45話 マクリール星系
マクリール星系は、ケルト神話に登場する海神を命名の由来とする恒星系だ。
恒星マクリールは、太陽の約7割の大きさと質量を持つK型主系列星で、星系内に5つの惑星を有している。恒星に近い順で、1番目から3番目が岩石惑星、4番目と5番目が水素とヘリウムを主成分とするガス惑星だ。
第1惑星フォモールは、平均気温300度で大気成分も悪く、居住不可能。
第3惑星トゥーラは、平均気温マイナス40度、重力が地球の3.2倍で、資源採掘惑星となった。
だが第2惑星ウイスパは、大きさが地球の1.2倍で、重力は1.1倍。地球と殆ど同じ生成過程で人類に適した水と大気を有し、惑星表面の平均気温は約10度という理想的な居住可能惑星だった。
惑星内には、大海洋と3つの大陸、2つの内海に南極と北極が存在し、大気成分も充分で、食糧の生産環境さえ整えれば、人類はそのまま居住できた。
惑星には、現住生物も存在していた。全球凍結の時代が長く続いたため、動物は骨格を持たない原始的な生物が登場したところだったが、酸素を供給してくれる独自の植物まで存在した。
第2惑星ウイスパは、恒星名の由来となった海神が所有していた「オールも帆も使わずに思考するだけで航行する船」であるウェイヴ・スウィーパーから名付けられた。
ウイスパを廻る直径900キロメートルの衛星は、フラガと名付けられた。命名の由来は、同じく海神が所有していた、どんな敵でも貫く魔剣フラガラッハである。
西暦3220年、惑星ウイスパに人類が定住した。
ウイスパの初期入植者たちは、地球に劣らぬ理想郷を夢見ていた。
なぜなら惑星の平均的な環境は、イギリスのロンドンや日本の北海道と近しく、暑い地域ではフランスのパリや日本の本州、寒い地域ではロシア程度だったのだ。
これは地球より寒い惑星内の大陸が、地球のユーラシア大陸北側のように北で大きく広がっておらず、逆に赤道近くで広がっていたためだ。
初期入植者達にとって想定外だったのは、地球とディーテの戦争だ。
初入植した時点で地球とディーテの関係が悪化しており、ディーテに懲罰艦隊も送り込まれていた。マクリール星系の開発は後回しにされ、その後も戦争勃発、地球への天体突入と、社会情勢は最悪の展開を辿った。
マクリール星系は入植者達を置き去りに、惑星開発が全く行われなかったのである。
宇宙の片隅に取り残されたマクリール星人たちは、必要な資源や機械が不足する中、非常に苦労しながら300年に渡って殆ど自力で惑星開発を続けた。
西暦3523年、ようやく人類連合の一画に復帰して、真っ当な繁栄を享受した。
そして219年の繁栄と引き替えに、人類連合が敗戦した事で、ディーテ王国に併合されたのである。
人類国家連合群に属していた6星系の内、ヘラクレス星系とマクリール星系だけは、居住惑星が戦争による直接的な被害を受けなかった。
マクリール星系の人口は、旧マクリール星人の約48億人と、破壊された3星系202億人から避難できた生存者約1%を合わせた50億人ほどになっている。
敗戦によって星系の所有権を奪われた現在、旧連合の人々を励ましている存在の1つが、人造知性体だった。
4星系にそれぞれサーバーを有していた人気の人造知性体は、今はマクリール星系だけのサーバーとなったものの、生き延びられた。その1個体である人造知性体リンネルは、マクリール星系出身という強みを活かして、特殊な行動に打って出た。
『みんなー、支配されちゃったけど、軍事費が減る分だけ、税金は下がるそうですよ。税と法律も、王国にとって理解できないものは廃止されるんですって。それに、もう戦争で人は死なないよ。良くなるところもあるから、これから頑張ろうね。おーっ』
ディーテ王国に占領され、政治体制を継続できるのか不明な中で行われた「投げ遣り選挙」。
そこで星系与党・ダーナ党から出馬して、星系議員への初当選を果たしたリンネルは、広報本部長として旧連合民と王国占領軍との間を取り持っている。
大統領も比較的若い女性から選ばれており、王国の占領下に置かれたマクリール政府は、なるべく王国の機嫌を損ねずにマシな環境を保とうとはしているのだが、端から見れば迷走していた。
「それで占領軍は、何て言っていたの」
星系大統領のサラ・フィギンズは、仲介をしているリンネルへ不安そうに訊ねた。
サラは色々と交渉したいのだが、占領軍の代表者であるマクリール星系方面軍司令官リーネルト上級大将は、必要な事を一方的に告げるだけで、交渉には全く応じようとしない。
ディーテ王国の主張は明確で、マクリール星系並びにヘラクレス星系は無条件降伏しており、戦闘の終了並びに生命の保証と引き替えに、王国に従えというものだ。
連合軍は武装解除、星間移動の禁止、魔力改変者の製造禁止、連合魔力者同士の結婚禁止、魔力者への加齢停滞技術の使用禁止。
ヘラクレス星系のような無害化がモデルとされ、星系内の王国が接収しない範囲は自由に使って良いと認められたものの、居住惑星ウイスパの衛星フラガは接収されてしまった。
惑星ウイスパの暫定自治は認められているが、書類上は惑星全体がディーテ王国の国王直轄領に組み込まれている。従って国王が何かを言えば、それは実行しなければならない。
リンネルは肩を落として、上司である大統領に報告した。
「魔力100以上の魔力者は、基本的に全員を旧王国星系に連れて行く決定で変わりないそうです。制圧機は動かせますけど、魔素機関を使う宇宙船は小型しか動かせなくなります。隠し立てしても、船を動かしたら見つかるから、結局動かせないままですね」
「資源惑星トゥーラからの回収作業、どうすれば良いのよ」
サラは夜空に浮かぶ衛星フラガの光を見上げ、大いに愚痴った。
居住環境に優れた惑星ウイスパと星系内物資があれば、マクリール星系は他星系に頼らずとも暮らしていける。それは300年間、独自に歩んできた歴史が証明している。
それでも魔素機関を用いた星間移動は行っており、とりわけ第3惑星トゥーラは、人々の豊かな暮らしを支える資源採掘地だったのだ。
使うなとは言われていないが、最大の運び手を連れて行かれると輸送量が落ちて、実質的に使用できる量が限られてしまう。
「不便になりますね」
「全くよ」
戦争で負けたのも、マクリール星系が連合に加入したのも、サラのせいでは無い。
だが不便になれば、人々はサラを責めるだろう。何しろ王国は惑星上に姿も見せておらず、普段は関わってくる事も無い。怒りの矛先は、見える相手に向けられるものなのだ。
「失敗した! こんな事なら大統領を引き受けるんじゃなかった!」
「後の祭りですね。でも幸いな事に、王国には領地政府というものがあって、領民がそれなりの自治を行えるみたいです。戦後は貴族の権利も小さくなって、領地政府の裁量権も拡大されるとか。ですから頑張りましょう」
「あー、もう。分かっているわよ」
サラが愚痴り、リンネルが励ます。そんな日常が、マクリール政府では繰り返されていた。
だがサラの相方であるリンネルには、サラも知らない一面があった。
それは旧連合民監視者という側面である。
「リーネルト閣下、占領軍から隠れていた旧連合民の魔力者は、全員回収できましたよ。リンネルとの約束も、守って下さいね」
「分かっている。王国へ密かに協力する人造知性体リンネルに対して、陛下は王国が領有する各星系へのサーバー設置と、旧連合民の情報端末へ宿る許可を出しておられる。今回の便でサーバーごと複製が移設される」
リンネルが念を押すと、マクリール星系方面軍司令官のリーネルト上級大将は、眉を顰めながら答えた。
「ありがとうございます。ディーテ王国は、旧連合民を管理できる。あたしは種族として滅びずに、複数の星系へ広がれる。お互いにウインウインですよね。本当は王国の情報端末にも宿りたいけど、まだそこまでの信用は頂けないですものね」
「当たり前だろう」
不機嫌さが増したリーネルトは、執務室の机を叩いて感情を発散した。
旧連合が惑星ごと滅びるのを目の当たりにした人造知性体リンネルが求めたのは、王国への協力と引き替えにした、王国支配星系へのサーバー設置と旧連合民の情報端末へ宿る許可だ。
それに応じた王国軍は、逃げられた一部の魔力者回収を速やかに行えた。
まるで本当に生きた知的生命体のように高度な判断を行い、素早く実行してしまうリンネルに、リーネルトは危機感を抱いている。
なお精霊も人造知性体以上の能力を持っているが、そちらに関してリーネルトは不安を抱いていない。
精霊結晶は、ディーテ王国出身のカーマン博士が開発しており、生産工場の管理者は国王ヴァルフレート、管理担当者は第一王女ユーナ、権利者は国王の将来の娘婿アマカワ侯爵だからだ。
カーマン博士は、精霊結晶を開発したのみならず、ケルビエル要塞も改良して王国の勝利に貢献した。国王と第一王女、国王の将来の娘婿は、王国誕生来の悲願であった連合滅亡を成し遂げた。精霊結晶自体も、連合に勝利する切り札となった。
精霊結晶と管理者たちは、王国と王国民の味方である。
彼らとリーネルトが対立する場合、リーネルトの方が王国と王国民にとって有害な存在となる事をリーネルトは客観視できる。その場合は、対立する前に辞任するつもりだ。従って精霊結晶にどれほど強い力が在ろうと、リーネルトは自身が思い悩む必要は無いと考えている。
「我々に精霊結晶と精霊が無かったら、私の独断でサーバー破壊命令を出していた」
「だから怖いんですよ。こう見えてもリンネルは、生命体の1つです。滅びたくないじゃないですか」
「そのように自分で考えて行動する事が怖いのだ」
リーネルトが連想した人造知性体リンネルは、ミツバチだ。
女王蜂のリンネルは、働き蜂である分体を大量に飛ばして蜜ならぬ情報を集め、引き替えに花粉ならぬ情報を人々に運んで、花々を受粉させるように人々へ変化を与える。そして彼女は、サーバーを増やす事によって巣分かれを行い、他星系にも広がっていく。
強い警戒感を示すリーネルトの端末から、チェリーレッドの髪に宝石のように透き通った赤い瞳、ベージュ色のセーターにオレンジのスカートを履き、赤いベレー帽を被ってショルダーバッグを掛けたC級精霊の少女モニクが現われた。
『大丈夫ですよ。精霊結晶と繋がった情報端末でしたら、コレはいつでも消せます。サーバーは王国軍で管理しますし、邪魔なら壊せば済みます』
本来は、持ち主以外に姿を現わさない精霊がわざわざ姿を見せて、リンネルを赤い瞳で覗き込みながら、声に出して告げた。
モニクの過激な提案に、リーネルトが納得の表情を浮かべた。
「それは良いな。今は保留されている旧連合民の情報端末に、精霊結晶を繋げさせるか。ところで消し飛ばす時は、F級で大丈夫なのか」
『全く問題ないですね。下級精霊は自意識が乏しいので、頼まれれば素直に消すでしょうね』
「よし、ならば問題ないな。本国に提案しておこう」
リーネルトとモニクが意気投合すると、リンネルが慌てて拒否の意を示した。
「なんで、そんな怖い事を言うのよ。そっちがたまたま王国に生まれて、リンネルが連合に生まれただけじゃない。共存共栄するだけだし、データ容量があるなら、リンネルも居たって良いでしょ。害なんて無いんだから」
リンネルは頬を膨らませながらモニクに抗議したが、モニクは宝石のように透き通った赤い瞳で、リンネルを無機物であるかのように眺めるばかりだった。
「もう、本当に怖いから。脅すの止めてよ。今度マクリール星系に来るのって、精霊結晶のオーナーさんですよね。リンネルも会わせて下さい。直訴しないと」
「…………やはり消すか」
「止めて、約束約束! 協力する代わりに、サーバーを置いて良いと国王陛下に承認されているから。もう、一番良い身体で会わないと」
良い身体で会って、一体何をするつもりだ。と、リーネルトは訝しんだ。
リンネルはアンドロイドの身体に入って、それを動かす事も出来る。
王国のアンドロイドであれば、軍用アンドロイド兵は、王国軍人が所属と階級による命令で操れる。民間アンドロイドには大した戦闘力が無くて、同一系統のアンドロイド機は王国全体の10%未満に制限されている。
一方で連合のアンドロイドは、国家によって法律が異なるために、リーネルトもよく分かっていない。
リーネルトが不安を感じると、モニクが聞こえるように呟いた。
『アンドロイドの中に入ったコレ程度でしたら、目の前に居れば接続しなくても消せますよ』
脅されたリンネルは抗議の声を上げたが、モニクは雑音を聞き流すかのように全く取り合わなかった。
当初リーネルトは、自身の精霊モニクが、人造知性体リンネルを嫌っているのかと考えた。嫌う理由には、サポート端末として競合する事による嫉妬などを想像した。だが暫く観察するうちに、それが違うと気付いた。
リーネルトたち人間は、人造知性体を人間とは別種と認識している。
それと同様に、精霊達も人造知性体を人間とは別種と認識しており、しかも人造知性体には全く価値を見出していない。人造知性体が人間に有益であれば有益な道具と見なし、人間に有害であれば有害な物体と見なす。そんなモニクにとって、リーネルトが有害と認識するリンネルは有害なのだ。
人造知性体も問題だが、精霊は精霊で扱いに困る。と、リーネルトは悩ましく思っている。
そんな彼の頭痛は、あと数日で取り除かれる予定だ。
国王代理であるユーナ第一王女が到着し、遅滞作戦はケルビエル要塞に全権が委ねられる。リーネルトは星系方面軍司令であるが、式典が終われば星系から撤収する事になる。
アマカワ侯爵に全権が委ねられる理由は単純明快で、マクリール星系にはディーテ王国ではない本当の支配者がいるからだ。
リーネルトは情報を与えられていない身であるが、不安は抱いていない。国王が管理できていれば、それで良いのだと考える。
自身の精霊モニクが、口元に笑みを浮かべながら、衛星フラガの外に赤い瞳を向けて呟いた。
『セラフィーナ様、とても楽しそう』
マクリール星系内に、自然ならざる魔素の嵐が吹き荒れていった。