47話 シャリーと精霊たち
酸の臭いが漂う部屋から、別室に移ったハルトは、30分ほど泣かれて慰めるという大変な思いをさせられた。
その光景を見ていられなかったのか、ハルトの契約精霊であるミラ、フルール、レーアが揃って現われて、総動員でシャリーを慰めたり、ハルトを貶したりした。
『婚姻外交する事になって、断れなくて辛かったですね。契約とは、お互いの合意によってのみ成立すべきだとミラは思いますよ』
ミラがシャリーの頭を撫でながら、ハルトに対しては強制した犯人へ向けるかのような抗議の目を向けた。
『故郷を見られないなんて可哀想。帰してあげられないのかな』
ハーフエルフの耳に妖精の羽を生やしたフルールは、妖精のように小さなサイズになって、心配そうにシャリーの周りを飛び回った。
『皆で家に帰してあげようよ。ハルトも、この娘が絶対欲しくて好きでどうしようもないって訳じゃないんだよね。だったら、この子は帰してあげて、別の子にすれば良いじゃない。出来るでしょう? うん。と言えーっ』
エルフ耳で周囲に緑の風が取り巻くレーアは、ハオランの元へ飛んでいきそうな勢いで、ハルトの服を引っ張ってきた。
精霊達が周囲で騒ぐうちに、シャリーは徐々に落ち着いていった。
やがて泣き止んだ彼女は、首を横に振って、情報端末の記録映像を再生した。それはシャリーが、父親のハオランに婚姻外交を指示された場面だった。
ハオランはシャリーに、ディーテ王国との国交樹立を目的とした使節団の一員に選んだと告げる。
シャリーは自分が引き籠もりだから無理だと拒んだが、ハオランは恐ろしい事を口走った。
『お前が天華外を拒むのであれば、天華6家内で、最も宋家のためになる相手を選ぶ。それが100年くらい独身で、色々と拗らせた変態大妖怪であろうと、天華内であれば文句は無いのだな?』
変態大妖怪の単語に、3体の精霊達がピタリと固まった。
硬直した精霊達の前で、ハオランの脅迫は続く。
王国へ派遣された後に戻ってきたら、両手両脚を縄で縛り付けた上で、変態の寝室へ婚姻届と一緒に放り込むと。
耳を疑うシャリーに、ハオランは容赦なく勧告する。
『私が悩んでいるのは、どの変態の寝室に放り込むかだけだ。なるべく濃い変態の方が、私に対して恩に着て、宋家のためになってくれるからな。それを心に刻んで、婚姻外交を選択するか、選択せずに変態の寝室へ放り込まれるか、いずれかを決めろ』
婚姻外交の中止を訴えていた精霊たちは、映像記録を見終わると無言になって、それぞれの表情でシャリーを眺めた。
外見年齢10歳の少女なミラは、諦観の眼差しを向けていた。
故郷を夢見た妖精のフルールは、瞳に故郷喪失の憂いを帯びている。
突撃しそうな勢いだったレーアは、焦点の合わない目で石化していた。
事前提出されていた資料によれば、シャリーは人口210億人の惑星で最難関の深城大学を18歳で飛び級卒業した才女で、環境学部で惑星循環システムを専攻した後、惑星環境構築団体の理事になったとされている。
美しい立体映像も送られてきたが、ピンクグレージュの髪と白い肌から、おそらくはケルト人をルーツとするアイルランド系避難民の遺伝子を取り入れた女性であろうと推察されていた。
深城を支配する宋家の後継者ハオランの4人しか居ない娘の1人であり、国王や王位継承権を持つ王子を出せない王国は、才女にして容姿端麗で高貴なシャリーに釣り合う相手を見つけるためにとても苦労した。
シャリーの相手が釣り合っていなければ、深城側が侮られたと怒り、国民感情の悪化から外交関係の悪化へと繋がりかねない。
結果として、一代で準貴族から侯爵まで成り上がり、魔力9万以上で、精霊結晶独占企業のオーナーで、シャリーと同い年の王国軍大将アマカワ侯爵という切り札を使わざるを得なかった。
それがシャリーの実態は、ゲーム好きでコミュ障の引き籠もりだったのである。彼女の経歴は嘘では無いが、見事に騙されて高く売りつけられた次第だ。
王国側も、立場が良くない国賊レアンドルの妹3人を厄介者払いで押し付けているため、この件に関しては完全にお互い様だが。
いずれにせよハルトには、最初から断る選択肢は無い。外交のためにも、上手く維持しなければならない立場だ。
「とりあえず分かった。ゲーム好きで、コミュ障の引き籠もりで構わない。第一夫人が王女で、第二夫人が公爵家令嬢だから、天華と無関係な公務はしなくて良い。ちなみに俺は、変態大妖怪ではない。それと俺もゲームは好きだぞ」
猫耳好き妖怪ではあるが。と、ハルトは心の中で付け足しつつ譲歩を示した。ハルトの話を聞いたシャリーは、都合の良い話に疑いの目を向ける。
口に出されずに問われたハルトは、質問の内容を勝手に想像しながら説明する。
「俺たちの関係は、両国の国民感情に影響する。つまりシャリーは、家で楽しく過ごすだけで仕事をしている事になる。こっちでも、王国と連合と共和国のゲームなら手に入る。金は予算を付けるから、何にでも自由に使って良い」
説明を受けたシャリーは、疑いの眼差しから、不安の眼差しへと変化したようにハルトには感じられた。言葉で説明してくれないために推察するしか無いが、良すぎる条件に困惑したのでは無いか。と、ハルトは勝手に想像した。
「とりあえず一緒にゲームでもするか。天華の戦略ゲームとか、戦争ゲームとか、持ってきたか」
「…………全部持ってきたけど」
「深城以外と戦争する予定だから、5国の戦力とか、艦種が分かる戦争ゲームで遊ばせてくれ」
「…………でも、あたし天華」
「今日からは、ディーテ王国のアマカワ侯爵家の婚約者で、未来の第三夫人だろう。それに王国が勝つ方が、5国と意見が割れた宋家は、見る目があった事になる。婚姻外交で王国に来たシャリーの立場も良くなる」
「…………王国の端末とは規格が合わないと思う」
シャリーは、手持ちのパーティバックからデータのストレージを取り出して、左手に取り付けている天華製の情報端末機と一緒に見せた。
するとハルトの隣から、ミラが機器を覗き込んできた。
『問題ないですね』
事も無げに呟いたミラは、何も持たない左手を握り締めて、ゆっくりと開いた。すると何も持っていなかったはずの左手に、濃い緑色に輝く精霊結晶が生まれていた。
精霊結晶を生み出したミラの行為に、ハルトは思わず目を見張った。精霊結晶は、ディーテ王国の首星ディロスでしか生産できない事になっている。必死に研究している科学者達が今の現象を目撃すれば、頭の中が真っ白になる事は疑いない。
ハルトは乙女ゲーム『銀河の王子様』の設定を思い出して、ミラに問い質した。
『俺が精霊結晶を介さずに、セラフィーナと直接契約したから、セラフィーナが精霊神の制約から外れたんだな。それでセラフィーナの領域に入ったミラたちも、精霊神のルールではなく、セラフィーナのルールが適用されているのか』
ハルトが精霊達に魔力で語り掛けると、3体がそれぞれの顔に笑みを浮かべた。
『ご明察ですね。精霊神様は、此方での御用を終えられましたから、事前の決め事に沿う限り干渉為されませんよ』
『そうか……いや、待て。制約が外れるなら、自意識や悪意の認識に乏しい下級精霊はともかく、中級精霊は契約者との契約を打ち切れるようになるよな。軍艦の操艦者や戦闘艇操縦者は、打ち切られるようになるのか』
『そこはハルトさんが困るでしょうから、セラフィーナが配慮していますよ。ハルトさん経由でセラフィーナと魔力が繋がっているミラたちを除けば、制約は維持されています。ハルトさんがセラフィーナに呼び掛ければ、いつでも外せますけれど』
『戦力が減ると、真っ当な契約者たちも死ぬ。ひとまず精霊神が課した条件を維持してくれ』
『ええ、大丈夫ですよ』
ハルトの依頼に頷いたミラは、次いで生み出した精霊結晶をシャリーに差し出した。
『天華と王国の情報端末は、基本原理が同じでしたよ。何も問題ありませんから、この精霊結晶を情報端末に付けて下さいねー』
「…………あの、これ」
「ああ、俺が持っていた在庫の精霊結晶だ。元々渡す予定だったから、使ってくれ」
困惑するシャリーに、ハルトは頷き返して精霊結晶の装着を促した。
王国側に所属した時点で精霊結晶は渡す事になっていたので、問題無いと言えば問題ない。ミラが出したのであれば、ミラの影響下にある精霊だ。ミラひいてはハルトが管理できる点においては、精霊王が生み出した精霊結晶を渡すよりも遥かに良い。
シャリーが恐る恐る精霊結晶を装着すると、金髪に褐色の肌をして、緑の杖を持って緑のドレスを身に纏った少女が現われた。一瞬だけダークエルフと見間違ったハルトだったが、現われた精霊の耳は人間風だったので、力はC級だろうと判断した。
D級以上の精霊結晶は、第一工場でしか作れないという前提の崩壊である。
『名前はクロエです。お手伝い出来ますので、色々言って下さい』
はにかんだクロエは、シャリーの情報端末とデータのストレージから情報を引き出すと、ミラと何らかのやり取りを行った。
するとハルトの情報端末に、天華製のゲームが送られてきた。
『これで一緒に遊べますよー』
クロエが宣言したとおり、シャリーとハルトの情報端末が繋がって、ストレージに入っていた天華製のゲームまでハルトの端末で起動された。
しかもゲーム内の使用言語は、天華語から共通語に自動翻訳されている。
「……え、嘘?」
「精霊結晶は、未来の技術と思ってくれて良い。契約した精霊は、契約者の言う事しか聞かないから安心してくれ。俺とシャリーが違う事を言ったら、その子は絶対にシャリーの意志を優先する」
但し精霊結晶には、生み出した者が様々な制約や制限を課せる。
精霊神の精霊結晶には様々な制約が課されており、ミラも同様に必要な制約を課したはずだ。ハルトが本当に困るような事は、基本的に出来ないはずである。
「…………王国、凄すぎ」
「王国じゃなくて、開発した博士が凄いんだけどな。それじゃあゲームで遊ぼう。俺の契約精霊たちもゲームで遊べるから、俺が居ないときは分体と遊んでくれ。それで、どんな戦争ゲームが良いと思う」
「……Galaxy Warシリーズとか。でも、参考になるか分からない」
「分かった。なるべく最新版が良いな。どれだ」
「……これ」
シャリーが甘い匂いを漂わせながら、ハルトの真横で端末の画面を指示した。
言われたとおりに操作すると、ハルトは天華6家の指導者の一人となって、ゲーム世界に降り立った。
発売は1年半前の西暦3741年10月だが、追加のバージョンアップで3742年3月の連合滅亡までの歴史が反映されていた。
プレイヤー達はゲーム発売の10年前にあたる3731年からスタートして、連合と王国の戦争に介入して征服を目指すというものだった。
「よく持ち込めたな」
ハルトが呆れるのも無理はない。
ゲームのオープニングから兵器情報を見ると、天華の各軍艦の性能や武装が詳しく載っていた。この手のゲームは、プレイヤーからリアリティが求められる。おそらく実際の仕様で、天華連邦の勢力圏内の宙域図も、かなり正確な物になっているだろう。
西暦3045年の深城入植から、700年に渡って一度も他国と戦争をしていないだけあって、軍事機密を保護する意識が低く、殆ど有りの侭の情報だった。
たった1度戦えば概ね分かるが、ケルビエル要塞司令官のハルトが第一撃の前にそれを知る事で、戦果は大きく変わる。
「……この話が来る前に買った。手提げバックの中に隠したオフラインのストレージまでは、見られなかった。船の中には、問題ないデータもある。そっちはチェックされた」
「そうか。これは凄くお手柄だったぞ。シャリーが情報を流したと知られたら深城は困るだろうから、これは秘密だ。対価は、俺がシャリーに相応の扱いをする事で返す」
「……うん」
ゲーム内のハルトは天華3位の新京、シャリーは出身の深城を選んで、戦争の準備を始めた。
まずは6国が有する天華外の国家魔力者を徴用する。
彼らは地球からの避難民で、避難した約400年前は「我々は天華の宗主国で、開発した故に権利を持っている」と主張して、天華に服従を求めたらしい。
そして天華が戦争で彼らに勝った扱いとなり、天華の水や空気を使わせる生存権と引き換えに、男性には30年の従軍義務、女性には指定遺伝子で4人出産が義務付けられた。
拒めば、天華の物を全て取り上げた上で、天華外へ放り出す……すなわち何も持たせずに宇宙空間へ放り出す実質的な死刑となる。
子孫達には、天華のために働くのが当然の教育をしており、軍艦にも天華外を暴力で従わせるアンドロイドが乗っているため、集めるのは容易だった。
それによって約20万の王国巡洋艦級魔力者が集まって、200個艦隊が編制できた。
天華の1個艦隊は、1000隻。
主力艦は、王国巡洋艦にあたる白城990隻。その他に、王国空母にあたる白山が10隻あって、合計1000隻で1個艦隊が編成される。
旗艦は、天華人民が動かす戦艦級の龍勝で1000隻の枠外。また国内警備用に、非天華が動かす石城と呼ばれる駆逐艦級も存在する。
戦闘艇は、雲浮と呼ばれており、空母1隻につき150艇が搭載できる。操縦者は、軍艦を動かす艦長級から落ちた天華外の国家魔力者たち。戦闘艇のサイズは王国や連合の旧戦闘艇と同規模で、合わせているのだと推察された。
王国の1個艦隊が戦闘艇5000艇なので、天華の1個艦隊1500艇は少ないように思われたが、200個艦隊20万隻も投入すれば戦闘艇30万艇になり、充分過ぎた。
戦争するまでも無く、天華が1国でも介入すれば、当時の王国と連合を併呑して勝ちとなる。天華の巡洋艦を王国の7割程度の戦力評価と見なしても、天華の1個艦隊は王国の1個艦隊よりも強いのだ。
ゲームは、いかに他の天華5国を出し抜いて連合と王国領を奪うかが勝負となっていた。少ない損害で最大の成果を挙げれば、ポイントも高くなる。
「もしかして、天華同士で牽制し合って介入が遅れたのか」
「……天華は、国家魔力者が増えているから、いつでも勝てると思っていたかも。足りなければ、前世代の国家魔力者を再徴用したり、出産を終えた女性国家魔力者で石城を動かしたりすれば、数が増やせるし」
シャリーの説明を受けたハルトは、天華の考え方に納得した。
精霊結晶というイレギュラーさえ発生しなければ、天華はいつでも王国を飲み干せた。
但し、天華が深城から6国に分かれたように、遠方星系を獲得しても7国目や8国目が増えるだけなので、支配者の6家にメリットは乏しかった。
深城が地球から独立し、さらに6星系に分かれた歴史や、今回5国と深城で意見が割れたように、天華は1つに纏まる事に難が見られる。天華の元となった地球時代の国を見ても、歴史的には何度も分裂していた。
さらに技術が発展して、恒星系間の移動時間が短くなれば、併合に動いたかも知れない。だが本来であれば、未だ併合に動き出す時期では無かったのだろう。
「……王国が負けたら、あたし困る」
「天華の国家魔力者120万人と、王国の精霊結晶装着者120億人。両勢力には、動員可能な魔力者に1万倍の差がある。巡洋艦と戦闘艇で戦力評価に100倍の差があっても、人数差を考えれば王国が100倍強い。だから深城は、王国と不可侵条約を結んだんだろ」
「……勝てるの?」
「勝てる。ディーテ王国は、怒ると艦ごと敵惑星に突撃する集団だぞ。人類国家の中で、一番敵にしたくない連中だ」
太鼓判を押したハルトだったが、戦闘艇900万艇だけで巡洋艦120万隻を止める自信は無かった。マクリール星系がセラフィーナの管理領域だとしても、まだ足りない。他の星系で戦うなら、天華製のゲーム通りに王国はボロ負けだ。
ハルトは戦争ゲームを続けながら、並行して自らの精霊たちに魔力で話し掛けた。
『精霊神の制約から外れるなら、生物の居住惑星に溜まった瘴気を浄化してエネルギーを吸い取って力を溜めれば、この星系では精霊王に昇格も出来るよな。昇格は拒まないと考えて良いか』
ハルトが視線を合わせた3体の精霊達は、一様に困惑した表情となった。その中で代表して返答したのは、ミラだった。
『ミラはベジタリアンなので、知的生命体が住んでいる惑星は食べませんが、フルールとレーアは大丈夫です』
『そうか。それなら工作艦の一部を使ってケルビエル要塞に20個、突入用の耐熱コーティング処理を施した、直径1キロメートルのタングステンを入れておく。フルールとレーアは、10個ずつの突入用天体に魔力を注いでくれ』
ハルトの依頼に含まれる文言に、ミラは首を傾げた。
『ところでハルトさんは、知らないはずの事を知っていますね。セラフィーナが話していない事は知っています。それでは一体、誰が教えたのでしょう』
『ところでミラは、精霊王セラフィーナに様付けしないよな。精霊は、上位の精霊を様付けで呼ぶはず。つまりミラは、精霊王級の力を持つが、ベジタリアンだから昇格の引き金は拒んでいるってところか。まあ、同じ精霊王でも力の差は幅広いけどな。ミラは、かなり上の方だろう』
『ふふふ。ハルトさんがお持ちの情報は、もしかすると持参金として受け取れるかもしれませんね』
婿入りしない派のハルトは、ミラの冗談に肩を竦めて見せた。