42話 ハルトの日常
ディーテ王国の暦は、地球時代の歴を引き継いでいる。
惑星自転が28時間の首星ディロスは、1日が28時間だが、1ヵ月を26~27日とする事でグレゴリオ歴に合わせている。
経済活動の観点から、1週間を7日とする週休二日制も続いている。土日に営業しても、他社が休んでいるため取引が出来ず、子供の幼稚園や学校も休みなので従業員も付いてこない。そのため企業も休みにせざるを得ない。
首星の王国軍も、平時は一般企業と同じく土日が休みだ。
王国歴442年6月より首星配属となった王国軍大将のハルトも、大多数と同様に週休二日制で働いている。
平日のハルトは朝6時に起床し、7時過ぎに出勤する。
軍は飛行車輌の専用空路を何本も持っており、ハルトは将官専用空路を利用できるため、自宅から1時間以内には職場に入って、9時から勤務を行っている。
通常業務は18時に終わり、時間外に会議や会合、委員会や検討会などが入り、20時くらいに終わる。なお管理職なので、時間外手当は出ない。金銭的には困っていなくとも、時折残念な気分に陥るのは、準貴族出身のハルトが小市民根性を持つからだろう。
ハルトの階級である大将は、王国軍でも指折り数えられる上位者だ。
大将の上には、元帥1人と、上級大将4人の合計5人しか存在しない。しかも連合打倒の論功行賞でヴァルフレートに次ぐ2位となったハルトは、大将としての序列が先任を除いて一番高く、16人中10番となっている。
だがハルトの役職は副長官で、残念ながら長官という上司がしっかりと居る。
ディーテ王国は、政府に軍務省という省があり、その政府機関の下に、軍政庁、参謀庁、司令庁という三つの庁が置かれている。王国軍三長官とは、三庁の長官たちだ。
軍政庁は、総務、法務、会計、企画、技術開発などを所管している。
庁内にある技術開発局の精霊結晶部長がユーナで、企画局はサラマンダー計画を進めており、財政局は会計監査部などを置いている。
参謀庁は、人事、教育、管財などの人・教育・物を所管している。
庁内にある教導局の第三教導部長がフィリーネで、人事局は人事を所管し、管財局は軍艦や備品を所管し、教育局は士官学校や専門学校を所管している。
司令庁は、実戦部隊の運用を所管している。
庁内にある司令局には総司令部、治安局には憲兵部、星系局には方面部などがあって、王国軍実動部隊に指示を出している。
三庁の序列は軍政庁、参謀庁、司令庁の順であるが、ヴァルフレートが1人だけ上級大将に昇進したロキ星域会戦時は、司令庁が最優先された。戦時の例外的な優遇は、ヴァルフレートが司令長官から最高司令官に上がるまで続いた。
これら三庁の副長官を歴任させられるのが、今後のハルトの予定である。
三庁の副長官を歴任すれば、王国軍の全てを掌握できるようになる。その後は、いつでも三長官に取って代われるようになる。
国王ヴァルフレートは、実娘ユーナの娘婿であるハルトを、軍における自身の代理人に育てようと図っているのだろう。と、ハルトや周囲の軍人は考えている。そのためハルトには、詰め込み教育が行われているのだ。
戦前であれば、長い年月でパターン化された仕事をすれば良かった。
だが連合との戦争再開による軍組織の再編、連合降伏による支配領域の倍増、それに対応する軍の再々編が立て続いた結果、旧来の運用パターンが全く通用しなくなった。三庁は、いずれも各方面から続々と要請や要望が出され、それに追われる日々を送っている。
士官学校の首席卒で、1年間の指揮幕僚課程も履修済みなら出来る……というのは大いなる誤解で、専門性が高い各分野では、士官学校の艦長科以外を卒業した尉官たちが入って、地道に実務経験を積み上げながら上がっていくのが常である。
さしあたってのハルトは、「実戦部隊の司令官だったのだから、実戦部隊を所管する司令庁なら出来るだろう」と、司令庁副長官に任ぜられた。
三庁では、内容に応じて決裁者が長官(上級大将)、各局長(中将)、各部長(少将)、各課長(大佐)となっている。
副長官のハルトは、どのレベルの決裁であろうと最終決定権がないにも拘わらず、長官レベルの決裁では全てを事前確認させられたり、様々な委員会のオブザーバーとして出席を求められたりしている。
『表情が死んでおるな』
通信画面越しで死人と評したのは、軍政長官のジェームズ・アンダーソン上級大将であった。
アンダーソンは78年前に士官学校を首席卒業した老人で、長官の定年である100歳に達しているが、戦争再開と終戦の後始末で辞められずに残った王国軍の最長老だ。
彼は常日頃から「戦後の後始末を終えたら引退させろ」と口にしている。
但し無気力ではなく、むしろ「儂の代で連合を滅ぼした。退役将官会で大威張りできる。従って早く引退させろ。さもなくば、自慢する相手が寿命で死んでしまうからな」と、したり顔で宣う元気な老人であるが。
ハルトは通信画面越しで姿勢を正した。
「失礼しました」
取り繕う孫世代のハルトに、アンダーソンは世間話でもするかのように語り掛けた。
『最初は慣れないものだが、それは要領を掴めていないからだ』
「要領でありますか」
『然り。要点でも良いが、王国軍の目的が何で、それを果たすために何をすべきかを考えれば、自ずとやるべき事が分かる。例えばここに、サラマンダー配備の承認決裁があるだろう』
アンダーソンは、軍令長官と参謀長官の最終承認が残っているサラマンダー配備の決済データを示して見せた。
ハルトが頷くと、アンダーソンは中身を開いてハルトとデータを共有する。
『この承認によって、王国軍の軍事力が1.6倍になる。王国軍は、王国と王国民を守る組織だ。然らば、軍事力が1.6倍になり、かつ予算や資源も問題無いならば進めれば良い。逆に承認せず、有事に軍事力が足りなければ、後悔しよう。何か分からない事があるかな』
「いいえ、長官が仰られるとおりだと考えます」
そのような単純化で良いのだろうかと思いつつも、ハルトはアンダーソンの言に頷いた。
アンダーソンは顎鬚を撫でながら、リラックスした風にのんびりと話す。
『儂が考える戦後の王国軍に必要な事は、組織の維持だ。人間には闘争本能がある。アマカワ大将は、地球時代に行われていた第三次世界大戦に関する意識調査の研究資料を読んだ事はあるかね』
「ほんの触りだけですが」
ハルトが士官学校時代に読んだ資料は、冷戦終結から半世紀が経った頃から、SNSを活用して世界規模で始まった国際的な意識調査だ。
内容は「次の世界大戦がいつ起こるか」「核戦争はいつ起こるか」などで、各時代のあらゆる調査で一貫して、もう二度と世界大戦は起こらないと答えた人々は常に少数派だった。そして実際に、惑星単位どころか星間戦争まで起こっている。
世界規模ではない戦争や紛争に関しては、ディーテが地球に天体を落とすまで、延々と繰り広げられていた。
『次の戦争は、必ず起こる。抑止と対応には、軍の健全な維持が欠かせない。儂の最後の役目は、それを理解できる後任に託す事じゃな。儂が直接話した将官で、なるべく若く、軍内外への影響力が強い奴が良い。王国民の支持があれば最高じゃ。どうかな、軍政長官を200年ぐらいやってみんか。儂が退役と引き替えに、陛下へ直訴してやるが』
「は、は、は……」
加齢停滞技術で平均寿命が150年だったアンダーソンたちは、長官の定年が100年だった。
だが平均寿命200年に延びた世代では、定年が150歳くらいに延びるだろう。そしてハルトたち平均寿命300年の世代であれば、定年は220歳くらいに延びるかも知れない。
ハルトの立場であれば、200年居座るのは、不可能では無いのだ。
20歳の若者に、これまでの人生の10倍という無茶苦茶な期間の仕事を提案したアンダーソンは、満足そうな様子で何度か頷いた。
『貴族に言う事を聞かせる参謀長官でも、実戦部隊を統括する司令長官でも、アマカワ大将ならばやれる。三長官の一席を占めれば、他の長官にも影響力を及ぼせる。貴官は自分の退役時に、しっかりと後任へ引き継げば良い。さて、これで儂の仕事は終わったな』
言いたい事を言い終えて満足したアンダーソンは、サラマンダー配備の決済データに承認を押して、ハルトの通信画面に表示させた。
決済を終えたつもりなのか、引継ぎを終えたつもりなのか、いずれか判然としないままにアンダーソンは通話の終了を告げた。ハルトの敬礼を見届けたアンダーソンは、答礼と共に目力で何かを訴えて通信画面を切った。
通信が切れると、ハルトの新しい精霊の1体であるミラが、左隣で明るく告げた。
『1つ、おーわり』
ハルトは深い溜息を吐いて、椅子の背もたれに寄り掛かった。
その隣では外見年齢が10歳くらいの少女に見えるミラが、机の上に腰掛けて、背丈の3分の2くらいの大きな銀色のフォークを軽々と振り回して弄ぶ。
ハルトが認識する精霊の格の見分け方は、上級精霊が非人間的な外見で、中級精霊は人間の女性、下級精霊は女の子だ。
中級や下級精霊には、さらに細かい分類で上下がある。
上位の中級精霊は、特徴的な杖や本などや、非特徴的なベルトや装飾品など、例外なく何かしら形のある物を所持している。また下級精霊は、幼さで力を見分ける。もっとも、本来は他人の契約精霊など見えないが。
ハルトが契約した他の2体は、いずれも非人間的な外見をしていた。
桜色の精霊結晶のフルールは、ハーフエルフ耳に妖精の羽を生やした精霊。
黄緑色の精霊結晶のレーアは、エルフ耳で周囲を緑の風が渦巻く精霊。
だが同じ上級精霊のミラは、ハルトの知る基準には全く当て嵌まらなかった。
下級精霊である10歳の少女の外見をして、中級精霊である銀色のフォークを持ち、契約の際に一度だけ見せた姿は、泉や川に住む美しいナーイアスだった。ちなみにナーイアスは、首から宝石が付いた銀色のチェーンのネックレスを下げて、黒い表紙の本も持っていた。
ハルトがミラの姿について聞いたところ「これが楽だから」との返答があった。結論として、ミラはとても変わった精霊だった。
「あと1つ、あるけどな」
『それじゃあ、次に行ってみましょうか』
「おい待て」
ミラが勝手に機器を操作して、参謀長官のハビエル・オルティス上級大将の長官執務室に通信を繋げてしまった。
ハルトは慌てて取り次ぎの士官に説明し、事前のアポイントメントがある事と、参謀長官の予定を確認する。
するとオルティスは手が空けられたらしく、直ぐに通信画面に出てきた。
オルティスは77年前に士官学校を卒業した子爵家の三男で、家は継げぬと早々に見切りを付けて軍に入り、高魔力と出自を活かして着々と昇進して、最終的には三長官の1人まで上り詰めた強かな男だ。
オルティスも定年を控えているが、時期については「アンダーソン長官が退役されるのを見届けたら自分も退役する」と公言している。
『アマカワ大将か。アンダーソン長官との話は終わったか』
「はい。先程、承認を頂きました」
『よろしい。データを寄越せ』
「畏まりました。直ちにデータを送ります」
ハルトが軍政長官と司令長官が承認済みのデータを渡すと、オルティスはそれを確認した後、腕を組んでハルトに向き直った。
『サラマンダー引き渡しの承認を押す前に言っておく』
「はっ。何でありますか」
『他人は、自分の期待通りには動かない。王国軍艦隊を撃破できる兵器を持った市民が反乱を起こしたら、どう防ぐのか。各部署には常に最悪を考えさせて、それに対応できるように事前に備えさせるのが上の仕事だ』
「はい。オルティス参謀長官がご提案なされて、サラマンダーに母艦や母港からの強制遠隔操作機能が付けられたと聞き及びました」
『そうだ。国王陛下が支持されようと、盲目的に受け入れるだけでは三長官の意味が無い。必要な事はねじ込め。貴様は既にねじ込める立場であるから、後は知識と経験を増やして、やる意志を持て』
「ご忠言、感謝申し上げます」
オルティスは頷き、承認を押してハルトとデータを共有した。そして『以上だ』と言ってアッサリと通信を切った。
ハルトが音を立てて椅子にもたれ掛かると、ミラが明るく言った。
『全部、揃いましたねー』
「おかげさまで」
本来受領すべき司令長官のイェーリング上級大将は、太陽系侵攻軍の遠征時に中将から大将へ上げられて、ヴァルフレートの遠征軍に従軍して上級大将に上がり、年配である他の二長官に対して苦手意識がある。
勉強目的で、代理としてサラマンダー受領許可を取らされたハルトは、役割に疲労感を覚えた。
何しろハルトは、4月に士官学校を3年飛び級で卒業してから、未だ半年しか経っていない。大先輩への苦手意識は、イェーリングどころではない。ハルトほど離れると、もはや開き直っても良いかも知れないが。
ハルトは完成した決裁書を以て、三庁の関係部署に、司令庁へのサラマンダー配備命令を飛ばした。命令を出せば、後は各部署と現場が自動的に実行してくれる。
本日最大のお仕事を終えたハルトは、帰宅後の仕事について想像を巡らせた。
ハルトは軍の大将であるのみならず、人口8億の領地を有する侯爵でもある。
新侯爵の領地は、王都がある大陸から地中海を挟んだ対岸のキュントス大陸の一部だ。そこには精霊結晶の第二生産工場があって、それを配慮されて王家直轄領から分割された。
領地政府は、王国行政府から分割移管されており、元王国行政府の局長や部長たちが現地政府の閣僚や長官に鞍替えして、そのまま仕事を行っている。侯爵領の政策は王国行政府に右倣えしており、地域性を持つものに関しても、主星ディロスの全体計画に沿って決定している。
そのためハルトが決める事は殆ど無いが、最終決裁者が侯爵のハルトなので、8億人の領地の決済を下さなければならない。
王国軍の司令庁のみならず、領地の行政に関しても全てが初見で、ハルトは内容の理解から始めなければならなかった。自宅と王国軍との往復時間の2時間を読み込みに費やし、さらに帰宅してからも2時間ほどは仕事をさせられるハルトは、解放されるのが24時以降である。
さらにハルトは、様々な社会的立場も持っている。大将、侯爵、第一王女の婚約者、精霊結晶製造会社のオーナーなど。すると貴族、政財界の大物、領地の有力者、学者などからの面会希望が続々と入ってきて、土曜日は面会に充てられる。
せめて日曜日には休ませて欲しいとハルトは思うが、希望と現実が異なるのは世の常である。
首星ディロスの1日が28時間でなければ、過労死していたかもしれない。何かがオカシイような気がするが、きっと気のせいだろうとハルトは自分を信じ込ませている。
『適当に手を抜かないと、倒れちゃいますよ』
「そうだな。ありがとう」
外見年齢10歳の精霊に諭されたハルトは、素直に礼を述べた。
『それで忙しいハルトさんに、ちょっと残念なお知らせがあります。サラマンダーの受領を駆け込みで終わらせて、良かったー。って、思えるお知らせですよ』
「…………旧連合の反乱でも起きたのか」
『その程度だったら、良かったのですけれどねー』
ミラは説明の代わりに、ハルトの端末を勝手に操作した。
すると相手先でも精霊が勝手に操作をしたらしく、深刻そうな顔をしたコレットが、ハルトと繋がった通信画面に驚いていた。