55話 焦土作戦
王国暦443年7月。
ケルビエル要塞が姿を消して以降、天華侵攻軍の別働隊3万隻は、3ヵ月に渡ってマクリール星系の制圧を試みた。
制圧を拒み続けたのは、軍事要塞化された衛星フラガである。
直径900キロメートルの衛星内部には、無人兵器群や戦闘用ドローンが大量配備されており、数百万体の重武装した軍用アンドロイド兵も待ち構えていた。内部から制圧するには、惑星攻略規模の制圧部隊を突入させなければならない。
天華の艦艇数は王国を圧倒するが、軍艦に搭載できる兵器や人員には限りがある。たかだか衛星ごときに惑星制圧部隊を投入して、衛星を自爆でもされようものなら、本来の目的である各惑星制圧が不可能になる。従って、内部からの制圧は不可能だった。
だが、外部からの破壊も極めて困難だった。
巨大な要塞内部は、それに見合った核融合弾が備えられており、内部では核融合弾を量産できた。さらには大量の魔素機関、質量波凝集砲、防護膜発生装置、推進機関が取り付けられていた。
ケルビエル要塞との戦闘で消耗していた天華侵攻軍は、大量の核融合弾を惜しみなく撃ち続ける衛星フラガに撃ち合いで押し負けた。さらに接近戦に持ち込んでもレーザー攻撃を行われ、シールドで防御され、推進機関で回避されてと、散々な結果に終わった。
天華の別働隊は、王国が衛星フラガに大規模な防衛部隊を投入しているのだと勘違いした。
3万隻を預かった指揮官は、大きな犠牲を払った後に、攻略を断念する。
「マクリール星系の攻略は、後続が到着してから行う。現在、ケルビエル要塞が天華領域内を荒らし回っており、高家のリキョウ様が対応しておられる。主力と別働隊も、それぞれの任務を果たしている。全ての戦場の中で、マクリール星系の優先順位は低い。数ヵ月は現状維持だ」
ユーエンが3万隻の別働隊に期待していたのは、マクリール星系の攻略だった。
3万隻を預かった指揮官は、自身への評価が落ちる事を理解しつつも、部隊の壊滅を防ぐために現状維持を選択せざるを得なかった。
そのように王国の大部隊駐留が想像された衛星フラガは、実際には無人衛星だった。星系の魔素を自由に使えるセラフィーナが、魔素を流し込んで動かしていたのだ。
セラフィーナ視点の天華侵攻軍は、自身の契約者ハルトを襲いに、自身の精霊界に踏み込んだ侵入者だ。ハルトが用意した衛星フラガに魔素を流し込んで迎撃に協力する事は、セラフィーナのルールでは是であった。
結果としてマクリール星系は、王国軍が0名のまま、3ヵ月に渡って天華侵攻軍を防ぎ切ったのである。
『マクリール星系には、カーマン博士の置き土産がある』
国王ヴァルフレートが御前会議において言及したとおり、この現象は博士の置き土産という事になっている。
死んでいる人間に対しては、誰も問い質す術を持たない。
ハルトは周囲に対して堂々とシラを切り、セラフィーナにマクリール防衛を任せた上で、新京と九山の2星系を襲撃して戻ってきた。
『ただいま。留守中の状況はどうだった』
星系到着後、ハルトは出張で数日間くらい家を空けていたような気軽さで、家に残っていたセラフィーナに状況を確認した。
衛星フラガが残っていれば軍用アンドロイド兵からも報告が入る。
だが魔素通信を用いないために、情報の到達が遅い。天華が倒す手段を持たない精霊王セラフィーナに聞くのが、一番早くて確実だった。
『おかえり。衛星の質量は、10%ほど減ったわ。大量の天体が一斉に向かってくる光景は、なかなか見ものだったわよ。その代わりに相手は、残っていた3万隻の半分ほどが魔素に還元したわね』
セラフィーナが挙げた戦果は、敵全軍100万隻の1.5%を削るという大戦果だった。
天華の軍艦1万5000隻は、戦力評価でサラマンダー100万艇を上回る。それだけの敵を倒して、味方は人的損害が0だった。
敵が30万隻ほど残って衛星フラガを攻めていれば、流石に破壊されていただろう。第二次マクリール星域会戦で想像以上に損耗して、一時的に引いたのだろうかとハルトは考えた。
『そんなに倒してくれたのか。助かった。それで連中は、どうしている』
『星系外縁部の外側まで後退して、監視だけしているわね。艦艇数は減っているわ』
『分かった。衛星フラガには、修復用の工作艦を送る。引き続きマーナ、トール、フレイヤの瘴気を浄化して吸収させて、ミラも昇格させる』
『ミラも年貢の納め時ね。フルールとレーアは、既に精霊王に昇格したわ。増やした精霊王で、ハルトが何をするのか、楽しみにしておくわ』
フルールとレーアは、いつの間にか昇格しているという呆気ないものだった。
新京と九山で浄化した瘴気を吸収した後、契約者のハルトが感じ取れるフルールとレーアの存在感は、格段に増していた。
それがマクリール星系に入ってからは、外見も変化している。
フルールの外見は、あどけなさが残っていた妖精から、瞳の奥に底の見えない深みを持つ、大人の雰囲気を併せ持った妖精女王に変化していた。
レーアの外見は、緑光の風を纏わせたエルフの少女から、一体化した緑光が迸る風の精霊王で顕現した姿がエルフに見えるという形に変化していた。
彼女達は、既に精霊王セラフィーナと同じ事が出来る。
たとえばディーテ星系に、自身の精霊界を繋げて領域を生み出す事。あるいは天華1位の天都星系に領域を作り出して、天華艦隊の性能を劇的に落とす事。そして精霊王達が協力すれば、それ以上の事も行える。
マクリール星系の防衛を一時放棄してでも、逆侵攻した価値は充分にあった。と、ハルトは自らの行動を肯定した。
ケルビエル要塞がマクリール星系内へ入ると、衛星フラガの残存アンドロイドから報告が届いた。
「ハルト、衛星フラガの残存アンドロイド部隊から、戦況報告が入ったよ」
「来たか。状況はどうなっている」
「衛星フラガは、耐え切ったみたいだね」
コレットから渡された報告は、セラフィーナから事前に教えられた内容と一致していた。
マクリール星系の旧連合民は、早々に天華侵攻軍に降伏しており、天華侵攻軍が衛星フラガに敗北して星系外縁部に撤退してからは、衛星フラガの王国軍にも降伏している。惑星に被害は出ておらず、事前に降伏を認めておいて良かったとハルトは考えた。
設置型の通信衛星は破壊されており、通信を中継する偵察艦も撤退し、各星系とは通信できなくなっていた。
損耗した衛星フラガの機能を十全に回復させるためには、追加の資源が必要だった。
ハルトはリーネルト上級大将から引き継いだ工作艦300隻と、ケルビエル要塞の工作艦140隻に護衛部隊を付けて、衛星フラガの修復作業に向かわせた。
残る工作艦60隻には、突入用の耐熱コーティング処理を施した、直径1キロメートルのタングステン60個を作成して要塞に入れるよう指示を出す。
要塞に所属する偵察艦には、マクリール星系の現状と3星系の破壊を報告させるべく、後方へ送り出した。
その間、星系に残っていた天華軍1万5000隻は、一向に動かなかった。
ケルビエル要塞の保有戦力は、新京と九山の戦闘で知られている。戦闘艇292万8000艇は、天華艦3万9040隻に匹敵しており、半数以下の天華軍では対応できない。
しかもマクリール星域に限定すれば、魔素機関の出力が激減して、戦力が5分の1になる。今のケルビエル要塞を倒すためには、軍艦20万隻が必要だ。
ハルトは堂々と作業を行い、衛星フラガを完全に修復して、星系内で突入用天体も回収した。その後、旧王国領であったマーナ、トール、フレイヤの3星系を破壊しに向かう事となった。
「今度は3星系だから、帰ってくるまでに4ヵ月だな。衛星フラガが保つかは、天華軍の増援次第か」
ハルトの独白を耳にしたコレットは、王国軍の常識と、ハルトとの感覚の違いを指摘した。
「無人衛星のフラガだけで、新基準で46個艦隊分の敵と戦って半数を沈めたのよ。こんな事が出来るなら、国防計画を根底から見直して、王国の全星系にフラガ級の巨大天体を配備すべきよ。マクリール星系以外だと、出来ないのかしら」
2人が座る魔素機関の稼働者席には、交代制のために他のメンバーが居ない。
ハルトは補佐を務めるコレットだけならば良いかと考え、未来の展望を語った。
「これまでは出来なかった。だが、いずれディーテ星系では出来るようになる」
「それは、いつかしら」
「次に首星へ帰った時」
想像以上の速さに、コレットは思わず目を見張った。
「これまでは、なぜ出来なかったのかしら」
「対価が足りなかった。人が住んでいた有人惑星を、新京や九山の規模で犠牲にしなければならない。あるいはマーナ、トール、フレイヤの3星系を100年単位で使えなくするか。平時に有人惑星を丸ごと犠牲になんて、出来ないだろう」
「ねえハルト、あなたは王国に15家もある侯爵家の当主程度でありながら、力を持ちすぎているわ。国王がヴァルフレート陛下で、長女のユーナが正妻で、弦の会を立ち上げたコースフェルト公爵家のクラウディアが第二夫人で良かったわね。今後の保身には、気を付けなさい」
真摯に忠告するコレットに、ハルトは神妙に頷き返した。
ハルトから契約済みの精霊を取り上げても、他の人間には再契約が出来ない。手持ちで未使用のB級精霊結晶3つを奪ったところで、他の人間は精霊王に昇格させられない。
だが国王がヴァルフレートではなくて、戦死した元王太子グラシアンや、国賊となった元王太孫レアンドルであった場合、精霊結晶を奪えずともハルトは行動に制約を受けていただろう。
精霊たちの機嫌を損ねないために廃人化はさせないにしても、首星から出さず、実権も持たせず、形の無い鎖で繋ぎ止められた可能性は大いに有り得る。
正妻はレアンドルの妹辺りに変えられて、アマカワ侯爵家の継承者もレアンドルの妹の子供に変えられて、実質的な乗っ取り完了となる。
グラシアン派は消滅しているが、国王やコースフェルト公爵家の庇護が無ければ、タクラーム公爵家辺りが動いているだろう。
ヘラクレス星域会戦でハルト達が活躍の場を与えたハーヴィスト伯爵家のアリサと、それによって救われたモーリアック公爵家令息ローラントとの関係は悪くない。
他はドーファン、タクラームの両公爵家と対立しないように気を付ければ良い……と考えたところで、ハルトは自身とユーナの政治的なセンスが壊滅的で、コースフェルト公爵家にしてやられた過去を思い出した。
「アマカワ家の政治交渉は、クラウディアに任せようと思う」
「それが良いわね。ハルトは、戦いで最上の結果を出せたのだから、そちらで自分の価値をアピールしなさい。ハルトが1人では全てを行えないように、他の人も全ては出来ないのだから、上手く棲み分ければ良いのよ」
「ああ。助言、ありがとう」
「どういたしまして」
戦闘艇の3分の2を失っているハルトは、本国への帰還前に旧王国領の3星系を破壊すべく、最初にマーナ星系へと向かった。
天華主力を率いていたユーエンは、別働隊を率いて首星ディロスへ向かったウンランの代わりに、4月に3万隻の艦隊を制圧に向かわせている。
5月にマーナ星系が落とされ、6月にはトール星系も落とされているが、同時期に天華本領の新京星系と九山星系がケルビエル要塞に攻め込まれて破壊され、無人で優先順位の低い3星系からは部隊の撤収が命じられていた。
星系を維持する一部の部隊を除き、別働隊はヘラクレス星系ないし天華本領に戻っており、ハルトが突入したマーナ星系には僅か2個艦隊2000隻という少数部隊のみが残留していた。
対するハルトは、天華艦3万9040隻分の戦闘艇で、戦力評価100対5だった。
「核融合弾は、ケルビエル要塞でも製造出来る。ミサイルを惜しむな。主砲と副砲も用いて、圧倒的な戦力差で、敵を殲滅せよ。これは敵との殺し合いであり、サラマンダーには犠牲も出る。要塞戦闘員は油断せず、味方の犠牲を1艇でも減らすべく最善を尽くせ。サラマンダー操縦者は、己の精霊に頭を下げてでも助けてもらえ」
20倍の戦力差があり、優勢な側の最上級指揮官が全軍に油断するなと厳命した戦いの結果は、天華軍の壊走で幕を閉じた。天華軍の指揮官がどれだけ有能であろうと、これだけ戦力差があって、敵が油断していなければ、覆しようが無い。
戦闘の結果、マーナ星系内を流れる人工物に天華軍485隻と、サラマンダー1万6490艇の残骸が加わった。
そして旧連合首星であったマーナ星系の旧首星フィンには、直径1キロメートルの突入用タングステン20個が降り注いだ。
ハルトの契約精霊ミラの姿が、外見年齢10歳の少女から、契約時に一度だけ見た泉や川に住む年齢不詳で神秘的な妖精ナーイアスに変化する。
少女のイタズラな瞳が、ハルトを見透かす神秘的な眼差しに変わって、ハルトを見詰めてきた。
『まだ吸収できるだろう。次はトール星系で、その次がフレイヤ星系だ』
『ミラは昇格の鍵を持たなかっただけで、最初から精霊王として充分なエネルギーは蓄えていました。ハルトさんが3つの鍵を渡してくるなら、昇格すれば魔力の加算をA級の3倍にできるくらいには』
淡泊に告げられた言葉の中身は、ハルトが予備知識とする乙女ゲーム『銀河の王子様』でも出てこない内容だった。
精霊王の魔力加算は、三等戦艦を動かせる6250。その3倍となれば、加算だけで二等要塞艦を動かせる侯爵級の魔力を上回る。
そのような事が出来るのかと驚くハルトにミラは告げる。
『鍵が3つもあると、溜めているエネルギーの扉が開いて、破裂してしまいそうです。早めにセラフィーナの領域まで戻って下さい』
『それは、危なそうだな』
ミラに警告されたハルトは、精霊王となったフルールとレーアの力を以て、快速で星系間を跳躍していった。
トール星系にも天華の2個艦隊が駐留していたが、マーナ星系から侵攻情報を聞いていたらしく、ケルビエル要塞が襲来すると直ぐさま踵を返して逃げ出していった。
トール星系でも20個の天体が落とされて、ミラの力が自称AA+に上がると同時に、有人惑星が100年単位で使い物にならなくなった。
王国が国家事業として改造を行っても、100年単位の年月を費やさなければ、居住可能に戻らない規模の大損害だ。焦土作戦で天華に使わせないためだとでも主張しなければ、破壊に賛同は得られないだろう。
精霊の昇格を説明すれば状況は変わるのかもしれないが、ハルトにはそれを行う意志が無い。
元々はタクラーム公爵家から報復を免れるため、乙女ゲーム『銀河の王子様』の存在は隠していた。そして旧連合との戦争で首星の王都を吹き飛ばされ、王都にあったヒイラギ男爵邸と共にゲームのアーカイブも消し飛んで以来、情報はハルトの記憶の中にしか存在しない。
ハルトはこのまま、完全にシラを切り続けるつもりだった。
トール星系を破壊したハルトは、そのままフレイヤ星系も襲撃し、駐留艦隊を追い散らして3つ目の星系も破壊した。
そして通常の精霊王を超える力を持ったミラと共にマクリール星系に戻り、ミラを昇格させたハルトは首星への帰路に就いた。
王国暦443年11月。
天華侵攻軍によって通信手段を破壊されていたハルトは、この時点で二度と取り返しの付かない出来事が2つも同時に起こっていた事を、未だに知らなかった。