18話 自宅に人工浮島を買ってみた
ロキ星域会戦を上回る規模の地球侵攻艦隊が出征して2ヵ月。
士官学校3年の前期までを修了したハルト達は、長期休暇に入った。
相変わらず4名だけの重戦艦科、あるいは74名だけの艦長科で、ここまで軍艦の操艦候補者が減った士官学校側は貴重な候補生を落第させられない。おかげで成績の悪い生徒は、今ごろ補習地獄だ。
なお教育課程のうち実習部分に関しては、ロキ星域会戦に従軍したハルト達4人に、在学中の成績は4年生の分も含めて全て最優秀の評価が付けられて免除となった。
未来の単位まで与える事にハルトは疑問を持ったが、担当教官は全く問題ないと太鼓判を押した。
「従軍期間5ヵ月は、3〜4年生の実習時間として充分だ。敵移動要塞を9基撃破した成果も申し分ない。これは教官会議で決まった事だ」
「了解しました」
士官学校では即戦力を育てるべく、3年生以降に実務実習を組み込んでいる。
その目的に照らせば、航宙実習に続いて会戦でも大戦果を挙げたハルト達は、即戦力として申し分ない事が証明されている。これで低い点数を付けても、学校側の採点方法に問題があると見なされるだけだ。
「結構だ。むしろお前達が成果を出しすぎたおかげで、他の候補生の成績を1段階低く付けなければならなくなった」
「そうなのですか」
「ロキ星域会戦の参加者と不参加者に、同じ点数は付けられないだろう。他の生徒がお前達の武勲を越えない限り、上位4人はお前達で確定だ」
教官は採点の裏側まで教えてくれた。
詳細な説明が受けられたのは、ハルトが士官候補生であると同時に、准将の階級を持っているからかもしれない。士官学校の教師陣の階級は、校長が少将で、教頭が大佐、学年主任は中佐だ。
階級が上の相手が質問すれば、単なる生徒が相手の時より丁寧に答えざるを得ないのも致し方がない。
「ありがとうございます。頑張った甲斐がありました」
「お前達の成績は、元々高いから特に問題は無い。他の生徒の手前、吹聴して回らなければ良いだろう。以上だ」
もう行ってくれとばかりに言い切った教師に、ハルトは敬礼して踵を返した。
教官が説明したとおり、ハルト達の成績は元々高水準だった。
一つには優秀な精霊結晶の補助があるためで、艦艇制御や魔素分析、射撃管制では上から4番目までを独占している。
座学でも、貴族の子弟が通う魔法学院は、魔力者が居ない一般の学校では概要しか教えない魔力分野の教育をしっかりと行っている。士官学校で教わる前から、ハルトたちは習ってきたのだ。
もちろん軍事関係の座学では、他に優秀な成績の者が幾らでも居た。その分野では、いくら頑張っても本物のオタクには勝てない。だが同期の97%が未帰還者になり、魔力と戦果の成績補正が二重に入ったため、ハルト達4人の中から士官学校の首席が出る公算が高くなっている。
4人の中では、実技と座学の得意分野で稼ぐのがハルト、出自や教育から後方分野が強いフィリーネ、性格的に戦術や戦闘が不向きである以外はそつなく熟すユーナ、全般的に苦手分野が無くて高水準なのがコレットだ。
もっともコレットは、王家の眷属の一つで、周囲の関心が集中し過ぎないように振る舞っている。そのためいくつかの教科では、わざと手を抜いているのではないかとハルトは疑った。
以前コレットが口にした「あたしにだって貴族の柵はあるわよ」を目の当たりにしたハルトは、彼女が士官学校の最終席次を意図的に下げようとしている事を察して憮然とした。
わざと成績を下げて勝ちを譲るコレットに、ハルトは消化できない感情を抱いた。
「良い景色ね」
率直なコレットの感想には、ハルトも全く同感だった。
フィリーネとユーナが話し合って決めたアマカワ子爵家は、主星ディロスの地中海に浮かぶ人工浮島だった。
テラスからは、水平線の彼方まで広がる青い海と、整然と配される人工島の連なりが一望できる。
主星ディロスは、地球と殆ど同じ誕生過程を経て、約1.4倍の大きさとなり、太陽と同じG型主系列星のハビタブルゾーンを35億年ほど周っている惑星だ。
すなわち惑星の誕生後に、雨が大気中の塩素ガスを溶かしながら降り、降った水に惑星の岩石に含まれるナトリウムが溶け込んで、塩化ナトリウムを含む海水が生み出される過程を経た。
人類が入植する前のディロスの海は、葉緑体を持つ緑藻や、植物プランクトンが水面近くに大量発生していたため緑色だった。人類はディロスを地球環境に近づけるべく、二酸化炭素を一酸化炭素と酸素に電気分解し、酸化チタンの光触媒反応で酸素を生み出し、様々な植物の種子を撒いて海の原生植物プランクトンに頼らない酸素供給システムを確立した。
その後、海に植物プランクトンを食べるオキアミなどをバラ撒き、海を青色に変えていった。
海水の塩分濃度も地球より0.8%ほど高いが、その程度であれば適応可能な魚介類は多く、適応できずとも遺伝子操作で改良が可能だ。オキアミの増殖後には、オキアミを餌にするイワシやアジ、サンマなど千種類の魚介類を卵から人工的に孵化して放流し、それを食べるマグロなどを放流し、陸では家畜を飼って、ディロスは食糧供給システムを確立させた。
海に関しては、大陸同士に挟まれた波の穏やかな地中海から調整していったため、内海が植物プランクトンの少ない透き通った青色、外海は未だに緑が残る不思議な姿になっている。
二人の目の前には、一足先に改良が完了した透き通る青色と、人間に好ましい生態系を持った、地球を上回る美しい海が広がっていた。
お披露目でユーナに招かれたコレットは、人の手で生み出された壮大な光景に目を奪われていた。
「この周辺海域、人気だったでしょう」
「手配してもらったから良く分からないけど、普通に探しても販売はしていなかった」
地中海の一画に浮かぶ人工浮島群は、王都がある大陸から飛行車輌で数十分の距離だ。周辺海域には、高級住宅街ならぬ超高級住宅浮島が、数千戸ほど連なっている。
それぞれの島の面積は、最低200平方メートルから最高2平方キロメートル。建物の面積は、島の面積の6分の1から4分の1。地上と地下あるいは海中を合わせて、最低6階建てから最大40階建てほど。人工衛星の電波によって誘導されて、海域管理料と借り上げ料を支払った位置まで移動して、海底の固定台と繋がって浮島になる。
どの島も最低限のエネルギー供給プラント、食糧生産プラント、海中の魚を引き込める施設、ゴミ処理施設、飛行車輌や大気圏外離脱船の発着場、プライベートビーチなどを持っており、ハルトの島には海中の魚を捕まえて、建屋内に引き込む設備もある。
人生で大成功した王都民が、一度は購入を夢見るのが浮島だ。ハルトがカルネウス侯爵家から相場以下の価格で譲られたのは、周辺海域でも最上級の浮島だった。
コレットは周囲を一通り眺めた後、ハルトに向き直って感想を口にした。
「ディーテ星系の名前の由来になった美の女神アフロディーテは、海で生まれたらしいわね。由来通りの美しい光景だったわ。でもアフロディーテは、今のハルトと同じで愛欲に塗れていたらしいけど」
「女神と一緒にされて恐縮だけど、俺は愛欲には塗れていないぞ」
「全く説得力が無いわよ」
コレットの視線が、ハルトの背後に向けられた。釣られて後ろを振り向いたハルトが目にしたのは、清楚なメイド服を纏った銀髪猫耳令嬢だった。
「ぬぐぁっ」
自宅に異性を招いた時に、見せてはいけないものを見られてしまった状況。その気まずさにハルトは、頭の中が真っ白になって固まった。
フィリーネが付けているツンと立った猫耳は、外側が髪の色と同じ銀色で内側は白色、ふわふわした手触りが心地良い。耳元に飾られた小さな花の髪留めは、少女らしい可愛さを強調している。そして耳には頭の動きに連動して、自然に動く機能まで付いている。
着ているロングスカートのメイド服は、黒色に白いエプロンと銀髪が映えており、自然の調和が取れている。襟元には金の縁取りが施されたピンクダイヤが付けられており、袖口はヒラヒラと広がっており、実用性よりファッション性や見栄えが重視されている。
ハルトが猫耳メイドセットを買おうと情報端末で調べた際には、膨大な数の猫耳メイドがヒットした。王国の裏側には、彼の同志が沢山隠れている。検索結果を見たハルトは、その素晴らしさに心が打ち震えた。
エデンの園を彷彿とさせる光景を望んだのは、他の誰でもないハルト自身だ。
選択に悔いは無く、勇気を振り絞って希望を口にした過去の選択に感謝もしている。何かを欲するのであれば、自らが一歩踏み出すべきだと彼は深く心に刻んだ。
だが敢えて1つだけ不満を口にする事が許されるのであれば、コレットが来る時にまで付けて欲しいとは言っていない。無論、きちんと言っていないハルトの自業自得である。
「とっても良いご趣味ですわね。アマカワ子爵閣下」
ジト目のコレットに皮肉られ、ガックリと肩を落としたハルトは、女神アフロディーテに並ぶ愛欲まみれの男という評価を無言で受け入れた。
撃沈した男の先では、フィリーネがスカートの裾を軽く摘まんで、クルッと一回りして見せた。それから上目遣いにハルトを見つめて、わざと聞こえるように呟く。
「最初から言って下されれば、付けましたのに」
あざとい攻撃に、それでもハルトは抵抗の術なく撃ち抜かれた。
猫耳を要求された当初は困惑したフィリーネだったが、ハルトの手綱を握るには何をすれば良いかが明白になったのは喜ばしい事だったらしく、むしろ率先して付けるようになった。
ちなみにフィリーネが「最初から言って」と訴えるのは、白猫には対抗する茶トラが存在するからだ。
「ユーナ、なにやってるの」
我関せずと優雅に紅茶のカップに口を付けた子爵令嬢が、新たに視界に映った茶髪の猫耳少女を見て愕然とした。
茶トラはハルトの元へ静かに歩み寄ってくると、正面から胸元に倒れ込むようにぶつかって、一言鳴いた。
「にゃー」
「ぐばぁ」
普通に生きていれば一生聞かないような擬音の呻き声が、茶トラを抱き留めた男の口から溢れた。
白猫にライバル心を燃やす茶トラは、これは私の飼い主だと主張するようにハルトに身体を擦り付けて甘えてくる。
迫ってくるメイド服の肌触りは猫耳同様に柔らかく、それを身に纏っている女性の柔らかさと相俟って、ハルトを魅惑して止まない。
「弁明とか、あるかしら」
コレットの問い掛けは、ハルトの心を冷房のように冷やした。
貴族の面子と体裁が死んでしまったハルトは、マイナス100万の評価を50万くらいに軽減すべく言い訳を思い巡らせたが、結局何も思い浮かばなかった。現行犯逮捕とは、そういうものである。
「猫耳メイドって可愛いよな」
「要するに特殊性癖なのかしら」
ハルトの開き直りが、コレットにバッサリと切り捨てられた。
「…………とりあえず、萌え文化に理解のある弁護士を呼んでくれ」
「あたしはフランス系のルーツが濃いから、少しは日本文化にも理解があるわ。でも判決は有罪だけど」
フランス人は、本当に日本の萌え文化を理解しているのだろうか。と、追及される側の男は考えた。
日本人をルーツとしない人種は、萌えという日本文化を誤解することがある。
女性に猫耳を付けさせる事に、背徳的な思いがあるのでは無いか。あるいは動物的な本能に由来する、支配欲が有るのでは無いか。そのようにストレートな欲望を邪推されてしまうのだ。
ギラギラとした肌色の欲望ではなく、可愛い小動物を愛でるような感情が、無罪を主張するハルトの考える萌え文化なのである。
「わたくしは別に構いませんわよ」
「そうそう、可愛いし」
ハルトの手綱を握れるフィリーネと、わたしは婚約者だし状態のユーナは、ハルトの趣味嗜好を大らかに受け入れる宣言を行った。
但し弁護人たちの発言は、全く弁護になっていない。
「念のために言っておくけれど、あたしは猫耳を付けないわよ」
「はい、分かりました」
コレットに似合うのは猫耳では無く、狐耳の方だろう。そのような妄想をしたハルトは、自分の命が惜しいので口には出さず、茶トラを抱き留めて不公平になっているかも知れないと思い、白猫の頭も軽く撫でた。
「処置無しね。ハルトと一緒に居ると、人生で一度も使わなそうな単語が、何度も浮かんでくるわね。貴重な経験をありがとう」
「……いや、どういたしまして」
どっと疲れが出たハルトに代わって、フィリーネとユーナが夕食に誘うべく、建屋内への移動を促そうとした矢先。ハルトの左腕に付けられていた情報端末が警告音を発し、次いで3人の情報端末も一斉に鳴り響いた。
「何だ」
端末を操作したハルトは、内容に目を見開いて驚愕した。
それは連合の大艦隊が、既にディーテ星系の至近距離に迫っているとの警報だった。