05話 乙女ゲーの知識で株式投資
士官学校の二年生に進級したハルトは、寮から街への外出許可を得られるようになった。
大抵の生徒は実家に帰るが、ハルトには2つの予定が入っている。
一つは王都にあるカルネウス侯爵邸に訪問する事であり、もう一つはゲームの知識で知っている未公開株を購入しておく事だ。
ディーテ王国の士官候補生は、アルバイトや株の短期売買は禁じられている。
だが3年以上売却しない長期投資は、財産権として認められている。
士官候補生としての手当が月に「10万+魔力×200=1833万ロデ」のハルトは、1年間で2億1996万ロデを稼いだ。
戦艦を稼働できる高魔力者でも年間1440万程度なので、軍にとっては想定外の金額だろう。それでも減額はされていない。
任官後のハルトには、巨大要塞を動かす事が期待されている。既に軍では、ハルトの任官後を見越した国防計画が立てられているのだ。
僅かな手当を出し渋って、ハルトが手当の途中変更を理由に退学して民間に流れた場合、減額を決定した部署の人間は確実に左遷くらいされる。
かくして確保した資金と、乙女ゲームの知識を元に、ハルトは絶対に手に入れなければならない未公開株の購入を行った。
購入したのは、『精霊結晶』を売り出す会社の株式だ。
精霊結晶には、極めて特徴的な点が3つある。
1点目、情報端末に精霊結晶を接続する事で、精霊を顕現させられる。精霊は魔素を知覚し、装着者に望ましい行動を自発的に取る。精霊に操艦をサポートさせれば操艦効率が劇的に上がり、ワープを計測させれば計測時間が大幅に短縮する。
2点目、精霊自身が魔力を持ち、装着者と同調して魔力を上乗せしてくれる。装着者は運行できる艦を上位にグレードアップしたり、無魔力者でも戦闘艇を操艦したりできるようになる。
3点目、高位精霊の協力で魔素を凝縮するため原材料が不要で、低コストで簡単に量産できる。また活動エネルギーには、ほぼ無限に存在する魔素を用いるため、維持費も掛からない。
精霊結晶は、科学技術を発展させてきた人類の目の前に、何の脈絡もなく別体系の魔法技術が飛び出してきたようなものだ。
ゲームの最終決戦では、精霊結晶を装着した人々による精霊艦隊が、流星群となってジギタリスの乗る巨大要塞に突入していくのだ。
この会社は製品を開発済みで、生産体制も確立したものの、人々の生活に不可欠な情報端末機の関連商品を販売するための高額な登録免許税を計算していなかったために足踏み状態となっている。
ゲームでトゥルーエンドを迎えたければ、ユーナが会社の社長と知り合い、母親の実家である男爵家から資金を用意して、社長から非上場の株式を購入して資金を提供しなければならない。
資金提供して流通に乗ってからは、一気に普及が進む。
誰もが持っている情報端末に接続するだけであり、ディーテ王国400億人の情報端末は、10年ほどで殆どが精霊結晶と接続するのだ。
その間に無名だったセカンドシステム社の未公開株は、1株100万ロデを10万株10ロデの10万倍に分株してから、強気の1株100万ロデで上場する。
だが株式は売れに売れて、さらに1株を100株まで分株しても株価が100万ロデで維持された。
つまり最初の1株が、1000万株になったのだ。
今回ハルトは、2億ロデを用意して株式の40%にあたる200株を取得した。10年後には、2000兆ロデになっている予定だ。
「いやあ、おかげで販売開始金に目処が付いたよ」
精霊結晶を開発した社長のヨーゼフ・カーマン博士が、和やかな表情でハルトに握手を求めた。
「精霊は革新的な発明ですし、絶対に成功します」
ハルトも笑顔で応じ、若き天才を称えた。
「僕は毎月1833万ロデほど収入がありますので、今後も株を毎月1800万ロデずつ買わせて下さい。暫くは物入りでしょうし、株を僕達で3分の2以上持っておけば、単独議決権が行使できて横槍が入りません」
「別に構わないけど、資金は足りると思うよ」
「流通に乗せる時には、業者に支払うお金が要るでしょう。少しくらいお金を持っておいた方が良いです」
ハルトは強引に押し通した。
カーマン博士の最大の欠点は、経済観念が無い事だ。
最低でも株式の半数を抑えておかないと、いずれ会社を乗っ取られる。
そして精霊は会社の開発物だと裁判で訴えられてしまい、真のトゥルーエンドには至らなくなる。
「それと、別枠で1000万ロデ払いますので、僕用の精霊結晶を売って下さい」
「販売価格はF級が10万、E級が20万、D級でも30万の予定だよ。C級は少し高めだけどね」
「もっと高くしても絶対に売れると思いますけど。Fが一般、Eが騎士、Dが士爵、Cが貴族用でしたよね」
「1回説明しただけなのに、良く覚えているね」
博士は頻りに感心したが、ハルトは記憶力が良いのでは無く、事前に予習していただけである。
精霊結晶には、S級からF級までの7ランクが存在する。
S級結晶 精霊神 魔力不明 カーマン博士専用。
A級結晶 精霊王 6250 ユーナとコレット用。
B級結晶 上級精霊 2560 身内用。(ヒロインの仲間用)。
C級結晶 中級精霊(上) 810 貴族用。(最終局面で軍用)。
D級結晶 中級精霊(下) 160 準貴族用。軍用。
E級結晶 下級精霊(上) 40 騎士用。上客用。
F級結晶 下級精霊(下) 10 一般用。
精霊の能力は、級によって大きく異なる。
「1000万ロデ払いますので、僕専用の結晶はA級でお願いできませんか。株主の白紙委任状も置いていきますから」
「君専用なら、一部の能力を封じれば良いかな。B級以上は困った性能で、限られた人間にしか出す意志は無いんだ。君は軍人だから、普段は性能を抑えて、命の危機にだけ完全開放して欲しい」
「分かりました。ありがとうございます」
ハルトは内心の喜びを表に出さないよう、必死に表情を取り繕って頷いた。
「それと個人的にいくつか買わせて下さい。すぐに品薄になってしまいますので」
「生産工場まで作ったけど流通に乗せられなくて、在庫が溢れている状態だけどね」
「流通に乗ったら、直ぐに口コミで売れていきますよ。そこから株を買いたいという人が出ても、絶対に売らないで下さい。上場するなら、1株を10万株以上に分株してから売った方が良いです」
口を酸っぱくして念を押したハルトは、情報端末を使って即座に支払いを行い、A級結晶を手に入れた。
おかげで翌日カルネウス侯爵邸へ赴くにも拘わらず、気分は最上のままだった。そのためフィリーネが、普段と異なるハルトの様子に訝しんだ程である。
カルネウス侯爵家の治める領地は、アポロン星系にある。
アポロン星系は、地球から310光年、ディーテ王国の首星ディロスからは、約150光年の遙か彼方にあり、独立後のディーテ王国民が独自に移民した最初の恒星系でもある。
移民当初の目的は、地球人にディーテ星系を破壊された際に生き残るための居住星系分散。そのため遠方にあり、移動技術が向上した現代でも片道2ヵ月弱の航路となる。
フィリーネの祖父であるカルネウス侯爵は、普段はアポロン星系で領地を治めている。
貴族が分散して各領地を治めているのは、敵から各星系を守るためであり、他星系が失われても独自に対応できる能力を維持するためでもある。侯爵は地位に相応しい重責を担っており、易々と動くことは無い。
しかしフィリーネが、5ヵ月前から3姉妹の爵位継承条件である相手を王都の邸宅に連れて行くと連絡していたため、侯爵はアポロン星系から片道2ヵ月の時間を費やして遥々足を運んできた。
かくしてハルトは、威風堂々とした白髪交じりの老人に、鋭い視線で射貫かれた次第であった。
「お初にお目にかかります。カルネウス侯爵閣下。私はヒイラギ男爵家の男系末子ハルトと申します。現在、ディーテ王国軍士官学校で、士官候補生の二回生です。年齢は16歳で、フィリーネ嬢と同い年です」
そして喉元まで込み上げた「おうちに帰って宜しいでしょうか」という言葉を飲み込んだ。
いくら威圧されたとしても、遥々アポロン星系からやって来た侯爵閣下に対して、流石にその物言いは通じない。
「バスチアン・カルネウスだ。王国より侯爵位を預かっている」
本来ハルトは、侯爵に直答できる立場では無い。
それでも侯爵からは返答があって、威圧を続けられたまま邸内へと招き入れられた。
ハルトの父方の祖父はヒイラギ男爵で、母方の祖父はメレンデス男爵。
父は男爵家の次男で、母は男爵家の長女。ハルトはその次男だが、貴族が重視する青い血は入っている。独立戦争時に地球艦隊を突破し、地球へ特攻して王国の独立を勝ち取った功労者達の血統だ。
その子孫の1人が、後継争いをする3姉妹の1人フィリーネに連れられて来た事で、辛うじて侯爵家の正式な訪問客として認められた。
ハルトの特筆すべき点は、固定された魔力値9万1150だ。こちらは異常値すぎて、王国軍から憲兵隊が派遣されてきたほどだった。
現在は国家機密扱いとなっている詳細な魔力値を開示できる相手は、両親と配偶者候補の貴族家のみ。それ以外は、魔法学院の成績を発表する制度上、王太孫を超えた所まで知るのみだ。
もしも独立戦争後の混乱する地球側に産まれていれば、機械に括り付けられて、枯渇するまで種馬生活だったかもしれない。
地球壊滅以降、連合では生存権を主張する人々によって、魔力者は星間船に不可欠な部品扱いだ。強制的に増やされ続けた結果、人類連合の魔力者は、質と量の何れもディーテ王国を上回るようになっている。
王国は人類連合の政策に危機感を抱いており、各貴族家でも魔力の維持と向上は、最重要課題の一つとなっている。3姉妹が競わされる所以である。
既に会食の用意は整っており、邸内にはフィリーネの両親、そして姉妹と弟の姿もあった。
会話の主導権は侯爵自身が握り、軽く一族の紹介があってハルトが挨拶を交わし合っている間に食事が運ばれてきた。
気を張り続けるハルトは、とても楽しくお食事をしましょうという気分にはなれなかった。
このような格式高い家に婿入りするのは、やはり不可能だと確信する。
彼は二度目の「帰って良いでしょうか」を飲み込むと、フィリーネに視線を向けた。するとフィリーネは、慎ましやかな微笑み返してきた。
態度やテーブルマナーについての簡易テストが終わった頃、ようやくカルネウス侯爵が本題を口にした。
「さて、ヒイラギ士官候補生。君は、我がカルネウス侯爵家の事情をフィリーネから多少聞いているそうだが、どの程度の理解をしているのかね」
侯爵の問いに、ハルトはフィリーネと確認し合った3姉妹の爵位継承争いと、その勝利条件を口にする。
「フィリーネ嬢の魔力は2万5733で、ドローテア嬢の魔力は約2万7040と伺いました。その差は相手男性の魔力で4000程度。すなわちフィリーネ嬢は、ドローテア嬢よりも4000以上魔力の高い相手を連れてくれば勝ちです」
「その通りだ。君の事は、多少調べた。王太孫殿下の約3万を越える最多魔力者。フィリーネが士官学校に入ったと聞かされた時には耳を疑ったが、こうして結果が出たのであれば何も問題ない」
侯爵はハルトに向けていた鋭い眼光を抑えて、同席するフィリーネを一瞥した。
「ありがとうございます。お爺様」
フィリーネは話の腰を折らず、軽く一礼をするに留める。
「君が3万強であるならば、ドローテアが連れて来なければならない相手は2万6000以上だ。上級貴族の一部には居ない事もないがな」
魔力2万6000は、王位の継承条件にも近しい魔力だ。
相当に厳しい条件であり、ドローテアの表情も硬くなる。
そのように状況を認識した侯爵家の人々に対し、ハルトは否定の言葉を述べる。
「いいえ、閣下。私の魔力は3万『程度』ではございません。パーソナルデータをお渡ししますので、皆様でご確認下さい。これは王国政府のみならず、王国軍で何度も確認済みの数値です」
眉を顰めた侯爵に対し、ハルトは端末を操作して自らのデータを送った。
さらに魔力値9万1150という自身の数値に加え、二組のカップルの間に子供が生まれた場合の魔力期待値も同時に送信する。
・ハルトとフィリーネの間に産まれる子供の魔力値。
第一子、2万1044〜8万4175。期待値3万7879。
第二子、2万0079〜8万0315。期待値3万6142。
第三子、1万9210〜7万6841。期待値3万4578。
・王国で魔力2位の王太孫とドローテアの間に産まれる子供の魔力値。
第一子、1万3890〜5万5560。期待値2万5002。
第二子、1万2876〜5万1504。期待値2万3177。
第三子、1万1963〜4万7854。期待値2万1534。
侯爵家の人々は、ハルトが送ったパーソナルデータと計算式を何度も見比べ、やがて自ら計算を始めた。
「侯爵位の継承に必要な魔力は、1万7280。ドローテア嬢は、魔力引き継ぎが低い場合にリスクが生じます。ですがフィリーネ嬢は、リスクが皆無です」
侯爵が口を開かなくなったため、代わってハルトが口を開いた。
「次代以降も、安泰でしょう。子供が2人生まれれば、継承の予備に回すなり、1人を他家に出す引き替えで他家からも高魔力の婿や妻を迎え入れるなど、様々な手段を講じられます」
侯爵は沈黙を保ったが、侯爵令息にして後継者であるフィリーネの父は、目を瞑ってゆっくりと頷いた。父の姿を見た長女ヨハンナは諦観の表情となり、長男ホルストは安堵の笑みを浮かべる。
「王太孫殿下は、王国で2番目の魔力値です。その魔力値でのシミュレーションでドローテア嬢との結果が出た以上、他の誰を連れて来ても、それ以上にはなりません」
ハルトが説明する一方で、フィリーネは衝撃を受けたドローテアにトドメを刺すべく、ハルトに寄り添って仲の良い恋人の振りをして見せた。
その効果は絶大だった。
混乱から立ち直ったドローテアは、紫の瞳を大きく見開き、憎しみで呪い殺すと言わんばかりの視線を向けた。殺意の視線を正面から浴びたハルトは顔を強ばらせたが、ドローテアに慣れているフィリーネは構わずに告げた。
「勝負は終わったと思うのだけれど、納得がいかなかったかしら」
鬼の形相を浮かべるドローテアは、誰が見ても納得していなさそうだった。
彼女は顔の筋肉と瞳を幾度も動かし、考えを巡らせた。そしてある瞬間に固まると、制止の言葉を紡ぎ出した。
「あたくしは、未だに誰も連れて来ていません。お姉様も魔力固定まで、ヒイラギさんをご存じなかったのでしょう。そのような前例もある以上、一方的に決め付けられても、不公平で納得いたしかねますわ」
強い口調で言い切ったドローテアは、決定権を持つ祖父に視線を向けた。
判断を求められた侯爵は、数秒沈黙した後に決定を下した。
「よかろう。ドローテアが魔法学院の高等部を卒業する4年後まで、爵位継承者の確定は待とう」
ハルトに匹敵する魔力者が4年以内に現われる可能性は、極めて低い。
2000万人に1人は両親から継承する魔力が2倍を超えるが、200万人しか居ない士爵以上の家でそれが発生する可能性は極めて低く、騎士以下が100倍の結果を出しても期待する魔力には届かない。
「「分かりましたわ」」
フィリーネは妹が諦めるための猶予期間と見なし、ドローテアは引き出せる上限と見なして、侯爵の決定を受け入れた。
もっとも勝負自体は、決まったも同然だった。少なくともカルネウス侯爵と侯爵令息は、既に次の展開を考えるような表情を浮かべている。勝者となったフィリーネも、安堵の表情を浮かべていた。
だがドローテアを侮ってはいけない。
彼女を煽りすぎると、フィリーネが連れて来た相手を略奪する場合もある。
その場合は、姉を選ぶよりも遙かに良い条件を出して相手を籠絡し、姉の落ち度を用意して正当性を作り、姉を追い落とす。
要するに、乙女ゲームにおける悪役令嬢の行動だ。
そして略奪した相手は、自分の障害と判断すれば容赦なく権謀術数で押さえ込み、場合によっては排除する。
明らかに計画を練るドローテアの瞳を、ハルトは必死に見なかった事にした。