29話 ヘラクレス星域会戦
西暦3741年7月。
ヘラクレス星系への人類定住から987年の時を経て、星系内に入植したヘラクレス星人でも、入植させた人類国家連合群でも無い、第三の勢力が次々と姿を現わした。
星系内の穏やかだった魔素の湖が、豪雨に水面を打たれたかのように、激しく波立っていく。ディーテ王国軍の軍艦は、それぞれが巨大な水滴となって、恒星系外縁部の3カ所へ密集して降り注いでいく。
星系内には、光り輝く数万の星々が生まれ落ち、やがて流星となって宙域を駆け始めた。
「中央軍8個艦隊に通達。全艦、速やかに艦隊陣形を形成。総旗艦ラグエルを基軸とし、5000万キロの前方宙域にて、八芒星を展開せよ。索敵開始、情報を友軍と統合、ミサイル群発射用意」
総司令部から艦隊集結信号を受け取った各艦は、魔素機関で変換させた強大なエネルギーを推進力にして、定められた宙域へと巨体を押し進めていく。
右翼軍と左翼軍もほぼ同時に動き出し、外縁部の3ヵ所に集まった数万の光は、最適な航路を辿りながら、最大火線を生み出せる効果的な位置へと移動していった。
そして3軍の背後からは、青色巨星と見間違うかのような青白い閃光を一瞬だけ放ちながら、一方で魔素の波は殆ど生み出さず、まるで陽炎のように超巨大要塞が姿を現わした。
「ケルビエル要塞、ワープアウト完了しました。各部異常無し。当要塞から半径3億2000万キロ以内の宙域に対する索敵を開始します」
参謀から報告されたハルトは、軽く頷いてから命令を発した。
「司令官アマカワより、総員に通達。総員、第三種警戒態勢。当要塞から半径3億2000万キロに敵が入れば、即座に攻撃しろ。中央と左右両軍に、ワープアウト報告。ケルビエル要塞の座標を送り、友軍の索敵結果と情報統合しろ」
「了解。直ちに座標を送り、情報統合します」
粛々と動き出した司令部を眺めるハルトの横で、フィリーネが小声で呟いた。
「時々思うのですけれど、この要塞は、一体どうなっていますの」
その声を聞いたハルトは、ワープの差だろうかと考えた。
他の王国艦は、艦体相応に魔素の波を立てながら出現する。
対してケルビエル要塞は、まるで幻影がその場で実体化したかのように、宙域の魔素を殆ど波立てず静かに降り立つ事が出来る。
「精霊の差だろうな。セラフィーナは、すごく優秀なんだ」
ハルトが自分の精霊を褒めると、褒められたセラフィーナは薄紫の瞳を僅かに細めて、ニンマリと口角を上げた。
ケルビエル要塞は、巨大な魔素機関を最大効率で稼働させるカーマン博士の技術と、出力が桁違いに高いハルトの魔力と、セラフィーナの非常識な支援が融合したオーバーテクノロジーだ。
ケルビエル要塞がワープを行えば、博士の技術とハルトの魔力で発生する強靱なシールドが要塞を手厚く守った上で、大出力で一度に超長距離を跳躍できる。
そこへセラフィーナの支援があって、通常は地図とコンパスで森を彷徨うところを、精霊界を案内する気軽さで導いてくれる。セラフィーナの案内で精霊の森から出るときは、草木を打ち払ったり、踏み付けたりせず、とても静かに降り立てる。
ワープだけでは無く、索敵を行えば、まるで精霊界に侵入した異物を感知するが如く、遙か彼方まで敵味方の魔素機関の反応を詳細に感知してくれる。
ハルトがプレイした乙女ゲーム『銀河の王子様』で例えれば、ラスボスだったジギタリスの魔力と、それをトゥルーエンドに導いたカーマン博士の精霊結晶が、タッグを組んだようなものだ。
ケルビエル要塞の戦力評価が2個艦隊以上、3個艦隊未満であるにも拘わらず、首星防衛戦で10個艦隊を突破できたのは、それが理由だ。
セラフィーナの導きで星系に降り立ったケルビエル要塞は、中央軍から5億キロ離れた宙域を静かに泳ぎ始めた。
「先行偵察艦隊より、ヘラクレス星系内の映像が届いております。メインスクリーンに投影します」
参謀が報告した後、要塞司令部のメインスクリーンに、銀河で最も有り触れた恒星である赤色矮星が映し出された。
赤く輝く恒星に照らされて、巨大惑星アルカイオスが暗闇から姿を現わす。
地球直径の8倍という巨大惑星には、固定された昼と夜の中間点に、地球の陸地面積の約20倍という超大陸が存在する。惑星には、巨大な大陸と、大海とが共に見て取れた。
アルカイオスの惑星環境の多様性は、規模や特異環境に鑑みて、地球を遥かに凌いでいるだろう。惑星ディロスが人に創り出された理想郷を誇るとすれば、巨大惑星アルカイオスは大宇宙の壮大さを誇っている。
巨大な大陸を目にしたハルトは、ふと非公開なドワーフの人口が気になった。
「陸地面積が地球の20倍もあるなら、ドワーフが地下に1000億人くらい住んでいるかもしれないな」
ハルトの感想に、ユーナが首を傾げた。
「ディーテが390億人と地球60億人で、今の連合が260億人、フロージ共和国が160億人だよ。非算出人口が数十億人で、星間国家の天華連邦は200億人くらいなのかな。その全部を合わせるくらいの人口が、1つの惑星にいるわけないよ」
有り得ないと考えるユーナに、ハルトは可能性を提示する。
「ヘラクレス星人は、1000年近く前に移民しただろ。地球の20倍の陸地と、惑星の地下を居住空間に出来る技術、充分な大気と水と食料生産技術、約1000年の時間があって、種族的にも多産だから、増える一方じゃないか。1億人が30年ごとに1.5倍に増えたら……」
ハルトは端末で計算して、990年後に28兆7627億人という結果を出した。
そして数字を、見なかったことにした。
「惑星は制圧しないから、大丈夫じゃないかな」
ユーナが笑顔で太鼓判を押したが、婚約者が笑顔の裏で何を考えていたのか、ハルトには全く想像できなかった。
「そうだな」
巨大惑星アルカイオスに下りてドワーフと争う危険性に関しては、ハルトも理解した。
ヘラクレス星系を支配している人類国家連合群が、極力不服従の態度を貫くヘラクレス星人を完全征服しないのは、現実問題として征服が不可能だからだろう。
但し、ヘラクレス星人には高魔力者が殆どおらず、魔素機関を用いる軍艦を動かせないため、脅威度は低いと考えられている。惑星を制圧されても、宇宙から天体を落とせば戦いは終わるからだ。
ヘラクレスに高魔力者が居ない理由の1つは、人類がヘラクレス星系への移民後にディーテ星系への移民を立て続けで行ったために、ヘラクレス移民を行った高魔力者が残留せずにディーテ星系へ移ったからだと考えられている。
移民が行われたばかりの高重力惑星には、高魔力者を引き留める魅力が薄かった。皆が苦しむ惑星では、高魔力者だけを特別に優遇する政策も行えなかった。
当時の高魔力者に対する扱いは、三者三様だった。
人類国家連合群は、国家単位で様々に処した。高給を払う国もあれば、公務員の扱いをする国もあり、他国任せで自国内の高魔力者が出稼ぎをする国もあった。
ディーテ政府は、宇宙進出に高魔力者は不可欠と考え、厚遇を以て迎え入れた。
ヘラクレス政府は、他の移民者と同様に扱い、高魔力者にも苦労をさせた。
結果は、地球からの独立に成功したディーテ政府の1人勝ちであっただろう。もっとも連合は、ディーテ独立戦争後に、魔力者達を強制的な国家管理に切り替えたが。
これらの理由から、ヘラクレスでは高魔力者の子孫が最初から少なかった上に、血が薄まって先祖返り以外は途絶えたと考えられる。従って衛星ケイデスさえ確保して宇宙から圧すれば、ドワーフは脅威ではないと見なされている。
現在、ドワーフの頭を抑えている連合軍は、衛星ケイデスから艦隊を発進させて恒星から約40億キロ付近の宙域で陣形を作り、侵攻してきた王国軍に艦砲を並べていた。
ハルトの参謀が、各艦隊のレーダー観測結果が統合された結果を報告する。
「連合軍は、16個艦隊と要塞6基です。魔素機関の変換エネルギー量に基づく戦力差は、当輸送隊を除いて100対70で王国側が優勢。現在の敵は、恒星ヘラクレスから約40億キロの宙域で布陣。艦隊前方にある恒星系外縁天体群を盾に戦うようです」
「16個艦隊と要塞6基、ディーテ星系に攻め込んで来た時より多いな」
ハルトは中々の数だと思いつつも、事前に侵攻情報を知っていて国内に侵入されたにしては、敵の数が少ないと思った。後方の4星系には250億人が住んでおり、各星系への侵攻の足場となる星系が襲われるのだから、もっと戦力を出せるのではないかと。
恒星ヘラクレスでは、恒星から40億キロの範囲内で魔素が渦巻いている。
この範囲内では、魔素を用いて高次元空間を経由するワープが不可能なので、背後に突然出現される事は有り得ない。恒星系に存在する魔素の渦の中であれば、敵が正面にしか展開できないため、防衛戦を行う位置としては悪くない。
連合軍は、まさにその布陣を行っていた。
ハルトは念のため、参謀に総司令部からの指示を確認した。
「我々、輸送隊への命令はあるか」
「総司令部より命令。『戦闘参加は控え、安全宙域で待機せよ』です」
将官会議の通達と変わらず、ケルビエル要塞は重ねて不参加を命令されていた。
ハルトは頷き、参謀に指示を返す。
「総司令部に、命令受諾しましたと送れ」
「はっ、総司令部に命令受諾と返します」
王国軍と連合軍の戦力評価は、王国軍駆逐艦に換算して75691隻対52790隻。100対70と算出されている。王国軍が7個艦隊分以上は有利だ。
10対7で正面から戦えば、何処かの戦場で2対1が発生して決着が付き、手が空いた2人が次の戦場に加勢して、それを繰り返して加速度的に優勢になっていく。
この状況であれば、ケルビエル要塞が参戦しなくても勝利する。
ケルビエル要塞が参加しなければ犠牲は増えるが、政治が優先だと大将に名指しで言われれば、少将のハルトにはどうしようもない。
「それでは当要塞は、総司令部の命令に従い、戦闘参加を控え、安全宙域に移動しながら、別命があるまで待機する」
「了解しました。座標はどちらへ」
確認する参謀に、ハルトは右手の人差し指を、右上へと向けた。
「投入した移動要塞は3基だが、左翼軍が正規軍人であるのに対し、右翼軍は徴用貴族のモーリアック公爵令息ローラント卿だ。念のため、中央軍と右翼軍の中間点の天頂方向に待機しよう」
「了解しました。総司令部とレンダーノ分艦隊司令に連絡します」
やがてハルトの要塞は、後方を大きく迂回し始めた。
その間に艦列を整えた王国遠征軍は、恒星系外縁天体群に向かって、両翼を広げながら進んでいった。
星系内には、多次元魔素変換観測波で探知できない通常兵器が、相当数配備されている。だが大半の兵器は、核融合弾で吹き飛ばすことが出来る。
魔素機関が無い通常兵器は、吹き飛ばされれば戦場へ戻ってくるにも大量の推進剤を使い、戻ってきても時間差が生じて弾幕が薄くなる。
王国軍は常識的な対応から始め、最前線を映すケルビエル要塞司令部のメインスクリーンでは、核融合弾が生み出す強烈な閃光が、無数に輝き始めた。
スクリーンの光量が自動的に調整される間にも、幾千の巨大な光球を横切った次のミサイル群が、さらに前方の天体群を吹き飛ばしていく。
途切れる事のないミサイル群は、ついに連合側の対抗ミサイル群と激突を始めた。
そんな両軍の中間点で炸裂する激しい閃光の中で、一条の質量波凝集砲撃が紛れ込んだ。
「敵艦隊に向けて照射されました」
参謀に報告されたレーザー砲撃は、王国右翼軍の要塞艦から放たれたものだった。
要塞司令部に表示されている右翼軍と敵最前列との距離は、約1億5000万キロ。8光分も離れている。
それほど離れた距離では、敵ミサイルの撃破が目的だろうと、動いている敵艦が標的だろうと、基本的には命中しない。しかも魔素機関を全力稼働させて、座標と艦種を敵に知らしめるために、敵要塞から優先的に狙われるリスクまで負ってしまう。
敢えてミサイルや敵の破壊以外の理由を考えるのであれば、観測射撃、敵への威嚇、味方の士気昂揚などが考えられる。
ハルトが注目したレーザー砲撃は、天体群を消し飛ばしながら突き進み、敵に命中せずに宙域を突き抜けてから消滅した。
「完全に無意味とは言わないけれど、徴用貴族の誰かが、あまり考えずに撃ったんだろうな」
エネルギーの消費を気にしなくて良い点だけが救いだと、ハルトは辛辣な評価を下した。
軍艦主砲として採用されているエネルギーレーザーは、宇宙全体の質量の68.3%を占めるダークエネルギーを変換して使用されている。宇宙の何処にでも存在する魔素を使うため、補給が不要で、連射しすぎない限り半永久的に撃ち続けられる。
但し、エネルギーレーザーの射程には限界がある。
それは照射して宇宙空間を突き進む間に、宇宙空間に存在するダークエネルギーに触れて相殺し、減衰してしまうためだ。
全長2100メートルの軽巡洋艦を動かす魔素機関の場合、到達距離は約2100万キロメートル。但し、到達時にはエネルギーが0に近くなっているため、敵艦のシールドは破れない。
敵駆逐艦に対する有効射程は、900万キロ、30光秒くらいだ。
900万キロであれば、敵駆逐艦への攻撃到達時にエネルギーが1200残る。全長1200メートルの駆逐艦が発生させるシールドの防御エネルギー1200をギリギリ突破できる可能性がある。
連合の移動要塞のエネルギーを攻撃に振り向けた場合、最大で約3億2000万キロが射程圏内となる。そのためケルビエル要塞は、星系到達時に3億2000万キロ圏内を索敵して、射程内の敵排除を最優先したのだ。
移動要塞の主砲であれば、2億5000万キロ以内で巡洋艦以下のシールドを突破できる。但し、14光分も離れた戦闘機動中の軍艦に命中させるのは、極めて困難だが。
両軍の相対距離1億5000万キロメートルは、ミサイル応酬が行われた約2時間で詰められていった。
やがて軍艦の有効射程に達した両軍艦艇が、主砲から光の矢を射かけた。
宇宙の暗闇を照らした光の矢は、加速度的に数を増やして、両軍艦艇が掲げる光の盾に突き刺さっていった。
攻撃が敵艦艇のシールドを打ち破り、艦艇の装甲を貫いて、エネルギーの伝達回路をショートさせ、大爆発を起こしていく。その様子を無言で眺めるハルトに、参謀が口頭で状況を報告する。
「両軍艦隊、主砲による交戦を開始。前衛部隊に、撃沈艦が多数発生!」
魔素の炸裂が、巨大な衝撃波となって宙域に吹き荒れていく。
大海に浮かぶ小舟が如く上下左右に揺らされた各艦は、即座に艦列を立て直して反撃の弓矢を引き絞った。
数に勝る王国軍の両翼は、左右に大きく広がりながら、連合側を半円に収めようと図っている。対する連合軍も両翼を広げながら、星系内部へ後退していた。
王国軍の進撃速度と等速で連合軍が下がり続ける限り、王国側は連合を半円に収めることが出来ない。
両軍は毎時1億キロで星系内部に進んでおり、このまま進めば約37時間後には衛星ケイデスに到達すると参謀がハルトに告げた。
巨大惑星アルカイオスの衛星ケイデスは、ケルビエル要塞の38倍もある巨大な天然の天体で、そこにある人類連合の軍事拠点も相当の規模だと推察される。
衛星ケイデスを再利用したい王国軍は、巨大天体を衝突させて完全破壊する予定は無い。手加減しながら制圧しなければならず、ヘラクレス星域会戦の最終決戦場は、衛星ケイデス周辺宙域になるだろうと予想された。
「37時間後に到達か。ケルビエル要塞は、総司令部の待機命令に従い、現宙域に留まる。総員、2交代のシフトで第三種警戒態勢と休憩を入れ替えろ」
ハルトの指示を受けた参謀が、要塞要員に指示を通達した。するとユーナが訊ねた。
「ハルト君、わたしたちの休憩はどうしようか」
ケルビエル要塞にある魔素機関の稼働者は、ハルトたち4人だけだ。カーマン博士が4人用に調整してくれた当時のままで、技術的な問題があるため安易に触れない。
要塞のワープが可能なのはハルトだけだが、副砲や部分的なシールド、他の要塞運行者程度の索敵であれば、ユーナたち運行補助者でも可能だ。
首星防衛戦のような状況であれば、全員が薬物を使用しながら起き続けて、魔素機関の出力を常時維持しなければならない。だが現状においては、全員が魔素機関を動かす必要性は無かった。
「俺たちも2交代制にしよう。1班が俺、2班がユーナ、フィリーネ、コレット。日付変更時点から、12時間交代でどうだ」
ハルトは、A級精霊結晶を合わせて、9万7400。
ユーナたちは、B級精霊結晶を3つ合わせて、8万1601。
魔力の総量で考えれば、他に選択肢はない。
3人が了解したので、少なくとも12時間は状況が変わらないと判断したハルトは、先に休憩に入ることにした。参謀部にも、ハルトたちの交代に沿った魔素機関の出力計画を組むように伝える。
指示が終わったハルトは、スクリーンに映し出される戦況を眺めた。
ヘラクレス星系では、王国と連合の両軍が作った3枚ずつの壁が向き合いながら、恒星に向かって平行移動していた。
壁の凸凹になっている部分は互いに削られて、綺麗な平面が生まれている。
王国軍の両翼は、当初の半包囲構想を諦めきれないのか、どんどん左右に離れていく。それに対して連合軍も両翼を伸ばしており、双方は3軍ずつで3つの戦場に分かれていた。
司令部には両軍の撃墜対被撃墜比率も出ており、両軍の撃沈艦は殆ど同数で、数が多い王国側が優勢だ。
戦力が王国100対連合70で、お互いに40の損害が出たとする。
その場合、残る戦力は60対30だ。
王国にとっては、最初に7割だった敵が、半分になっている。そのまま戦い続ければ、最後には30対0で決着がつく。連合は数が減るほど不利になっていくので、損害を同数で保つことも難しくなる。
現在の連合軍は、恒星系内に配備されていた数多のミサイル発射施設を用いて王国軍を阻みながら、衛星ケイデスに引き込もうとしているのだと分析されている。
戦況は大きく変化せず、やがて日付が切り替わった。
「先に休ませて貰う」
「おやすみなさい。良い夢を」
ハルトは笑顔のユーナたちに見送られ、要塞内の広い自室に引き下がった。
良い夢は、見られそうに無かった。贅沢にも浴槽へと浸かり、睡眠剤を飲んで眠りに付く前に、ハルトは今回の戦闘について考えた。
射程圏内に入った味方艦が1つ閃光を生み出す度に、数百人が死んでいく。
2年前のハルトは、航宙実習で駆逐艦を操艦していた。
駆逐艦1隻が沈むと、人間150名が死んでしまう。軽巡洋艦は2倍の300名で、巡洋艦は4倍の600名が死んでいく。
もしもケルビエル要塞と輸送隊が参戦していた場合、戦力評価は100対60になる。数千隻の味方が沈まず、百万人単位で死者が減少する。
王太子に手柄を立てさせるために、ディーテが犠牲になるのは2度目だった。首星防衛戦、そして今回の戦い。合間には、太陽系とロキ星系の間で、無駄な消耗戦で艦隊をすり潰している。この調子では、3度目や4度目もあるだろう。
ヴァルフレートのアドバイスが、ハルトの脳裏を過った。
『戦場で誰かが危機的な状況に陥った際、その救命が王国のためになるのかを考えて行動せよ。王国が敗北すれば、君と婚約者は悲惨な目に遭う。何が大切なのか、間違えないようにしたまえ』
ハルトは目を瞑り、ベッドに寝ころびながら、魔力で自身と繋がる精霊に呼び掛けた。
『セラフィーナ。ヘラクレス星系と星域周辺に、正面以外で1個艦隊以上の連合軍は居るか』
『少し待って頂戴』
10分ほど沈黙したセラフィーナは、やがてハルトの傍に姿を現して、笑いかけながら告げた。
『連合の移動要塞12基。沢山の艦隊が入っていて、後ろから超長距離を跳んで来るわよ。王国民を連れていて、精霊が付いているから、全部筒抜けね』
セラフィーナから魔力で伝達が行われ、敵が迂回している光景がハルトの網膜上に映し出された。
索敵範囲の広い味方の移動要塞や大型艦は、既にヘラクレス星系内に突入している。いずれも魔素の渦に飲まれており、迂回進撃する敵に気付く可能性は皆無だ。
星系周辺には偵察艦が配置されているが、魔素機関が小さくて索敵範囲も狭い。対して迂回してくる敵は、魔素機関が大きくて長距離を跳べる移動要塞だけのため、ケルビエル要塞が調べなければ、王国の索敵網に捕まらないだろう。
ハルトは30秒ほど迷った後、セラフィーナに頼んだ。
『ケルビエル要塞の精霊たちに、背後から来る連合軍を見つけないように依頼してくれ。カーマン博士と精霊神がいる惑星ディロスが襲われたのは、王太子のせいだ。そして王太子は、今後も精霊結晶の装着者たちを無駄に殺す。だから王太子には、ここで退場してもらいたい。この話は、人間には内緒だ』
依頼されたセラフィーナは、即答せずに首を何度か傾けた後、微笑んだまま告げた。
『結論が出たわ。答えは了承』
ハルトは頷いて目を瞑り、睡眠剤の効果で意識を落としていった。
良い夢は、とても見られそうになかった。