56話 第二次ディーテ星域会戦
王国歴443年10月。
ディーテ王国が再国家総動員体制を発してから、1年が経過した。
最前線では、ケルビエル要塞が敵全軍の25%にあたる25万隻を撃破して、敵2国の居住惑星も壊滅させた。
居住惑星の破壊効果は凄まじく、前世代や次世代の国家魔力者たち推定100万人と、出産後の母体50万人を消し去って、同数の魔素機関を動かせなくしている。国家魔力者を生み出す母体も、8割から9割が消し飛んで、5国は未来の国家魔力者の3分の1が永久に失われた。
残り3つの居住惑星を破壊すれば、戦争終結に至るだろう。
それが僅か1年で王国の挙げた主要な戦果だった。
「アマカワ大将にサラマンダーを5000万艇ほど与えて、全て任せてしまえば良いのではないか。武勲に対する昇進と役職が必要ならば、いつでも退官して長官職を空けるが」
ハルトの戦果を呆れ気味に評したのは、オルティス参謀長官である。
王国軍が行った遅滞作戦は、ケルビエル要塞の戦果だけが上限を突き抜けていた。一方で各星系に配した艦隊の戦果は、想定の範囲内に留まっている。
3月、20万隻に攻め込まれたフレイヤ星系を放棄。
4月、3万隻に攻め込まれたマーナ星系を放棄。
5月、3万隻に攻め込まれたトール星系を放棄。
同5月、16万隻に攻め込まれたヘラクレス星系を放棄。
7月、50万隻の侵攻を受けた中立の深城が陥落。
各星系とは通信が途絶しており、旧連合領で無事な星系は、既に太陽系だけとなっている。
天華連邦の3万隻は、戦力評価で王国軍の46個艦隊に匹敵する。王国軍の全艦隊を上回る戦力で侵攻されては防ぎようが無く、各艦隊は恒星系外縁天体群に大量の機雷とミサイル自動発射施設を設置し、後方宙域に進出して敵軍を攪乱するのが関の山だった。
普段はあまり褒めないオルティスの高い評価に、軍政長官のアンダーソンは一部を肯定した。
「儂も優秀な後進のために席を空けるのは望むところだが、今のアマカワに長官の業務は足枷だろう。帰国後の昇進は揺るぎないが、長官職は次回にしてやれ。活躍に比べて不足する報酬は、陛下が別に用意しておられる」
ケルビエル要塞が挙げた戦果に、1階級の昇進だけではとても釣り合わない。
今回の2星系撃滅に対してヴァルフレートが用意したのは、2つ目の爵位だった。
王国の爵位には、兼ねてはいけないという決まりはない。その最たる例が国王ヴァルフレートで、彼自身は王位とストラーニ公爵位を兼ねている。
ハルトに与えられる新たな家名と爵位は、ソン公爵。これは王国に降った深城の宋家に与えられる公爵位でもあって、ソン公爵の領地は深城星系の一部となる。
アマカワ侯爵とソン公爵を兼ねるハルトは、順当に次世代へアマカワ侯爵位を継がせると同時に、宋家のシャリー王女との子供にソン公爵位を継がせる事になる。
深城は天華5国の支配下にあるが、シャリーとその子孫が正統な後継者であると権利を主張しておく形だ。宋家のシャリーとその子孫が統治に加われば、深城の210億人を統治し易いという目論見もある。
「奪還の目途は、全く立っていないがな」
オルティスが言及したとおり、制圧された星系の奪還は未定だ。
王国は、1年前の再国家総動員体制によって3000万人のサラマンダー操艇者を掻き集めた。
そのうち首星の900万人はケルビエル要塞が引き連れていき、首星は地方の5星系から1000万人を引き抜いて首星に集め、人員を確保した。
その後、王国は全星系で前代未聞の大規模な志願兵の募集を行った。
現時点で首星が5000万人、5星系はそれぞれ2000万人、全体で1億5000万艇が運用されている。
これは現在の王国軍が運用可能な限界数で、今後も運用体制の強化と増員を繰り返していく予定だ。
それでも、奪われた星系の奪還は未定なのである。
再総動員体制で集めた3000万人は、王国歴441年初頭に集めた戦闘艇の操縦者たちだ。しかもケルビエル要塞が率いた900万人の半数以上は、旧連合と4星系で実戦経験を有していた。
残る1億2000万人は、今のところ訓練学校の1年生レベルで、戦力評価は3分の1人前だ。
そして彼らに経験を積ませても、敵星系に運ぶ手段がない。唯一の例外がケルビエル要塞で、結局のところ奪還作戦の成否はハルト次第だった。
「それが叶った暁には、儂ら2人が勇退して、軍政長官と参謀長官をイェーリング、リーネルトの両上級大将に任せて、司令長官はアマカワ元帥となろう。三庁のバランスは多少崩れるが、許容範囲内だろうて」
「承知した。アマカワは魔力が高いだけではなく、敵惑星を破壊して200億の敵を殺している。星系奪還の指揮統率まで出来るのであれば、戦時中の司令長官として申し分なかろう。軍組織の運営を周囲で固めれば、我々の役目も終わりか」
アンダーソンが描いた未来図に、オルティスは全面的な肯定の意を示した。
だが両者が合意した未来図は、首星全体に轟いた敵襲来の報で、大きく狂わされる事となった。
その日、ディーテ星系の索敵網が発見したのは、7ヵ月前にフレイヤ星系を制圧した徐家のウンランと、マクリール星系から彼に合流した軍勢を合わせた35万隻の大艦隊だった。
唐家のユーエンが天華の未来を見据えて王国との開戦を主導したように、宋家のハオランが王国との融和を図ったように、高家のリキョウが深城制圧を企んだように、徐家のウンランも自己の考えを有していた。
最後の通信で新京と九山の壊滅を知ったウンランは、ディーテ王国のイデオロギーに得心した。
(敵は、確実に殺さなければならない)
天華側が圧倒できて、制圧後は国家魔力者のように支配下に組み込むのであれば、なるべく殺さない方が良い。居住惑星も、なるべく破壊せずに手に入れるのが理想的だ。その考え方には、当初のウンランも同意していた。
だがディーテ王国は、天華を滅ぼし得る力を持った敵だと証明された。ならば天華のために、王国は倒せる瞬間に倒さなければならない。
ウンランは、今回が精霊結晶の生産工場を破壊する唯一の機会だと考えていた。
精霊結晶を生産できなくなれば、在庫があってもいつかは尽きる。
対して天華側は、国家魔力者を増やせる。2倍で不足するのであれば、3倍にでも4倍にでも増やさせれば良い。いかにディーテ王国であろうと、互いの全星系が消滅するくらいであれば停戦するだろう。
ディーテ星系の全方位に35万隻の軍勢をワープアウトさせたウンランは、マクリール星系のような魔素機関の異常が発生しなかった事を確認すると、天華が負けない結末のために必要な命令を下した。
「全軍、外縁天体群で突入用天体を回収して、首星ディロスまで同時侵攻しろ。目標、王都の精霊結晶第一工場。大陸ごと消滅させろ。狙いを付けるのが困難であれば、100個を落としてでも命中させろ。惑星ごと消し飛ばしても良い。被害は問わない。全滅してでも成し遂げろ」
ディーテ星系に襲来した天華の35万隻は、戦力評価で王国の546個艦隊、あるいは熟練の操縦者が操艇するサラマンダー2625万艇に匹敵する。
ディーテ星系における王国軍の防衛戦力は、15個艦隊と5星系から集めた熟練の1000万艇を除けば、3分の1人前以下の操縦者が動かすサラマンダー4000万艇だけだった。
両軍は、戦力評価にして100対109。
2日という短時間では、居住惑星に暮らす民間人を数十億キロメートル離れたワープ可能な恒星系外縁天体群まで避難させられない。星系に侵入する敵軍が、どこにワープアウトするか分かっていれば反対側に逃げられるが、それが分からなければ敵の正面に移動して餌食となる。
民間人は逃げ道が存在せず、王国が保有するD級結晶と予備のサラマンダー分だけ、追加で志願せざるを得なかった。
ゲームで戦闘艇を動かした程度の経験しかないおよそ3000万人は、初めて持たされたD級結晶とアンドロイドに支援されて、翌年を見越して建造されていたサラマンダーに乗り込んで防戦に加わった。
ディーテ星系に配備されている兵器は膨大で、ミサイル数では侵攻軍を圧倒する。そこに志願兵3000万と貴族の私有艦隊、民間船が加わって互角や優勢になる……とは、王国軍も考えていなかった。
第二次マクリール星域会戦において、天華は核融合弾で味方ごとサラマンダーの大群を焼き払っている。
サラマンダーは、群れて一斉に砲撃を浴びせて敵シールドを突破する戦い方のため、集団で動かざるを得ない。核融合弾に一定の防御力を有する天華巡洋艦と、核融合弾対策までは行えていないサラマンダーとの間でミサイルが炸裂した場合、どちらが大きな被害を受けるか火を見るよりも明らかだ。
それでも首星の民間人を焼かれるよりマシだから志願兵のサラマンダーを前に出す。という戦い方を選択せざるを得なかったのが、第二次ディーテ星域会戦の始まりだった。
「突き進め!」
星系に到達したウンランは、高らかに掲げた右手を前に振り下ろしながら前進を命じた。
王国の546個艦隊に匹敵する天華侵攻軍が、膨大な流星群となって首星ディロスに降り注いでいく光景は、死神の鎌が光を反射して煌めくかの美しさだった。
防戦の総指揮を執った国王ヴァルフレートは、合計8000万艇ものサラマンダーによって、首星を守る厚い星雲を生み出して対抗した。
王国側は中将以上の司令官で、各方向の防衛を担当させた。細分化したエリアは少将や准将級の司令官で担当し、巨大な戦場の全域できめ細かな指揮を担わせた。
「艦隊はサラマンダーの後方に配置して損害を避けながら、長距離砲撃で持続的に敵を削れ。貴族艦隊も砲撃に参加しろ。戦力を逐次投入するな。投入可能な艦は全て投入し、最大火力で敵を削り続けろ」
軍・貴族・国民の全てを完全に掌握した現王しか行えない命令によって、王国軍と貴族軍と志願兵とが首星を守る厚い防壁となって敵を弾き始めた。砲撃を行う艦の中には、ヴァルフレートが乗艦する移動要塞サリエルすらあった。
最終防衛ラインには民間船が配置されており、その中には軍艦の中で唯一の例外として、2人の王子が動かす防衛要塞ガルガリエルの姿がある。
防衛要塞は、膨大な避難民を受け入れて、破壊された惑星を居住可能レベルに復旧させる惑星改良機能を有している。既に首星から一部の避難民を受け入れたガルガリエルは、それによって首星と並ぶ最重要防衛拠点とされて後方に配置された。
防衛要塞が王級の魔力者にしか動かせないように設計されているのは、王位継承権者を残す意味もあって、防衛要塞には設計された意義の全てを活かす時が訪れた。
天華侵攻軍は、天体に推進機関を取り付けて、核融合弾と共に艦隊に先行させた。
王国軍は全艦隊と星系の全防衛施設で迎撃のミサイルを撃ち放ち、天体の1個も首星に向かわせまいとする。
星系の外から押し寄せるミサイル群と、星系の内部から外に向かって放たれるミサイル群によって、星系は全方位が炸裂するエネルギーの光で眩く輝いた。
やがて眩い光の中から天華艦隊が姿を現わし、宙域を駆け回るサラマンダーとレーザーを撃ち合っていく。
両軍が投入した戦力は、半年前にケルビエル要塞が行った新京会戦の10倍以上の規模だった。戦力が大きすぎて、両軍の総司令官は細部まで統制することなど不可能だった。
ウンランとヴァルフレートは、早々に細部の指揮を各司令官に委ねた。
「各艦隊司令官、細部は各々が判断しろ。敵の戦闘艇は、核融合弾に弱い。焼き払って進め」
「将官以上の指揮官は、余の命令を待たずに各々で判断して動け。卿らの責務は、首星ディロスを守る事だ。そのために最善の行動を執れ。全ての戦闘行動を許可する。後日問題とされる事はない」
それが細分化されたエリアで優勢と劣勢を生み出し、ウンランは優勢な側に戦力を追加して防衛網を食い破ろうと図り、ヴァルフレートは劣勢な側に増援を振り向けて対抗した。
戦闘で優位に立ったのは、天華側だった。
王国軍は王国民しかおらず、天華軍は天華外の国家魔力者も動員している。
ウンランはマクリール星域で行われた会戦に倣い、核融合弾で味方ごと敵を消し飛ばす戦法を用いて優勢に立ったのだ。人道を大義名分として宣戦布告したはずの天華が人道を踏みにじった結果、非人道的になれない王国は押されていったのである。
敵が自軍ごと吹き飛ばすと分かっていても、首星を守るために大量のサラマンダーを投入せざるを得ない。苛立ちを募らせたヴァルフレートは、総参謀長に愚痴をこぼした。
「連合の諸惑星に天体を落とした余が非人道的なのは事実だが、奴らに人道を問われる筋合いは無いな」
「話が通じる相手でしたら、最初から戦争になっておりますまい」
「ふっ、違いない」
総参謀長の的確な意見に苦笑を返したヴァルフレートは、気を持ち直して指揮に戻った。
光の洪水にも等しい両軍の膨大な戦力が、爆風によって四方八方へ押し流されながら、相対した敵と打ち消し合っていく。サラマンダー8000万艇と天華巡洋艦級35万隻との戦闘は、人類史上最大戦力の決戦だった。
対消滅する両軍の被害が、サラマンダー2000万艇と天華艦8万6000隻に達したところで、ヴァルフレートは劣勢を悟った。このまま戦闘を継続すれば、王国軍とサラマンダー、貴族の私有艦隊が残らず消滅した後に、天華側が6000隻ほど残ってしまう。
天華の6000隻は、王国軍の9個艦隊相当だ。民間船の戦闘力で対処するには数が多い。
「サラマンダーの造船所は、今もフル稼働しておろうな」
「はっ。今も新たなサラマンダーを戦場に送り出しております」
「……あと1手が足りぬか」
総参謀長を質したヴァルフレートは、「手元にケルビエル要塞があれば」と思わざるを得なかった。ケルビエル要塞はサラマンダー900万艇を率いて、敵25万隻と2惑星を破壊している。35万隻の敵を減らせと命じれば、半分くらいは削ってくれただろう。
もっともハルトを手元に置いていれば、敵主力60万隻と別働隊15万隻が押し寄せていた上に、天華本国では徴兵によって国家魔力者の増員も行われていた。ケルビエル要塞を最前線に送り出した選択は、最善の行動だったと思わざるを得ない。
首星ディロスを守り切るには、ヴァルフレートの手札が1枚足りなかったのだ。
ヴァルフレートが思考する間にも、両軍の潰し合いは途切れることなく続いていく。
天華侵攻軍の総司令官ウンランは、首星ディロスへの迂回侵攻を提案できる戦略眼と、実現させられる作戦指揮能力を同時に有する優秀な男だった。そして彼は、投入した戦力の足を引っ張るような愚かな命令も出さなかった。
サラマンダーの損害が半数の4000万艇に迫ったところで、苦境に立たされたヴァルフレートは王国と天華との戦いの趨勢に思考を巡らせた。
精霊結晶は、既に充分な量を生産して全星系に配備してある。いずれの星系であろうと、数年後にはサラマンダー1億艇による強固な防衛体制を整えて、今回程度の侵攻軍は防げるようになるだろう。敵が工場を破壊しようと、今更困ったりはしないのだ。
対する天華は、2惑星の破壊で次世代の戦力が現在と変わらない程度に落ちた。さらにケルビエル要塞の進撃を経験した敵は、大規模な防衛戦力を各惑星に置かざるを得なくなり、侵攻に回せる戦力が大幅に減った。
敵惑星の破壊は、ハルトに任せれば良い。破壊出来れば王国が勝利し、出来なければ王国も1世代を待って、高魔力が確実視されているハルトの子供たちにも輸送を手伝わせて勝利に至れば良いのだ。ユーナの母親マイナの怒る顔が思い浮かんだヴァルフレートは、思わず笑みを浮かべた。
ヴァルフレートには、勝利までの道筋が見えていた。不安材料はただ一つ、自身の後継者だった。
(今のベルナールとジョスランでは、アマカワを上手く扱えまい。嫉妬などで足を引っ張れば、王国の存立が揺らぐ……順序を入れ替えるか)
戦場におけるヴァルフレートの耳は優れており、敵の侵攻と共に、死神の足音も聞こえ始めていた。
サラマンダーの損害が6000万艇に達し、軍艦や貴族艦も次々と撃沈していく。敵も相応に殺しているが、使い捨ての国家魔力者が何人死のうと、目的を果たすまで天華は撤退しそうにない。
避けられない死の気配を濃厚に感じ取ったヴァルフレートは、自身の死後も王国が勝利するための布石を打つ決意を固めた。
「総参謀長。余は王国が勝利するため、念のため遺言を残す」
「……はっ、遺言でありますか?」
思わず聞き返した総参謀長に、ヴァルフレートは頷き返して、聞き間違いでは無い事を伝えた。
「余には、王国が勝利するまでの方程式が見えている。余が戦死しようと、方程式を変えなければ勝てる。それを全王国民に通達して、勝利を確実にしておくのだ」
「陛下の存在は、余人を以て代えがたく。戦死なされるくらいでしたら、撤退をお考え下さいませんか」
「考えられぬな。敵軍に襲われる民を前に国王が逃げ出しては、王国が存在する価値などあるまい。遺言は確実に履行させるため、ディーテ星系のみならず、星間通信によって5星系にも送る。卿は引き続き全軍の指揮を補佐せよ。卿が尽力して、余の遺言を笑い話にすれば良かろう」
「……御意」
他国では、指導者が死ねば組織の再編に労を費やして不利になる。そのため、指導者が死ぬと分かっていて戦わせるような展開は有り得ない。
だがディーテという特殊な国では、国王が逃げる方が、国民の戦意や意思統一で不利になる。国王が戦死しても星系を守ろうとしたと伝われば、国民は積極的に戦争へ協力し、サラマンダーの志願者も後を絶たないだろう。それが理解できる総参謀長は、不本意でも国王の意思に従わざるを得なかった。
総参謀長が従った後、ヴァルフレートは王国の全域に遺言となる通信を行った。
はじめにヴァルフレートは、現状を説明した。
生産済みの精霊結晶は全星系に配備されており、防衛体制は滞りなく整う事。
対する天華は2星系を破壊され、残る3星系に防衛戦力を割り振らざるを得ない事。
両勢力の戦力は加速度的に王国側へ傾いており、今後の天華側は王国の守りを突破する戦力を出せず、逆にケルビエル要塞は敵星系に踏み込めて、最終的に王国は勝利できる事。
それらは天華側に通信を傍受されても覆らない事実だった。前置きを終えたヴァルフレートは、遺言の内容を語り始めた。
『この戦争における最大の危機は、余が戦場に倒れた後の国王についてだ。王位を継承できる2人の王子は、いずれも未成年で、軍事・政治・外交の経験を持たず、現時点で国家の存亡が掛かる戦時の国王たりえない。そこで余は、余が戦死または王権の行使が不能に陥った際には、第一王女ユーナをアステリア王家の当主、ならびにディーテ王国の女王に任ずる』
次の国王が指名されるという衝撃が、通信網に乗って王国中を駆け巡った。
ユーナを後継者に指名したヴァルフレートは、一呼吸分の間を置いて補足した。
『精霊結晶を合わせたユーナの魔力は、王級である。王が王級の魔力を求められる理由は、戦時に移動要塞を動かして戦うためだ。移動要塞を動かす際に、精霊結晶を使ってはならぬ定めなど無い。王級である証明は、移動要塞を稼働させて王国に知らしめよ』
それは従来の貴族・軍用とされていた精霊結晶に、さらに上が存在する事を告白するものだった。国王が戦場にあって遺言を述べる中にあって、今はそれどころでは無いだろうが、いずれ疑念は生まれるだろう。
後日の言い訳をハルトに投げたヴァルフレートは、細部を切って捨てながら遺言を続けた。
『ユーナは王級の魔力でケルビエル要塞の運行補助者を担い、連合滅亡の一助となった。また国王代理として天華の1国、深城と不可侵条約を結び、1国を無害化させた。王国最大の戦力、アマカワ侯爵を扱う手腕は、確実に余以上であろう。故にユーナを女王にして、天華5国との戦いを乗り切れ』
ヴァルフレートは、自身が見えた勝利までの道筋を国民に共有した後、さらなる未来について付け加えた。
『情勢が落ち着けば、ユーナが指名する形で2人の王子、あるいは何れかの王族に王位を継承させよ。ユーナは退位後、一代限りの大公位を得て、子孫には新たな公爵位を一つ継承させよ。王国民は余の遺言を果たせ。さすれば王国の安寧は今後も続こう』
遺言を告げ切ったヴァルフレートは、やり遂げた達成感と同時に虚しさを覚えた。
王級魔力を持つ第三王子として生を受け、長兄との継承争いを避けながら、全ての選択肢で考え得る最善手を打ってきた。自身の意志が介在する余地など無く、機械的に最善手だけを選ぶ生き方をして、今この瞬間に至っている。
それはヴァルフレートという個の人生では無かった。
唯一、最善手では無かったのは、王家から離れて軍人として生きていた頃だ。ユーナの母親マイナには迷惑を掛けたと自覚するが、当時は自身の意志が介在して愉しかった。と、死の間際に振り返られる。
最善ではない選択の結果、ユーナが生まれて、それがカーマン博士と知己を得たアマカワ侯爵と縁を結ぶ切っ掛けとなり、ヴァルフレートと組んで連合を滅ぼす決定打となった。今は天華に対抗する術ともなっている。
もしかすると、最善と思われる選択肢を選ぶ必要は無いのかも知れない。己の人生の選択肢は、自分で決めれば良いでは無いか。ヴァルフレートは出来なかったが、子供達を縛る必要は無い。
そう考え直したヴァルフレートは、再び通信を繋いだ。
『ベルナールとジョスランに私信だ。正妃には誰を選んでも良い。正妃との子供が後継者である必要も無い。各々の意志を以て、好きにせよ。王位に拘る必要すら無い。ユーナの子供に継がせる手もある。それとユーナとアマカワ侯爵、苦労を掛けるが、汝らの弟たちを頼むぞ』
穏やかな表情を浮かべたヴァルフレートは、再接続していた通信を再び切った。
彼は数秒だけ目を瞑り、一呼吸してから青と赤で輝く星系図を見つめ直した。
前方からは、赤い光が途切れる事なく押し寄せており、それを青い光が壁となって受け止めている。青い光の壁には民間船も加わっており、その背後には首星ディロスが映り込んでいる。
総旗艦サリエルの後ろにある船すら次々と撃沈しており、防衛線はボロボロだった。そして彼方からは、赤い光の壁が押し寄せてきていた。
赤い光の壁は、ウンランが生み出した最後の津波だった。それらは青い光の防壁と衝突して、防壁が崩れた宙域から首星ディロスへと流れ落ちていき、地表の一部を破壊していた。
もっとも敵は『精霊結晶の第一工場が置かれた王都のあるオルテュギア大陸』と、通信を出した『国王ヴァルフレートの総旗艦サリエル』に全戦力を注ぎ込んでおり、穿たれる大陸は一カ所に集中していたが。
そして天華側の核融合弾が尽きて、サラマンダーをまとめて倒せなくなったからか、青と赤の光は青が僅かに優勢へと入れ替わっていた。もっとも全体の形成が逆転しただけで、国王の周辺では赤い光が圧倒的に多かったが。
(地方星系から引き抜く戦力は、1000万ではなく、1500万ならば良かったか)
そのように自問して、地方を見捨てる選択は将来に禍根を残すために不可能だったと自答したヴァルフレートは、やはり王国が勝利できる最善手を選択したのだと結論付けた。
「国王はディーテ王国の意志を体現するが、ディーテ王国そのものではない。国王を犠牲にすることで王国を生かせるのであれば、それを体現するのもディーテ国王であろう。そして王国の防衛体制は整い、この後は逆転に至る」
言葉に出したヴァルフレートは、納得して頷いた。王国の独立と尊厳を保つために必要な犠牲だったのだと、ヴァルフレートは胸を張って断言できる。
自らの頭上に死神の鎌が振り上げられたことを感じ取ったヴァルフレートは、不意に深城のハオランを思い出して、ディーテ王国の体現者らしい言葉を残すことを思い付いた。
遠い未来、ディーテ王国へ手を出す者を思い止まらせるために、ここで脅しておかなければならない。手元の通信装置を操作した彼は、侵攻軍に通信を発した。
『ディーテの逆鱗に触れた、天華5国の愚か者どもにも告げておこう。ディーテ王国も舐めるなよ。ディーテ王国を体現する第11代国王たる余は、死に際して必殺の矢を放った。放たれた矢は、いずれ汝等を貫き殺すであろう。楽しみにしておけ』
確信的な笑みを浮かべるヴァルフレートの乗艦サリエルに、侵攻軍の軍艦から十数本の砲撃が突き刺さった。集中した攻撃は、攻撃にエネルギーを振り向ける要塞の僅かなシールド能力を容易く突破し、要塞内部を蹂躙していく。
発生した爆発は連鎖して、総旗艦サリエルは眩い光に呑み込まれていった。