62話 指導係
王国暦444年4月。
ディーテ王国の王都が、正式にキュントス大陸へ遷都されて、1ヵ月が経った。
キュントス大陸は、王都があったオルテュギア大陸から地中海を挟んだ対岸にあって、立地が良いために元々発展しており、被害も比較的小さかった。そのため政府機能の一部は既に移っていたのだが、女王がキュントス大陸に居城を構えると宣言して、名実が揃った形だ。
「王都とは、中央政府がある都市ではなく、王が居所を構える都市である。従って国王が住む都市は、そこが辺境惑星の片田舎であろうとも、王都と呼ばれる」
そのような理屈で、女王ユーナがキュントス大陸の中でも、婚約者であるアマカワ侯爵邸に居城を移したために、アマカワ侯爵領が王都を兼ねる事となった。
敵国に王都を破壊されて、侯爵領を間借りしている……という姿は、大変に風聞が悪い。だが「婚約中の女性が、相手男性の自宅に住み始めたのだ」と聞けば、大抵の人は急に馬鹿馬鹿しくなって、「どうぞ2人の好きにしてください」という気持ちになる。
戦争の危機を訴えたい人々は前者を語り、深刻な気持ちになりたくない人々は後者を語るのだが、両者の比率は圧倒的に後者に傾いていた。
では当事者が、厭戦気分を払拭するためにそのような状況を意図的に作り出したかと言えば、決してそのような事は無く、家族を皆殺しにされたユーナが王城に一人で暮らす事の精神的な影響を、ハルトが憂慮したのが真相であった。
真新しい侯爵邸は機能性に優れており、王城とする事に実務的な不都合は生じなかった。それには侯爵領に隣接する王家直轄領に、旧王都から様々な政府機関が移転されていたという事情もある。
侯爵領が王都を兼ねるのは、おそらく暫定的な措置となる。ユーナの退位後は、隣接する王家直轄領や、復興中のオルテュギア大陸に再び遷都する可能性が高い。2人の王子は、いずれも国王になった後まで姉と義兄の家に居候はしたくないはずだ。
だが現時点におけるディーテ王国の王都は、紛れもなくアマカワ侯爵領であった。
新王都が置かれた侯爵領に隣接する王家直轄領には、士官学校も移設されていた。
10月の第二次ディーテ星域会戦で破壊されて、11月から復旧を開始した士官学校は、ハルト達が帰国した際には完全に作り直されて再開していた。
王国軍は、軍事施設建造用の都市建造施設群を有しており、様々な建造物モデルと、設計能力に優れた人工知能も有している。それらは自動化できて、土地を戦時徴発して条件を指示すれば、担当者が新人であろうと立派な建物は完成する。
王国は旧連合との戦争に備えて、400年以上に渡って資源と予算を蓄えてきた。士官学校の校舎は、天華との戦争に必要なもので、資源と予算を惜しむ理由が無い。
だが、予算と資源が惜しみなく投じられて、最新の大都会の一画を思わせる姿に生まれ変わった士官学校を1年半振りに見たクラウディアは、流石に予算の使い方に首を傾げた。
贅を凝らした、威厳溢れる、専用の建物となった校長棟に呼ばれた彼女は、明らかに機嫌の良さそうな校長から、ハルト達が3年半前に受けたのと同じ命令を受けた。
「クラウディア・コースフェルト士官候補生。君には将官教育として、1年間の指揮幕僚課程も受けて貰う。アマカワ司令長官や女王陛下も、在学中に受けておられた課程だ」
「謹んで拝命致します」
校長棟が非常に贅の凝った造りで、専用のアンドロイドも多数配置されているのは、士官候補生達に「将官になればこのような扱いを受けるのだ」と見せ付けて、奮起させるためかも知れない。
そのように好意的な解釈をして疑問を胸に仕舞い込んだクラウディアは、和やかな笑みを浮かべながら校長の命令に応じた。
指揮幕僚課程は、直属の上官など推薦資格を持った将官から推薦を受けた中佐以上が受けられる。そしてクラウディアへの推薦者は、上級大将で司令長官のハルトだ。
推薦者の審議は参謀庁の担当部局が行うが、参謀長官のリーネルト上級大将は、「アマカワ司令長官の申請は全面的に支援しろ」と庁内に正式な通達文を出している。
士官学校も参謀庁教育局の下に置かれており、クラウディアが指揮幕僚課程を履修する事は、王国軍にとっての確定事項だった。
そしてハルトが命令せずとも、士官学校を卒業する王級魔力者は、最低でも移動要塞の司令官にしたいというのが、王国軍の戦前からの基本的な考え方だ。
全長27キロメートルの移動要塞は、人類の身体から見れば巨大だが、恒星系に存在する鉱物量から考えれば微々たるものだ。移動要塞の100個や200個を建造する程度は、王国にとって大した負担ではない。
敵艦隊を蹴散らせる移動要塞を建造しない理由は、作っても動かせる魔力者がおらず、置物になるだけだと分かっているからだ。
動かせる魔力者が居て、士官学校を卒業して指揮幕僚課程も終えてくれるのであれば、要塞司令官の少将くらい100人でも200人でも増やして構わない。むしろ、いくらでも階級章を配るから何人でも来てくれというのが、王国軍の考え方だ。
「君が指揮幕僚課程を終えることは、王国の国益に資するだろう」
「それで1人でも多くの王国民を守れるのでしたら、喜んで拝命致します」
校長が重々しく語った背景は、クラウディアも承知している。それでもクラウディアは、純粋な喜びの眼差しを校長に向けながら返答した。
その様子を目にした校長は二度ほど頷き、同席している教頭に視線を投げた。
「今後も活躍を期待する。私からは以上だ。教頭からは、何かあるかな」
「そうですな。まずはコースフェルト中佐、士官学校に在学する身でありながら、目覚ましい武勲を打ち立てた事を教官の1人として誇りに思う。ご苦労だった」
「ありがとうございます」
線が細くて厳めしい顔付きの教頭が、神経質そうな外見に似合わず丁寧に褒め称えた。それに対してクラウディアも丁寧な口調で礼を述べた。
「私が教官の1人として貴官に望む事は、貴官が階級に相応しく、部下を扱える経験も積む事だ。貴官は、アマカワ司令長官よりも通学日数が少ない。できれば上級生として、下級生を指導する経験を積んでもらいたいが、今後は士官学校に通えるのか」
「ケルビエル要塞の軍務は、全軍を統括する司令長官閣下からの命令であり、陛下と他の長官閣下からの承認も得た最優先すべき軍務です。ですが要塞の任務に支障が無ければ、可能な範囲で通えるように致します」
至極真っ当な教頭の言い分に、クラウディアは優先順位を明確にしつつも努力を約した。
「結構だ。実は、他の上級生では指導が難しそうな新入生が2人居る。次席で第二王子のジョスラン・ストラーニ・アステリアと、首席で公爵家令嬢のリシン・タクラームだ。この2人を指導できれば、他の誰であろうと部下として扱えると確信できる。貴官は、そのまま首席卒業となるだろう」
2人しか居ない次王候補者の片割れと、その婚約者。この両名に指導する際に生じる精神的な負荷は、並大抵ではないだろう。
役割が明確な教官であれば兎も角、単に上級生であるだけの士官候補生には、手に負える相手では無い。
教頭が口にした2人の扱いが一般人には難しい点に、クラウディアは理解を示した。
「下級生の指導は、上級生の役割なので、もちろん承ります。私が受け持った方が、まだ指導が成立しそうです」
「そうか。すまないが頼む。他の士官学校生が出来ない事を任せる以上、成績は他の士官候補生より高くする」
「僭越ながら進言します。前王陛下や現王陛下も、在学時には食堂での給仕役を行うなど、士官学校の教育方針に従っておられたと聞き及びます。本人が希望して士官学校に通うのですから、最低限の配慮はともかく、過剰な優遇は本人のためにならないと愚考します」
士官学校の食堂では、様々な上官や部下を経験する教育の一環として、1年生が給仕役、2年生が指導役、3年生が失敗を叱る役、4年生が叱る3年生を監督する役を行っている。
1年生は命令を受けて動く兵士や下士官の心理を理解し、2年生は現場責任者である士官の心理を理解し、3年生は指揮官である佐官の心理を理解し、4年生は統括者である将官の心理を理解する。
上官の命令を絶対として組織的に行動する軍隊で、上官との相性が悪いからと言って不服従など許されない。
教育の際には、話の分かる上官役だけではなく、理不尽な事を告げる上官役も行わせる事で、どのような命令の仕方が反抗心を生むのか、不満を持つ部下と上官をどのように取り持つのか、部下への監督方法はどうあるべきか、どのような組織運営が望ましいのかを学ばせる意図がある。
上下関係の教育は食堂や生活の場のみならず、合同演習などでも反映されているが、このような各種の教育は必要であり、相手が全軍を統括する国王になり得る王子であればこそ、なおさら本来の経験を積ませてあげるべきではないかとクラウディアは考える。
「だから本来の教育を行うために、指導役に貴官を配置した次第だ」
「すごく納得しました。それでは下級生のために、上級生として多少の泥を被りましょう」
かくしてクラウディアは、ジョスランとリシンの指導役を引き受けた。
士官学校の募集定員は、ハルト達が入学した王国暦438年は1学年4万人だったが、王国暦440年には連合との戦争再開で、3倍の12万人まで増員された。その後に激しさを増した天華との戦争で、王国暦444年の今年は12倍の48万人まで増員されている。
そんな48万人の中で、ジョスランとリシンは高魔力の成績加算を得て、次席と首席を取っている。
もっとも、「敵を沢山殺せて、多くの王国民を守れる者が、優秀な王国軍人」であるため、移動要塞を動かせる王級の魔力を持つ2人が次席と首席で何ら問題は無い。
士官学校生は、地方からも幅広く確保するため、艦長科を除く各学科は5星系にも分校が作られて、1星系8万人に艦長科の増減を加えた学生数となっている。
生徒数は極端に増えたが、2度の首星防衛戦で合計48億人が殺されているディーテ王国では、毎年48万人に軍事兵器を持たせる程度で多いとは全く思っていない。教員数や実習先などの諸問題に鑑みた結果、折衷案で48万人になっただけだ。
なお艦長科は、極めて優秀な入学者に対してC級結晶を支給する形で、全体の5%を保っている。
重戦艦科1800名、空母艦科1800名、戦闘艦科1万4400名、補助艦科6000名。1学年ごとに、王国軍の12個艦隊2万4000隻を動かせる艦長2万4000人が増え始めた。
戦後など一切考えずに、今勝つことだけを最優先した人員募集が行われて、それが実現し始めたのが今年度の特徴だ。
艦長科の2万4000人と、その他の学科8万人を集めた入学式は、オンラインの仮想空間で行われた。
オンライン故に来賓者の顔ぶれは豪華で、それ故に来賓者の中で新入生に言葉を贈る時間が割り振られたのは、女王と軍政長官、参謀長官の3名だけだった。
在校生代表では4年生首席が歓迎の言葉を伝え、新入生代表では挨拶を辞退した首席のリシン・タクラームに代わって、魔力量の加算で次席だった第二王子のジョスラン・ストラーニ・アステリアが返礼を述べて、入学式は終了した。
1800名も在籍する重戦艦科の1年生に対して、第二次ディーテ星域会戦で9割が戦死した2年生以上は、各学年の定員数450名に対して在籍者は45名程度にまで減っている。
比率は40対1で、1年生は上級生から指導を受ける頻度が低くなってしまったが、ジョスランとリシンは2週間ほどで、クラウディアを含む首席達から指導を受ける機会を得た。
給仕役に関しては、指導役の2年生が第1回目の給仕開始前から懇切丁寧に教育目的を説明してしまったので、2人に問題は起こらなかった。こういうものなのだと理解したリシンなどは、むしろ楽しんで給仕をしていたほどだ。
そのため叱責役のクラウディアは、2年生の方を叱らざるを得なかった。
「万が一の事故を避けようとする配慮は認めますが、試験の前に模範解答を見せては、体験効果が薄れます。1年生も将来は指揮官として部下を持ち、士官学校の体験を活かした指導を行わなければなりません。なるべく体験機会を奪わないようにしなさい」
「はっ、申し訳ございません」
叱責を見届けた4年生は、食事の開始を告げた。
「当艦は敵の勢力圏内を航行中であり、第三種警戒態勢である。各員は、割り振られた休憩時間内に食事を摂らなければならない。総員、食事を摂ってよろしい」
勤務体制を名目として1年生を後回しにする事も出来るが、4年生は全員同時に食べて良いという方針を示した。
2年生も4年生も、話の分かる上官役しかやらないと悟ったクラウディアは、仕方が無く叱る役を買って出た。
「困ったことに最初から教育目的を知ってしまった2人に、先輩として別方向から指導を行いますね。タクラーム1年生、あなたは首席入学でありながら、入学生の代表挨拶を次席のアステリア1年生に譲りました。意図は何ですか」
優しい声色の中に、有無を言わせずに質す力が込められていた。
指導という言葉に警戒したリシンは、話す必要があるのかと一瞬考えつつも、軍で上官に問われた際には答えるのが基本だと考えて返事をした。
「アステリア王家が先頭に立って導くべきというディーテの基本的な考えからですわ」
リシンの回答に笑顔で頷いたクラウディアは、「いけませんね」と口にした。
「司令長官のアマカワ閣下は、在学中に少将であったため、校長閣下から次席以降の成績についてどう見ているかと問われたそうです。そこでアマカワ閣下は能力順で、子爵令嬢であったリスナール中将、侯爵家令嬢であったカルネウス中将、最後に第10代国王陛下の孫で公爵令嬢でもあった現女王陛下の順で、推薦されました。タクラーム1年生には、司令長官閣下の推薦意図が理解出来ますか」
現司令長官で女王の婚約者でもあるハルトは、士官学校の成績順で、国王の孫娘であった現女王のユーナを立てていない。
現司令長官と女王の間で、リシンとジョスランとは真逆の行為が行われていると指摘されたリシンや隣で話を聞いていたジョスランは、それを他人が行った些事だと切って捨てられなかった。
ジョスランが次王になるのか、それとも公爵になるのかは、最終的にユーナが決める。そしてユーナの判断に影響を与えている人物は、誰の目から見てもハルトだ。
「…………いいえ、分かりません」
2人の行動を迂闊に否定できなかったリシンは、消極的な対応策を取った。
リシンの行動に制限を掛けたクラウディアは、次いでリシンの考え方の間違いを指摘した。
「答えは、軍では身分ではなく、能力や結果を評価する姿勢でなければ、身分や立場の低い者が能力を腐らせて、王国軍が損失を受けるためです。事実として司令長官は、リスナール、カルネウス両中将閣下の能力も最大限に活かされて、ケルビエル要塞を活躍させて、現在の戦果を挙げておられます。理想論ではなく、どうすれば王国と王国民を守れるかの実利を選択するのが王国軍です。タクラーム1年生の行動は、司令長官方の考えと多少ずれており、王国民を守るためにもなっていません。以降、軍人として注意するように」
「……分かりました」
一瞬返答に詰まったリシンは、取り繕って回答した。
それを満足そうに見守ったクラウディアは、指導を付け足した。
「王家が国民の前に立ち、私達が支えるべきだと言う考え方には、私も共感を抱きます。アステリア1年生には、タクラーム1年生に譲られた分だけ活躍を期待していますよ。それと私は、ケルビエル要塞でも2年先輩で、上官にもなります。困ったことがあれば、遠慮せずに聞いて下さいね。もっとも士官学校内の事は、私もあまり知りませんけれど」
指導役を果たしたクラウディアは、にへらっと微笑んだ。