17話 極めて高度な要求(猫耳メイド)
ロキ会戦の最中に年度が変わり、ハルトは士官学校の3年生となっていた。
5ヵ月間も従軍すれば当然だが、2学年上の先輩が居なくなり、従来の3倍という新入生が士官学校を闊歩している姿を見た気分は、おとぎ話の浦島太郎であった。
水の天然資源が豊富なロキ星系という竜宮城で、移動要塞という名のタイや、ヒラメのように泳ぎ回る艦隊と舞い踊った浦島太郎は、拍手の代わりにレーザーやミサイルを叩き付け、竜宮城を半壊させてから故郷への凱旋を果たした。
タイを9匹倒して、それなりのヒラメも薙ぎ払った結果は准将への昇進で、ロキ会戦の従軍記章や、勲6等エリダヌス章も受章した。
従軍章や勲章は、玉手箱の代わりになるだろうか。見栄えは大変よろしいが、眺めていると回顧に耽る老人の気分を味わえる。
「従軍記章をもらったのは700万人。希少価値は無いかなぁ」
制服の胸部に表示される従軍記章に、ハルトは苦笑を浮かべた。
会戦に参加した軍人は、全員が『ロキ星域会戦従軍記章』を受章している。王国軍人の6人に1人が持つ計算で、価値が上がるのはずっと先だ。
一方で武功卓越の評価で与えられる武勲章は、高い価値を持つ。
武功卓越の基準は、『1会戦において、自分より戦力評価が高い敵を、単独で撃破する』のが受章の基準だ。
武勲章は勲7等からスタートして、7回受章すれば勲1等に上がる。
7等級の由来は、恒星の区分方法の一つであるスペクトル分類で、勲章の色も合わせられている。勲章名は、実在の恒星から名付けられた。
勲1等 オリオン章 (青色) <O型>
勲2等 アルゴル章 (青白色)<B型>
勲3等 シリウス章 (白色) <A型>
勲4等 プロキオン章(黄白色)<F型>
勲5等 カペラ章 (黄色) <G型> ※太陽はG型
勲6等 エリダヌス章(橙色) <K型>
勲7等 グリーゼ章 (赤色) <M型>
自分より強い敵と戦えば、普通は自分が死んでしまう。格上打倒の勲章を持っていれば、いやがおうでも一目置かれる。ハルトたちは、フロージ星系戦とロキ会戦の二度受章しており、王国軍で最も高い武勲章を持っている。
今回の戦いは、王国軍の勝利だ。
星間戦、追撃戦、ロキ星域会戦と立て続いた戦闘により、王国艦隊は3041隻の未帰還艦を出したが、連合軍は推定1万隻の損害を出している。
また連合艦数百隻と、乗艦していた多数の連合軍人を捕虜にしており、連合の技術や情報の獲得にも期待できる。
そして何より、ディーテ星系への敵軍侵攻を防いだ。
紙吹雪の舞う王都では戦勝パレードが行われ、従軍者はあらん限りの美辞麗句で褒め称えられた。
活躍した将兵には、失われた3000隻の戦死者の穴を埋める為や、増強される10個艦隊の人員を揃える為、景気よく昇進や武勲章がバラ撒かれた。
功績を立てた将兵が報われた事を、王国民は好意的に受け止めている。
目覚ましい活躍だったハルトは嫉妬の対象でもあるが、国家への貢献が正当な評価を受けるという証明でもある。
軍を大規模に強化するにあたって、上層部の階級も引き上げられた。
軍3長官の2職である政務長官(軍政)と参謀長官(作戦)をヴァルフレート司令長官(戦闘)と同じ上級大将まで上げ、艦隊司令官の一部は大将に上げて複数の艦隊を指揮できるようにした。
一方で功績を挙げたヴァルフレートは元帥に昇進しなかったが、当初の予定通り王国で6家目となる公爵位と公爵領が与えられた。臣籍に下ったヴァルフレートは、ストラーニ公爵を名乗る事になった。
ユーナの母親が新公爵の側室に迎えられ、娘のユーナも公爵令嬢となった。ユーナがヴァルフレートの実子である事と、アマカワ子爵と婚約した事も併せて発表されている。
これらを以てユーナは、『高魔力者と結婚ないし婚約した高魔力女性は、徴用対象から省く』の条件を満たした。今後は自ら希望しない限り、前線には出されない。
もっともハルト達は、政治的な事情で出征の機会が遠のいている。
それは連合軍を打ち破ったヴァルフレート第三王子に、王位継承問題が再燃しつつあり、それを打ち消すために第一王子が地球に遠征して実績作りをすべきという考えが広がっているためだ。
純軍事的には無意味どころか、無用なリスクを負うマイナスの考えだ。
国主に必要なのは戦術に秀でる事では無く、最終目的である「連合の脅威を無くす」までの道筋を立てる事だ。
その方法論の一つとして軍事力があり、それを効果的に運用する為に、軍政・戦略・戦術に秀でた者に適した権限を与えられる軍務大臣を任命するのが、国主の具体的な役割となる。
国主が国力や人的資源を把握し、重要度や緊急性で優先順位を付けながら、大臣同士の折衝や調整が円滑になるように努めれば、安定した軍事力を基に、国家の将来設計を立てやすくなる。
国王や後継者が国家のために持つべきは、政治力だ。
それでも王国政府、並びに王国軍が受け入れざるを得なかったのは、ディーテ王国の独立に最大の貢献を果たしたのが現王家であり、連合との戦いの旗印となるのは王族だとの意識が王国民にあるためだ。
これはディーテ王国民としてのアイデンティティの問題であり、ディーテ王国の政治体制が立憲君主制である所以でもあるため、理屈や損得計算では王国民を心から納得させる事が出来ない。
そのため実績作りの出征は、軍事的な理由からでは無く、政治的な理由で、実行に移される事となった。
第一王子は軍関係の学校に通った事は無いが、作戦指揮は貴族徴用された際にフォローする参謀たちが担う。
王国の首星があるディーテ星系と、連合の首星があるマーナ星系との中間点にある地球は、戦争の帰趨を握る鍵だ。
連合に大打撃を与えた今ならば、地球への侵攻を阻止される怖れも殆ど無い。最低でも軍施設の徹底破壊が見込める戦いに総司令官として赴けば、それで国民も満足する実績が作れるだろう。
そのような実績作りの作戦で、第三王子の娘と婚約して誰の目から見てもヴァルフレート派であるハルトや、実娘である公爵令嬢ユーナが活躍すると、せっかく第一王子の正当性を確立しようとしている側にとっては本末転倒となる。
かくしてハルト達は、第一王子が活躍するまでの間、お留守番が確定した。
地球への往復を考えれば、最低半年は掛かるだろうか。
少なくとも士官学校の4年生になるまでは、このまま出番が無いだろう。ゲームの舞台であった魔法学院の高等部で考えれば、卒業までのメインストーリーが確定した事になる。
ハルトは再編成された大艦隊のニュース映像を眺めつつ、自分たち抜きで物語が進んでいく展開に、ゲーム画面にエンドロールが流れる光景を思い浮かべた。
ハルトにとって残る問題は、ストラーニ公爵家に偏りすぎた天秤の傾きを、カルネウス侯爵家にいくらか戻す事だ。
ストラーニ公爵の側室の娘を婚約者に迎え、軍でもヴァルフレート派と見なされているため、精霊結晶のセカンドシステム社ではカルネウス侯爵と共同歩調を取っていても、2対1で公爵側に比重が偏っている。
ハルトにとって、自分の自由は重要だ。カルネウス侯爵家にもストラーニ公爵家にも飲み込まれず、自己決定権を維持し続けたい。
そこでハルトは、首星ディロスにおけるアマカワ子爵の邸宅と使用人の斡旋に、フィリーネひいてはカルネウス侯爵家を頼った。
「意図は、何ですの」
「ストラーニ公爵家が斡旋した邸宅と使用人だと、フィリーネに遠慮が生じるだろ。俺はフィリーネをユーナの下という扱いにする気は無い。公式の場ではともかく、精神的に妾とかは思ってない。最近は、ちゃんと恋人らしく振る舞えるようになっているし」
フィリーネは返す言葉に思い悩むように、沈黙してハルトの顔色を窺った。
最初から恋人らしく振る舞っていれば、フィリーネだけだった可能性もある。フィリーネが譲歩の意志を見せれば、ハルトも譲歩する意志はあった。乙女ゲームで考えれば、フィリーネが選択肢を間違えたのだろう。
今は折れて譲歩する意志を示しているため、ハルトも譲歩する気になったのだ。
「カルネウス派の集まりにも、何回か顔を出す。そこで俺との協力関係を明示しておけば、政治的にも張り合えるだろ」
「ユーナさんは正妻です。釣り合いませんわ」
上目遣いで覗き込んでくるフィリーネの姿に、ハルトは流石にヒロインと張り合うライバルキャラだと感心した。
「それなら士官学校を卒業したら、フィリーネも一緒に住むか」
「う゛ぇっ!?」
突拍子の無い提案に、フィリーネが素っ頓狂な声を上げた。
一方でハルトは、そう悪くない割と真面目な提案をしたつもりだった。
親から子への魔力継承は、共に在る親子の魔力継承が0.9倍であるのに対し、人工授精で量産していた当時の連合がその半分だ。フィリーネは子供と一緒に居るだろうが、ハルトも一緒に居た方が魔力の継承率が高くなる。
フィリーネは侯爵位を継がなければならないが、祖父が現当主で、父が次期当主のため、継承までに100年の猶予がある。子孫の魔力継承率を上げるためなら、侯爵家も同居には反対しないだろう。
ユーナは、ハルトとフィリーネの関係を承知の上で婚約しており、フィリーネに関しては駄目とは言わない。もちろん張り合うだろうが。
「いわゆる同棲だな。しかも甘々の」
「どっ…………」
北欧系の白い肌に、朱色が差した。
「普通は、別々の家を用意するのが一般的ですわよ」
一般論を口にしたフィリーネだったが、あまり否定的な口調では無かった。
「3日ずつ家を空けるとして、3日居ないのって寂しくないか。という考えから一緒に暮らしてみようというのが、アマカワ子爵家の伝統だ」
アマカワ子爵家は、7ヵ月前に興された由緒正しき貴族家である。
当主は士官候補生で、普段は士官学校の宿舎に暮らしており、先頃までは出征していたために社交界には全く出ていない。
そのためアマカワ子爵家の格式や伝統は、今のところ本人の主張が全てである。
「堂々と開き直らないで下さい。とにかく、もう、訳が分かりませんわ!」
「とにかく、もう、候補の家をいくつか見繕ってくれ。フィリーネの好みで良いから」
「ユーナさんの好みも反映しない訳にはいかないですから、二人で相談します。お時間を頂きますわよ」
強引に押した結果、混乱するフィリーネは済し崩しで同意した。
「任せた。ああ、それと……」
頷いたハルトは、その後に言い淀み、考える素振りをした。
「何ですの」
疑わしげに問うフィリーネに、ハルトは慎重に口を開く。
「言っても怒らないか」
「正直に仰っていただけたら、その点を考慮しますわよ」
「分かった。そうだな……時々、本当に時々で良いから、俺の趣味嗜好に合わせて欲しいという希望がある。そうすればフィリーネの事がもっと好きになる」
「仰ってみて下さい」
ハルトの様子に訝しがりながらも、フィリーネは続きを促した。
「家でのファッションの話だ。いわゆるカチューシャの一つを、頼んだ時だけで良いから付けて欲しい」
「はぁ。カチューシャですか。その程度は別に構いませんけれど」
いささか気の抜けた返答に、ハルトは内心の笑みを必死に堪えながら、さり気なく付け加えた。
「良かった。それとカチューシャに似合う服も頼む」
「どのような服ですの」
「侯爵家で働いている使用人さんとかも着るような服だが、カチューシャによく似合う。奇抜とか、露出が多いとかいう問題は無い」
「どうして、そのような事を求めているのか分かりませんけれど、おかしな事でなければ構いませんわ」
「侯爵家の使用人さんが着る服が、おかしなはずが無いだろう。それじゃあ手配しておくから!」
極めて高度な要求が通ったハルトは、フィリーネが軽く引くほどのハイテンションで宣言した。既に彼の脳裏には、銀髪令嬢の猫耳メイド姿がチラついていたのだ。
そんなハルトの様子に首を傾げながらも、邸宅の方に気が取られたフィリーネは疑問を棚上げし、実家に邸宅の候補をリストアップしてもらうべく端末を操作し始めた。
ユーナと相談するにしても、自分の希望も聞いてもらえるのであれば、フィリーネにも色々と通したい願望がある。
やがて教室に帰ってきたユーナとコレットが目にしたのは、欲望塗れの妄想世界に旅立った男と、同じくお花畑の妄想世界に旅立った女の姿だった。