64話 女王と伯爵
第二次ディーテ星域会戦から半年が経ち、首星は少し落ち着きを取り戻していた。
首星を攻撃されて前王が戦死したのは大打撃だったが、新女王ユーナとアマカワ司令長官の新体制に切り替わり、大々的な徴兵によって星系内にサラマンダーの洪水が生み出されるに従って、国家の道筋を理解した王国民は前進を始めたのだ。
王国民は、日々報道される女王の表情や仕草、口調などを鋭く観察していた。
もしも女王が何事かについて不安そうにしていれば、それは事柄について懸念材料があると言う事であり、王国民の未来に甚大な影響を及ぼす。
だから王国民は、誰に求められずとも日々の女王を観察し続けて、その僅かな変化も見逃さないようにしていたのだ。
はたして国民から見た女王ユーナは、軍事に関しては明確な方向性を持ち、行政府と諸侯を従えて強大な指導力を発揮し始めた。
各星系1億人体制が掲げられ、メディアから街頭広告に至るまで戦闘艇操縦者の募集で溢れ返り、軍からは様々な企業に対して、有事の際に駆け付けて操縦する予備人員の登録要請が行われている。
全星系には資源を食い潰す勢いで、募集人員を遥かに超える膨大な戦闘艇が量産されていく。
女王ユーナは紛れもなくアステリアであった。そのように納得した王国民の大多数は、前王の遺言にも沿った政策に関しては、女王の指針に従う姿勢を示した。
行政に関しては、立憲君主制の王国では議会と政府が存在しており、ユーナは前王の政治体制から大きな手は加えていない。
「政治に関しては、前王陛下の方針を引き継ぎます。政治手腕に関しては、王位を継承したばかりのわたくしよりも、前王陛下の方が上手く行ってきたでしょう。新たな事態に直面して、軌道修正を要する事態では国家の導き手としての強権を以て干渉しますが、伝家の宝刀は乱用しないのが正常な在り方と考えます」
この発表は、ハルトがユーナと話し合った上で、あらかじめ決めていた内容だった。
発表を聞いた王国民の大半は、基本的には政治家に任せる女王の方針が、誰の影響を受けているのかはともかくとして、真っ当であると安堵した。
軍事に関しては戦争中で緊急を要するが、政治に関しては急激に変えない方が混乱せずに良い。妥当な判断を続ける女王の政治力に対する王国民の信頼度は、少しずつ上昇していったのである。
もっともユーナは、全ての政治判断を政府に丸投げしたのではない。ヴァルフレートが開催させた貴族特権縮小委員会だけは、騎士階級の廃止で一定の成果が出たとして勅命により解散を命じた。
「わたくしの両親と祖父母は、王侯貴族の従軍義務を果たして、第二次ディーテ星域会戦で戦死しました。婚約者であるアマカワ侯爵の両親と祖父母も同様に戦死。首星で防戦に従軍した貴族の9割以上も戦死。貴族特権縮小委員会の書記であったステファン・ラングロワも戦死。命と引き替えに、首星を守りました。国賊レアンドルとマクシム・ラングロワの国家反逆罪から始まった縮小論ですが、これだけ貢献すれば、貴族制度は現状維持で良いでしょう。彼らは国防に必要です。貴族が偉ぶっても、それに見合った国家への献身は果たすのです。行動が度を過ぎれば、国王が降爵や貴族籍の剥奪を行います」
言葉を全く飾らなかった女王の発言はメディアで議論となったが、首星で議論を行うのは、貴族達の献身に助けられて生き残った人々だ。
女王の言い方がきついのではないかという意見もあったが、両親と祖父母を殺された女王の立場を精霊に示唆された人々によって心情を察しろと嗜める意見も次々と出て、感情論では女王を擁護する意見が大多数を占める結果となった。
また国民を代表する下院の国民院では、論理的な観点からの検証を行える費用対効果の数値が簡単に手に入った結果、貴族制度は必要という分析結果に至り、委員会の解散に反対する議案などは提出されなかった。
貴族制度に関する議論が一週間ほどで落ち着いたのを見計らった女王は、次に第二次ディーテ星域会戦における貴族家への論功行賞に手を付けた。
献身を果たした貴族家に対しては、女王の名において実績に応じた感状と武勲章を与えた。同時に一族が生活に困らない従軍功労金と、会戦によって生じた全ての損害を完全に補償する損害補償金も拠出している。
爵位継承に関しては、自身の前例に沿って精霊結晶の加算分を含めた継承を認めた。
また現時点で継承資格者が居なくても、成人すれば基準値に達する子供が居れば爵位継承を認め、分家した子孫が基準値に達していても本家復帰による継承を認め、当主直系の令嬢が居て未来の子供が基準値に届く可能性がある貴族家の降爵も見送るなど、様々な救済措置を行った。
どこから情報を集めたのか、女王は各貴族家の実情を概ね把握しており、困っていた貴族達を概ね救済できる手を打った。
それらを矢継ぎ早に発表した女王は、最後にコレットの陞爵を行った。
リスナール子爵令嬢で本家の第二子だったコレットは、第二次ディーテ星域会戦で両親と兄が戦死したことにより、繰り上がりで子爵家を継承せざるを得なくなった。
分家した親戚には子爵位を継承できる魔力者が残っていたが、本家当主の成人した娘が生きており、それが女王陛下の親友にして連合を滅ぼす決め手となったケルビエル要塞の運行補助者コレット・リスナール中将であったため、誰の目から見てもコレットが継承せざるを得なかった。
王国宮内省には、各貴族家が行った口約束ではない取り決めや貸し借りなどのデータが保管されており、不慮の事故などで当主が亡くなっても、次の当主が滞りなく引き継ぎを行えるデータを閲覧出来る。
当主を引き継いだコレットは、アテナ星系に向かうハルト達には同行せずに、ディーテ星系で子爵の引き継ぎと、宮内省に保管されていたデータの把握に務めていた。
そこへユーナが、これまでの功績によってリスナール子爵を伯爵へ陞爵させる旨の勅命を下したのである。
曰く、ケルビエル要塞の魔素機関稼働者であった4名のうち3名は、連合を滅亡させた功績によって身分を上げられている。ハルトは侯爵、ユーナは第一王女、フィリーネのカルネウス侯爵家は序列1位の侯爵。
連合を滅亡させる決定打となったケルビエル要塞の魔素機関稼働者4名については、いずれも人類連合に対抗するというディーテ王国の建国目的を果たしており、連合と戦わせるために創設した王侯貴族制度の趣旨に照らせば陞爵が当然である。
コレットだけは、他家へ嫁ぐ可能性があったために功績に応じた身分の昇格を見送られてきた。だがコレット自身が子爵家を継承したため、これまで保留してきた功績に応じた昇格を行って伯爵へ陞爵させると。
「わたくしとコレットは幼い頃からの親友ですが、だから優遇しているのではないかと邪推される事を懸念して、本来は行われるべき信賞必罰を行わないのは暗愚です。親友である分だけ、他の貴族家の救済を優先して後回しとしましたが、陞爵は確定事項です。陞爵理由と共に、他の陞爵例も明示しますので、それを以て判断材料とするように」
この段階に至って王国民は、女王ユーナが独自の情報源や世論の操作能力を持っており、自身の明確な判断基準を持って決定していると考えるようになった。
陞爵を口にしたのは女王であり、ユーナとコレットが親友であるために邪推される発想は、陞爵の意思表示をする前に役人が出すアドバイスではない。
他人の邪推に歪まされずに、正しい論功行賞や信賞必罰を行えるのは、理想的な君主の姿だ。
時に世論や支持率が判断を歪ませることもあるが、それを指摘した上で判断過程を明示しながら国民を説得して速やかに実行するのは、指導者としての高い力量を示している。
頼もしい指導者は、国難にあって歓迎すべき存在だ。
新女王を注意深く観察していた人々は、短期間でユーナの若さや容姿ではなく、統治能力にも一定の信頼を置くようになった。
ようやくユーナが一息を吐けたところで、伯爵への陞爵を果たしたコレットがアマカワ侯爵邸あらため王宮にあるユーナのプライベート空間まで赴いて、苦情を申し立てた。
「名指しと伯爵への陞爵、どうもありがとう。おかげさまで、とっても大変だわ」
相変わらずなコレットの言い方に女王から意識を切り替えたユーナは、久しぶりに気を抜いて親友に向き直った。
「リスナール伯爵領は書類だけの存在で、管理は王家と同じ政府管理にしてあるから、統治の負担はそれほど多くないんじゃないかな」
「伯爵になった事が、既に大変なのだけれどね。諸侯会議の出席義務とか、色々付くでしょ」
「あー、それは出て欲しいかな」
女王が提唱した会議に、女王の親友が欠席すると困る。
そんな判断を行ったユーナに対して、コレットは右手をあごに当てながら不思議そうに訊ねた。
「色々とやっているけれど、誰に教わったの」
「ハルト君と精霊のシャロン。でも自分でも考えるよ」
本当はディーテ星系を領域化したジャネットから支援を受けているが、それはハルトとユーナだけの秘密だった。
基本的に王国民は精霊結晶を装着しており、人々に付いている精霊はジャネットの支配下にある。そんな事を誰かに話せるわけがない。
ハルトとヴァルフレートが秘密主義だった理由を実感したユーナだったが、実のところハルトはヴァルフレートに対しても様々な情報を告げていなかった。
ユーナの政治能力不足を憂慮したハルトが、乙女ゲーム『銀河の王子様』でユーナの精霊だったジャネットを支援に回した結果が現状である。
「あまりにも順調すぎて、退位が出来なくなるかも知れないわね」
冗談交じりに呟いたコレットに、ユーナは断固たる意志を返した。
「退位を決めるのは私だから、私が希望する限り実現するよ」
「伯爵の身としては、惜しいわねぇ」
紅茶を優雅に口に付けたコレットは、気持ちを切り替えてユーナに相対した。
「宮内省から情報を引き継いだからには、リスナール子爵家が王家の影だったということも知ってしまったわよね」
「家の指示で、私を守ってくれていたんだよね」
ユーナからの返答を得たコレットは、困った風に溜息を吐いてから自供した。
「行動を誘導はされていたけれど、正確に役割を教わったのは中等部に入った後。でも、その前には家のことを知っていたし、自分の役割も分かっていたわ」
コレットは物心付く前から、親に引き合わされたユーナと行動を共にする事が多かった。
子供の報告を聞いた親が子供の行動を誘導するのは自然なことだが、そこには親が持っていた社会的な立場が影響していた。
子供が自分の勤めている会社の社長の子供と親しければ、親は何かしら誘導するかもしれない。だが最初から社員と社長が合意済みで子供達を親しくさせており、社員の子供には社長の子供を守るように言い含められていたという点に、特殊性があったかもしれない。
まさか自分がそんな立場だったとは、ユーナは公爵令嬢や第一王女になって以降も夢にも思っていなかった。だが王位を継承して王家のデータを引き継いだ後、自分がその立場だったと見せつけられた。
それでもコレットが親友であることは変わりないとユーナは考えた。
「子供の頃から会っていたら、自然に仲良くなるよね。一番親しいんだから、親友で合っているし、親が作った親友だとしても、別に良いんじゃ無いかな」
「そう。だまっていてごめんなさい。ユーナが許してくれるなら、これからもよろしく」
心持ち安堵の表情を浮かべたコレットに、逆にユーナは申し訳なさそうな表情を浮かべて告げた。
「うん。わたしの方が言えないことが増えてきちゃったから、わたしも謝っておくね。女王としてコレットに対してやっているけど言えないことがあるよ。ごめんね」
「…………何かしら。444年も王国を統治してきた王家だと、色々ありそうね」
本気で問う気が無いコレットは、追及せずに軽く流した。
そして、この話は終わりとばかりに話題を変える。コレットが持ち出したのは、リスナール伯爵家の今後についてだった。
「そうそう。実はあたし、九山星系からマクリール星系に撤退していた時に、ハルトからアマカワ家の側室に誘われているの。でもリスナール伯爵になって、側室にはなれなくなったから、フィリーネと同じように遺伝子提供をお願いする形にしようと思うの」
「…………はあっ?」
「当主としては、魔力の高い子供が欲しいじゃない。幸い公爵級の魔力を持っているから、4人まで産んでも大丈夫。精霊結晶の加算を合わせても良い制度が出来たから、6人までは大丈夫ね。今は産休を取ったら拙いでしょうから、情勢が落ち着いた後よね。はぁ、これであたしも猫耳かぁ」
「リスナール伯っ、一体どういうことっ!?」
微笑みながら言い募る伯爵の口上に、女王は伝家の宝刀を抜いて迫っていった。