63話 ソン公爵家
諸侯会議の後、シャリーだけを連れたハルトは3人体制の高速艦に乗って、アテナ星系に向かった。ユーナ達は首星でやるべき事が多々あり、ケルビエル要塞も改装を行っていたためだ。
移動日数は半月ほどだが、艦の運行者は別に居る。
何もすることがないハルトは、シャリーに精霊達を加えた面々で一緒にゲームをしながら、交流を深めた。
ユーナの精神状態も良くないが、シャリーの精神も良くない。
ディーテ星域会戦は、多くの人に沢山のものを失わせた。
ユーナであれば両親と祖父母を失い、暮らしていた家も失って、女王に祭り上げられて自由すら失った。ユーナより重責を担わされた王国民は存在しないが、配偶者や子孫など、子孫を残して次代に繋げる生物としての損害を受けた人々は数多く存在する。
そんな沢山の人の中でも、1年前に婚姻外交で王国側に来た女性達が失ったものは、他人とは容易に比較し難いものだった。彼女達が失ったものは、故郷の星系と後ろ盾である。
政府は深城に対する権利主張のために、深城についてマスメディアへ報道を流させるのだが、内容については乏しかった。
一方でマクリール星系の方は、天華の被保護国として王国からの独立を宣言しており、報道する内容が多ければ良いというものでもないが。
『昨年7月に占拠された深城星系は、通信衛星が破壊されているために情勢が全く分かっておりません。深城星系の代表者であったハオラン国王は、シャリー王女にソン家を継承させ、王国に従属を申し込んでおり、王国も前王ヴァルフレート陛下がソン公爵家を承認しております。王国政府は、深城星系を王国の領域に含めており、奪還作戦は確実に行われるとのことですが、時期に関しては未定とされており……』
シャリーにとって幸いだったのは、深城が占領される前に、ハルトとの関係を確立できていたことだろう。またハオランが宋家の後継者をシャリーに指名しており、深城を統治する際の利用価値を持たせたことで、シャリーとハルトがソン公爵家を興すことにも繋がっている。
かくしてシャリーは、王国に従属を申し入れた深城星系210億人の統治者となり、深城星系を統治する際には中核的存在となるソン公爵家の公爵夫人、かつ夫となるハルトとの共同統治者という立場が保たれたが、精神まで保たれたわけではなかった。
将来的に深城星系の共同統治者たることを求められたシャリーは、最大限配慮された伝え方であったにもかかわらず、伝達後に固まって、身体を震わせながら必死に目を逸らした。
シャリーの人生の難易度が低いと考える者は、新京と九山の避難民37億5000万人に占領されて争いになっている深城星系の210億人を統治してみると良い。
新京と九山の民が占領時に非道だった場合、王国が再占領した後には、復讐心に猛る被占領民210億人が、占領民37億5000万人に対して壮絶な復讐を開始して治安が最悪になるだろう。それが収まれば、次は王国に従属した宋家に不満を持って反抗する者も出てくる。
シャリーがゲーム好きでコミュ障の引き籠もりでなかったとしても、統治には困難を伴う。
新京と九山の残党に暗殺される危険は王国領でも最高であり、実のところハルトも頬を引き攣らせている。
もっとも深城星系は、フルールが自らの領域と化した上で、転移門を繋げて他の星系と行き来出来るようになる予定だ。
深城民に精霊結晶を装着させれば、ディーテ星系で王国民が付けている精霊がユーナを庇ってくれたり、情報を集めてくれたりしているような補助を受けることが出来るようになる。
暗殺の指示者が誰か1人でも精霊結晶を装着していれば情報が筒抜けであるし、1人も居なければ怪しい集団だと目星を付けられるので、難易度は多少下がるだろう。
それに転移門を使えば、経済活動も活性化して民衆が豊かになる。
転移門が繋がるディーテ星系には、アマカワ侯爵領がある。そしてセラフィーナが領域にしているマクリール星系は、退位後に大公位を得るユーナの領地となりそうだ。
ディーテ王国では、1星系に1公爵が据えられるという不文律がある。目的は、ディーテ星系が機能不全に陥った際、独自に判断して動けるようにするためだ。
不文律を踏襲するのであれば、ソン公爵家が深城星系、退位したユーナの興す公爵家がマクリール星系、ストラーニ公爵家はラングロワ公爵家が降爵して公爵不在となったアテナ星系に据えられるのが順当となる。
旧連合民領だったマクリール星系よりも、最初から王国領のアテナ星系の方が遥かに統治は楽であり、国王になれなかった能力が低い側の王子を据える考えだ。
マクリールと深城の公爵家は、他の上級貴族が補助に入らなければ、領地人口が異様に多くなってしまう。だが王国領に領地を持つ上級貴族家は、誰も旧連合領や深城に領地替えをして欲しいなどとは思わない。
その分だけ好きに出来て、転移門で画期的な経済活動も行える深城星系やマクリール星系は、統治は大変だろうが将来性は大いにある。
なお世の中には、大変なシャリーよりも遥かに大変な人生を歩んでいる者も居る。
全人類で最高難易度の人生を歩まされているのは、王国側から婚姻外交で深城へ赴いたレアンドルの妹達3人だ。現在の深城は、王国が破壊した新京と九山の軍勢に制圧されている。すなわち彼女達は、復讐心に猛り狂う数十億人に囲まれているのだ。
順当に考えれば殺されており、生きていればなお悲惨な目に遭っているだろう。
ハードモードの上は、はたして何になるのだろうか。ルナティック、オメガ、デス……と、脳内で適当な単語を並べ立てたハルトは、万が一にも彼女達が生きて帰れたら、流石に以降の人生は国家で補償してあげるべきだろうと考えた。
結婚相手を探してやれと言えば、お前がもらってやれという趣旨の反論を丁寧に返されるであろうから言い出せないが、金銭的な補償に関しては国防のために貢献したとして、軍から働きかける程度の労は果たすつもりで居る。
ハルトが優先して責任を果たすべきは、シャリーである。
シャリーの精神を安定させることを目的として選んだのは、シャリーが昔から天華で遊んで慣れ親しんだゲームだった。内容は大まかに、野菜の着ぐるみのようなゆるいキャラ達が多数出てきて、アトラクションで競い合うものだ。
シャリーと彼女の精霊クロエがチームを組み、ハルトが単独で参加し、ミラとフルール、レーアがオンラインゲームのように多数のキャラを同時に操作して、精霊達は多少の手加減しながら競い合う。
勝率はシャリーが一番高く、ハルトは稀に勝たせてもらえて、ミラ達もそれぞれハルトより勝利して、バランスが取れた展開になっていた。
ハルトが操るのは、大根に顔と短い手足が付いた着ぐるみだ。それがミラの操るトマトとナスとピーマンの着ぐるみに集中攻撃を受けて、崖から突き落とされて、ぐしゃっと潰れた。
「って、3体同時は卑怯だろうが!」
すぐに復活した怒れる大根が、猛ダッシュでトマトの着ぐるみに追い縋り、その体を掴んでバックドロップを決めた。すると仰け反った大根の腹部にナスが体当たりをして、3体はまとめて崖下に落ちて行った。
その間にシャリーがゴールしたが、崖下では大根とトマトとナスの乱闘が勃発していた。
ハルトが負けてムキになっていたのが功を奏したのか、隣に座るシャリーはゲームをしながらではあるが、ハルトの会話に耳を傾けて返事も出来た。
数日ほど一緒に遊んでリラックスさせたハルトは、今後の宋家の扱いについて、様子を見ながら少しずつシャリーに説明していった。
最初に説明したのは、宋家の公爵という扱いについてである。
宋家には、属国化して公国になる道と、王国貴族の一員である公爵になる道があった。
その中で立場が下となる公爵家が選ばれたのは、もちろん前王ヴァルフレートにとっての都合が良いからだろうが、ハルトとシャリーの子孫から見れば公爵の方が良かったと考えられる。
「公国になれば、立場は王国よりも下だ。王国の版図が広がっても、公国の領地は増えず、立場が低い民衆の権利や移動にも制限が掛かる。一方で公爵家は、同じ王国民の扱いで、制限が無い。だから将来的には、公爵の方が広い領地を持てて、発言力も大きくて、民衆の権利も高くて、都合が良いんだ」
ハルトとシャリーの世代だけ考えれば、公国の方が良いかもしれない。
だがディーテ王国は、400年で居住星系を6倍に増やし、恒星間の移動速度も跳ね上がっている。ハルト達が寿命を迎える頃には、現在の6倍となる36星系あるいは、さらに多くの星系に版図を広げている可能性もある。
次世代に公国であれば、王国の飛躍から取り残されてしまう。銀河の片隅で、辺境惑星の主として取り残されるのは、ハルトとシャリーの子孫達だ。
一見すると公爵は公王より立場が低いように思えても、実利の面では公爵の方が良いというのが、ハルトの考えだった。
「どうして王国は、あたし達に未来の権利が大きくなる公爵位を与えたの?」
「前王陛下にとっては俺が公王であるよりも、公爵の方が良かったんだろう。戦争をしているから、属国の公王よりも、家臣の公爵の方が国王に従わせ易い。それに娘のユーナも降嫁予定だった。第一夫人よりも立場が強い妻は、混乱の元になると懸念したのかも知れない」
第二次ディーテ星域会戦の前には、第一王女ユーナがアマカワ侯爵に降嫁して第一夫人となる予定だった。そこで蔑ろに出来ない公国の公妃となるシャリーが居た場合、公式の場で序列の問題が発生してしまう。
もっともユーナが女王となり、退位後には大公となる現状に至っては、ソン公爵夫人シャリーとの序列問題は起こり得ない。おかげでソン公爵家は、王国の発展に沿って領地を増やせる立場が確定した。
王国には公爵家が複数あって、領地が横並びで増えるだけなので危険視される事にもならないとハルトは考える。
そもそもソン公爵家は、初代当主がハルトだ。
ハルトは人類連合を滅ぼした王国の矢で、王国の存立意義を果たしたハルトとその子孫が王国貴族であることは、王国民の誰もが当然と認識する。実際に、宋家の従属と合わせて公爵家の1つを立ち上げた事に文句を付けた貴族や議員は、誰1人として存在しない。
王国側のソン公爵家に対する考え方は、そのようになっている。
「宋家は大丈夫なんだ」
「ああ、全く問題ない。既に立場は確立している」
自らの立場について説明を受けたシャリーは、納得と共に安堵した。
もっとも共同統治者に関するシャリーの姿勢は、無理で一貫していたが。
「共同統治は無理だと思う。そもそも人前に出られない」
「…………あー」
シャリーが共同統治者になる姿を思い描いたハルトも、公務中に吐いたり、倒れたりする光景を想像して、実現性には不安を抱かざるを得なかった。
次のゲームラウンドで、開始直後にナスを蹴り飛ばしたハルトは、追いかけてくるトマトを華麗に躱しながら、ピーマンと体をぶつけ合って進みつつ、対応について考えた。
シャリーが王国貴族として教育を受けていれば、貴族の責務を求められたかもしれない。
だが婚姻外交で王国から深城に向かった3人も、深城の思想教育は施していない。自分達がやっていない事を相手側に求めるのは、理不尽な行為だろう。
ただしユーナなどは、理不尽ではないが、現在は心に余裕が無い。
ハルトが「シャリーには無理なんだ」と説明すれば、ユーナは「わたしだって無理だったよ」と言い出しかねない。
(事前にシャリーの性格を説明しておいて良かった。あとピーマン、いきなり黄色くなるな。意味が解らん)
シャリーの性格について事前に説明を受けて理解していたユーナは、それに沿った提案を受け入れる余地がある。
ハルトが考えた妥協点は、ハルトだけが公務で指示を出して、シャリーはごく少数の限られた式典でハルトに付き従って参加する形だった。
「目的は深城の民衆に対して、宋家の後継者シャリーが深城を共同統治している姿を見せる事だけだ。宋家の家長が共同統治者で、宋家の子孫が統治を引き継いでいくと理解すれば、深城の民は納得するのだろう」
「多分、殆どの人は納得すると思う」
シャリーは渋々と、ハルトが行った確認を肯定した。
700年近くに渡って宋家が導いてきた深城では、宋家の正統な後継者であるシャリーが夫と共に深城を統治して、それを子孫に引き継ぐのであれば、これまで積み重ねてきた歴史通りとなる。
他国民の血が入る事については、地球から避難してきた高魔力者の血を何度も取り入れた天華6家では、いつも通りの出来事だ。
従ってシャリーが共同統治者である姿を見せれば、大半の深城民はそれで納得する。それによって王国の統治は順調に行えて、シャリーを組み込んだ目標が達成できる。
シャリーの事情に鑑みるに、これが獲得可能な最大の成果だろうとハルトは考えた。
「年に数回、民衆の前で一緒に手を振るとか」
「大勢の人の前に出るのは無理。おなかが痛くなって、本当に歩けなくなると思う。担架で運んで、顔にシーツを掛けてくれたら、震えながら出られるかも。でも本気で泣くかも」
「それだと虐待を確信した深城の民が、星系単位で大規模な暴動を起こすな」
シャリーの申告に、ハルトは要求水準を下げざるを得なかった。
「あらかじめ録画しておいて、それを再生するしかないか」
「録画する時、あなたしか居なかったら、たぶん大丈夫」
辛うじて折り合いが付いた……というよりハルトが全面的に折れた結果、シャリーは合意の意志を示した。
ソン公爵家の当事者2人は、前途多難な未来に溜息を吐きつつ、アテナ星系へと進んでいったのであった。