16話 ロキ星域会戦
ロキ星系は、ディーテ星系からカノープスに向かって110光年の彼方にある。太陽系からの距離は100光年ほどで、勢力圏としては若干連合寄りだ。
恒星系内には、表面が厚さ数kmの氷で、内部が液体の水の岩石惑星『ロキd』が存在しており、重力が地球に近くて磁気圏まで持っていたため、入植の可能性については何度か検討された事がある。
だが人類は、ロキ星系には入植しなかった。
主星ロキは準矮星で、太陽に比べて重元素の割合が少ないために暗くて高温で、かつ大気の透明度が高いために紫外線が強い。太陽系の地球から進化した人類にとっては、環境が違いすぎる恒星系だったのだ。
ロキ星系は恒星風が強いために、巨大ガス惑星が形成される前に吹き飛ばされた天体が、恒星ロキの最短60億から最長72億kmの空間に、地球の数百から数千倍の規模で恒星系外縁天体群を形成している。
恒星系内に直接ワープアウトする事は不可能なため、入植する場合は膨大な数の恒星系外縁天体群を行き来しなければならなくなる。
行き来が不便で危険な事もあり、ロキ星系は長らく放置されてきた。
だが両勢力の国境付近に位置し、誰も近寄らず、水が無尽蔵に補給できる磁気圏に守られた星系である。戦争によってロキ星系の価値を再評価した連合は、王国への侵攻の足がかりとするべく、密かに前線基地を建設してきた。
そのロキ星系に向かって、連合軍の侵攻艦隊と王国軍の迎撃艦隊が、相次いで殺到してきた。
「ワープアウトを確認。各部異常無し」
作戦司令部のサブスクリーンに、ケルビエル要塞を中心とした周辺宙域図が表示された。要塞の出現位置は、連合が基地を建造した惑星ロキdから約80億km。
惑星までの宙域には、観測しきれない膨大な数の恒星系外縁天体群が壁を作っていた。
要塞の出現宙域から星系内へは、ワープを用いた移動が不可能だ。
恒星系内では、魔素が強大な潮流を生み出して渦巻いている。ダークエネルギーの濁流に艦が飛び込むのは、単なる自殺行為でしかない。
そんな渦巻きから数十億キロ離れた周辺宙域には、続々と味方艦隊がワープアウトしており、5億kmほど先では連合艦隊が星系内へと撤退中だった。
両軍の出現位置は、恒星系外縁天体群がどこまで広がっているかを把握しているか否かの差だ。ロキ星系を前線基地とする連合には、圧倒的な地の利がある。
両軍は射程外であり、ごく稀に座標を外した両軍の艦艇が相手側に出現してタコ殴りにされている以外は、共に集結して星系内へと移動しつつあった。
「連合は、恒星系外縁天体群に防衛ラインを構築しつつある模様。友軍は、核融合弾で天体群を吹き飛ばして道を作った後、一斉突入の予定です。なお吹き飛ばした天体群はロキdに流星群となって降り注がれ、敵の基地も破壊される計画です」
先行した艦隊から情報を受け取った通信士官が、要塞司令官代理のハルトに報告を上げた。先の艦隊戦で巨大な戦果を挙げて以来、年上の部下の態度が目に見えて良くなった。
それ以前はフロージ星域での功績と、フィリーネ並びにユーナとの攻防との狭間で、微妙な評価を受けていたのだ。
「吹き飛ばした天体群で、敵艦隊もダメージを受けるかな」
ハルトは漁夫の利を期待したが、周囲からの評価は異なった。
「天体が吹き荒れるときは、後退すると思うよ」
先の勝利で全く危険が無かったからか、戦場にあっても気分が沈んでいない通常状態のユーナは、至極冷静に敵の動きを予想した。
その見解をコレットが補足する。
「敵も核融合弾を使うでしょうから、星系外縁部で乱舞する天体群からは距離を置くでしょうね。むしろ王国軍が核融合弾で空けた狭い宙域を通過する時に、上下左右から集中砲火を浴びせるんじゃないかしら」
推測は充分に有り得る展開で、ハルトは成程と頷いた。
それを防ぐためには、大規模な核融合弾を使用しなければならない。核融合弾の残量はあるはずだが、それを天体群の開通で使用するのかは総司令部の判断次第となる。
「当要塞への指示はあるか」
「総司令部より、『ケルビエル要塞は、敵要塞の撃破を最優先せよ』と通達あり」
進撃ルートや他の艦隊との連携が指示されておらず、自由裁量権の高い命令だった。相当な戦果を挙げたからだろうか。と、ハルトは考えた。
ハルトが総司令官であったとしても、一番槍で敵要塞を次々と破壊して、敵艦隊の中心部には核融合弾を投げ込むような奴に、逐一指示を出したりはしない。現場が上手くやっているのであれば、とりあえず現場に任せる。
「命令受諾と総司令部に送ってくれ。当要塞は、友軍が予定通り核融合弾で天体群を吹き飛ばした後に進撃する。戦闘配備中の各要員は、2交替で1時間半ずつ小休憩を取れ。天体群までの移動時間を考えれば、3時間は戦闘が無い」
「了解。通達します」
休憩命令を指示された作戦司令部の士官達は、安堵の表情を浮かべた。
人間である以上、疲労が溜まれば集中力や士気の低下は避けられない。
交戦中であれば兎も角、そうでないなら休めるタイミングを見計らって戦闘要員の体力や気力の回復に務める事は、要塞司令官が担う職務の範囲だ。激戦が控えているとなれば、尚更休んでおくべきである。
「それじゃあ俺達も休憩を入れるか。俺が先に司令部へ戻りたいから、すまないけど先に休憩させて貰う。要塞を恒星系外縁天体群に接近させておいてくれ。皆に座標は任せる」
「ええ、構いませんわ」
「ゆっくり休んで来てね」
真っ先にフィリーネが微笑むと、競うようにユーナも笑顔で労いの言葉を掛けてきた。そして3人目は、ジト目でハルトを見送ったのである。
巨大な要塞は避難民を受け入れることも想定して作られており、大都市に存在する合法な施設であれば全て備えられている。
ハルトは栄養剤ではなく食事を摂って、シャワーを浴び、自室で多少のリラックスをしてから10分前に司令部へと戻った。
3人と交代してからは、両軍が星系外縁部に打ち上げる花火を見物する。
ロキ星系を取り巻く莫大な星屑の川が、核融合で生じた巨大なエネルギーに吹き飛ばされて地形を変えていった。
友軍は押しているらしく、天体群は洪水となって星系内に流れ込んでいる。天体群に配備されていた無人兵器も次々と破壊され、吹き飛ばされていった。
星系内には巨大な暴風が吹き荒れており、いずれ大小様々な天体が連合基地のある惑星ロキdに降り注ぐだろう。
フィリーネ達が戻ってきた頃には、効果が十分と判断した王国艦隊が星系内へ雪崩れ込み始めた。ロキdへの天体群落下を阻止されないように、連合軍を圧迫するのだ。
「ケルビエル要塞、進撃を開始する」
天体群に空いた宙域に吸い込まれるように、人工の光が次々と飛び込んでいく。その中で一際大きな光を放つケルビエル要塞も、空いた宙域の左端から吸い込まれるように流れていった。
「前方、天体群の対岸に要塞級の魔素反応4つ。敵要塞と推定されます」
司令部のスクリーンには、レーダーで観測された巨大な魔素反応が4つ映し出されていた。
先の会戦に動員された要塞7基のうち5基は破壊しており、残りは2基のはずだった。追撃していた時よりも、要塞が2基増えている。
「あれは防衛用に配備していたのか、それとも増援なのか」
自問したハルトは、おそらく後続だろうと考えた。
王国の首星を攻めるのに、重要戦力を補給拠点に残す理由は無い。捕虜を取られて侵攻情報を知られたと認識し、防衛体制が整う前に進撃を急いで、間に合わなかったのだろう。
「本当の予定だと、最低9基はあったんだね」
ユーナが陰を帯びた表情で呟いた。
連合の要塞9基は、ハルトのケルビエル要塞と同等の戦力評価となる。固まって双方の射程内に入れば、撃ち合いで五分五分の戦いに成り得る。
ハルトも五分の撃ち合いは御免蒙りたいが、味方が危険で作戦指示を受けた場合などには、従わざるを得ない局面もある。様々な想像をした結果、ユーナは暗くなったようである。
ユーナの様子を見たコレットが、すぐにフォローを入れた。
「戦力の集結が不充分なまま進撃したから、戦力が分散して各個撃破になったのね。良かったじゃない」
全く以てその通りだが、ハルトには注意喚起すべき事があった。
「要塞が増えているなら、艦隊も増えているはずだ。2万8000隻で要塞7基なら、要塞2基で艦隊8000隻ほど増えている。追撃戦で削った艦艇と核融合弾が、完全回復したと考えた方が良い」
「う゛っ」
左隣のフィリーネから、侯爵令嬢らしからぬ呻き声が上がった。
王国よりも連合の方が、軍艦を動かせる魔力者が多い。単純に考えれば、連合の方が軍艦数は多いのだ。
「あの人達、なんで攻めてくるんだろう」
「星域制圧は難しそうね。ロキdに天体をぶつけて終わりかしら」
哲学的な事を語り始めたユーナを、コレットが現実に引き戻した。
天体群の空いた穴に飛び込んだ王国軍のうち、最初に敵を射程に捉えたのはケルビエル要塞だった。
「敵右翼の要塞を壊していく。前回と同じやり方だけどな。砲撃開始」
長大な射程を持つケルビエル要塞から放たれた巨大なエネルギー照射が、敵の最右翼に位置する要塞のシールドを突き破り、要塞の魔素機関を貫いた。
精霊が照準補正するケルビエル要塞の主砲は、敵の回避行動を上回っていた。何故命中させられるのだと敵は恐れを抱いているだろう。
精霊結晶は、積み重ねられた技術の結果ではなく、前段階の技術を持たないまま生み出された存在だ。
魔素機関が発明された時に近しい技術躍進であり、地上で戦車を走らせていた連合が空から王国の無人攻撃機に襲われるような差で、一方的に攻撃されている。
1つ目の要塞が破壊された時、ハルトは既に2基目の要塞を照射していた。
千年後の技術と、王国貴族100人の魔力を吸い取って生み出された死神の鎌は、2基目の移動要塞のシールドを狩り取り、要塞内部の軍人達の命を吸い出して、背後の宙域へと駆け抜けていった。
大穴を空けられた要塞は、空気と物資と人間を宇宙空間に流出させ、変換魔素の伝達ラインを破壊されてショートを起こし、連鎖的な爆発で輝きながら沈んでいった。
「敵要塞2基目の撃破を確認。残る要塞は、敵左翼側の2基です」
天体群に空けた宙域の左に陣取るハルトにとって、敵左翼は反対側となる。
射程外であり、戦場を真っ直ぐに横切れば集中砲火を浴びる。
ケルビエル要塞は高い戦闘力を持つが、万能ではない。
核融合弾を至近距離で爆発させられれば、金属層の中に埋め込まれている長距離砲の照射口や推進機関は無事でも、近接戦用の砲台群は焼き払われる。
そうすれば敵に取り付かれて、進路妨害されれば正確な照射が出来なくなり、破壊工作をされれば埋め込み型の砲台や推進機関を壊される危険も生じる。
主要部を破壊されて味方も撤退に追い込まれれば、要塞が鹵獲されないとは言い切れない。
英雄的な自己犠牲精神を持ち合わせていないハルトは、ケルビエル要塞を長距離戦用の巨大砲台と考えており、わざわざ前面に出てイージスの盾になる意志は毛頭無かった。
「当要塞は、反時計回りに右翼へ移動して敵要塞を攻撃する。無理をする必要は無い。要塞を無傷に保ったまま、安定して敵を倒し続ける方が長い目で見れば戦果が上がる」
司令官代理として方針を告げたハルトは、味方が確保している宙域を通り、要塞を左翼から右翼へ移動させた。
射程内に入った両軍は砲撃を行っているが、敵に全く消耗していない増援があった事で、戦線は膠着状態にあった。恒星系内には天体群を流し込めたが、艦隊戦では甘めに見積もって互角の撃ち合いだ。
天体群を吹き飛ばして空けた宙域は、大艦隊を展開するには狭すぎた。艦隊は陣形を変えられずに、敵と正面から向かい合って単純に撃つしか出来ないでいる。
ハルトの要塞は無傷だが、要塞主砲は小さな艦艇を狙い撃つには向いていない。敵艦隊に与えられる損害は小さく、決定打に成り得ない。
「これは攻めきれないな。引き分けか」
ロキ星系は敵の勢力圏内であり、この後にも増援が来る事を考えれば、撤退するしかないというのがハルトの結論だった。
「損害率を考えれば、王国軍の勝利ですわよ。移動要塞9基でしたら、建造費だけで連合全体の推定国家予算の20%になりますわ」
フィリーネの算出した金額が、成り上がり子爵にはピンと来なかった。
今回の会戦で連合軍には、物的にも人的にも大きな損害が生じている。それでも戦争が継続不可能な損害を与えるには、全く届いていない。
4世紀以上も続いた自然休戦期間で、両勢力が蓄えた財貨や資源は、数十年分の国家予算が消し飛ばされたところで尽きないのだ。
「こちらの仕事だけはやっておく。3基目の要塞を破壊する」
右翼へ移動したケルビエル要塞は、新たに捉えた3基目の敵要塞に照射を行い、それから僅かな時間を置いて4基目の敵要塞を貫いた。
両軍の艦隊戦は暫く続き、やがて敵の殲滅が不可能だと判断した総司令部は、撤退の決断を下した。
『全軍。核融合弾を前方宙域に撃ち込め。爆発のエネルギーを浴びて我々は後退し、敵は星系内へ押し込んで距離を取る。その後は、有りっ丈の機雷をばら撒いて敵を星系内に押し込んだまま、星系外へ出させるな』
王国軍に残存していた数十万の核融合弾が、惑星規模の巨大な炎を生み出して、強烈な光で両軍の光学観測機を焼き払った。
爆発に弾き飛ばされた天体と艦の残骸が、質量兵器となって両軍艦艇の周囲を飛び去っていき、不幸にも命中した艦は破壊されて、新たな脅威を生み出した。
星系外縁部は、膨大な天体群が無秩序に吹き荒れる地獄と化した。ロキ星系の各惑星にも、天体が流星群となって襲い掛かっていく。
ロキ星系は、水の補給拠点としては割に合わない危険な宙域と化した。
移動要塞と多数の艦艇を破壊されたフェンリル艦隊も、ディーテ星系への侵攻戦力を喪失している。
『全軍撤退せよ』
王国軍のヴィーザル艦隊は、作戦目的であったフェンリルの下顎を踏み付け、上顎は殴り飛ばした所で、整然と撤退していった。