26話 黒ヤギさんが、お手紙出した
ハルトの自宅は、権利を持つ海域に浮かぶ旅客船だ。
全長は200メートル級で、恒星系内航行も可能だが、贅を凝らした2平方キロメートルの人工浮島とは比べるべくもない。
準貴族の立場であれば、特に問題は無かっただろう。なぜなら準貴族は貴族特権を一切与えられておらず、誰も文句を付ける筋合いが無いからだ。
だが貴族家にとっては、あまりに酷い。
星間航行が不可能な戦闘艇が120メートル級なので、200メートル級の船は、騎士が動かす戦闘艇を一回り大きくした程度の空間だ。貴族にとっては犬小屋レベルで、今のハルトを見れば、公園の段ボールハウスで暮らす未成年を見た気分になるだろう。
非課税特権や、利益率の高い国有企業の株式優先購入権などを与えている貴族家が200メートル級の旅客船を本宅にすれば、王国民は血税の使い道に疑念を覚える。
そのような船に住んでいても、自宅は戦災で壊されたままだとしか思われず、迷惑を掛けるからと連絡や訪問もされない。むしろ良心の呵責に耐えかねて、訪問は出来ない。
アポロン系の交流会が終わって帰宅した翌日。ユーナに通信で事情を説明していたハルトは、旅客船に乗り込まれてユーナからお叱りを受けた。
「増やさないで下さいね」
「はい」
ハルトが短く答えた後、旅客船は沈黙に包まれた。
交流会に連れて行ったのはフィリーネだが、実際に着いていく決定を下したのはハルト自身であるため、参加自体は自己責任だ。フィリーネは侯爵家の令嬢でありながら、公爵に直接苦言を呈しており、責任は果たしている。
コースフェルトの意志に対する両名の想定が、現実に比して甘かっただけの話だ。
ハルトは椅子に深く腰を落として、軽く溜息を吐いた。
「それでハルト君、紹介された子って、どんな子だったのかな」
良い子モードの笑顔で訊ねてくるユーナに、ハルトは冷や汗をかいた。
なお旅客船には、ハルトとユーナの他に、当事者としてフィリーネも呼ばれている。
主に責められているのはハルトだが、ユーナが発する圧にはフィリーネも気圧されていた。
「別に隠し立てする気は無いけど、パーソナルデータの閲覧は、検討する貴族家に限られるんだよな。コースフェルト公爵家の情報って、俺以外にも見て良いのか」
ハルトが確認すると、フィリーネは恐る恐る意見を述べる。
「ユーナさんは、ハルトさんの婚約者という立場ですけれど、今はストラーニ公爵家に属しておられます。パーソナルデータの魔力値は閲覧できません」
フィリーネが説明すると、ユーナが笑顔を向けた。
「う゛っ」
気圧されるフィリーネと笑顔のユーナの間に、ハルトが割って入る。
「パーソナルデータを見なくても、名前とか家柄を説明するから」
必死にフォローするハルトに、ユーナが無言のまま微笑んだ。
「フィリーネ、立体映像の姿絵とかは、見せても良いのか」
「えっ、ええ。王国政府にアクセスして閲覧するパーソナルデータは駄目ですけれど、参考に送られた私的な立体映像でしたら、正妻予定者が見ても問題ないと思います。わたくしも知っている方々でしょうし、わたくしが見るのも今さらですから、問題ないかと」
結局のところ、ユーナの圧に負けたハルトとフィリーネが折れる形で、送られたデータの人物をチェックすることになった。
タクラーム公爵家令嬢ジギタリスのようなトンデモナイ令嬢であれば、光速を超えてワープで最前線まで逃げ出すが、そのような女性は一人も混ざっていないだろう。と、ハルトは考えている。
コースフェルト公爵がデータを送ってきた娘たちは、一先ず3人だった。
1人目は、コースフェルト公爵家令嬢クラウディア。
父は公爵令息で次期当主、母は正妻。
長男、長女、次女、次男の順で、2番目がクラウディア。
魔力は、長男とクラウディアが王族級、次女と次男が公爵級の推定値。
魔法学院の中等部3年で、推定魔力値は2万8650前後。
2人目は、オルドリーニ伯爵令嬢エベリナ。
オルドリーニ伯爵と正妻の娘で、母方の祖父がコースフェルト公爵。
正妻の子は4人で、長男、長女、次女、三女。2番目がエベリナ。
魔力は、長男が侯爵級、長女と次女が伯爵級、三女が子爵級の推定値。
4月から魔法学院の高等部で、魔力値は1万6566。
3人目は、アレリード子爵令嬢の娘ガブリエラ。
父はコースフェルト公爵、母は子爵令嬢で公爵の愛妾。
子爵令嬢の子供は2人で、ガブリエラは姉妹の姉。
魔力は、姉が侯爵級で、妹が伯爵級の推定値。
魔法学院の高等部1年で、魔力値は1万8580。
ハルトが3人の名前を挙げると、ユーナは説明を求めるようにフィリーネに笑顔を向けた。するとフィリーネは困った表情を浮かべながら、ハルトが口にした女性たちの感想を述べる。
「コースフェルト公爵家令嬢クラウディアさんと、オルドリーニ伯爵令嬢エベリナさんは、存じております。アレリード子爵は存じておりますが、ガブリエラさんという方はお会いした記憶がありません。パーソナルデータが送られている以上、出自は間違いないですけれど」
流石に、愛妾となった未婚の子爵令嬢の娘までは知らないか。と、ハルトは納得して、クラウディアから順番に訊ねることにした。
もっともハルトは、クラウディアの魔力値でコースフェルトの意図を概ね察していた。
クラウディアは、王族級の魔力と推定されている。
このまま魔力を確定させれば、ハルト達の同級生であった伯爵家令嬢アリサとの婚約内定を取り消したまま相手が居ない王太孫の婚約者にも成り得る。子供は産み分けで男児を得られるので、継承魔力の倍率が0.95倍以上になれば、その子供は王太孫の次に国王になれる。
未来の国母の可能性を蹴ってまでハルトに打診するのだから、権力では無く、高魔力の子孫を求めているのは明らかだ。
ハルトとの子供が生まれた場合、継承魔力が0.9倍であろうと、魔力値は4万近くになって、連合軍より2回り大きな要塞を稼働できる。1.25倍になれば、5万4000メートル級の防衛要塞も動かせる。そしてハルトの兄は、継承率が1.8倍だった。
コレットは、かつてハルトに貴族の柵について説明した。
それは貴族の結婚が相互協力で、高魔力の娘を出し合い、差分が引き継がれるというものだ。
王族級のクラウディアを受け取る場合、アマカワ子爵家はクラウディアの子孫でも、他の子孫でも構わないが、将来は誰かしら同程度の魔力の娘をコースフェルト公爵家に嫁がせなければならない。
コースフェルト公爵はハルトに高魔力の娘を手配して、自らの思いを果たすと同時に、公爵家の安定も求めているのだろう。と、ハルトはコースフェルト公爵の考えを想像した。
「クラウディアって子について教えてくれ。あ、これが立体映像な」
ハルトが投影した立体映像には、白銀の髪で愛らしい顔立ち、青い瞳は好奇心でキラキラと輝く少女が浮かび上がった。彼女は子狐のように悪戯っぽく笑いながら小さく手を振った。
髪の左側には、空色の大きなリボンが付けられている。首元にも空色のチョーカーと小さなリボンが付けられていた。服装は白と空色を基調としたワンピースで、空色が好きなのだろうかとハルトは考えた。
「ふーん、可愛い子だね」
ユーナが笑顔で第一印象を述べた。
ハルトは胃に僅かなダメージを受けつつ、フィリーネに視線を送る。
「性格の他に、特殊な事情も、お話ししないといけません」
フィリーネは前置きをした上で、クラウディアについて語り始めた。
「性格は、ハルトさんがお好きな日本の古典文学で例えれば、『異世界転生された時に、積極的に主人公を助けてくれる系のお姫様』ですわ」
1700年前の古典文学でお見合い相手の性格を例えられたハルトは、マジマジとクラウディアの姿を見つめた。
「彼女がわたくしたちの同級生に居たら、ジギタリスの行動を全部止めて、皆を明るく助けていたと思います」
「要するに、明るくて凄く良い子って事か」
フィリーネの説明を聞いたハルトは、クラウディアの性格について大まかに理解した。
絶大な権力を持つ公爵家令嬢が善性で動けば、さぞや心強いに違いない。乙女ゲームであれば、ヒロインがピンチにならなくてストーリーに起伏が生まれず、物語が始まる前に終わってしまうキャラだ。
強大な魔王を倒しに行く際には、さぞや重宝するだろうが。
「彼女は、殆どの上級貴族家の子女と付き合いがあります。将来の王妃、あるいは公爵夫人の候補として教育を受けている正統派の公女ですわね。『弦の会』という特別な会でも、とても人気者ですわ」
「「弦の会?」」
フィリーネが発した聞き慣れない言葉に、ハルトとユーナが同時に聞き返した。
「王族や上級貴族家の有志女性が集まる女性会……互助会でしょうか。王国という弓において、殿方が矢であるならば、わたくしたちは弦である。という方々の集まりです。わたくしも侯爵家の継承騒動が終わって、ロキ星域会戦から帰還した後、ようやく推薦を頂いて入会させて頂きましたの」
「そんな会があったのか」
王国の裏に存在する秘密組織の登場に、ハルトは世界の広さを痛感した。
「弦の会は、殿方が作る派閥とは異なる基準で動きます。女性は連帯すると強いですよ。そしてクラウディアさんは、弦の会を動かせる側ですわ」
恐ろしい話を聞かされたハルトは、無意識に身体を震わせた。そしてユーナの笑顔も、心なしか凍り付いているようだった。
ここに来てハルトは、コースフェルトがクラウディアのデータを送った理由について、自らの見解を修正した。
単に高魔力者の子供が欲しいだけであれば、コースフェルト公爵家の強力な切り札の一枚であるクラウディアを出す必要は無い。
クラウディアを送り込むのは、新興の子爵家でありながらストラーニ公爵家とカルネウス侯爵の間で綱引きをしているハルトすらも支えられる人間を送り込んで、本気で支援しようとしているからだ。
これほどまでに力を入れる公爵の本気度が、ハルトには重く伝わった。
「1人目で、もう俺の脳の処理能力を越えてしまいそうだ」
「ハルト君、この子が来たら、わたし負けそうなんだけど」
国王の孫娘でもある公爵令嬢ユーナが、クラウディアのスペックの高さに恐れを抱いて、弱気な言葉を溢した。
ハルトは右手をそっと伸ばして、笑顔のまま引き攣っているユーナの左手を握った。航宙実習以来の、ハルトが用いるユーナの精神安定方法である。
すると手を握られたユーナは肩から力を抜いて、小さく溜息を吐いた。
ハルトは不平等だろうかと左手も伸ばして、フィリーネの右手も握った。するとフィリーネは困った笑みを浮かべつつ、ハルトの左手を握り返した。
「あとの娘は、クラウディアさんほど難しくは無いですわよ」
基準が高すぎる。と、内心でツッコミを入れたハルトは、これっぽっちも安心できないまま、視線でフィリーネに説明を促した。
「エベリナさんは、中等部の生徒会で副会長でした。高等部で副会長だった元王太孫殿下の婚約内定者アリサさんからアドバイスも受けていて、広報誌にも載っていたのを国民にシェアされています。そのせいで今の立場は、あまり良くはありません」
「そうなのか」
高等部の生徒会副会長だったアリサからアドバイスを受けただけで、エベリナの立場が悪くなると言う話に、ハルトは首を傾げた。
護衛の指示とは言え、結果として首都を襲った連合軍から敵前逃亡してしまったアリサの立場が悪くなるのは仕方が無い。
『お前が逃げなければ、うちの子は死ななかった。我々が何のために、440年も貴族制度を支えてきたと思っている』
そのように呪詛を吐く国民に対して、護衛が逃げろと言ったからです。と話しても、納得してもらえるわけがない。
だがエベリナは、敵前逃亡とは無関係だ。
「どれくらい立場が良くないんだ」
ハルトの疑問に、フィリーネは迷う素振りを見せた。
「逃げた者から指導を受けていた者は大丈夫なのか。そのように、国民から厳しい目で疑われ続けるのは、どこの貴族家も嫌ですわ。エベリナさんは、魔力が切実に欲しい男爵家の妻くらいであれば……といった立場です」
フィリーネの説明を聞いたハルトは、エベリナが粗探しの理由に使われ、問題が発生した時には一緒に炸裂する不発弾の扱いなのだと認識した。エベリナの立場では、魔力が微妙な事もあり、上級貴族の正妻はもう無理だ。
そんなエベリナが疑念を完全に晴らし、かつ王国貴族女性の鑑として称えられる簡単な方法が、一つだけある。それは開戦来の英雄にして、超高魔力者でもあるハルトの下に来る事だ。
首星防衛戦で110億人を救命したハルトを内助の功で支えれば、国民は誰一人文句を言わなくなる。それどころか、文句を言う人間を敵国人扱いして全力で叩き始める。高魔力の子供が生まれれば、もろ手を挙げて万歳三唱だ。
オルドリーニ伯爵と伯爵令嬢が、子爵の側室という条件で同意するのも道理だ。
「駄目だからね」
ユーナが釘を刺し、ハルトは立体映像の投影を取り止めた。なお数百年に渡って選別されてきた貴族令嬢の容姿は、皆が乙女ゲームの登場人物になれるほどには美しい。エベリナも例外ではなかった。
ハルトは、フィリーネが知らないガブリエラを飛ばして総括した。
「多分だけど、コースフェルト公爵は、第二夫人候補、側室候補、愛妾候補で、3パターンを紹介したんだと思う。エベリナは側室扱いで構わない立場で、ガブリエラって子は母親自体が未婚の愛妾だ」
ハルトが求めている形が分からなかった公爵は、すべてのパターンを出したのだろう。
説明を終えたハルトに、ユーナが笑顔で結論を告げた。
「ハルト君。このプカプカ浮いている小船だと、公爵家ゆかりの貴族令嬢なんて、絶対に受け入れられないよね?」
その後、ハルトは黙々と、誰も受けられない旨のお手紙を書いた。