15話 猫耳のために
王国軍と連合軍の大艦隊が遭遇した。
座標はディーテ星系から70光年、ロキ星系からは40光年の宙域であり、両軍が互いに敵の星系を攻撃しようと進撃した結果、必然的に遭遇した。
両軍の偵察艦による索敵の結果、戦力は概ね互角と判明した。
王国軍 艦艇3万2000隻、要塞数3基。
連合軍 艦隊2万8000隻、要塞数7基。
王国軍は艦艇数が多く、艦の性能を上げる精霊結晶を使用している。
連合軍は要塞数が多く、軍艦と要塞が王国より大きくて出力が高い。
両軍共に敵軍を完全に捕捉しており、徐々に相対距離を縮めつつあった。
この期に及んでの戦闘回避は不可能だ。逃げれば追いかけられ、船速の遅い味方から順に捕捉撃滅されていく。もはや正面決戦しか有り得ない。
覚悟を決めたハルトの元に、総司令部から命令が届いた。
『全艦隊、敵陣形に合わせて長方形の壁を形成。ケルビエル要塞は第14艦隊と共に時計回りで敵右翼の側面へ回り込み、長距離砲撃にて敵を攻撃せよ』
「命令受諾信号を送れ。ケルビエル要塞、移動を開始する」
ハルトの魔力が、精霊結晶と装置を介してケルビエル要塞の巨大魔素機関に流れ込んだ。すると魔素機関が魔素を莫大なエネルギーに変換し、直径9万mの要塞を青白い光で輝かせる。
推進機関が生み出す巨大な出力が、要塞を爆発的な力で押し出し、要塞は王国艦隊の艦列を抜き去って敵右翼の側面へと向い始めた。
「司令官代理、第14艦隊司令のアルチュニアン中将より、予定進路が送られてきました。本要塞の進路も含まれています」
「サブスクリーンに表示させろ」
情報を確認したハルトは、思わず舌打ちをした。
最終座標が友軍の最左翼から僅かに突出する程度で、敵側面に回り込むには完全に足りていなかったのだ。過大評価しても、敵右翼の右舷前方でしかない。
ハルトは机の上に左手の肘を付き、左手に顔を乗せて不満そうに頬を膨らませながら、目が合ったフィリーネに愚痴った。
「どうやら第14艦隊司令官は、慎重派らしいな」
「慎重なのは、一概に悪い事ではありませんわよね」
「一般的にはそうだ。400年以上の国交断絶で、お互いの本当の軍事力は不明瞭。俺たちを除けば全軍に実戦経験も無い。警戒して石橋を叩きながら戦いたいのだろうけど、要塞で先制攻撃する機会を失わせるのは悪手だ」
未だに光学観測は不可能な距離だが、敵艦の魔素機関から変換される魔素は観測できる。敵の魔素を精霊に標的固定させれば、砲撃が命中する。
敵の戦艦1隻を破壊すれば、単純計算で味方戦艦1隻が対応力を他に振り向けられる。
たかが戦艦1隻では無い。戦艦1隻があれば、フロージ星系で味方艦46隻が半数は逃げ延びられた。
「よし、決めた」
密かに決断を下したハルトは、要塞の移動速度を維持しつつ、総司令部に直接訴え出た。
「ケルビエル要塞司令官代理の名で、総司令部に第14艦隊司令の指示を報告して許可申請。『中将に指示された最終座標では、総司令部から命令のあった敵右翼の側面へ回り込めず。総司令部の命令通りに動く許可を請う』と」
「了解。総司令部に報告を送ります」
建前では、ケルビエル要塞は第14艦隊揮下ではなく、総司令部に所属している。総司令部と第14艦隊の命令が異なるのであれば、総司令部の命令を優先すべきとの判断だ。
そして本音では、第14艦隊の司令官とは考え方が異なっており、説得する間に機を逃してしまうと判断した。
自身で明確な考えを持つ第14艦隊司令官が、極端に年下で階級も低すぎるハルトの進言を聞き入れる可能性は極めて低い。
互いの階級は、順当に昇進した中将閣下と、戦時昇進で上がった戦時准将。
年齢は、寿命200年のうち80年を過ぎた中年と、僅か17歳の少年。
階級社会の軍で格下に見られるのは当然で、若造と侮られるのも無理はない。
要塞が速度を落とさずに指示した座標を越えたため、第14艦隊からは詰問調の通信が3度入ってきた。だがハルトは、ケルビエル要塞が総司令部の指揮下にあり、総司令部に確認中だと返した。
ケルビエル要塞が最左翼から飛び出して進軍を続けていると、やがて総司令部から新たな命令が届いた。
『ケルビエル要塞は敵右翼に回り込み、長距離砲撃にて敵を攻撃せよ。第12艦隊はケルビエル要塞の左後背から回り込む敵を迎撃せよ。第14艦隊は本隊とケルビエル要塞の中間点で宙域を確保せよ』
支援艦隊が第12艦隊に入れ替えられ、要塞と艦隊が一緒に動かなくて良いとまで言われたハルトは、隠しきれない笑みを浮かべた。
「総司令部に命令受諾信号を送れ。本要塞は時計回りに前進する」
「了解。総司令部に命令受諾信号を送ります」
「…………第14艦隊よ、永遠なれ。俺とは別の宙域で」
「ハルト、聞こえているわよ」
コレットに聞き咎められたハルトは、わざとらしい咳払いで誤魔化した。
両軍は接近を続けながら、何度も陣形を変えている。
連合軍は横一線に伸びながら、端の艦隊で左右から王国艦隊を包もうとした。
対する王国艦隊も、敵艦隊に合わせて同じように陣形を伸ばす。
すると連合艦隊は、横一線に伸びていた艦隊を上下の二線に組み直して密集した。
但し、右翼艦隊だけはケルビエル要塞が変換させる魔素量の大きさに警戒したのか、3個艦隊と3個要塞を振り向けた。
時計回りで敵に接近していたケルビエル要塞は、要塞の長大な射程とセラフィーナの捕捉能力で、ついに敵右翼艦隊と敵要塞を照準に捉えた。
そこは敵の射程外であり、ハルトだけが一方的に攻撃できる理想的な座標だった。
「要塞を現宙域に固定。フィリーネは要塞右側、ユーナは要塞左側を担当して、副砲で攻撃とシールド展開。コレットは補助機関で要塞の推進」
「分かりましたわ。ハルトさんはどうなさいますの」
「決まっている。駆逐艦4556隻分のエネルギーを使って、要塞主砲で攻撃だ。これより敵要塞に向かって、エネルギー照射を開始する。砲撃開始」
直後、ケルビエル要塞の分厚い複合流体金属層から突出した照射装置を介し、敵の最右翼に位置する移動要塞に向かって、指向性のエネルギーが照射された。
ケルビエル要塞の攻撃は、単発レーザー砲撃の繰り返しではなく、途切れる事のない強大なレーザー照射だった。
宇宙空間の黒いキャンバスに、虫眼鏡で凝集したかのようなビームが伸びていく。
進路上に存在した敵艦隊は、自艦が発生させたシールドを瞬時に吹き飛ばされ、そのままエネルギーの濁流に飲み込まれて消滅していった。
宇宙空間は決して虚無ではなく、水素やヘリウムなどの星間ガスや暗黒物質、魔素が満ちている。そのため照射されたエネルギーは減衰していったが、それでも敵要塞まで伸びて、要塞のシールドに直撃した。
駆逐艦4556隻の半数に相当するエネルギーレーザーが叩きつけられ、625隻分のシールドに多少は減衰され、残る1653隻相当のエネルギーが無防備な敵要塞の外壁に叩き付けられた。
これが実際の駆逐艦1653隻の砲撃であれば、要塞は耐えられたかも知れない。だが照射されたエネルギーは1653本ではなく、たった1本の光に凝集されていた。
鋭い槍でスイカを突いたかのように、要塞装甲は全く抵抗できずに容赦なく貫かれた。
「多次元魔素変換観測波にて、敵要塞へのレーザー命中を観測。敵要塞のシールドが消滅し、エネルギーは敵要塞を貫きましたっ!」
光の槍に貫かれた敵要塞は、慣性の法則で貫かれたまま動き続け、自らを輪切りにしていった。スイカの中身が真っ黒い宇宙のキャンバスに溢れ出し、美しい世界を汚していく。
そして敵要塞は、魔素機関から出力するエネルギーが壊れた伝達回路でショートし、溢れ出したエネルギーで自らを連鎖的に破壊していった。
巨大な魔素の爆発が生じ、レーダーから1つの要塞が掻き消えた。
「敵要塞、爆発四散しました!」
作戦士官が興奮しながら観測結果を報告し、作戦司令部に歓声が上がった。
これは一番槍であると同時に、味方による一方的な攻撃での大戦果だ。敵移動要塞は駆逐艦625隻相当の戦力だと推定されている。それを一撃で消滅させ、最低でも数万人の敵軍人と、十万体を超えるアンドロイド兵まで宇宙の塵と化したのだ。
ディーテ星系に押し寄せる敵が625隻分減らされた。敵要塞内には星系制圧用の部隊や兵器も満載されていたに違いない。観測した王国全軍も、大歓声を上げているはずだ。
要塞を破壊された敵右翼の3個艦隊と移動要塞2基は、慌ててケルビエル要塞に向かって前進を開始した。射程外から一方的に撃たれては堪らないのだろう。
「敵の魔素変換防護膜に揺らぎを確認。ミサイル群の射出と推定されます」
敵は単に前進するのでは無く、大量の核融合ミサイルも射出している。
ミサイルには人工知能が搭載されており、至近距離に達してからは推進剤で進路を修正して敵に特攻するため、発射時に観測精度が低くても命中する。
それに核融合ミサイルは、魔素を用いるレーザーと異なり、宇宙空間を突き進んでもエネルギーが減衰しない。ミサイルの速度はレーザーに比べれば圧倒的に遅いが、レーザーと異なっていつか敵へ届く利点がある。
「砲撃部長、こちらも敵艦隊中央部に向けて、核融合弾を50万発発射。続いて対抗ミサイル発射、敵の核融合弾を破壊しろ。対抗ミサイルの本数は任せる。全長9万mの巨大要塞が搭載できるミサイル量を見せつけてやれ」
「了解。核融合弾、迎撃ミサイルを発射します」
直後に放たれた50万発の核融合弾が、両軍が鍔迫り合いを続ける宙域で敵の核融合弾と交差し、その先の敵艦隊に豪雨となって降り注いでいった。
ケルビエル要塞から放たれた核融合弾は、敵右翼艦隊、その先の敵主力や左翼艦隊にまで達して恒星の如き爆発を生み出し、数多の艦艇を光と熱の渦に飲み込んでいく。一方で敵艦隊から放たれた数万発の核融合弾は、第二波として発射された300万発の対抗ミサイルが弾頭を分裂させながら喰らい付いた結果、その殆どを破壊された。
「敵の陣形が大きく乱れている。敵が迂闊に撃てない間に前進して、敵要塞の2基目を潰す。左舷に展開している第12艦隊司令官に、支援砲撃を要請。フィリーネとユーナも副砲で適時支援してくれ」
「ハルトさん。第14艦隊には要請しませんの」
フィリーネの確認にハルトは渋面を作り、内心で「いらないだろう」と呟いた。
「第14艦隊は、総司令部から『本隊とケルビエル要塞の中間点で宙域を確保せよ』との大切な任務を仰せ付かっている。こちらから連絡しては、ご迷惑になってしまう。第14艦隊司令の任務成功を心よりお祈りする。ちなみにメッセージは送らなくて良い」
司令官代理の発言に困惑した通信士官に、ハルトはきっちりと念を押した。
先方は艦隊司令官の立場と権限を持っており、自己判断や総司令部への具申が可能だ。所属の異なる戦時准将が、逐一世話を焼いてあげる必要は全く無い。
ハルトは肩を竦めて、射程に入った2基目の要塞に向かって主砲を照射した。対して敵軍からは、ケルビエル要塞に向かって質量波凝集砲撃の一斉射が行われる。
両軍の間でレーザー同士が相殺して輝きを放ち、周囲では核融合弾の花火が巨大な熱とエネルギーを解放して宇宙を彩っている。
両軍の間を飛び交う大量の核融合ミサイルは、惑星表面を何万回でも焼き尽くせる破壊力を持っている。荒れ狂う核融合弾の嵐が、両軍の進撃を何度も押し留めた。
だが前進したケルビエル要塞は、核融合弾の花火を挟んだ対岸の敵を射程内に収めていた。2発目のエネルギー照射が行われ、敵要塞のシールドを打ち破って装甲を融解させ、要塞の内部を貫き通した。
「敵要塞のシールド消滅、敵要塞に直撃しましたっ!」
戦闘指揮所に響いた報告の後、再び大歓声が沸き上がった。
両軍艦艇は未だに艦隊主砲の射程外だが、それにも拘わらず2基目の敵要塞が破壊されたのだ。2基目の敵要塞は輪切りにされ、その後は鮮やかな光と共に爆散していった。
一方的な被害を受け続けた連合軍は、嵐の中で強引に前進を始めた。
撤退しても背中を撃たれるだけであり、逆に接近戦に持ち込んで敵味方が入り乱れれば、ケルビエル要塞が迂闊に主砲を撃てなくなる。大量の核融合ミサイルが両軍の間で荒れ狂う中、敵は嵐を耐えながら強引に突き進んできた。
「3基目を撃つ」
被害を厭わずに突撃する敵に、ハルトは少なからぬ焦りを覚えた。
敵の射程外から敵要塞を壊していけば、ケルビエル要塞は無傷のまま戦果を挙げ続けられる。だが長大な距離では、巨大な敵要塞を主砲で狙い撃つだけで手一杯で、数多の敵艦艇にまで手が回らない。
本隊はヴァルフレートが移動要塞ゾフィエルで指揮を執っており、傍らにはもう1基の移動要塞であるラグエルが配置されているものの、連合軍の中央と左翼には合計4基の要塞がある。しかも連合軍の要塞は、王国軍よりも大きい。
中央軍に戦力を集中されれば、王国軍の移動要塞は破壊される可能性もある。
そうなればユーナが公爵令嬢になる件も、ハルトの後ろ盾となる新公爵家が誕生する件も、猫耳計画も、全てがご破算である。
「これより敵右翼側に前進する。3基目の敵要塞を破壊したら、敵右翼を圧迫しながら中央の敵要塞を射程内に収める。本要塞の目標は、あくまで攻撃力が高い敵要塞だ」
ハルトが宣言した直後、ケルビエル要塞の主砲が放たれ、光の槍が3基目の敵要塞に向かって投げ付けられた。
その間に王国の中央軍と右翼軍が、敵艦隊との間で砲火を交え始めた。
核融合弾の応酬が、数十万の刹那的な恒星を生み出していく。
広大な宇宙の戦場に比して小さな炸裂だったが、それが数十万回も続けば膨大な熱量となる。撃ちながら接近する両軍の周囲が、マイナス270度の極寒から、急速に熱を帯びていった。
恒星に突入するが如き恐怖を覚えた両軍の将兵は、恐怖を忘れようと目の前の敵に向かって砲撃を放ち始めた。
立て続いた核融合弾の閃光が、本来の光学観測距離を狂わせた。砲撃を開始した時点で、両軍は当初想定していた以上に接近していた。
近づきすぎた両軍の艦艇が、大小のエネルギーに引き裂かれていく。損傷した艦艇は、人工的に生み出された超新星の嵐に飲み込まれ、次々と破壊されていった。
激戦となった戦場の各所からは、戦況報告が続々と送られてきた。
「ケルビエル要塞が、4基目の敵要塞を破壊。なお敵の核融合ミサイルに前進を阻まれ、現在は進撃を中止の模様。ケルビエル要塞と交戦する敵は、3個艦隊と要塞1基」
ケルビエル要塞は、激しい攻防の中で足を止めていた。
核融合ミサイルは魔素を用いず、多次元魔素変換観測波では調べられない。光学観測が可能な距離に入っても、周囲で爆発する核融合弾の閃光が強すぎて、やはり観測できない。
捕捉不可能な核融合弾の豪雨に飛び込むのは、いかに装甲の厚いケルビエル要塞でも無謀だ。そのため敵艦隊と一定距離を保って、迎撃と防御に専念せざるを得なかったのだ。
王国軍の総指揮を行っているヴァルフレートは、現状が不利とは思っていなかった。
ハルトの戦果は、ヴァルフレートの期待を遥かに超えている。敵は7基の要塞を持ち込んでいるが、ケルビエル要塞は全てを破壊できそうな勢いだ。
「第14艦隊に牽制させ、第15、第16両艦隊をケルビエル要塞の上下に展開。足止めのミサイルを削った後、左翼軍を前進させろ。中央軍は7時方向に後退。右翼軍は5時方向に後退。前進する敵をクロスファイヤポイントに引き摺り込め」
「直ちに通達します」
ヴァルフレートは、ハルトにさらなる戦果を求めた。
捕虜としたマルセリノ・サリナスの証言によれば、連合軍の要塞は全長3万m級の巨大天体で、運行者の魔力は概ね3万から3万2000程度。彼らは高魔力者の受精卵を遺伝子操作して、魔力を上がり易く改変されたデザイナーベイビー達だ。
成功率は数パーセントで、殆どは子供へ正常な魔力の継承もできない。それでも自然任せでは滅多に誕生しない高魔力者を多数得られる連合は、要塞を建造した数だけ高魔力者を配属できる。
高魔力者を量産できる連合と、出来ない王国が削り合えば、王国は負ける。敵要塞に味方要塞をぶつけて削り合うのは悪手だ。だが被害を受けずに一方的な蹂躙が出来るハルトであれば、全く問題ない。彼が手に入れた手札は、完全に想定外の鬼札だった。
「左翼軍、前進を再開しました。ケルビエル要塞は、敵要塞の5基目を射程に捉えつつあります。敵は前進を停止。後方の補助艦隊が先行離脱を開始しています。敵は、撤退する模様です!」
勝利を確信したヴァルフレートは、不敵な笑みを浮かべた。
「すぐに追撃戦へ移行する。損傷艦艇は残留させ、第2副司令に再編と運用を任せる。残る艦隊は、撤退する敵の機雷を避けながら追撃し、足の遅い敵から順に撃沈しろ」
意気揚々と指示を出す総司令官に、総司令部内の通信士官たちも勇みながら応じた。彼らにも、この戦いにおける勝利までの道筋が見えたのだ。
だが最大の戦果を挙げた者が、会戦後の猫耳を考えていた事は、優秀な彼らにも想像し得なかった。