46話 使節団
高次元空間からのワープアウトは、1億光年から1光秒に視野を狭める光景に似ている。
100億光年から視野を狭める時は、最初に無数の銀河という膨大な光点が存在し、その光溢れる川を流れながら、数え切れない銀河を次々と追い抜いていく。
それが人間の目には見えるが、理解は全く出来ていない高次元空間だ。
その流れを進んでいくと、彼方へ消えゆく数多の銀河と、新たに視界へ入る銀河との中に、目的の天の川銀河という光点が見えてくる。
100万光年で小さな円の出口が映り、10万光年で大きく広がり、1万光年で数千億の恒星の光に飲み込まれる。それが高次元空間における、第1段階の出口を突破した瞬間だ。
第1段階の出口を出た瞬間、視界の全てが光に飲み込まれる。
やがて周囲が暗くなっていき、1000光年を切った頃には懐かしい宇宙空間の暗闇と、それを静かに照らす周囲の恒星系が見えてくる。
これが高次元から少し次元が落ちた、中次元ともいう空間だ。
100光年に達するまでに複数の恒星にも似た光の何かを追い抜いていき、10光年の視界で人間が認識可能な世界に入ってくる。
第2段階の出口は、1光年未満に達したところからだ。
中次元と、人類が存在する通常次元との狭間とも言うべき世界に入った後は、おそらく本物の恒星であろう眩い魔素の塊を追い抜きながら進み、視界が小さくなっていくうちに、やがて人類の知る通常宇宙空間にワープアウトする。
高次元や中次元に存在する光の全てが銀河や恒星で、それらに触れれば艦など簡単に消し飛んでしまう。また広大な高次元空間で、目的地である出口を見つける事も難しい。だから矮小な人類は、未だに分不相応な長距離のワープが出来ないのだ。
「ワープアウトしました。恒星マクリールを確認」
艦長の報告を受けた宋家の指導者ハオランは、恒星系外縁天体群の先に、眩い光を放つ恒星マクリールを見出した。
映像資料であれば、マクリール星系を目にした事は何度もあった。だが1年前までは、実際に訪問する事までは想像だにしなかった。
天華に対して地球からの束縛が残っていた時代、地球側で入植が行われたマクリール星系は、人類にとっては中々に優れた恒星系だった。
地球由来の生物が、別惑星の現住動植物を摂取すると、往々にして変調を起こす。そのリスクを加味した事と、地球側との争いを避けるために天華は手を出さなかったが、マクリール星人は強かに環境適応した。
5国がマクリール星系を獲得した場合、マクリール星人は天華の人権が適用されない天華外に加わる。分配は5国で5等分として、星系自体は誰が管理するか。ハオランは侵攻の音頭を取っているユーエンを思い浮かべたところで、我に返って艦長に指示を出した。
「ディーテ王国に到着の連絡を送れ。その後、星系内の魔素反応を索敵。王国の展開戦力を把握しておく。星系内も光学観測しろ」
「了解しました」
指示を命じてから程なく、ディーテ王国のマクリール星系方面軍と通信が繋がり、国交樹立式典は第2惑星ウイスパの衛星フラガで行う旨の連絡があった。星系への進入許可が出され、ハオラン達の艦隊はマクリール星系内へ進んでいく。
艦隊が星系内部へ進むにつれて、メインスクリーンに映る魔素変換光が増えていく。
戦闘艇らしき膨大な光の洪水が、天の川となって星系内を流れている。その中にケルビエル要塞と思わしき巨大な光が輝いており、ハオラン達はその光を目指した。
衛星フラガに達するまでに観測した戦闘艇が、旧連合亡命者の資料とは大きく異なっていたが、それは予想の範囲内だった。国交を樹立する相手が、自軍の弱点にまともな対策を行える国であったことに、むしろ深城側は安心したほどだった。
やがてハオラン達は、連絡を受けた衛星フラガに入港した。
式典会場となる衛星フラガは、直径900キロメートルの内側に岩石の核と液体の水の下部マントル、氷の上部マントルを有し、表面は粘土鉱物の自然天体だ。重力は0.03Gで、重力を持つため球体になっている。それをマクリール星人が、惑星内外の資源を集める大型貿易港に改造して使っていた。
大型貿易港の役割を持たされていた衛星フラガの内部には、マクリール星人の手によって、立派な式典会場も造られていた。
マクリール星人のルーツは、地球のオーストラリアとニュージーランドだ。マクリールには、両国に入植したイギリス文化も入っており、式典会場はヨーロッパ文化が色濃く出ている。
選ばれた式典会場は、イギリスを由来とする美しいガーデニングが目を楽しませる自然豊かな、宇宙空間としては極めて贅沢な空間になっている。植物の大半は地球から持ち込まれたものだが、黒い芝生はマクリールの原生植物の遺伝子と、地球の芝とを掛け合わせた人類の手による新種だ。
煌びやかなシャンデリアや、インテリアとしての豪華な燭台など、式典会場は目を楽しませる装飾には事欠かない。
だが管弦楽団や歌姫は、残念ながら人間ではなくアンドロイドだった。
現在、衛星フラガの表面は、星系方面軍の工作艦300隻と、ケルビエル要塞の工作艦200隻によって、軍事要塞に大改装中である。
内部も大幅に拡張されて、核融合弾の製造工場が設置され、膨大な核融合弾が配備され、全エリアに無人兵器群や戦闘ドローンが埋設され、数百万の軍用アンドロイド兵が行き交っている。
また無人で戦わせるにも拘わらず、アマカワ大将の命令で何故か大量の魔素機関、質量波凝集砲、防護膜発生装置、推進機関が衛星フラガに取り付けられた。
いずれにせよディーテ王国は、マクリール星人を衛星フラガから完全に締め出しており、式典後は激戦地の一つにする予定だ。そのため色取り取りの美しい花はあれど、ドレスで着飾った女性という花までは用意されていなかった。
それでも軍服を着た花だけは、極一部に存在していた。その代表であるディーテ王国第一王女ユーナが国交樹立の書類にサインを行い、深城代表のハオランもサインを交して、両国の国交は樹立したのである。
「この度、王国と深城との国交樹立が叶いました。わたくしたちは発祥の地を共にし、祖先たちは交流していました。であれば、わたくしたちが交流出来ない道理はありません。800年の時を経て、再び手を携える事を嬉しく思います」
王国代表の第一王女ユーナが、国交樹立を歓迎する旨の宣言を行った。すると深城代表のハオランも、国交樹立を歓迎する宣言を返す。
「我々は、祖先に血の繋がりを持つ。遠くはあるが、未知の存在ではない。互いに最悪の手段を選ぶ以外にも、より良い選択肢があると確信している。私は深城代表として、王国との国交樹立が互いの選択肢を増やすものとして歓迎する」
代表者同士による調印式と宣言、さらに代表同士の友好的な握手によって、王国と深城との国交は樹立された。これで5国との戦争を控えた王国は、フロージ共和国よりも巨大な人口210億の国家を、追加で敵に回さずに済む。
王族としての初公務にも拘わらず、あまりに重大な役割を与えられた第一王女が見事に使命を果たした事に、緊張と共に見守っていた王国側の列席者たちは深く安堵した。
式典会場の緊迫した空気が解けていき、やがて休憩を挟んで開かれた記念パーティは、先程とは打って変わって和やかな雰囲気で進行した。
勿論パーティも、単なる会食ではない。
両国の調印文書には記されなかったが、事前交渉で婚姻外交も行うと定められている。保険的な意味合いも含めて、両国からは3名ずつが選出された。
王国側からは、前王の孫娘で現王の姪3名。
深城側からは、国王にあたる現当主の孫娘3名。そのうち1名は、王太子にあたる後継者ハオランの娘でもある。
いずれも有力者に嫁ぐとされており、王国側は国王の娘婿で侯爵のハルト、国王の妻の実家であるオルネラス侯爵家の令息、元第二王子であった国王の兄の息子が最終候補に選ばれた。深城でも、ハオランの息子を含む宋家当主の孫3名が選ばれている。
ユーナ第一王女が退出した後、ハルトは相手であるシャリーを紹介された。
シャンデリアの光の下に現われたシャリーは、彼女自身が芸術品であるかのように輝いていた。美しく結い上げられたピンクグレージュの髪は、毛先が滑らかに流れながら艶やかな色彩を放つ。
赤子のように潤った綺麗な白い肌が、繊細な装飾を縫い込まれた紫のドレスに映えている。
衣装は女性らしい曲線を浮かび上がらせていたが、やや子供らしいデザインをした銀の腕輪型の情報端末機と、結い上げた髪を結んでいる大きなリボンが、若い彼女に残る少女らしさを際立たせている。
出立前のヴァルフレートは「余程の醜女であれば、断っても良い」と告げていたが、ハルトは断りようが無いと白旗を上げざるを得なかった。
「宋家の佳丽と申します」
一輪の花が咲くような自然な会釈に、ハルトも優雅に一礼して名乗り返した。
「ディーテ王国において、侯爵位を預かるハルト・アマカワです」
2人の様子を険しい表情で見ていたハオランが、ハルトに声を掛けた。
「アマカワ侯爵、我が娘シャリーは、私が箱入り娘として育ててしまい、人に不慣れな面がある。教育の不手際は誠に申し訳ないが、感情表現が上手く出来ないだけで、本心では貴公を嫌っているわけでは無い。それだけは承知置き願いたい」
「は、はぁ。畏まりました」
全く不慣れそうに見えなかったハルトは困惑したが、日本人をルーツとする人々の基本所持スキル『空気を読む』を発動して、とりあえず同意した。
するとハオランは多少目尻を下げて、個別会談用に設けられたいくつかの談話室に視線を向けた。
「父親が同席していては、思うように会話も出来ないだろう。私は他も見なくてはならぬ故、後は侯爵にお任せする。シャリー、アマカワ侯爵に従って付いて行きなさい」
「あ、あの、お父様」
シャリーは口元を引き攣らせながら、必死に目を見開いて父親に視線で何かを訴えた。
そんな娘の表情をじっくりと観察したハオランは、ハルトに向き直って言葉を足した。
「時にアマカワ侯爵、この度の婚姻についてだが、侯爵はシャリーを迎え入れてくれると言う事でよろしいか」
「はい。本国においては、我が主君である国王陛下も、臣に対して迎え入れるようにと勅命を下されました。私もお会いして、かように可憐なシャリー嬢をぜひにと望むものであります。私の婚約者が第一王女殿下であります故、第一夫人としてお迎えできない事は、誠に申し訳なく存じますが」
今さら決定事項に不満を述べても、意味が無いどころか悪手でしかない。
ハルトはスラスラと社交辞令述べつつ、ハオランの事実確認を肯定した。
そしてハルトに説明された内容は、ハオランも事前交渉で了解済みだ。ハルトの口から直接説明された彼は、真面目な表情で頷いた。
「王国の侯爵たる卿が、先約のあった第一王女を差し置いて他国の娘を正妻に迎え入れれば、両国の友好にヒビが入る。婚姻外交の目的は、両国の友好関係の構築だ。大切に扱って頂ければ、それが両国の友好にも繋がろう。改めて娘をよろしく頼む」
「承知致しました。決して粗略には致しませんのでご安心下さい」
ハルトから言質を取ったハオランは頷き返し、次いで固まる娘を毅然と眺め、もう行けとばかりに談話室へ視線を投げてから踵を返した。
その様子を見ていたハルトも、流石に違和感を覚えた。
当初のハルトは、シャリーの外見と最初の挨拶で完全に第一印象を作ってしまい、「箱入り娘、人に不慣れ」等の単語は、単なる謙遜だろうと誤認していた。
だがシャリーは、ハオランに向けて捨てられた子犬の表情をした後、ハルトに笑顔ではなく、引き攣った笑みを向けてきた。
彼女の表情からハルトが連想したのは、「取り返しの付かない致命的な失態を犯して、本心からどうして良いか分からずに、一縷の望みを掛けてどうしたら良いか問う」心境だった。
初対面で、詳しい説明もされず、そんな事を問われても答えようが無い。
再び基本所持スキルを発動したハルトは、一先ず談話室へと促した。
「取り敢えず談話室に行こうか。飲み物もあるし、周りもこちらをチラチラと見てこないから」
「あの……吐きそう……」
「はぁっ? いや、待て待て、それは外交的にマズイ。早く談話室に入るぞ」
「う゛う゛う゛」
「止めろ、マジで、ちょっと我慢しろ」
ハルトは脇目も振らず、シャリーを引っ張って談話室に連れ込んだ。
出会ったばかりの女性を部屋に連れ込むなど、後で何を言われるか知れたものでは無いが、婚姻外交が嫌で吐かれたと噂されるよりは遥かにマシだろう。
即断即決したハルトの甲斐あって、シャリーは国交樹立の記念パーティ会場で吐くという不名誉は免れた。
「う゛え゛え゛え゛え゛っ」
談話室の隅で呻り声を上げる婚姻外交相手に、ハルトは「どうしてコレが来た」と、遙か彼方の国王に向かって抗議の思いを何度も飛ばした。