も、通常より下がり幅が改善している。侯爵家であれば他に伝手がありそうだが、逆に侯爵家であればハルトに少し協力してもらう程度は出来るだろうし、それで0.7倍くらいに上がれば、王級に近い公爵級まで届く。
『私が男爵家の当主で、魔力1万程度の娘が居たならば、当主を継がせるから流れに便乗しろと指示するだろう。子供が男女のいずれでも男爵家の魔力は安泰だ。2人産まれれば、1人を他家に出す引き替えに他家からも同程度の魔力者を配偶者に迎えられて、その後も同じ手で高魔力を維持し続けられる』
「一体、誰が言い出したんですの?」
『表立ってはアルテミス系のドラーギ侯爵とジェローム侯爵が動いているが、元々が誰でも思い付く内容だ。前王陛下によって、婚姻外交に差し障りがあるからと側室や愛人には制止を掛けられていたが、前王陛下が戦死されて抑えが弱まったな』
納得したフィリーネは、祖父から受け取った情報をハルトとユーナに流す事を決めた。両親を失って女王に祭り上げられ、結婚も遠のいたユーナの立場に鑑みれば、そのような話を持ち込むことが感情を掻き乱させる事は目に見えている。
予め伝えて心の準備をさせ、どのように対応するかを事前に検討させておいた方が良いというのがフィリーネの判断だった。
『先の諸侯会議にて、この奏上が行われようとしていたらしい。連名で提案しようとしていた両侯爵家は、例の説明で出鼻を挫かれた。情報が遅くてすまぬな』
「いいえ。既に話が付いている我が家に対して、遺伝子提供の話に乗るように持ち掛けるわけがありませんから。それとお爺様、例の件は軍事機密ですわよ」
『分かっておる』
フィリーネに警告を発せられた侯爵は、一度口を噤んだ。
「ですが、もう間もなく情報解禁ですわね」
『どういう事だ』
「本日この時間に通信を致しましたのは、お爺様にも中継でお見せしようと思ったからですわ。わたくしも小規模実験しか見ておりませんけれど、実用化するものは、もっと大規模だそうです」
フィリーネの言い方に何が起こるのかを察した侯爵は、通信スクリーン越しのフィリーネが身体をずらして見せた何も無い宙域の中継映像に、生唾を呑み込んだ。
『まさか、今日なのか』
「ええ、恒星ディーテと首星ディロスを直線で繋いで、そこから3億キロメートルの公転に合わせた宙域に展開予定です。周辺宙域から半径1億キロメートルは、進入禁止にして王国軍が封鎖しています。展開予定時間は、あと2分ほどですわね」
侯爵は目を見張り、フィリーネから送られてくる映像を注視した。
撒き散らされた膨大な星々の輝きが、虚無の世界を照らす宙域の片隅。
ただそれだけだった宙域の一点に、新たに小さな光の輝きが生まれた。それは次第に膨れ上がっていき、宇宙空間に巨大な光の渦巻きを発生させた。
波の無い穏やかな水面の一点に、急に水中へと引き込むように発生した深い渦巻きは、その規模を爆発的に拡大させていく。
中継映像はケルビエル要塞からのもので、渦の拡大に伴って全体像を納めるように映像が後ろに引かれていき、その代わりに映像の端には縮尺が示された。
示されている渦の大きさは、戦艦の倍という直径10キロメートルから爆発的な勢いで拡大していき、瞬く間にケルビエル要塞の20倍を上回る直径2000キロメートルまで膨れ上がった辺りでようやく拡大を停止した。
突如発生した巨大な渦巻きの中心からは、やがて小さな黒い光が侵入してきた。
全長3300メートルという渦に比べれば極小の巡洋艦が姿を見せた後、その背後から無数の小さな光点が一斉に侵入してくる。
数千、数万、数十万と溢れ出していく光の洪水が拡大されると、それらは王国軍戦闘艇のサラマンダーだった。
輝く洪水の背後からは、アテナ星系を治めるオードラン侯爵家、シャレット侯爵家、ジラール伯爵家らが有する巨大な要塞艦と、星系に配備されている王国艦隊が、続々とディーテ星系へ侵入してきた。
魔素が渦巻いてワープ不可能なはずの星系内へ直接侵入してきた軍勢は、やがてディーテ星系に向けて通信を発した。
『こちら王国軍司令長官、アマカワ上級大将。ディーテ星系の首星ディロスと、アテナ星系の居住惑星アイギスとの150光年は、本日より片道1日未満となった。以上、所属証明の通信を終える』