31話 免罪符と感状
ヘラクレス星域会戦は、王国軍の敗北だった。
王国軍は、作戦目標であるヘラクレス星域会戦の制圧に失敗し、総司令官グラシアン王太子まで戦死している。対する連合軍は、侵攻軍を撃退して、侵攻軍の総司令官や副司令官も戦死させた。
王国軍(輸送隊とケルビエル要塞を含む)
動員戦力 23個艦隊 要塞4基 駆逐艦8万7506隻相当。
残存戦力 11個艦隊 要塞2基 駆逐艦5万0940隻相当。
損失戦力 12個艦隊 要塞2基 駆逐艦3万6566隻相当。41.7%。
主たる戦死者 総司令官グラシアン王太子 副司令官ベーデガー大将。
連合軍(別動隊を含む)
動員戦力 28個艦隊 要塞18基 駆逐艦9万7070隻相当。
残存戦力 18個艦隊 要塞6基 駆逐艦5万8920隻相当。
損失戦力 10個艦隊 要塞12基 駆逐艦3万8150隻相当。39.3%。
ケルビエル要塞の戦果 要塞11基 駆逐艦1万4344隻相当。14.7%
両軍の投入戦力評価 100対111
最終的な戦力評価 100対116
互いに与えた損失に限れば、痛み分けに近いかも知れない。それでも敗北は敗北である。
王太子の戦死という深刻な事態に、王国軍では責任問題が浮上していた。
最前線では遠征軍に従軍していない太陽系方面軍のラウテンバッハ大将まで参加して、王太子の死に対する責任の所在を悩み始めたのだ。
「戦闘経過を見たが、ケルビエル要塞であれば、もっと戦えたのでは無いか」
ラウテンバッハの質問に、ハルトは将官達の混乱度合いを察した。
「僭越ながら、輸送隊に配属されていた小官は、ラグエル要塞の爆散後、最速で全軍に撤退案を具申し、戦場の各所へ先読みで核融合弾を送り込み、乱戦宙域では敵別働隊の3割以上を破壊して味方の被害を軽減したと自負しております。そして当初、総司令部の指示は待機でありました」
ハルトは端末を操作して、映像記録を再生し始めた。
『連合民の連行と資源輸送には、ケルビエル要塞を活用する。アマカワ少将は戦闘でも活躍したかろうが、国民は王位を継承される王太子殿下に、独立戦争を成功させた偉大なる祖先のような、さらなる歴史的活躍を望んでいる。政治判断も思料し、総司令部からはケルビエル要塞に対し、戦闘参加を控えるよう命じる』
それは遠征軍がヘラクレス星系へ侵攻する前、総司令部の副司令官ベーデガー大将から将官会議で命じられた記録だった。会議の参加者には、太陽系方面軍のラウテンバッハ大将も名を連ねており、映像にも参加している姿が映っている。
ハルトはラウテンバッハに畳み掛ける。
「敵星系に入ってからも、総司令部より『戦闘参加は控え、安全宙域で待機せよ』と、命じられました。政治判断にまで言及されての直接命令は、少将程度では覆せません」
「…………うむ」
説明を受けたラウテンバッハは、ハルトに責任を押し付けることを諦めた。
そもそもハルトが考える王太子戦死の責任者は、総司令官だったグラシアン王太子自身だ。お前が自分で戦場に行ったのだろう。と、ハルトは思っている。
ヘラクレス侵攻は、太陽系侵攻時にカウンター攻撃でディーテ星域を襲われた王太子が、王位継承権を安定させるために、全王国民に対する政治宣伝の上で行った作戦だ。
政治宣伝した結果、フロージ星系経由で敵軍にも知られてしまい、万全の態勢で待ち構えられた。さもなくば敵本隊が王国軍を星系内に引き込む一方で、要塞12基に12個艦隊を抱え込んだ別働隊が、超長距離のワープで背後から襲ってくる展開にはならない。
だが「王太子のせいで負けました」と言ってしまえば、ディーテ王国の王制が崩壊しかねない。
王国軍の将官達も、前例の無い事態に右往左往していた。
「我らは辞表が必要だろうか」
右翼軍を指揮したイェーリング大将が去就について呟くと、左翼軍のリーネルト大将も渋い顔をした。
「辞めても責任を取った事にはならぬ。ハーヴィスト伯爵家令嬢のような有り様こそが、王国に対する責任を果たした事になるのだ」
リーネルトの例え話に、イェーリングは深い溜息を吐いた。
動員された貴族軍は、約半数の6個艦隊が生還した。その中でも貴族級魔力者が動かす大型艦の生還率は高く、大半はアリサとハーヴィスト艦隊が広げた退路から救い上げられた。
数百の貴族家と、一緒に救われた軍人たちがアリサに感謝し、帰国後は必ず名誉回復の一助を担うと約束している。
その中でも、自身と率いていた公爵軍を直接救命されたモーリアック公爵令息ローラントの感謝は深く、彼は自身がヘラクレス星系で一度死んだ身だと語り、拾われた命は今後アリサのために使うと宣言している。
そして王太孫側から婚約内定を取り消されて、貴族との結婚も無理になっていたアリサは、次期公爵のローラントに求婚された。アリサは求婚を受け入れて、二人は多くの貴族や軍人に祝福されていた。
「勝手に動いた貴族家に責任を負わせるのも難しいな」
「無理だろう」
大半の貴族が、艦隊司令官や分艦隊司令官のように自由に動いていた。だが、それを許していたのは総司令部のグラシアン王太子とベーデガー大将だった。
遠征軍の大将であったイェーリングとリーネルトは、会戦の評価を本国に委ねた。
そして敗戦の報が届いた本国の司令長官ヴァルフレート・ストラーニ上級大将からの通信が、不毛な議論を終わらせた。
『損耗した艦隊を再編して、直ちに戦闘可能な正規艦隊を作り直せ。侵攻軍の残存艦隊と太陽系方面軍は、哨戒を強化し、本国からの増援が到着するまで敵軍の動きに警戒しろ』
本国に在ったヴァルフレートは、真っ先に防衛体制の再構築を行わせた。
イェーリングとリーネルトには残存艦隊の再編を命じ、ラウテンバッハには索敵網を張り巡らさせて、勢い付く連合軍の動きを警戒させた。
そして諸将を安堵させたのは、次の言葉だった。
『今回の敗因は、侵攻情報を大々的に公開して敵に防衛体制を取らせながら、対策を行わなかった事にある。王太子殿下は貴族徴用で従軍した、名目上の総司令官だ。敗戦の責任は、軍の専門家として殿下の補佐を担った副司令官ベーデガー大将と総司令部にある。彼らは戦死によって責任を取ったと見なし、戦死による昇進は行わない』
王太子の戦死と敗戦の責任は、爆散した総司令部が取らされる事となった。
一方で生者は、全員が賞賛された。
『撤退の献策自体はアマカワ少将であるが、困難な撤退戦で被害を軽減できたのは、それを受け入れたイェーリング、リーネルトの両大将と、実際に指揮した各指揮官の手腕である。諸将の速やかな撤退判断と、的確な指揮によって、王国は12個艦隊が救われた』
両大将と各艦隊の司令官たちは、会戦での奮戦をそれぞれ讃えられた。
本国に帰還してからの昇進も、際だって活躍した輸送隊のみならず、戦死した将兵の穴を埋めるためにも、武勲に対して相応に与えられる方針が示された。
これらは敗戦に無関係な司令長官からの客観的な評価であり、免罪符を与えられた従軍者たちが、それに対して異議を唱える訳がない。艦隊司令官たちは、ヴァルフレートの判断にこぞって賛同した。
「全体を指揮したのは、総司令部だった。敗戦の責任を他に求めるのは不自然だったな」
「確かにそうだ。総司令部が爆散した後も、最善は尽くされた」
遠征軍の将官たちの中で敗戦は、爆散してこの世に居ないベーデガーたち総司令部が悪かったという結論で落ち着いた。
そして貴族たちに対しても、ヴァルフレートは手を打った。
従軍した貴族は全員が讃えられ、送り出した全貴族家にも司令長官から感状が贈られたのである。
貴族たちが最も欲する言葉は、『連合との戦いで貢献した』だ。
建国来441年に渡って特権を享受してきた全貴族家は、王国民に対して自らが貴族である所以を証明しなければならない。
ヴァルフレートは、貴族たちが最も欲する証明書を自らの名で与えたのである。
・貴族として戦艦を稼働させ、敵艦を見事に撃破した。
・敵艦と差し違え、王国と王国民への脅威を減じた。
・貴族家として艦隊を供出し、連合艦隊を撃ち減らした。
・背後から迫った敵別働隊に突撃し、味方を救援した。
・敵別働隊の包囲を突き破り、数多の味方を救い出した。
・勇猛果敢、見事な覚悟、素晴らしい国家への献身振り。
王国軍の司令長官が、各貴族をそれぞれ名指しで褒め称え、それぞれに個別の感状と従軍記章を贈呈し、条件を満たした者には栄えある武勲章も贈った。
ハーヴィスト伯爵家令嬢アリサも武勲章と感状を贈られ、極めて困難な立場にありながら王国貴族としての責務を果たし、国家への大功を成したと褒め称えられている。
『建国来、代々受け継がれてきたディーテの希求を、貴家は見事に果たされた』
その一文が盛り込まれた感状と従軍記章を贈られた貴族たちは、それらを大切に抱えながら引き下がり、ヘラクレス星域会戦での敗戦総括を受け入れた。
同時に貴族たちは、ヴァルフレートに感謝し、大きな借りを作ったと理解した。
会戦の戦闘経過記録を見れば、自家から出した貴族と艦隊が勝手に動いて本隊を危機に陥れており、必ずしも感状のとおりに貢献したわけではない事が、嫌でも分かってしまう。
「王太子殿下の戦死によって、王位継承権者は王太孫殿下だけとなられた。これは戦時下で好ましくない。昨年まで第三王子であられた、ストラーニ公の王族籍を復活させては如何か」
最初に提案したのは、ヘラクレス星域会戦で自家が命令無視を行い、王国軍に犠牲を出した上級貴族の1家だった。
後ろめたさを由縁とした発案は、意外に貴族達にとっての良案だった。『戦時下に、王位継承権者が王太孫レアンドルしか居ない』という大義名分を以て、ヴァルフレートの王族籍復活を支持するだけで、感状で作った自家の大きな借りを相応に返せるのだ。
王太子が存命であれば、有り得ない選択肢だっただろう。
王太子の不興を買う事で、これまで散々へりくだり、おもねって顔を覚えられ、気に入られようとしてきた努力や、内々の約束が無駄になってしまったからだ。
だが王太子が戦死して、王太孫が3月に魔法学院高等部を卒業したばかりの10代の子供であった事で、状況が変化していた。
「王太孫殿下とは、殆どの貴族が園遊会で多少顔を合わせたくらいだ。引き継ぎなどは、受けておられないだろう」
殆どの貴族にとっては、グラシアン王太子への投資が、戦死によってリセットされていた。
「それだけではない。ラングロワ公爵家が周囲を固めている。グラシアン王太子の妃殿下が公爵の姉で、レアンドル王太孫の側近が公爵の嫡男。人間関係や口約束までは引き継いでおられないレアンドル殿下は、単純にラングロワ公爵家を優遇するだろう」
レアンドルが次王になっても、投資が回収できず、旨みが無い。
対してヴァルフレートの場合は、事情が異なる。
「ヴァルフレート元第三王子の場合は、懇意な貴族の誰も、未来の国王は期待していなかった。内々の約束は、誰にも無い。そして会戦に参加した全貴族に、個別の感状を出された。つまりラングロワ公爵家を優遇するのではなく、我々にもご配慮頂けると言う事だ」
感状は司令長官の名義であるより、未来の国王である方が好ましい。
各貴族家にとって、ヴァルフレートの王族籍復活によるメリットは大いにあれど、デメリットは特に無い状態だった。
彼らにとっての懸念は、魔法学院高等部を卒業したばかりのレアンドルよりも、感状を発行するなど政治的配慮が出来るヴァルフレートの方が、政治的には遥かに手強い相手だということだ。
「ヴァルフレート元第三王子は賢く、神輿には成らぬだろう。レアンドル殿下は子供だから、扱い易そうだが」
扱い易そうだと口にした貴族が、別の貴族に制止された。
「レアンドル殿下は、かつては国内最高峰と持て囃された魔力でアマカワ子爵に負け、学業でもアマカワ子爵に負け、貴族に陰口を叩かれていると妄想し、首星防衛戦では敵に最終防衛線を突破されて首星に被害を出し、婚約者選定では失敗続き。4年ほどで、相当に歪んでしまわれた」
「側近は何をして……いや、歪んだ方がラングロワ公には扱い易いか」
貴族家の当主達は、ヴァルフレートの王族籍を復活させた後の展開に想像力を働かせた。
国王の嫡男の嫡男レアンドルと、国王の三男ヴァルフレート。
供出艦隊を半減させた父親と同じ事を繰り返しそうなレアンドル。総司令官を務めたロキ星域会戦で勝利し、今回の後始末も見事にやり遂げたヴァルフレート。
前にも増して投資しなければならず、ラングロワ公という壁があるレアンドル。投資する前から感状という見返りをくれたヴァルフレート。
どちらが国王になる事が、自家にとって望ましいのか。
彼らの心の天秤は、想像を巡らせる度に一方へと傾いていった。
「皆で連名して、ヴァルフレート殿下の王族籍復活を奏上しよう」
「大義名分は、戦時下における王位継承権者1名という危機。これが感状発行に対する返礼である以上、誰も反対しないだろうな」
正しくは、反対しないのではなく、出来ないであった。
王太子妃を出したラングロワ公爵家すらも奏上に名を連ね、ヴァルフレートの王族籍は復活される運びとなった。
同時にヘラクレス星域会戦の総括も、王国軍上層部と上級貴族たちが意見を揃えたことで結論がまとまり、国王への報告が行われて正式に確定された。
その後、王国軍の増援部隊が太陽系に到着するのと入れ替わりで、参集した貴族軍と最前線の部隊の多くが帰国の途に就いた。